つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=poGK_M8eI_4

この三日は毎年、寝正月でNHKの東西寄席をみるのが恒例になっている。





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1004, 正月の過ごし方
2004年01月03日(土)

 基本的には寝正月だ。
元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。
近くの料理屋のものだが、絶品である。
?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。
実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。
魚屋と料理屋の差は歴然としている。仕方がないが。

2日は家内が子供と実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かのスナックで
酒を飲む。今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。
年末年始の挨拶は一切なしである。

 図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの
思いいれはないという。むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。
正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、筆者が分析を
していたが、少しオーバーに思えた。。
日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの
思い入れにあったのだろう。
田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い

 これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の少ないのに気が付いた。
初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、
7~8年前にタンザニアでの年越し位である。
あとは全て両親か母親と供にいた。
実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。

 反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。

以下をコピーしておきます。
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H10・01  タンザニア・サファリ 

アフリカは何と不思議なところであろうか。
行ってくるだけで魂がいやされる。ケニアの南に隣接したタンザニアは、
ケニアの首都・ナイロビより車で5時間のところに国境がある。
ケニアの国立公園は一歩、中に入ると世界中のサファリ観光の為、百年以上の
時間をかけて、整備がされてあった。

しかしタンザニアのそれは全くの未整備、サファリという言葉がまさに
ぴったりであった。ケニアよりさらに二日もかけてのサファリの為、
ただ行って帰ってきた感覚だったが、それでも強烈な印象はケニアのそれとは
比較にならない程強い。

① あのどこまでも続くセレンゲッテ国立公園の大草原の地平線(360度の
視界がすべて地平線である。)ここを車で走っているだけで魂がいやされる。
もちろん生まれて初めてみる360度の地平線である。
② ンゴロ・ンゴロ国立公園はタテヨコ、16Km×19Kmのクレ-タ-に
とじこめられた野生動物達のロスト・ワ-ルドである。
この中に東アフリカのほとんどの種類の動物がとじこめられているという。
自然がつくりあげた自然動物園であった。

③ 大みそかの晩、特別に現地の運転手達に招待されたホテルの寄宿舎近くの
スナックのアフリカ式年越しパ-ティのさわぎが一番のハイライトであった。
ホテルから車で15分のところにある掘っ立て小屋風のスナックであった。
街頭があるわけが無い真っ暗な中にあった。
自分がドキュメンタリ-の主役になったような別世界であった。
20~30人が、そこで潰した羊の肉で酒を飲んでいた。
色っぽい現地のママがいた。その部分はどこの世界も同じだ。
外にも椅子が置いてありバーベキューをしていた。
4~5匹のハイエナが焼肉の臭いで近くでウロウロしてのが唸り声でわかった。
子供たちはハイエナに襲われないようにバケツを叩きながら遊んでいた。
そして全員で年越しのカウントダウンを数えて、その瞬間歓声をあげた。
少し離れた寄宿舎からも歓声が聞こえてきた。
少しすると、我々に引き上げようという。
これからは危険だという。
喧嘩や暴行がおきる可能性があるからだ。
そそくさと、面白くなりかけたところで帰ってきた。
日本人では、特別に招待された5人であった。

これで4年連続のアフリカだが、いつも担えきれない何かを持って帰ってくる。
そして1回ごとの旅行のたびに、意識が拡大していく事が実感できる。
心の奥深く潜む神秘の領域までとどく体験でもある。神話の英雄が日常の世界より、
超自然的で不思議なものが住む世界に入り決定的な経験、そして勝利を納める、
まさにそれに近い世界を体験する。ますますアフリカ病が重くなった。

ああ、アフリカ、アフリカ、アフリカ。
                -1997年12月28日~1月4日

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 2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター

仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ーの英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを
兼ねてクロスエンカウンターと訳した」という言葉が印象的であった。

先日読んだ野口悠起雄の本に
大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの緊急の話題
をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して
話をまとめるとよい」という内容があった。

一つの例として学校でのケースで考えてみると
先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。
即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場
が明確になる。生徒の一生を縦軸とすると、先生やクラスは大きいメルクマールであり、
知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。
逆に先生の立場を縦軸とすると、教師生活での担任は先生にとってもメルクマールになる。
その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても真剣勝負でなくてはならない・・・」
このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。

商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。
取引先と店も縦横にできる。

これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。
対象を縦か横にすえて自分との対比とか、
対立する対象を縦横にして考える軸にすればよい。

一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。
そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
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2002年01月03日(木) 289,歓喜

歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の
1文である。「生きてきて人生これだと思う」という内容だった。

その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。
実を言うと私は「たとえ話」を自分の思考法に昔から使っている。

喩えの名人になってしまった?いや迷人か。

この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。彼らの多くが監督、コーチになっている。
もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、
上記の内容を全身全霊に体験したからである。

勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、
それは理智に留まっているからである。

秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。
薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然の
カタチになってしまうからだ。

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ある時間の断片
1月3日  1969年

10時に実家の店に手伝いに行く。
17時まで働く。
あまり街には人出はない。
家に帰って食事をする。
22時から本を読む。

そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
中学校以来だが、殆ど変わっていない。
実直な大人しい男だ。
長崎屋に勤めているとか。
同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。
思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。
そういえば数年前に同級会の2次会で二人が中座をした事を
思い出した。

それと姉の正子さんに長靴を買ってもらう。
お返しに、持ってきたカーネギーの「人を動かす」を贈る。