つれづれに
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
正月の三が日も終わり、今日の午後からはSJが始まり
普段の生活になる。御隠居の身には、年中が年末年始のような!
写真は、リゾート地の海辺にありそうな <移動式海のテラス>のよう?
穏やか海辺を移動しながら楽しめるなら… もう暫くすると大型ドローンの
移動式のものが出てくる?
・・・・・・
・・・・・・・
3936, 新年にあたり ー3
2012年01月04日(水)
* 御先祖・四四太郎様の警告
最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。
聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、
ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。それを分かっていたと思って
いたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと
決めたとき、何を思った? 事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、
全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、
自分の世界を大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、
30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も微温湯に
浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。
調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・ ワシも御前によって、
400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きて
いるのを知り吃驚じゃ。それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、
ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。
しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、
これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。その中にあって日本は
刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘い
ことを忠告する。地勢的にみて、そのメリットを受けたのが戦後の経済成長
であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し
現在に至っている。そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全て
アメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。
それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。いいか、お主自身、現状に
危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。
ならどうするかを、ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。
大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを
言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、ワシの今の言葉が
身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。
どう身を処するか、より考えろ! お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と
思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。
悲観とか楽観とかいう問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて
迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
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3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の
超新星爆発で出来たものとされている。この太陽系は、宇宙がビッグバンで
出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない
高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、ダイヤモンドができるという。
だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近
知り、世界観が少し変わるほど驚いた。テッキリ地球上の物質は地球上で
出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた
物質が衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、
当時の物質が地球上にあって不思議ではない。超新星爆発という「恒星の死」
の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質が
ダイヤモンド、といえば見方も変わってくる。地球生成以前から、ダイヤモンド
は宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、他の物質を
加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、
物質に対する見方も変えなくては。この歳になって、知らないことだらけ。
いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし
知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。人間が持つ、
それぞれの「私」は、せいぜい80~100年。それに対し、ダイヤモンドは
50億以上の宇宙の旅をしてきた。その「私」など、それに比べると宇宙の
チリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を
知ることである。人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。
ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。
石か~ 森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、
これが人間の理想的な生活というが・・・。
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3196, 100年前の世界一周
2010年01月04日(月)
「100年前の世界一周~ある青年の撮った日本と世界」ワルデマール著
=アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に
出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを
1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、
すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した
社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。
*ベグ,ワルデマール=【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。
大学で法律を学び、卒業後公務員となる。ナチズムに反感を抱いており、第二次
世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。1961年没】。
~ 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集
といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。2009年11月30日発刊とある
から、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。 写真も、
その記録も本書で初めて出版になった本という。アベクの趣味が写真撮影のため
シャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山
などを撮っている。公務員として33歳になった時、研修旅行の名目で休暇を取る。
17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから流行した青春の締めくくり
の旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの
英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。1905年4月、青春時代から
親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちと
ともに大西洋を渡り、ニューヨークに上陸。当時の米国は経済・産業が発展
を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、地下鉄の
高架路線が走る。半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから日本に到着。
ニューヨークで知り合ったガイドのナカノの案内で旅を始めた。 撮影した
銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮から
インド、エジプトを経て故郷に帰った。カラー写真が半分を占め、当時の写真
としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。
・・・・・・
2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは
結婚にとらわれなくなり、晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。
久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップル
挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、
経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを解き明かす。さらに久米と
写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
--
*解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!
前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
・結婚相談所のお見合いパーティーは女性よりも男性が集まらないというから驚きである。
以前は男が多く、女は「さくら」が多かった時期があったという。
・また、「三手」‘手をつなぎあい’‘手をとりあい’‘手伝ってくれる’人を求めるという。
アホクサ!とも、言ってはいられない。 幼児化してきたのだろう。
・久米宏は「圧倒的に晩婚化が進んでいる中で、ある世代に突如早婚化の兆しが見えるのは珍しい。
キャリアを積んで、仕事場で上昇するという生き方がイリュージョンだって気づいたのかも
しれない」と分析。
・さらに「僕は、経済状況が厳しくなると女性の結婚願望が増すと思うんです。不安感がますから、
つっかえ棒がほしい。多分、精神的なものを求めているんだけど2人なら支え合って生きていける
という、不安が半分になるんじゃないかな」と分析。
・キャバクラでは、「アルバイト嬢が“いい結婚相手を見つけるにはほかの仕事よりも優位”」と言う。
・女性たちの育った時代、社会環境、経済状況を検証し、2008年結婚の価値観がいかにして
形成されてきたかを解き明かす。
・スタジオゲストは、議員の小池百合子、京都大学大学院研究科教授でゴリラ研究の権威でも
ある小極寿一、タレントの小倉優子。
-つづく
ーー
要は、情報化で、互いに夢が、幻想が、無くなり、シビアになったということか?
社会学が好きな者にとって、今の若者の生態を知るのに持ってこいの内容である。
私の子供が30歳、33歳のこともある。その前後を含めて見るということだ。14歳の頃に両親や 社会
環境から受ける影響が大きいことを、この番組で知ったが、18歳までは親の責任も大きく左右する。
日本も含めて、縮小化社会になるが、それは内篭り傾向が強くなる。 家に篭る、家庭に篭るに、
やはり結婚していた方が良いということが、早く結婚したい焦りになるのだろう。
それにしても何時の間にか、良い夫に仕立てられている、私は! たくっ!
・・良いは良いでも、都合の良い夫だが。
・・・・・・・・・
2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
「今日を楽しむための100の言葉2」+「--100の言葉3」
伊藤守著 ディスカバー21
オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる
時期も必要である。 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人の
ことばかり気にしないで生きること、そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。
歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。ということは中年以降の
開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、 それを若いうちから
知っておく必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割。
だから、敢えてこういう本がニーズになるのである。
『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
--
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなん
てあるわけない。ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』
ーー
『人が何を思ったっていい。 自由に思わせればいい。 介入する必要はない。
思っていることは思っていることでしかないんだから。』
--
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
--
『嫌いな人とも 口がきけるようになりたいだって? いいんだよ、嫌いな人とは口は
きかなくて。八方美人をしているから、息苦しくなるんだよ』
ーー
『いい人ほど死んじまうだから、いやなヤツでいろ。』
--
『ほんとうに思っていることを伝えたいなんて幼稚で未熟。
あなたの気持ちほど、あてはならないものはないのに』
ーー
『何を言うかは問題ではない。大事なのは、誰が言うか、どんな状態で言うか』
ーー
『話なんて合わせておくだけで良い。なぜ、相手の考えを変えようというのか』
ーー
『申しわけないくらい、あんたのことなど見ていないよ。
誰もあんたのことなど何とも思っていないよ。どう思われる?』
ーー
『自分のこと正直に話したら、弱味を握られるか、馬鹿にされるか、鼻先で笑われるか、
友達をなくすか、だいたい、このうちの一つがおきます。ただ、それだけですから。』
ーーーーーーーー
そういえば、倒幕、その上に明治維新という扉を押し開いた高杉晋作。
「面白くなき世を面白く」という言葉が、人生の根本だろう!!
その意味でネットは大きな武器になる。
ヽ(*´∀`*)ノ.+゚またあ~~♪.+゚
・・・・・・・・・
2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ -2
ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、
以前の文章を見ないまま書いて比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。
その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、カメラをつけたカメラマンが
バンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100㍍の鉄橋の上から、飛び降りるのだ。 世界で一番高いジャンプ台である。
私も11年前に飛び降りたことがあるが、今はもう無理だろう。
「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。
その数年前に、ニュージーランドで43㍍の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、
その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体をフイゴのように呼吸するしかない。
そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。
恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、あんな感じなのだろう。
飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら
恐怖心が数倍になるのを知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。
そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」という声が聞こえてきた。
そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。引き上げられる
時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き
上げ始めた。もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈
過ぎて他が霞んでしまった。
ほぼ同じ内容だが、以前書いた文章をコピーしておきます。
ーーー
2004/09/13
H0705 バンジージャンプ -1
-南アフリカのジンバブエー
ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むとジンバブエと
ザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よくみるとバンジー・ジャンプ
で丁度人がとびおりたところであった。思わず“私もやりたい!”今年の五月にニュージランドで
43mの高さを挑戦! 今度はその二倍あるという。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて
「OKの返事!」 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ行ったところ、国境警備員も本当か
と何回も念を押した。そして……。
(以下字数の関係でカット2009年1月04日)
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2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙 ー 読書日記
(朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。だから、嫁姑の問題は深くなる。 母親の子供に対する愛ほど深いものはない。
その愛の深さは人間の心の奥深く沈殿して一生の温もりになる。その温もりが人間形成の基礎構造になる。
両親の温かさが感じ取れない人は信用しない方がよい! 温みのない人は、その温みを他人にもとめる。
しかし、他人との間の温みは独りになるとスグさめる。母親の温みは、そのまま直に子供に与えることが
できる。良い母親に当たるかどうかは神の判断の領域である。 良い母親になるには、良い伴侶が必要だ。
それも、母親の責任になる! 両親への感謝が、その人間の温みの原点である。
♪♪アリd(*´□`*)bガトー♪♪
・・一筆啓上賞・・
お母さん
雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。 もうすぐ雪ですね。
天根利徳(大阪府51歳)
後10分で着きます。 手紙よりさきに着くと思います。 後で読んで笑ってください。
瀬谷英佑(愛知県16歳)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。 私、同じ事泣いて言ったのに。
ごめんねお母さん。 田口信子(群馬県38歳)
桔梗が、ポンとおとをたてて咲きました。 日傘をさした母さんを、思い出しました。
谷本栄治(京都府65歳)
母親の 野太い指の味がする ささがきごぼう 噛まずに飲み込む
鶴田裕子(山口県21歳)
絹さやの筋をとっていたら 無性に母に会いたくなった。 母さんどうしてますか。
中村みどり(東京都31歳)
おかあさんのおならをした後の どうもあらへんという言葉が 私の今の支えです。
浜辺幸子(大阪府30歳)
お母さん、ぼくの机のひき出しの中にできた湖をのぞかないで下さい。
今 越 (福井県11歳)
お母さん、私は大きくなったら家にいる。 お帰り。と言って子供と遊んでやるんだよ。
藤田麻那(兵庫県9歳)
お母さん、もういいよ。病院から、お父さんを連れて帰ろう。
二人とも死んだら、いや。 安野栄子(千葉県44歳)
( ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪
=ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
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2005年01月04日(火)
1372, 日本人と笑い あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪
┌(。Д。)┐ あはは♪ (o_ _)ノ彡☆ばんばん
昨日の朝日新聞に、「日本人と笑い」をテーマにした全国世論調査の結果が出ていた。
その中で、印象の強い順に抜粋してみる。
・最近よく笑うー62%
・人を笑わすことが好きー61%
・若い人ほど良く笑い、歳を重ねるほど笑いが少なくなる。女性の方が、男性より笑いが多い。
・どういう状況で笑うことが多いか?に対する答えとしては20代では9割が「人と話している時」
であり、高齢者ほど、「TVや漫画を見ているとき」が増えていき孤独な笑いがふえる
・ユーモアのセンスは、「かなりある」「すこしある」を合わせて、全体の6割。
・親父ギャグに代表される「親父ギャグ」については、
76%が別にかまわないと肯定的であった。ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワー
・今の世の中を例えると苦笑いが38%、作り笑いが23%、冷笑が8%、泣き笑いが8%、という
マイナス系の笑いが圧倒的で、「微笑」が15%、「大笑い」が5% と、プラスの笑いを
思い浮かべる人が少ない。
・今の日本に笑いが「少ない」という見方が71%に達している。
・少し話は変わるが、生活実感として、楽になったは10%で、
「変わらない」が64%、「苦しくなった」が28㌫である
「心のゆとりがある」と「生活実感でよくなった」とプラスの実感を
持っている人ほど「最近よく笑っている」と答える人が圧倒的に多くなる。
・「人を笑わせることが好き」で「ユーモアセンスがあると思う」
割合が増えており、そういう人ほど「最近よく笑っている」と答える傾向が強い。
Ψ( ̄∀ ̄)Ψケケケ Ψ(☆w☆)Ψ ケケケッ
ー以上が、朝日新聞の調査の結果を要点であるが、思ったより笑いに対して肯定的で、笑いに
溢れているのに驚いた。私の場合、日曜日を笑いの日にして積極的に取り入れているが、
あくまで、TVのお笑い、バラエティーが中心であリ、孤独の笑いだ。友人や、家族と談笑
をしながら食事をするのが一番の幸福のカタチというが、その為にはユーモアのセンスが必要。
しかしユーモアのセンスは知的センスを要求される。それも同じ水準が。 だから、TVとか
寄席で代替するのだろう。それ以外はマイナスの笑いにお互いになってしまうから始末が悪い。
・・・・・・・・・
2003年01月04日(土)
631, 文化と文明
文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、
みずからも自然状態から脱して作り出してきた物質的・精神的ないっさいの成果。
フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。これまでは
文化の積み重なりとしての遺産を文明。その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。 ロングスパンのものを文明として捉えていた。
しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
ー各ホームページから抜粋したものを纏めたものであるー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。
ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、
ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉。
最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる「文化」と「文明」という
言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。
・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」
などのように、特定の時代の、しかも特定の人々の社会もしくは経済的所産を指しており、
その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。
・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「仏教文化」というように、
たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、その
多くは今日まで何らかの形で生きている。確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、
文明なしの文化、文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
――例えば古代インド人―― 一方、大いなる文明を持ってきたが、
比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、
そして現代ではアメリカ人――がいるのである。
歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、
文化と文明との闘争であるとさえ言いうるであろう。
アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、文化と文化の争いでしかない?
ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした学者並みの小論文が出来上がる。
・・・・・・・
2002年01月04日(金)
290、歓喜ー2
TVであるが、
元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。 あまり興味のない
分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。
それに合わせ他の?お城でダンスを踊っているのが夢のような世界である。
指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいの
インパクトを与えるのが芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったので
なかろうか。歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に与えるものである。
音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
・・・・・・・・・
1月4日 1969年
10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。 午後は裏に住む姉の正子さん宅の
屋根の雪下ろしだ。2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。 高専の先生をしている。
彼と学生運動から教育論について話す。気がついたら3時間も経っていた。気持が若く開放的だ。
先生とはこういうものかと思った。20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、
上手くまとまらない。この程度の問題がナカナカ上手くいかない。 如何したのだろう。