こういう話は大好きである。「砂利がね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば同じじゃないかい」
ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで
いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 
「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する
最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。
クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、家系としての文化資本が無ければ無理。
私など父親からは大相撲の地方巡業か、プロレスに連れて行ってもらったことしか記憶がない。
下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。
演奏会は山の手の家庭のイメージである。 家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。
 家柄とか学歴の良し悪し全て決まるわけではない。 自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、
音楽会に行って良い音楽を聴く習慣をつければ、その習慣行動(プラティーク)の積み重ねから、
それをつくり出しているハビトォスがつくられていく。 片方はハビトォスが崩壊し、片方はハビトォスが
カタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。
 習慣とは、第二の天性。 良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。
出世とやらを考えるなら、目指すポジションの習慣行動とハビトォスを作ることが近道になる。 
したがって偉人(例えばフランクリンなど)の伝記や、三国志孫子の兵法などを読むことは、
良い習慣行動や、その背後にあるハビトォスの構築になる。
「 力、愛、知 」が、人間力の構成要素なら、その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。
階級社会で分を表現する側面として、全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。
しかし、一つの重要な側面として割り切っていないと、そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。
 考えてみたら46回の秘・異郷ツアーで、ハビトォス構築の全てが含まれている。
世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチンタンゴ
スペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、
  文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。 
  それにしては、「己が性を磨け!」からほど遠いのは如何に?

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2699, 「レンタルの思想」−5
2008年08月25日(月)

「宇宙の発展と文化の論理 」ー  鷲田清一×松井孝典

  *ここにないものと関わる能力

松井:  前回は、生物学者長谷川真理子さんと対談しました。
 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田:  人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
 いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
 また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを
 人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが
 これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに
 自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
 取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして
 了解しなおすということなんですね。
 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
 〜〜
 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。
カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。 
それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が
言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ
深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。

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2007年08月25日(土)
2335, どうせ死んでしまう         ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1  ーどうせ死んでしまうー

この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。
その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。
この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。いずれプッツンするのは解っているが、
生きているうちは、せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。
{いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}という投げかけの言葉も道理である! 
生死の問いかけになる。「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、
思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。
でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、
中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」
ーP・11
   (字数の関係でカット08年8月25日)
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2006年08月25日(金)
1970.事業百訓 ・・・?  ー1994年
H0601新年にあたり
(目先の流れを間違わないように!)潮流は大不況である。
  −以下、字数の関係でカット(2007年08月25日)

ーH0603 海外旅行ー 
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の趣味の一つといってよい。海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、その広がりと深さの味わいは旅行し、現実にその場に立ち
感激しなければ理解できない。初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、
旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。また欧州の文化文明に大きな
カルチャーショックを受けた。帰国して数ケ月はただ呆然としていた。二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば、
人生の一大転機のきっかけになった。 それだけ感激とショックは大きかった。

ーH0603ゴネ社会のカラス達ー
ーH0605 般若心経のすすめー
ー以下、字数の関係でカット(2009年08月25日)

ーH0605 事業百訓ー
432 長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。
  真正面よりたち向い頑張ろうとしても、のり超えられないときもある。
  そんなときは「こうあらねばならない」というタテマエを取りのけて、
  あるがままの自分を受容しないと挫折してしまう。
  涙というものは、頑張りをはずし、無理のない自然な自分を再生させる。
  そんなエネルギーを持つものかもしれない。 −吉村はそんな事を考えたものだった。(涙による再生−柳田邦男)
433 “日本はトルコ以東において西洋人に侵略されなかった唯一の国である”という。
  外国政府に対して日本人が他のアジア人と違い異常な緊張力を持っている。
  内陸戦争になれば、こういう無数の侍と戦わねばならぬと、  まず第一に物憂く思った。(司馬遼太郎
434 以来40数年僕の一応の答は「人間は不自然な動物である」、動物は自然に適応する為に自らを変化させてきた。
  ところが人間は自然のほうを変えて文化文明という反自然的な 環境をつくり上げてきた。(河合隼雄
  上記より考えてみると、 数千年か数万年スパンで人類のつくりあげた不自然な文化文明は、
  すべて消滅する運命にあると考えるのが自然である。
435 ある日突然“進化論”に関する本を読んでいた時、ある活字が矢のようにとびこんできた。
 私達を形作る宇宙の原子の数は10の80乗と見積もられているが、宇宙のはじまりより現在までの時間は、
 秒単位で10の80乗と推定される結果、原子の配列と時間の配置に同じものは絶対に起こりえない。
 −私は気の遠くなる孤独感におそわれた。自分と同じ生きものは過去150億年にはいなかったし、
 今後50億年をすぎ、太陽が爆発しても同じ生きものはあらわれない…
 (脚本家−橋本忍−時の流れ−より)
436 たまるべきは何か?それはただ一つ、現在の努力のみである。 それが主観的価値の基準である。
437 セックスとは相手を介ざいしたマスターベーションである−
 (“エスの論理”より 1991/11/末 読売新)
438 一遍という人は、川の流れのように下へ下へ下っていった人ですから
 軽いですね。人間は重いうちはまだ駄目です。軽くならないと。彼は最初のうちは重いです。
 松山を出るうちはまだ重い。それがすてて捨ててるうちにだんだん軽くなるのです。
 −彼は“南無阿弥 仏決定住生六十万人”という浄土行きのパスポートを配って歩いた(板村真民)
439 魂は出来事を経験に高める。…“精神は山の頂上に、魂は谷に”たとえる事ができる。
440 第一生命サラリーマン川柳
    1993年入選作より−(注)(1)→一位
    ・つれこむな私は急に泊まれない(1)
    ・OLの口につけた万歩計(2)
    ・耐えてきたそういう妻に耐えてきた(4)
    ・休暇とれ五時には帰れ仕事しろ(5)
441 人間の最大の悪は何であるか?―鈍感である。
442  子供叱るな、来た道じゃ   年寄り笑うな 往く道じゃ
    来た道、往く道、一人道   みんな来た道、往く道じゃ
    これから通る、今日の道    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る   わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して 顔をみよ、鬼の姿が ただでみられる
445 僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、若い時よりやっていたと思います。
  常識でいえば(−)と考えられる事も、体験の大きさでは(+)(−)も同じ。
 (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが
 (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三

ーH0607  ケニア・サファリ紀行 
 前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。
ところが秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として区画整備されてあった。
広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、
一日一日、一シーン、一シーンが鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
・夕方、五十頭の象の群れが一列になり、右手にキリマンジェロをみながら林の方に帰っていく、
 (TVでこのシーンを見た事があるが、まさか初日にこれをみれるとは思わなかった)
・ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影でスキをねらっているシーン、
・ 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
・湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを追いかけてきたシーン(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)
・数千〜数万頭のヌーの大移動、
・マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
・気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
・四〇〜五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
・キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。過去十七回の海外旅行の中でも最も刺激的印象的なものであった。
 欧州では“アフリカの毒”という言葉があるとか。その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
 言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。(1994.7/10 〜18 )
 ーH0609 歩行とダンスー
 丸山圭一郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。非常に含蓄のある面白い内容である。
人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、
“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”と、一人笑った。
私の学生時代の大手商社に勤めている友人と、酒をのみながら右の話をした。
本人いわく “私はさしずめ、それはホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。 ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。
ーH0609 至福の時ー
 母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。
痴呆とは脳の回線が時々はずれたり夢の世界に入りこみ、現実との境界がつかなくなったり昼夜の別がつかなくなったりする。
はじめは周囲の私達の気が動転、本人の症状にふりまわされたが、今ではほとんど、それぞれの現象に
それぞれの原因がわかるようになり、あまり動じなくなった。(それには二年以上経過したが)
しかし回線がはずれている時は、なれている私達でも背スジがゾーッとする事がある。
本人にも喜怒哀楽はあるし、外部環境の把握をそれなりにしてある。
夜半の半錯乱の翌朝、すべてを忘れている本人にその話をすると
“それでは私はどうしたらよいのか?”と逆に聞かれて返事に窮する事もあった。
この春より母を早朝、公園へ一時間位リハビリも含めてドライブ+散歩に行くが、
誰一人いない公園で母と二人いると幽界か霊界にいるような気になる事がある。
その時の母のうれしそうな顔をみると、この時が人生の“至福の時”かもと感じられる。
ーH0609 ゲームと人生ー
ハーバード著の“思考の原理”という書物の、「人生ゲーム化」という内容が面白く印象に残った。
要旨は “ゲームとは、目標を設定し、そこに障害と自由を与えて、互いに(あるいは自分自身)競わせる。
重要なのは障害である。 自由配慮の中で障害をのりこえさせて、目標に到達させる。
この三つのバランスをとりながら競争するのがゲームである。
人生をこのゲームにたとえると、人生の障害も自由そのものも余裕を持って客観視ができるし、
楽しむ事ができる、という内容であった。人生をゲームにたとえると妙味が違ってくるように思える。
人生にとってのその人の目標は、つきつめて考えると、その人の精神とも考えられる。
その達成において当然目標が大きければ大きいほど障害が大きく、多くなるし自由度合も大きく、多くなってくる。
その障害を楽しんでとり組む自由な心(とらわれない視野が“自由”というのかも)こそ人生のゲーム化といえる。
ーH0609 ケニア・サファリ紀行(?) 
・ 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を命がけで四時間、
 つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
・ 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。 毛色の光沢、目のかがやき、
 悠然たる動きが、あの大地を背景として自然と一体となり絵になっているのだ
・ 早朝の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
・ 気球より見たアフリカの広大な草原。下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。?掘っ立て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声! ケニア人の90パーセント以上は、
 一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、その貧しさに涙を溜めて訴えていた。
日本人の観光客は、年間に一万人に満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感じ!であった。