つれづれに
他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=4Ls4-c4gu3I
昨夜半は、寝ていて寒くて目が醒める状態。 8月も末となれば、こんなものか。
1970.事業百訓
2006年08月25日(金)
H0603 海外旅行?
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。
さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の趣味の一つといってよい。
海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。
それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、
その広がりと深さの味わいは旅行し、
現実にその場に立ち感激しなければ理解できない。
初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。
当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、
旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、
オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。
また欧州の文化文明に大きなカルチャーショックを受けた。
帰国して数ケ月はただ呆然としていた。
二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば、
人生の一大転機のきっかけになった。
それだけ感激とショックは大きかった。
H0605
事業百訓
432 長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。
真正面よりたち向い頑張ろうとしても、のり超えられないときもある。
そんなときは「こうあらねばならない」というタテマエを取りのけて、
あるがままの自分を受容しないと挫折してしまう。
涙というものは、頑張りをはずし、無理のない自然な自分を再生させる。
そんなエネルギーを持つものかもしれない。 -吉村はそんな事を考えたものだった。
(涙による再生-柳田邦男)
433 “日本はトルコ以東において
西洋人に侵略されなかった唯一の国である”という。
外国政府に対して日本人が他のアジア人と違い異常な緊張力を持っている。
内陸戦争になれば、こういう無数の侍と戦わねばならぬと、
まず第一に物憂く思った。(司馬遼太郎)
434 以来40数年僕の一応の答は「人間は不自然な動物である」、
つまり普通、動物は自然に適応する為に自らを変化させてきた。
ところが人間は自然のほうを変えて文化文明という反自然的な
環境をつくり上げてきた。(河合隼雄)
上記より考えてみると、
数千年か数万年スパンで人類のつくりあげた不自然な文化文明は、
すべて消滅する運命にあると考えるのが自然である。
435 ある日突然“進化論”に関する本を読んでいた時、
ある活字が矢のようにとびこんできた。
私達を形作る宇宙の原子の数は10の80乗と見積もられているが、
宇宙のはじまりより現在までの時間は、秒単位で10の80乗と
推定される結果、原子の配列と時間の配置に同じものは絶対に起こりえない。
-私は気の遠くなる孤独感におそわれた。
自分と同じ生きものは過去150億年にはいなかったし、
今後50億年をすぎ、太陽が爆発しても同じ生きものはあらわれない…
(脚本家-橋本忍-時の流れ-より)
436 たまるべきは何か?それはただ一つ、現在の努力のみである。
それが主観的価値の基準である。
437 セックスとは相手を介ざいしたマスターベーションである-
(“エスの論理”より 1991/11/末 読売新)
438 一遍という人は、川の流れのように下へ下へ下っていった人ですから
軽いですね。人間は重いうちはまだ駄目です。
軽くならないと。彼は最初のうちは重いです。
松山を出るうちはまだ重い。
それがすてて捨ててるうちにだんだん軽くなるのです。
-彼は“南無阿弥 仏決定住生六十万人”
という浄土行きのパスポートを配って歩いた(板村真民)
439 魂は出来事を経験に高める。
…“精神は山の頂上に、魂は谷に”たとえる事ができる。
440 第一生命サラリーマン川柳
1993年入選作より-(注)(1)→一位
・つれこむな私は急に泊まれない(1)
・OLの口につけた万歩計(2)
・耐えてきたそういう妻に耐えてきた(4)
・休暇とれ五時には帰れ仕事しろ(5)
441 人間の最大の悪は何であるか?―鈍感である。
442 子供叱るな、来た道じゃ
年寄り笑うな 往く道じゃ
来た道、往く道、一人道
みんな来た道、往く道じゃ
これから通る、今日の道
通り直しのきかぬ道
いまやらねば、いつ出来る
わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中)
443 八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444 腹たたば 鏡を出して
顔をみよ、鬼の姿が
ただでみられる
445 僕は(+)(-)をはずして生きるという事を、
若い時よりやっていたと思います。
常識でいえば(-)と考えられる事も、
体験の大きさでは(+)(-)も同じ。
(+)3と(-)300なら、マイナスが損と思うが
(+)(-)の符号をとれば…(日野啓三)
H0607
ケニア・サファリ紀行 (?)
前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。
ところが秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として区画整備されてあった。
広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、一日一日、一シーン、一シーンが
鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
? 夕方、五十頭の象の群れが一列になり、
右手にキリマンジェロをみながら林の方に帰っていく、
(TVでこのシーンを見た事があるが、
まさか初日にこれをみれるとは思わなかった)
? ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
? チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影で
スキをねらっているシーン、
? 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
? 湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを
追いかけてきたシーン(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)、
? 数千~数万頭のヌーの大移動、
? マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
? 気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
? 四〇~五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
? キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。
過去十七回の海外旅行の中でも最も刺激的印象的なものであった。
欧州では“アフリカの毒”という言葉があるとか。
その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。
(1994.7/10 ~18 )
H0609
至福の時
母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、
年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。痴呆とは脳の回線が時々はずれたり、夢の世界に入りこみ、
現実との境界がつかなくなったり昼夜の別がつかなくなったりする。
はじめは周囲の私達の気が動転、本人の症状にふりまわされたが、今ではほとんど、それぞれの現象に
それぞれの原因がわかるようになり、あまり動じなくなった。(それには二年以上経過したが)
しかし回線がはずれている時は、なれている私達でも背スジがゾーッとする事がある。
本人にも喜怒哀楽はあるし、外部環境の把握をそれなりにしてある。
夜半の半錯乱の翌朝、すべてを忘れている本人にその話をすると“それでは私はどうしたらよいのか?”
と逆に聞かれて返事に窮する事もあった。この春より母を早朝、公園へ一時間位リハビリも含めて
ドライブ+散歩に行くが、誰一人いない公園で母と二人いると幽界か霊界にいるような気になる事がある。
また、その時の母のうれしそうな顔をみると、この時が人生の“至福の時”かもと感じられる。
H0609
ゲームと人生
ハーバード著の“思考の原理”という書物の、「人生ゲーム化」という内容が面白く印象に残った。
要旨は“ゲームとは、目標を設定し、そこに障害と自由を与えて、互いに(あるいは自分自身)競わせる。
重要なのは障害である。自由配慮の中で障害をのりこえさせて、目標に到達させる。
この三つのバランスをとりながら競争するのがゲームである。
人生をこのゲームにたとえると、人生の障害も自由そのものも余裕を持って客観視ができるし、
楽しむ事ができる”という内容であった。人生をゲームにたとえると妙味が違ってくるように思える。
人生にとってのその人の目標は、つきつめて考えると、その人の精神とも考えられる。
その達成において当然目標が大きければ大きいほど障害が大きく、多くなるし自由度合も大きく、多くなってくる。
その障害を楽しんでとり組む自由な心(とらわれない視野が“自由”というのかも)こそ人生のゲーム化といえる。
H0609
ケニア・サファリ紀行(?)
? 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を 命がけで四時間、つきぬけた、
その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、 数十km先までみえた広大な地平線も
生まれて初めて見る光景だった。 そして小学校の近くを走っている時みた、
子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
? 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として 自然と一体となり絵になっているのだ
?早朝の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い!
その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って その場は収まったが・・。
離れバッファローは非常に危険だとか!?気球より見たアフリカの広大な草原。
下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
360度の展望の中での食事が、格別美味しい。?掘っ立て小屋のイメージだったロッジが、 実際は高級ホテルであった。
食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声! ケニア人の90?以上は、一生の間で野生のライオン、
キリンを見ないという。それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出
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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=4Ls4-c4gu3I
昨夜半は、寝ていて寒くて目が醒める状態。 8月も末となれば、こんなものか。
1970.事業百訓
2006年08月25日(金)
H0603 海外旅行?
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。
さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の趣味の一つといってよい。
海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。
それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、
その広がりと深さの味わいは旅行し、
現実にその場に立ち感激しなければ理解できない。
初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。
当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、
旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、
オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。
また欧州の文化文明に大きなカルチャーショックを受けた。
帰国して数ケ月はただ呆然としていた。
二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば、
人生の一大転機のきっかけになった。
それだけ感激とショックは大きかった。
H0605
事業百訓
432 長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。
真正面よりたち向い頑張ろうとしても、のり超えられないときもある。
そんなときは「こうあらねばならない」というタテマエを取りのけて、
あるがままの自分を受容しないと挫折してしまう。
涙というものは、頑張りをはずし、無理のない自然な自分を再生させる。
そんなエネルギーを持つものかもしれない。 -吉村はそんな事を考えたものだった。
(涙による再生-柳田邦男)
433 “日本はトルコ以東において
西洋人に侵略されなかった唯一の国である”という。
外国政府に対して日本人が他のアジア人と違い異常な緊張力を持っている。
内陸戦争になれば、こういう無数の侍と戦わねばならぬと、
まず第一に物憂く思った。(司馬遼太郎)
434 以来40数年僕の一応の答は「人間は不自然な動物である」、
つまり普通、動物は自然に適応する為に自らを変化させてきた。
ところが人間は自然のほうを変えて文化文明という反自然的な
環境をつくり上げてきた。(河合隼雄)
上記より考えてみると、
数千年か数万年スパンで人類のつくりあげた不自然な文化文明は、
すべて消滅する運命にあると考えるのが自然である。
435 ある日突然“進化論”に関する本を読んでいた時、
ある活字が矢のようにとびこんできた。
私達を形作る宇宙の原子の数は10の80乗と見積もられているが、
宇宙のはじまりより現在までの時間は、秒単位で10の80乗と
推定される結果、原子の配列と時間の配置に同じものは絶対に起こりえない。
-私は気の遠くなる孤独感におそわれた。
自分と同じ生きものは過去150億年にはいなかったし、
今後50億年をすぎ、太陽が爆発しても同じ生きものはあらわれない…
(脚本家-橋本忍-時の流れ-より)
436 たまるべきは何か?それはただ一つ、現在の努力のみである。
それが主観的価値の基準である。
437 セックスとは相手を介ざいしたマスターベーションである-
(“エスの論理”より 1991/11/末 読売新)
438 一遍という人は、川の流れのように下へ下へ下っていった人ですから
軽いですね。人間は重いうちはまだ駄目です。
軽くならないと。彼は最初のうちは重いです。
松山を出るうちはまだ重い。
それがすてて捨ててるうちにだんだん軽くなるのです。
-彼は“南無阿弥 仏決定住生六十万人”
という浄土行きのパスポートを配って歩いた(板村真民)
439 魂は出来事を経験に高める。
…“精神は山の頂上に、魂は谷に”たとえる事ができる。
440 第一生命サラリーマン川柳
1993年入選作より-(注)(1)→一位
・つれこむな私は急に泊まれない(1)
・OLの口につけた万歩計(2)
・耐えてきたそういう妻に耐えてきた(4)
・休暇とれ五時には帰れ仕事しろ(5)
441 人間の最大の悪は何であるか?―鈍感である。
442 子供叱るな、来た道じゃ
年寄り笑うな 往く道じゃ
来た道、往く道、一人道
みんな来た道、往く道じゃ
これから通る、今日の道
通り直しのきかぬ道
いまやらねば、いつ出来る
わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中)
443 八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444 腹たたば 鏡を出して
顔をみよ、鬼の姿が
ただでみられる
445 僕は(+)(-)をはずして生きるという事を、
若い時よりやっていたと思います。
常識でいえば(-)と考えられる事も、
体験の大きさでは(+)(-)も同じ。
(+)3と(-)300なら、マイナスが損と思うが
(+)(-)の符号をとれば…(日野啓三)
H0607
ケニア・サファリ紀行 (?)
前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。
ところが秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として区画整備されてあった。
広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、一日一日、一シーン、一シーンが
鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
? 夕方、五十頭の象の群れが一列になり、
右手にキリマンジェロをみながら林の方に帰っていく、
(TVでこのシーンを見た事があるが、
まさか初日にこれをみれるとは思わなかった)
? ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
? チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影で
スキをねらっているシーン、
? 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
? 湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを
追いかけてきたシーン(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)、
? 数千~数万頭のヌーの大移動、
? マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
? 気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
? 四〇~五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
? キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。
過去十七回の海外旅行の中でも最も刺激的印象的なものであった。
欧州では“アフリカの毒”という言葉があるとか。
その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。
(1994.7/10 ~18 )
H0609
至福の時
母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、
年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。痴呆とは脳の回線が時々はずれたり、夢の世界に入りこみ、
現実との境界がつかなくなったり昼夜の別がつかなくなったりする。
はじめは周囲の私達の気が動転、本人の症状にふりまわされたが、今ではほとんど、それぞれの現象に
それぞれの原因がわかるようになり、あまり動じなくなった。(それには二年以上経過したが)
しかし回線がはずれている時は、なれている私達でも背スジがゾーッとする事がある。
本人にも喜怒哀楽はあるし、外部環境の把握をそれなりにしてある。
夜半の半錯乱の翌朝、すべてを忘れている本人にその話をすると“それでは私はどうしたらよいのか?”
と逆に聞かれて返事に窮する事もあった。この春より母を早朝、公園へ一時間位リハビリも含めて
ドライブ+散歩に行くが、誰一人いない公園で母と二人いると幽界か霊界にいるような気になる事がある。
また、その時の母のうれしそうな顔をみると、この時が人生の“至福の時”かもと感じられる。
H0609
ゲームと人生
ハーバード著の“思考の原理”という書物の、「人生ゲーム化」という内容が面白く印象に残った。
要旨は“ゲームとは、目標を設定し、そこに障害と自由を与えて、互いに(あるいは自分自身)競わせる。
重要なのは障害である。自由配慮の中で障害をのりこえさせて、目標に到達させる。
この三つのバランスをとりながら競争するのがゲームである。
人生をこのゲームにたとえると、人生の障害も自由そのものも余裕を持って客観視ができるし、
楽しむ事ができる”という内容であった。人生をゲームにたとえると妙味が違ってくるように思える。
人生にとってのその人の目標は、つきつめて考えると、その人の精神とも考えられる。
その達成において当然目標が大きければ大きいほど障害が大きく、多くなるし自由度合も大きく、多くなってくる。
その障害を楽しんでとり組む自由な心(とらわれない視野が“自由”というのかも)こそ人生のゲーム化といえる。
H0609
ケニア・サファリ紀行(?)
? 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を 命がけで四時間、つきぬけた、
その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、 数十km先までみえた広大な地平線も
生まれて初めて見る光景だった。 そして小学校の近くを走っている時みた、
子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
? 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として 自然と一体となり絵になっているのだ
?早朝の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い!
その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って その場は収まったが・・。
離れバッファローは非常に危険だとか!?気球より見たアフリカの広大な草原。
下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
360度の展望の中での食事が、格別美味しい。?掘っ立て小屋のイメージだったロッジが、 実際は高級ホテルであった。
食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声! ケニア人の90?以上は、一生の間で野生のライオン、
キリンを見ないという。それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出