* ヨガに参加して一年半、経過したが
 スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、参加をして一年半になる。
ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位とすると、140回は参加したことになる。 
毎回、50人の定員はほぼ満席で、30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければならない。
で、二回は遅れて不参加の事があった。
 火曜と木曜日の午後で、30代半ば?の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、人気も同程度?
2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて仕方がないようだ。
40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様の光景。 正面には全面ガラスがあり、見た目には100人の姿が
視界に入るから、なお迫力がある。 横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で百種類のポーズのうち、
一回につき10数種類はする。そこで言うのは、「周りの人の視線は無視してください。マットの上は、それぞれの全宇宙。
独りの世界の入って下さい。他人と向き合うのではなく、自分と向き合って下さい。」と。
 スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、チャンドラなどヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、
数分もしないうちにヨガ世界に引き込まれる。そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。
死者のポーズは、仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、両腕と両足は少し大の字気味に開き、
全身の力を抜いて、チャンドラの音に気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。
毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。
気持ちの集中で、殆ど他人を気にすることがなく半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たるという。
 仏壇前の、早朝の瞑想は30分、死者のポーズは、やはり午前9時から20分間、行う。夜半に目が覚めた時に、
大の字になって、気持ちをヨガをしていると思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が
岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。この二つだけでなく、他にもヨガのポーズが、
チョットした仕種の中に入ってきている。居間でTVを見ている合間に大の字の姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、
歩いている時に背筋を意識的に伸すとか・・・ 
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4169, 老年行動学 ー5
2012年08月25日(土)             
   * 老生自覚       「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
≪ 自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼びます。老性自覚には「内からの自覚」と「外からの自覚」があります。
△ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、歯が抜ける
 などの「身体的徴候」、もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする「精神的な減退」などがあります。
△ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、定年退職、他者からの老人扱いなど、
 「社会的なできごとや経験」があります。
このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな意味も感じていた時代には、当たり前のこととして、
自然に受け入れられていたのかもしれません。しかし今は、そうではありません。第1章で述べたとおり、現代人は老いを感じると、
暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジングに励みます。また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、
最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。日本人の場合、介護が必要になるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。
 つまり、現代の日本人には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期がやってくるのです。
このことは、「死に対する準備ができない」ことを意味します。老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に老いていった時代には、
自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫
 ▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に直面し逃げ場のない状態に追い込まれた時や、
  自信を失ったときにガックと老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、周囲が、それを繰り返し
  指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、このことに気づく必要があるが、現実は甘くはない。
  少くとも服装と言葉と運動量は注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」を常に意識しているが・・それでも
  一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より10歳若い57歳時だが、80歳近くに見える。
  目先を精一杯生きるしかないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。
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3804, iPadを買った
2011年08月25日(木)
 タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、思いたったが吉日で、三日前に購入した。
去年から八月に買うと決めていたが、この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いてきたことと、
iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、成るほど面白い。
感想として、これはモバイル携帯が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコンである。
パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトをダウンロードして、使いこなしてみたい。
タブレット(バインダー)で持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。 ベッドや車内などで、
気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーのHPにアクセス・・
等々を、タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へでも持っていける。 まだ使い始めて数日なので、
門前から一歩を踏み込んだばかりだが、これは日常の必需品になると直感。 初期投資がゼロ円、ランニング・コストが5千円が高いか
安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて少し生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を自動的にめくり、
スキャンしてくれる器械でも出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれているが、
実際に手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くのステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、フロアーの女性が来て、
「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。( HPに写真が多く掲載されているので、競合店の視察とも思ってもいないはず)
「ブログに、気に入ったランチを時々載せているので、これも」と答えると、暫くして再びやって来て、「店長がブログを見たいので、
ブログ名を教えてもらえますか」という。 少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」と小さな声。
モバイル携帯で早速、何人かで見ているようだった。そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、誰でも
直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。
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3439, 「うち」と「そと」という、考え方
2010年08月25日(水)
 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。  「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、
その人に敬称をつけないのが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」といい、一歩出ると、
「そと」とする。 家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 
江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も続いているといってよい。 
朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。日本的な名残である。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 
「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」とする。 裏切られたり、騙されると、あっさりと、
心の中で、そとの人に分別してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、そして、
会社の同僚が、「うち」になる。それ以外は、「そと」と単純明瞭。これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。
欧米は一神教。 ビック窹と「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、そして、二人の間の子供と、
「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。 しかし、日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、まず帰属して、
その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、同僚を振り分けていた。 
一度、信頼を失った相手は、そとの人と、二度と、心を開くことはない。特に、卑しさを見せつけられると我慢が出来ない。
そういえば、「タテ社会の人間関係」で、中根千枝が《日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、
大きな相違をみせていて、まず「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造に、どのような条件が考えられるか》
を論じ、タコツボ社会が日本的特質と指摘している。 その考え方そのものが、私の造語になるが「タコツボ思考」ということか。
自分を省みると成る程、いやに納得できる。ウツボが徘徊している中でタコはタコツボに入って、最後は人間に食べられてしまう。
 「うち」と「そと」の間の「にわ」か「うちにわ」を日本人は昔から取り入れて自然を取り入れていた。
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3064,階級社会だと! −3
 2009年08月25日(火)
 こういう話は大好きである。「石ころがね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば砂利じゃないかい」
ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで
いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 
「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する
最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、
家系としての文化資本が無ければ無理。私など父親からは大相撲の地方巡業かプロレスに連れて行ってもらったことしか記憶がない。
下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。 演奏会は山の手の家庭のイメージである。 
家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。 家柄とか学歴の良し悪しで全て決まるわけではない。 
自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、音楽会に行って良い音楽を聴く習慣をつければ、その習慣行動
(プラティーク)の積み重ねから、それをつくり出しているハビトォスがつくられていく。片方はハビトォスが崩壊し、
片方はハビトォスがカタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。 習慣とは、第二の天性。 
良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。出世とやらを考えるなら、目指すポジションの習慣行動と
ハビトォスを作ることが近道になる。したがって偉人(例えばフランクリンなど)の伝記や、三国志孫子の兵法などで学び、
良い習慣行動身に付ければ、その背後にあるハビトォスの構築になっていく。 「力、愛、知」が、人間力の構成要素なら、
その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。階級社会では、全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。
しかし、一つの側面として割り切っていないと、そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。
 考えてみたら46回の秘・異郷ツアーの中には、ハビトォス構築の全てが含まれていた。世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、
美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチンタンゴやスペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、
アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、  文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。 
  そのわりに、自分自身に文化資本の蓄積が感じられないのは如何してか?
  幼少時の文化シャワーが足りなかったということ?! でも、父親に骨董店に幼時から多くを見てきたが・・・
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2699, 「レンタルの思想」−5
 2008年08月25日(月)
「宇宙の発展と文化の論理 」ー  鷲田清一×松井孝典
  *ここにないものと関わる能力
松井:  前回は、生物学者長谷川真理子さんと対談しました。
 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田:  人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
 いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
 また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを人間の本質としてみる。
 ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが、これらの共通点をみれば、ここにないものに
 関わっていくということ、つまり不在なものに自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
 取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして了解しなおすということなんですね。
 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
▼ 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、
ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に
「ここにないものと関わる能力」が言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、
むしろ深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。
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2007年08月25日(土)
 2335, どうせ死んでしまう         ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1  ーどうせ死んでしまうー
この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。
その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。
この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。いずれプッツンするのは解っているが、
生きているうちは、せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。
{いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}という投げかけの言葉も道理である! 
生死の問いかけになる。「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、
思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。
でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、
中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」
ーP・11   (字数の関係でカット08年8月25日)
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2006年08月25日(金)
1970.事業百訓 ・・・?  ー1994年
H0601新年にあたり
(目先の流れを間違わないように!)潮流は大不況である。
  −以下、字数の関係でカット(2007年08月25日)
ーH0603 海外旅行ー 
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の趣味の一つといってよい。海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、その広がりと深さの味わいは旅行し、現実にその場に立ち
感激しなければ理解できない。初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、
旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。また欧州の文化文明に大きな
カルチャーショックを受けた。帰国して数ケ月はただ呆然としていた。二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば、
人生の一大転機のきっかけになった。 それだけ感激とショックは大きかった。
ーH0603ゴネ社会のカラス達ー
ーH0605 般若心経のすすめー
 ー以下、字数の関係でカット(2009年08月25日)
ーH0605 事業百訓ー
432 長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。
  真正面よりたち向い頑張ろうとしても、のり超えられないときもある。
= 以下、字数の関係でカット(2010年08月25日) =
ーH0607  ケニア・サファリ紀行 
 前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。
ところが秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として区画整備されてあった。
広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、
一日一日、一シーン、一シーンが鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
・夕方、五十頭の象の群れが一列になり、右手にキリマンジェロをみながら林の方に帰っていく、
 (TVでこのシーンを見た事があるが、まさか初日にこれをみれるとは思わなかった)
・ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影でスキをねらっているシーン、
・ 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
・湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを追いかけてきたシーン(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)
・数千〜数万頭のヌーの大移動、
・マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
・気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
・四〇〜五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
・キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。過去十七回の海外旅行の中でも最も刺激的印象的なものであった。
 欧州では“アフリカの毒”という言葉があるとか。その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
 言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。(1994.7/10 〜18 )
 ーH0609 歩行とダンスー
 丸山圭一郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。非常に含蓄のある面白い内容である。
人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、
“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”と、一人笑った。
私の学生時代の大手商社に勤めている友人と、酒をのみながら右の話をした。
本人いわく “私はさしずめ、それはホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。 ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。
ーH0609 至福の時ー
 母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。