つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=9XrJWD9C8tw

 昨日は、シネマの日で、『ワールドウォーZ』をみる。
違うのを見るつもりが、時間確認をしなかったため、急遽、変更して、これにした。
85~90点というところか。 とにもかくにも特撮の迫力は流石である。
http://www.worldwarz.jp/crisis-zero/
http://www.youtube.com/watch?v=YesaFTw1HoA
 
 今日は、暑からず、寒からずの過ごしやすい一日だった。

・・・・・・
H0505
小説のような本当の話!
 十数年前のこと、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
その寺の近所に住んでいるという本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、
店にいた父に正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、
分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている。”との事。
聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかと、考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?
当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決めました。

H0507
事業百訓  
424 生前、死後には無限の暗黒のひろがり
 …その暗黒は球状をなしているように幻想され、私の死後ばかりか、
 わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、
 あとはすべて球形の闇だという格好である。
 向こう側(彼岸・無)よりみれば針の尖でついたような、
 しかしながら、たしかにここに光っているわたしの生、
 それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を
 大切に遺憾なく生き抜かなくては…(吉野秀雄-やわらかな心)
425 “もっと気持を・そっと技術で”(ビクター展示会統一テーマ)
426 原因の分析は大切だが、目的の分析はもっと大事なはずだが
  …どういう訳か誰もやらない。
427 カラオケの本質とは何か考えてみて、昔の“お座敷遊び”ではないか。
 カラオケが芸者のかわりのロボットそのものの役割を果たしている。
 個室で、三味線をひき小唄の伴奏をしてくれ、踊ってくれる。
 それをカラオケがすべて代行してくれている。
 それも一万曲以上を即座に伴奏してくれる。
 一時間二千円前後で!仲間同士だけの個室で。
 特に若い人にとっては唄のゲーム機器でしかない。

H0509
事業百訓
428 私は傷をもっている。
 でも、その傷の所からあなたのやさしさがしみてくる。(星野富弘
429 天国の升田幸三先生より、こういう言葉をいただきました。
 「米長君、人生は笑える時にうんと笑っておけ。
  すぐに泣くときがくるんだから!」と。
  だからこうして笑っているんです。
  ・・十六才の時に父を亡くし、家内とは寝室を別にしているのに
  父の位牌は寝室においてあるんです。そして毎日父と話すんです。
  それを続けていると父がそこにいるような気持ちになる。
  ぼくが一日の事を話すと父が判断を下すんです。
  その判断が、私の頭の中で考えていた事と全く違うんです。
  法と論理を超越した…(米長名人)
430 十三年使ったTVの交換期がきて思い切ってハイビジョンTVを購入
 (36インチ-六十六万円)
  実感として…白黒TVとカラーTVの差と同じかそれ以上の差を感じた。
  必ず第二のカラーTVブームが生ずる事き間違いない。但し三年先!
431 人生は、“起承転結”ではなく“起承転々”だ。
 最後まで転がりっぱなしである日、ストップがかかり
 …つまり死ぬまで目いっぱい力をつくさなければ!

H0509
人間関係で最も大事な事
 自身八人姉兄の末っ子の身を守る知恵の為か?
学生時代の寮生活での経験の為か?
“一つの原則を本能的に身につけてしまった。
”他人の陰口にしろ、よくない情報の媒体者の名前と情報源をあかさない事と、
口どめされた情報は他に絶対流さない!
ところが世の中これがかなり教養のある人でも、
この原則の重要性を気づいていない。
逆にこれこそ自分の特性として人間関係に利用している。

学生時代に、たしか“孤独の群集”(リースマン)という
都市社会を分析した書物を読んだ記憶があるが
(内幕情報屋人間こそ都会人の特性とか。)
この文章を読んでいて自分の事を書かれているのではと思うはずである。
それ位、ほとんどの人は人間関係の基本的原則が判っていない。

 この傾向の強い人は当然の事ながら不幸な人生を送っている。
これが善意という“カタチ”で実行されるから始末がさらに悪い。
以前いた会社の部下の女性にこの典型的なタイプがいた。
頭がよく、美人なのだが誰もいやがる。
今でも悪い意味で忘れられない人だ。本人には悪気は全くない。
ただそれが趣味なだけだが。
周辺の人は大変だ。当然ながら現在不遇である。
本人はその原因を判ってはないが、
周囲の人間はそれを全員知っている。


H0511
高級化と高度化

・ ペガサス・Cで印象的な言葉で“高級化と高度化を勘違いするな!”がある。
 バブルでは、この勘違いで多くの業界が大ヤケドを負った。
 ペガサスの会員はほとんど、大きいケガがなかったのは渥美先生が
 当時よりこれを、くり返していた。
 システム・科学等を駆使して高級風にみせる。
 それも低コスト・低プライスで、これこそ高度化だ!
 新潟のホテル業界でも漫画みたいな話が本当にあった。
 高級ビジネスホテルが、それもアメリカのホテル・システムで
 駅南で計画があった。
 (一泊一万円)それに対して、周辺住民が大反対であった。
 その理由が計画者よりスジが通っていたのだ。
・“こんな馬鹿な計画はおかしい。必ず失敗する!
 そうすればラブホテルに転用しなければならなくなる。
 だから反対だと!”そして中止となった。
 その会社は住民運動のお陰で助かったのだが、
 しかし今はつぶれかかって??。
 百貨店業界も、この程度の原則さえ判っていなかった
 無知業界(渥美先生)というのが、今や現実にさらされている。
 古町に“ネクスト・21”という高度?の建物、“新潟ふるさと村”
 “ロシア村”古くは“プラーカ”
 誰があれをやったのか!
 一発屋のイベント屋と組んだ政治屋の詐欺行為の結果が
 無残に残っている。


H0511
51対49

 学生時代、進路に迷いゼミの武沢教授に相談に行ったところ、
“君自身の気持ちは数学では何対何ですか?”といわれた。
その時の答が51対49であった。
“それならば51のそのほうを選択すべきです!”と一言!
自滅も含め49の道をえらびざるを得なかったのだが。
しかし、この51対49という数字と気持ちの混沌を
数字で表現する事が非常に参考となった。
物事を51対49とみると意外とわかりやすい!
好き・嫌い51好きで49嫌い差引き2がより好きと!
正しい間違い差引き2と!でも考えてみれば何事も、そうかもしれない。

大体、一般には自分が99%正しい、いや100%正しいと思うから、
相手がゆるせないのだ。
自分が51正しいか、もしかしたら49かな位に考えてればよいのだが?
そうはいかないのが人間感情であるが。
仮にある嫌いなタイプがいて、いやな部分が目についたとする。
しかしこの考えでいれば、あと49必ずよい部分があるはずだと
幅をもって相手をみる余裕ができてくる。
また、ある商品をすすめられたとしても、
必ず49の何かが必ずあるはずだと一瞬の間を置く事ができる。
(但しあくまで考え方一つである。)


H0511
無駄飯(浪人生活)

 私ほど浪人生活の回数を多く経験した人間も少ないのでは?と、
馬鹿な自慢をしてみる。
大学浪人(18才)・社会浪人(24才)・事業浪人(26才と34才時)
等々。浪人生活は本当につらい!魂の芯まで氷つくようである。
私の姉がいった
“ボクサーが三分たたかって一分休んでいるようだ!横でみていてもつかれる”
すぐ上の秋に最近妙な事をいった。
“お前は若い時、いっぱい遊ばせてもらった。
末っ子だったからできたと思う。あれが羨ましい。”

たしかに、これほど戦略的にみてよい事はなかった。
一生懸命やっていると、すばらしい事をやっている錯覚に落ちいってしまう。
結局それが何の為かを忘れてしまう。
その事が浪人の立場にいるとみえてくる。
一生懸命やりすぎたのがこの様だ。
最重要のAをはずしてB・Cの事ばかりやりすぎて、
そしてD(浪人)になってしまったこの様が、いやっという程身にしみる。
ところが、その立場に立っているのにそこより逃避しようと
ジタバタしてEFGとさらに落ちていく人を身近で何人もみた。
それも、中年期を過ぎた人が。
私がこの経験より学んだ事は
“何が自らにとって「A」であるか、それをじっくりみすえる事、
そしてその努力を人知れず、一人でこつこつ努力をする。
世間とは周辺の馬鹿な現実にどっぷりつかりきっている四~五人の事だ。
彼等こそ反面教師だ!”という事だった。
定年退職期や事業の失敗等ではじめてそれに気ずく人が、
私がみている範囲で95%以上だ。
要するに“節目”をつくるという事だ。
そしてそこをうつという事だった。


H0511

妙な夢―
(?)ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になる,
という夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
また、こんな夢(?)もみた、
明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!
直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、
霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではない.
部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみた。
しかし夢ではなかった。
ところで当社の税務事務所の