つれづれに

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 一昨日の義兄の葬式も無事終わり、普段の日が戻ってきた。
ごく身近な死は、姉以来で、ショックである。 他人事でないのが、
同級生などの死で、末期の苦しみが尋常でないことである。
死は直視できないというが・・・ 




・・・・・・
2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)

  *大曲の花火
昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。
この数年の年中行事の一つになっている。
電気を消した見ていると、自分が土手で見ている気分になる。
プロの花火師の評論が面白い。 花火には「菊」と、「牡丹」の形があるとか。 
丸い花火は割りものとか、云々。
大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。
開くタイミング 10点、
開き具合、   30点
色彩および配色 30点
技術      30点 の比率で評価される。
地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。
 ~~
 
  *日本野球がオリンピックで敗れた訳
日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、
星野監督の選定ミスである現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘が
全く無くなっている。せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておくべきで、
御友達感覚の監督、コーチで勝てるわけがない。
選手が、星野監督とコーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、
ということ。更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。 
本人の一生の傷になる。数年間は針の筵だろう。 ニュースに流れた日本人の観客の
ヤジ「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、それくらい星野
には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。
それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。
ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+-ゼロ。
 ~~
 
  *オリンピックが終わるか
これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で
行われたことと、お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。
といって決勝進出と、注目された試合だけだが。
前回の三分の二の金メダルだったが、こんなものだろう。
テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・・
中国にとっては大成功のオリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。
独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、
ナチのドイツと、ソ連の崩壊から推測出来る。これから10年間は、大きな
試練が待っている。上海の万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。

・・・・・・・・・・
2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験
       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+

ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて
外部の観察者になったかのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。 例えば、世界が霧か煙を通す
ようにぼやけて見えるとか、 声がくぐもって遠方からのように聞こえます。
 ガラスの檻に閉じ込められ、それにより「現実の」世界から切り離されている感覚。
 具体的には、自分が存在する実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、
 自分が生きている感じがしない、などがある。

・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、
 自分の行動を離れたところから自分が観察するという感覚がしばしば起きる。
 このような分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々めぐりと体験されたり、
 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。
 トランス状態にあるような様相を呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、
 これらは心的外傷に深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
 ーー

以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。 私自身、色いろな体外離脱や
パニックに陥ったことが度々あった。この「離人症経験」とは違うプロセスで
体外離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行
の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時などに生じるところが似ている。
過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)

一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠って
いたところ夢をみた。自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い
上がっていく。みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。
「これは危ない、地上に戻らないと!」と、本能的に夢から我に帰ったところ、
そこは地上ではなく空中を飛行中。戻るはずの地べたがないのである。
空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を飛んでいるのである。
それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。
飛行機も、周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。
恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は
世界広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に頭に浮かんだ。
(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・)
バンジージャンプで二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?
瞬間であった。その落下としても垂直に空中を飛んだ経験があるから、
その時に実感できたのだろう。数分は続いただろうから、よく心臓が
止まらなかったものである。

離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。
その類の知識のない子供が、自分が自分から抜け出た感覚は本当に
恐ろしいのは解るような気がする。離人症という病があるとは、
知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、正にこれじゃないか?
「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡が
あらわれ、キリスト様と出会い・・・}それも、幸せな集団離人症ということ?
・・・・・・・
2006年08月24日(木)
1969.事業百訓・・・?
  事業百訓ー1993年(7)
H0503事業百訓
  413 比喩は意味よりも深くしみいる。
    比喩は心象風景の点描である。比喩は意識の下の世界感である。
  414 (インディアンの教えより)・・・・
  415 敵を憎んではいけない…計算が狂ってしまう。(ゴッドファザー?)
  416 海の色はその陽ざしによって変る。
  417 量の“ゆらぎ”はエネルギーを生む。(高村光太郎
  418 みずのたたえのふかければ おもてにさわぐ なみもなし 
   ひとも なげきのふかければ いよいよ おもてぞ しずかなる(高橋元吉)
  419 果実によって、その木のなんたるかが知られる(キエルケゴール)
  420 “善意の小悪党”→周辺に本当に多い輩。
   善意を道具に相手に近づき、結果として必ず相手を食い物にし、おとし入れる。
   それに対して、本人は全く気づいていない?相手が気をゆるすのを待ち、
相手の一番の秘密をつかむと、手の裏をかえし内幕情報屋に変身する業
(ごう)とする輩でもある。
  421 哲理の中で生きる(みる)
    ?見る…内性的に(見る)    ?視る…理性的に(視る)
    ?観る…哲学・原理的に(観る)?験る…生命的に体験して(験る)(中村天風
  422 ・積極一貫(生命の原理)
    ・“心の積極性”-陽性・積極性・プラス思考→肯定・肯定・絶対肯定の世界
    ・“言葉の積極性”  -言葉は思考を造る。言葉の重要性を知る。
     積極的言葉を“グリーンのスイッチ” 否定的言葉を“黒のスイッチ”とし…
    ・“行動の積極化”……“いたわり”“おもいやり”を積極的になげかける。
  423 笑って暮そう、ハンカチーフ。

ーH0503 核本業
 “本業に徹する事”の重要さを失敗より書いてみる。
“徹しない”場合の生ずる最大の事は、本業で生じているチャンス・ロスに
全く気づかない事にある。学生ショップという衰退産業にまきこまれ、しかし
一億の利益をあげたがその数倍いや、数十倍ののチャンス・ロスが発生していた。
と同時にその心のスキが株投資という株屋の食い物にされ、その分をすっかり
ロスしてしまった。本業以外に本当の利益を出す事があり得ないし、出せたとしても、
その数倍のロスが発生している。その時はそれは見えない。
あとでふり返った時に初めて気づく。当社の本当の御客様は誰なのか!
そしてそのお客様に対して何ができるか!それに対して、総てのエネルギーを集中し
続ける事こそ核本業ではありまいか! “客室のモア・スペシャル、モア・ディスカウント”
の提供が核本業であったはずだ! それを続けた時に会社の成長があった。 
他に目を向けた時、停滞がはじまった。その責任は誰。 私である!

ーH0503 万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。冬期八千歩・それ以外が
一万三千歩・平均して歩いた。一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、
二千km歩いた事になる。江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。ある調査に
よると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!管理職が五千歩!トップは四千歩が
平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、歩くようにできているそうです。
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、天気予報を
見ながら“歩き溜め”をしたりする様になった。私の知人も数名万歩計をつける様
になりました。今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。

ーH0503 “死”について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で五軒も葬式があった。
  六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 
私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・ “我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれは
もはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・ “色いろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
始めから無かったと同じじゃないか! 皆の衆”(山田風太郎
・ “ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
  あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
  自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”
  にわけられる。死は根本的には“無”である。“無”にはいかなる準備のしようがない。
 “無”になる事に覚悟せよと言ったって、いかなる覚悟も“無”であり“無”になる。
  死はどうであれ“無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。
・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)
・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
  だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。
それをやっていると毎日が濃縮されて、
  いつ死んでもいいと思う程、充実してきます!(曽野綾子
・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。
・ 他人(ひと)は先、我は後!

ーH0505 小説のような本当の話!
 十数年前のこと、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
その寺の近所に住んでいるという本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、
店にいた父に正直に事情を話したところ、全く見知らずの自分に分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている。”との事。
聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかと、考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?
当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり
“誠心誠意”に決めました。

ー H0509 人間関係で最も大事な事
自身八人姉兄の末っ子の身を守る知恵の為か? 学生時代の寮生活での経験の為か?
“一つの原則を本能的に身につけてしまった。”他人の陰口にしろ、よくない
情報の媒体者の名前と情報源をあかさない事と、口どめされた情報は他に絶対流さない!
ところが世の中これがかなり教養のある人でも、この原則の重要性を気づいていない。
逆にこれこそ自分の特性として人間関係に利用している。
学生時代に、たしか“孤独の群集”(リースマン)という
都市社会を分析した書物を読んだ記憶があるが(内幕情報屋人間こそ都会人の特性)
この文章を読んでいて自分の事を書かれているのではと思うはずである。
それ位、ほとんどの人は人間関係の基本的原則が判っていない。
 この傾向の強い人は当然の事ながら不幸な人生を送っている。
これが善意という“カタチ”で実行されるから始末がさらに悪い。
以前いた会社の部下の女性にこの典型的なタイプがいた。頭がよく、
美人なのだが誰もいやがる。
今でも悪い意味で忘れられない人だ。本人には悪気は全くない。
ただそれが趣味なだけだが。周辺の人は大変だ。当然ながら現在不遇である。
本人はその原因を判ってはないが、周囲の人間はそれを全員知っている。

ーH0511 高級化と高度化
(字数の関係でカット08年8月24日)
ーH0511 51対49
(字数の関係でカット08年8月24日)

ーH0511 無駄飯(浪人生活)
 私ほど浪人生活の回数を多く経験した人間も少ないのでは?と、馬鹿な自慢をしてみる。
大学浪人(18才)・社会浪人(24才)・事業浪人(26才と34才時)
等々。浪人生活は本当につらい!魂の芯まで氷つくようである。私の姉がいった
“ボクサーが三分たたかって一分休んでいるようだ!横でみていてもつかれる”
すぐ上の秋に最近妙な事をいった。“お前は若い時、いっぱい遊ばせてもらった。
末っ子だったからできたと思う。あれが羨ましい。”
たしかに、これほど戦略的にみてよい事はなかった。一生懸命やっていると、
すばらしい事をやっている錯覚に落ちいってしまう。結局それが何の為かを忘れてしまう。
その事が浪人の立場にいるとみえてくる。 一生懸命やりすぎたのがこの様だ。
最重要のAをはずしてB・Cの事ばかりやりすぎて、そしてD(浪人)になって
しまったこの様が、いやっという程身にしみる。ところが、その立場に立っているのに
そこより逃避しようとジタバタしてEFGとさらに落ちていく人を身近で何人もみた。
それも、中年期を過ぎた人が。私がこの経験より学んだ事は“何が自らにとって「A」
であるか、それをじっくりみすえる事、そしてその努力を人知れず、一人でこつこつ
努力をする。世間とは周辺の馬鹿な現実にどっぷりつかりきっている四~五人の事だ。
彼等こそ反面教師だ!”という事だった。定年退職期や事業の失敗等ではじめてそれに
気ずく人が、私がみている範囲で95%以上だ。要するに“節目”をつくるという事だ。
そしてそこをうつという事だった。
~~
ーH0511 妙な夢―
(?)ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になる, という夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い
下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?何年か後に
誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではない。部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみた。しかし夢ではなかった。
ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。

ーH0511
妙な夢―(?)秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事。夜半、何かの
ケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い。
全体が白光色の黒髪の27~28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。
ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、“それってみんな
同じ顔をしているんだよね!”といわれた時はじめてゾーッとした。 
またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。 
あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色が
みえたのだろうか? 単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。