2003年02月23日(日)
690,「わたしを認めよ!」

「ぶざまの人生」「まれに見るバカ」が何とも面白い内容であったので
三たび「わたしを認めよ!」を買ってしまった。これも前書にまけず面白い内容であった。
この3冊は日常の心の何気ない事を取り上げているから、ひき付けてはなさない内容になる。
「なるほど、なるほど!」という説得力がある。人間は誰でも褒められれば、解っていても有頂天になる。
人が褒めてくれない時は、自分で周囲に褒めてくれるように誘導さえする。
「私って若く見えるでしょう?」「あの人と自分はどっちが若く見える」
 この場合明らかに自分の方が若く見える時のみいう。その反面、自己認証が歪んだカタチとして
 貶しに入るケースがある。 私の嫌いな痴呆迷士と子狐に、このタイプが多い。
褒めるということは認証として、一番大事なことである。
しかし、認証はもっと深い意味の話である。前書きと要約を書きうつしてみる。
 ・・・・・・・・
「わたしを認めよ!」 洋泉社新書018
              著者名 勢古浩爾 
まずは「まえがき」の要約
ー我々は認められたがっているーもっと厳密にいうと「承認」されたいのだ。
「まじめでおとなしい」性格!、これは明らかに揶揄を含んだ否定の言葉である。
 わたしには、「まじめでおとなしい」ことのどこが悪いのかまったくわからないが。
 この言葉は自己証明にならないのだ。 根本的には、自分という存在を証明したいのだ。
 人間は承認原則と証明原則の力学として読み解く事ができる。
ー内容  
・人間は「承認」を求めて生きている。自分という存在の意味が他人から否認されるとき、人は絶望し、あるいは暴発する。
 人は、自分の何をどのように認めてもらおうと欲しているのか。狂おしいまでに「承認」を求める人間の心理構造と 
 いかなるものかを考察し、現代日本における承認の実態を解き明かすとともに、最終的な承認である「自己承認」を
 手に入れるための心のありようを探る内容である。何より、「人間に必要なのは、自分の『価値』を『肯定』
 してもらうことではなく、『意味』を『承認』してもらうことだ」と主張している。
ーそれでもわたしが生きる意味とはなにか?
  
ー感想ー
・社会的の承認をまずは求め、と同時に一般の承認ー世間の承認を求め、
 世間も社会も、そんなものどうでもよいという 自分の魂の世界を求める
 ―わたしがわたしを認める世界を求める。これが 「わたしを認めよ!」 の三層である。
  これが人生の意味なのかもしれない。こうして毎日随想日記を書いているのも、
 潜在的に自己承認を求めているのだろう。ただ自己承認を強要してくるやつがいるから始末が悪い。
 自信がないからだ!     ー つづく

・・・・・・・