ー前回に続いて、要点を書出し考えて見るー
 * ユダヤ人は古来から都会人であった。それに対してナチは田舎者である。ナチズムとは田舎の「都会」主義への反発である。
  毛沢東主義は「田舎」主義であった。彼が批孔批林といったのは、儒教が都会の思想だからである。鄧小平は「都会」主義。
 「田舎」主義が政治にでるとろくなことがおきない。ナチズム然り、文化大革命然り、ポル・ポト然り。
 ユダヤ教イスラム教・キリスト教はすべて都市の宗教である。田舎のアイデンティティーは土地である。
  市の住人は土地をもたないので、その代わり宗教がアイデンティティーとなる。
  ローマ・カソリックは田舎化した都市宗教である。 それに対して、プロテスタントは都市宗教である。
  アメリカはそのプロテスタントが移住して、国家を作ったものである。
 * アジアにおいては儒教が都市の宗教である。それに対立する田舎の宗教が老荘思想である。  仏教は自然宗教である。
  日本・モンゴル・チベット・ネパール・ブータンミャンマー・タイ・ラオス・ヴェトナム、すべて文明の周辺である。
 * 平城京平安京は「都会」である。それが東の侍滅ぼされて中世がはじまる。中世の主役の武士は「田舎」者である。
  武士たちは土地をもっていた。それが江戸時代で「都会」化した。当時の侍は土地から切り離されたサラリーマン。
 * 学園紛争当時の若者たちは「都市化」を希求していたので、日本全体が都市化していくことで沈黙した。
  「都市化」の病理は時代とともに若年に、個別にあらわれる。小学校の学級崩壊、中学生の殺人がそれを表している。
  子供は自然であり、「都市化」という非「自然」、非「田舎」化の影響をもっとも強くうけるのである。
 * 戦後の日本の「都市化」は明らかに行き過ぎた。アメリカは広く、ニューヨーク以外にもたとえばモンタナがあり、
   田舎と都会が共存できる。しかし、日本は国全体として都会になろうとしているのである。
   そろそろ「都会化」の限界を考えなければいけない。
 *日本は文明開化以来、過去を否定し、自分の生き方を否定することで次世代を教育してきた。ルーツから切り離された
  人間なのである。ベルツは、日本はいいものも悪いものも一緒に全部捨ててしまう国だという。
  日本の生活は都会化したが、頭の中は相変わらず村落共同体である。「和魂洋才」とはそういうことであろう。
  釈迦は都市をでて自然に帰ったひとである。煩悩を去れというのは都市化批判である。
  〜〜
  そうこう考えると、現在の日本のように首都圏に三分の一、六大都市圏に人口の三分の二がに住むようになり、
 ある時間が経つと、国そのものが変になるのが当然。その上に、携帯電話やパソコンで脳がネットで結ばれてきた現在、
 ますます都市化の限界から狂いが出てきて当然である。 世界の大都市は、何処も似たような集中化であるから、
 ことさら現在の日本の現象を問題にするのもオカシイ。 世界の大都市は殺人など日本の数十倍の確率で起きている。
 以前から狂っていたのである。 人工の大都市は(脳で考えられ)効率的に創られている反面、これだけ不自然なものはない。
 それを憧れて田舎から出てきて、しばらく経つと、その不自然さに気づきUターンするのは何時の世も変わらない。
 その東京が、何時の間にか一割ほど増えて、1300万人に増えてしまったと、新聞にあった。結局はビジネスも集中するからだ。

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2881,アメリカの住宅金融の惨状とは −2
2009年02月23日(月)
 ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー 伊藤 誠  −2
                        (現代思想ー金融恐慌特集)
ここで著者は二階の建物で、このサブプライムローンを分かりやすく説明している。
1Fが、借りてと貸しての間の第一次住宅金融市場をめぐる問題
2F が、一階部分で形成された住宅抵当権を集めて抵当担保証券として束ね、販売し取引する第二次市場の問題としている。
ここでは書かれてないが、隣のビルに格付け会社があり、隠れ通路でつながっている。
格付け会社の直ぐ上の階には保険会社があって、そこが保険をかけることで格付けを上げる仕組みになっている。
そして、それを世界の金融機関にばら撒いていったのである。本人たちはプロの金融マンという自覚だったが、その実態は
態の良い詐欺でしかなかった。本人達の何割かは気づいていたが、とにかく歩合を稼ぐことしか頭にない連中であった。
特に世界を壊滅的にまでしたのは2Fにおいて重層的証券化をしたことに関わっていたことである。
 −−
このように視覚化して、この問題を考えると分かりやすい。 この問題の性質の悪いのは、2Fの連中が、一階に御客を選ばず
住宅を売りつけることを推奨したことである。1Fのものにとって、ホームレスでさえ住宅を売りつけていった。
更に、住宅の値上がりを前提として、車のローンまでつけていたのである。その毒に変わる可能性のあるサブプライム・ローンを、
他の債権に一割の割合で混ぜて束ねて売ってしまったから、他の9割の債権まで、腐った債権になってしまったことは、
何度も書かれてきたことだ。その債権は世界中の金融機関、そして資産家、中産階級の資産運用として売られ不良債権化しつつある。
この金融恐慌は、世界恐慌に発展・転化するだろうが、「世界恐慌」を専門とする学者は、1929年の世界恐慌より
遥かに大きい者になるという。この恐慌は三年にわたり深化して、株価の暴落に続き、銀行恐慌の三次にわたる
波状的な大波に見舞われ、アメリカの全銀行の四割の倒産、失業率25パーセント、デフレスパイラル、世界農業恐慌、
再建金本位制による国際通貨体制の崩壊、国際貿易の収縮、経済生活の崩壊をもたらした。今回は、これに近い、いや、
それ以上ではないかという恐怖が広がり始めている。しかし、日本の巨大なバブルの破裂、アジアの経済危機、
ITバブルの破裂に加えて、今回の経済危機でも何とか大崩壊が現在でも免れているのは何故だろうか?諸説あるが、今度考えてみる。
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2008年02月23日(土)
 2516, 人は何年先に標準を合わせるべきか?     (。´_`)ノおはぁ。
以前、経営セミナーに通っていたとき、
ー経営とは短期目標は5年先に焦点を合わせて現在の戦略を立てるべきである。ー
という言葉が印象的であった。しかし、それを実行しただろうか?というと非常に疑問である。 
9・11事件など思いもよらない事件が起きるご時勢であるが、逆に5年というと、読めるのではないだろうか。
現在の世界情勢と日本情勢からみて、この5年間は間違いなく大乱である。根っ子は情報化を起因としたグローバル化からくる、
民族、国家などの既存の体制の崩壊と、創造が始まるからである。 その意味で、それぞれが選択と集中をした生き残りを
しなければならないのである。 まずはアメリカと中国が大きなポイント。人間にとっても5年先を読んで現在は何をすべきか
考えるべきである。大方の人は7年と10年か、どちらかがサイクルである。それは、その人によって違ってくるが、
7年をサイクルとするとき3年、5年を中で切るとよい。「へ」を7年とみると、三年が右上がりで、4年が下がりになる。
これは商売を始めたときの目安となる。だから、売り上げや利益を維持しようとしたら翌年から新たに「へ」の字の初年目を
始めていなければ三年目のピークを維持が出来ない。毎年、創業を始めるような革新をしなけらばならないということだ。
「日々新たに」革新してないと現状維持が出来ないということである。その辺を、しっかりと見極めてないと、右下がりから逃れる
ことが出来ない。これが意外と出来ないのである。50歳の人だったら57歳の自分を想定して、現在何をすべきかを考えなければならない。
60歳でもよいが・・・私の場合は+7年=69歳の自分、そこから逆算して現在は何をしたらよいか考えるべし!
ということになる。 それもこれも、どうでもよいか?という声が、聞こえてくるが!       (●´A`)ノ ホナ              
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2007年02月23日(金)
2152, スピリチュアル・ブームを考える −3
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
香山リカ精神科医)も現場の様々なケースを見ているから説得力がある。
生まれかわりを前提に生のリセットを真面目に考える人がいるというから、来世などを吹き込むと間接自殺幇助になってしまう。
騙すほうも騙される方も命がけである。スピリチュアルだけでなく、判断をすべて人に委ねる人を見かける。本当に多いのだ。
携帯電話がそれを助長する道具となっているから、ますます他人志向的になる。その連中が安直に求めるのがこのブームの背景にある。
ーー
現在の風潮に「これって本当?」とすべてを疑うのは野暮!という価値観の広まりは、TVの捏造問題とも強く関係している。
精神医療の現場では最近、「死後の生」を前提とした上での子供や若者の自殺を企てる者をみる。彼らがこういった番組の
影響を受けてないと、考えにくい。いま売れている、こういった類の本に「すべてのものはあなたの意志を超えたところで
決まっている必然なのだ」というメッセージが溢れている。この意志を超えたものは「前世」であったり、「宇宙の大いなる力」
であったりするが、これらの中に重大なメッセージがある。ひとつは「だから、今が不本意なのはあなたの努力不足ではない」
いまひとつは「だから、いくら頑張っても何も変わらない」ということだ。つまり、「あなたは悪くない」と個人を免責しておいて、
「少々頑張っても何も変わらない」と、努力の放棄や不満の受容を勧めている。少しでも状況を改善したければ、
「守護霊」や「宇宙の果て」からのメッセージを媒介してくれる霊媒師や超能力者の声に耳を傾け、それに従うしかない。
何とかして欲しい」と願う個人が霊や宇宙といった超越世界と直接、つながって救われようというしておきている、
いまのブームは「組織は世の中を自分たちの力で変えることで何とかなるかもしれない」といった社会的な視点が
まるっきり抜けている。もちろん人生のかなりの部分は理不尽で不本意なものであり、怒りや悲しみを乗り越えるためには
「目に見えないもの」の力も時として。必要なこともある。しかし、それは苦から身を守る最終手段であって、日常的に安易に
「死後の世界」や「宇宙の力」を持ち出して解決しようというのは、決して社会の進歩ではなく、むしろ退化と考えた方がよい。
 ーーー
なるほど、そりゃそうだ。運命論ほど馬鹿馬鹿しいものはないが、スピリチャル・ブームの批判につかうとは、さすがである。
神社のお土産品の「お守り」も、古典的なグッズである。 お賽銭って、神様への賄賂というが、100円?というのが可愛い!
                 ヾ(●´∀`●)  バイ!
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 2006年02月23日(木)
1787, サンキュー(39)セール    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)            
 まあ、どうでもよい話だが、ちょっとした地方の名物の話題のニュースをみて、随想日記的に加工すると、こうなる。
越後長岡の二月の風景が垣間見れるだろう。  二月の長岡名物、美松のシュークリームー
        σ(´~`*)ムシャムシャ (*´▽`)◇ ゞ*´▽`*)=3デリシャス♪
長岡で二月の名物といえば、        ┐('〜`;)┌?
美松の39円(税込み)のシュークリームのセールスである。長岡駅の至近の店で、二月は連日行列をなしているが、
行列が切れることは殆んど無い。面白いのは途切れそうだったので並んで買ったという人が多いことだ。
売り上げを知りたいと思っていたら、昨夜の民放のニュースで、社長が4、5万箱(箱売りー10個)売ると言っていた。
てっきり一日と思い電卓を叩いてみた。 一日とすると、
・45万個×39円×28日=4億9千万である。     ・一人7箱?平均として、6400人?
・一時間550人は売れたとしても不思議ではない。  ・一分で10人は販売は可能だろうから、
前もって並んでいる人から注文の箱数を聞いていれば処理できる数字である。ここまで売れれば、この会社の売り上げの大部分を
この売り出しで稼いでいることになるが!?  そんなことがあるはずはない。 でも、一週で4,5万箱なら納得いく?
会社としての売り上げが6億としてみると、1ヶ月間の可能性のほうが大きい!一番肝心なところが曖昧な文章を書いているのだから!
いい加減なものだが!お客の方も、このシュークリームの行列に並んで年中行事に参加しているのだ。
もう30年以上も続いているから地方の伝統的名物になっている。家内が先日買ってきて一個だけ口にしたが、
39円で一年に一回だけなら良いか? というレベルである。下手な小手先を使わないのが良いのだろうが、
競合店が無いのがポイントなのだろう。         ( ̄〜; ̄) ムシャムシャ
どうでもよいテーマだが、探せば日常のニュースの中にテーマなど幾らでもあるものだ! 
       (((o(´・з・`)グッ。・:*:・ ゚☆w(´・з・`)バァイ
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2005年02月23日(水)
 1422, 新型MPUについて
最近よく新型MPUの記事を目にする。MPUといえば、超小型演算処理装置をいう。パソコンの頭脳にあたる部分だ。
これまでは、米インテルが圧倒的な強さを誇っていた。それに対して、ソニー東芝、IBMが三社連合で次世代のMPU
「セル」を開発、年内に生産に入るという。用途はゲーム機にとどまらず、デジタル家電、コンピューター全体に広がる。
今のMPUは「中核のコアが一つ」だが、「セル」は複数搭載しているのが特徴。MPU内に複数のコアを持つことで、
複数の機能を組み込むことが可能になる。マルチタレントのMPUである。これはインターネット対応に最適になる。
例えば電子辞書にカメラ機能や、電話や、TV機能を入れておくことが可能になる。携帯電話などにも、更に何種類の機能の
搭載が可能になる。今の携帯電話は、多くの機能を持っているが、これが他にも同じ機能が入り込んでいくと思えば良いだろう。
これからは頭脳を持った製品が多く開発されるということだ。特にロボットや、ゲーム機、液晶TVなどに多くの機能が
入り込むことになる。そして、それが「簡単に」ネットで結ばれることになる。想像を遥かに超えたハードが、
更にどんどん開発される。5年後の世界は、これによって全く違った様相を帯びてくるだろう。コンピューターに関しては、
どこまでも進化が続いていく。十年後、二十年後を見るのが楽しみだ!現在起きている大変革の大元は、この「MPU」の進化に
あるといって過言ではない。ITの進化は止まることがない。このことが人間の在り方まで根本から変えようとしている。
人間の脳に例えれば、脳が朝起きると前日と全く違った高度の進化をしていることだ。そして、その脳同士がネットで結ばれて
爆発的に高度化されていくことと同じである。本当にどうなっていくのだろう?これからは可能な限り長生きをして、
この進化?の行く末を見たほうが この世に生を受けた意味がある時代になった。
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2004年02月23日(月)
 1055, TVが面白いー上海建築家コンテスト
上海の変貌には、ただただ驚きである。今の中国を象徴しているのが、「上海の高層ビル群」
といって過言ではない。怒涛の勢いで変貌している都市の姿が、そこにある。
その高層ビルの設計家を何人か紹介しながら、現在の中国事情を紹介するTVの番組の内容を紹介してみる。
現在の上海は、各国の設計家の高層ビルの展示会のようなものだ。その中で最近、中国人の若手設計家の
計画をした高層ビルが最近目立つようになってきており、そのいくつかを紹介していた。
「新秀賞」という優秀な若手設計家に与えられる賞があり、若手設計者にとって大きな権威への登竜門になる。
実際に設計した高層ビルと、そのコンセプトに対して専門家数人の審査がある。そして多くの設計者の中から、
5人に賞が与えられる。TVでは、その内容を詳細に紹介していたが、日本では見る機会がない面白い切り口であった。
19世紀末から20世紀にかけて建られた「リーロン」という低層の住宅が、上海市内の60㌫を占めている。
その再開発として、次々に高層ビルが建てられている。既存の住民は、安く優先的にそこに入居できる。
上海市全体の都市計画の模型があったが、完成時点では殆どロスやサンフランシスコのように、
高層ビルが林立する予定になっている。これも新しい斬新な設計ときているから、21世紀そのものだ。
15年ほど前に北京と上海に行っているが、新しいビルは皆無。わずか15年で、全くちがう都市に変身してしまった。
数年前に北京にも一泊をしたが、その時も、ただただ驚いた。新空港から北京市内まで、高層の住宅ビル群の
建設ラッシュであった。現在の中国の政治体制は日本の戦後に似ている。社会主義体制が高度成長に必要条件といえる。
日本はアジアの横丁になってしなうのか?前門の狼がアメリカ、後門の虎が中国になるのだろうか。いや、既になっている!
・・・・・・・
2003年02月23日(日)
 690,「わたしを認めよ!」
「ぶざまの人生」「まれに見るバカ」が何とも面白い内容であったので三たび「わたしを認めよ!」を買ってしまった。
これも前書にまけず面白い内容であった。この3冊は日常の心の何気ない事を取り上げているから、ひき付けては
なさない内容になる。「なるほど、なるほど!」という説得力がある。人間は誰でも褒められれば、解っていても有頂天になる。
人が褒めてくれない時は、自分で周囲に褒めてくれるように誘導さえする。「私って若く見えるでしょう?」
「あの人と自分はどっちが若く見える」 この場合明らかに自分の方が若く見える時のみいう。その反面、
自己認証が歪んだカタチとして貶しに入るケースがある。 私の嫌いな痴呆迷士と子狐に、このタイプが多い。
褒めるということは認証として、一番大事なことである。
しかし、認証はもっと深い意味の話である。前書きと要約を書きうつしてみる。
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「わたしを認めよ!」 洋泉社新書018
              著者名 勢古浩爾 
まずは「まえがき」の要約
ー我々は認められたがっているーもっと厳密にいうと「承認」されたいのだ。
「まじめでおとなしい」性格!、これは明らかに揶揄を含んだ否定の言葉である。
 わたしには、「まじめでおとなしい」ことのどこが悪いのかまったくわからないが。
 この言葉は自己証明にならないのだ。 根本的には、自分という存在を証明したいのだ。
 人間は承認原則と証明原則の力学として読み解く事ができる。
ー内容  
・人間は「承認」を求めて生きている。自分という存在の意味が他人から否認されるとき、人は絶望し、あるいは暴発する。
 人は、自分の何をどのように認めてもらおうと欲しているのか。狂おしいまでに「承認」を求める人間の心理構造と 
 いかなるものかを考察し、現代日本における承認の実態を解き明かすとともに、最終的な承認である「自己承認」を
 手に入れるための心のありようを探る内容である。何より、「人間に必要なのは、自分の『価値』を『肯定』
 してもらうことではなく、『意味』を『承認』してもらうことだ」と主張している。
ーそれでもわたしが生きる意味とはなにか?
 ー感想ー
・社会的の承認をまずは求め、と同時に一般の承認ー世間の承認を求め、世間も社会も、そんなものどうでもよいという 
 自分の魂の世界を求める ―わたしがわたしを認める世界を求める。これが 「わたしを認めよ!」 の三層である。
  これが人生の意味なのかもしれない。こうして毎日随想日記を書いているのも、
 潜在的に自己承認を求めているのだろう。ただ自己承認を強要してくるやつがいるから始末が悪い。
 自信がないからだ!     ー つづく
・・・・・・・
002年02月23日(土)
340,ある時間の断片ー3 
 1968年9月2日  六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで
「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、
何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。