南米の思い出 ~イグアスの滝 ー1

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=WMH8zwgDUI0
http://www.youtube.com/watch?v=yFL62lo8mkw
http://www.youtube.com/watch?v=8XCCRZjiEQI
http://www.youtube.com/watch?v=fksKGpPrpAY
http://www.youtube.com/watch?v=_T8CwRrllgg

滝といえば、イグアスの滝である。多くの滝を見てきたが、
イグアスは規模と迫力ということも含め断トツである。
ここの写真にあるオプションのボートと、ヘリコプターにも
乗ってみたが、この写真の通りで、ただ感動。
それと、ここには無かったが、滝の間近まで行ってみたのも
記憶に生々しい。 悩み? 挫折? 日本の政治家が何だこうだ?
 どうでもよい事に、思われる。 橋本元首相が、生前、黙って、
この滝を見とれているとき、同じような感覚だったのではと、
ニュースで見て思ったことを思い出す

 リオのカーニバルとのセットのツアーだったが、
コレが、何とも様々なことがあったことを思い出す。

http://ameblo.jp/panda2kyoto/entry-11477828471.html



・・・・・
1424, DVD レコーダー
2005年02月25日(金)

レンタルビデオ店の中の、DVDの棚が過半数を超えてきた。
映像ソフトも、主としてDVDで提供されるようになった。
ハードディスクで録画して観たり、その映像をDVDで記録して保存する
「ハードディスク・DVDレコーダー」が売れ筋になっている。
現在のDVDは、テレビ番組を録画する場合、1枚あたり6時間の記録が可能だが、
大画面で通常のテレビ放送並みの映像を期待すると2時間程度が限度だ。
最近は直接ハードディスクに長時間入力できる機種が多くなっている。
「ハイビジョン」は、現行のDVDでは映像は十数分程度しか記録できない。
そこで、ハイビジョンの高画質映像でも2時間以上記録できるDVDの開発が始まり、
製品化されつつある。次世代DVDと呼ばれているが、大きな問題が起こっている。
「HD-DVD」と「ブルーレイディスク」と呼ばれる二つの方式で
製品化されようとしている。
次世代DVDでは、ソフトの記録方式が異なると別のプレーヤーを
用意しなくてはならない。ビデオのVHSとベーター方式の二の舞になる。
その時の決着はVHSに軍配が上がった。VHSを開発した企業が技術を無償で公開し、
画質を落として6時間以上の録画を可能にしたことが勝因になった。
次世代DVDは、映像ソフトを提供するソフト会社がどちらにつくかで、
勝敗が決まると言われているが、現在では世界の映画業界を二分の状態である。
勝敗の行方は全くわからない。
HD-DVDは
現行のDVDの技術との共通点が多く、現行DVDの製造装置を流用できるため
コストを抑えられる可能性がある。他方、ブルーレイディスクは、
HD-DVDに比べ長時間の記録が可能。
 ーここからが、本題である。
この次世代DVDレコーダーは単なる録画再生機にとどまらず、
家庭内のTVや、パソコン、電子カメラ、ビデオカメラ
ゲームソフトなどの映像機器の情報のやりとりの中心基地としての
「ホームサーバー」の役割を、いずれ担うと思われる。
その「ホームサーバー」に、写真や動画を大量にため込んで、TV、パソコン、
携帯電話にも自由自在に送信し、個人の映像環境を画期的に変えてしまう。
その心臓部に、先日書いた次世代MPU「セル」が有効になる。
二年前に買って、現在使っているハードデスク付きDVDで大きくTV生活が変わった。
裏番組などで、面白そうだと気楽にハードに録画をする。
大よそ、20~30本位を溜め込むことが可能で、面白い番組が無い時間帯に見る。
また月10本以上?のレンタルDVDを借りて見ている。
毎日がエキサイティングになっている。

・・・・・・
2004年02月25日(水)
1057, あかさたな はまやらわ

以前から不思議と思っていたが、笑い声は、何故か
・「あ行」と「は行」に並んでいる。
あはは   ははは
いひひ   ひひひ
うふふ   ふふふ
えへへ   へへへ
おほほ   ほほほ
ある本を読んでいたら、「言葉の不思議」という内容で
それぞれの行ごとの類似性を紹介していた。
(少しこじ付けかと思いつつ、それなりに説得力があった)
ー以下のとおりである。 
・「カ行」は、自分の主張や激しい感情を外に出すものが多い。
「かんかんがくがく」「カッとする」
「きりきりする」
「苦労する」「悔しい」
「喧嘩」「喧々ごうごう」
「高圧的」
・「サ行」は、静かな感じが多い
「細心」
「神経」
「住む」
「繊細」
「楚々としている」
・「タ行」は戦い系が揃っている。
「戦う」
「血」「力」
「強い」「強い」
「抵抗」「徹底」
「闘争」
・「や行」は優しい系の気の軟さの言葉が多い。
「優しい」
「ゆかしい」
「よよと泣く」
偶然ともいえないのが不思議である。

私の名前は八郎である。ハチというと何か闘争的である。
兄は三郎である。サブは大人しい感じがするが、兄の性格は大人しい。
名前にも霊力がこもってしまうのだろうか。
少し話はそれるが、一番最初の「あ」と、最後の「ん」には深い意味があるという。
「あ、しまった!」の時につかう「あ!」は仏教語で「許し」という意味が
あるという。その中に深い意味を感じる。
 私の場合は「あ~あ」が口癖だが。

・・・・・
2003年02月25日(火)
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記
<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争ー
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。
いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。自分の無意識の言動の大部分が、
いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかが
わかるにちがいない。
ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、
いかに若いか、いかに頭がよいか  ーこれからはーいかにーを省く。
勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、
いかに凄い体験をしたか、気がきくか、仕事ができるか、正しいか、
ものがわかっているか、忙しいか、金持ちか、ケンカガ強いか、酒が強いか、
ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、性技巧に優れているか、
自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、
努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。 
ご寛容を。)・・・・
ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。
わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。
わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。
わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに費やされる。
この、わたしを見よ、と。

・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
あるいは、生きることのプライドを、追い詰められたギリギリのところでも
もてるかどうかは、自分が無条件に肯定された経験をもっているかどうか、わたしが
わたしであるというだけで全部認められた経験があるかどうかに言い換えてもいい。
その経験があれば、母がじぶんを産んでしばらくして死んでも耐えられる。
こういう経験がないと、一生どこか欠乏感を持ってしか生きられない。
あるいはじぶんが親や他人にとってじゃまな存在ではないかという疑いが
払拭できない。つまりじぶんを、存在する価値あるものとして認めることが
最後のところできないのである。
 鷲田は、家族による「無条件の肯定」は「じぶんを、存在する価値のあるもの
として認める」と書いているが、わたしはこれを、家族の無条件の承認は、
じぶんを、存在する意味のあるものとして認める、というふうにいいかえたい。
意味の承認は、価値の承認、より無条件であり、より根源的であると考えるからである。
わたしの考えでは、「無条件」ということは、「価値」からはでてこない。
なぜなら、「価値」は交換可能(相対的)だからである。
じぶんという存在の「価値」を証明を求めはじめるのは、家族以外の関係性においてである。
すなわち、ひとりの異性(あるいは多くの異性)との性的な関係や社会的な関係においてである。
ー感想ー
 かの文豪のドストエフスキーが24歳の時に「貧しき人々」が認められ文壇に出た時の話だ。
当時の著名な評論家のネクラーソフが、その原稿を読んで感動し、友人と連れ立って、
夜明けにわざわざドフトエフスキーを訪ねて「きみは天才だ」と激賞したという。
 その時の気持ちを、ドフトエフスキーはこう記している
「胸がおどる!これが成功なんだ!だが、私にとってなにより嬉しかったのは、
彼らの思いやりだった。朝の4時に、二人は目に涙をためてやってきてくれた。
感激で胸が満ちあふれた」彼のような暗い感じのする男でも、認められということは
最大のこれからの作家生活で必要な事であったのだ。
  ーーー
私の母の口癖は
「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。
両親の呪縛があったとしたら、「両親の期待を失望させてはならない!」。
両親の期待にこたえることであった。

・・・・・
2002年02月25日(月)
342、20歳の頃ーある教授との出会い-1
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。
土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを
休暇に与えられ、(生まれて初めて)真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。
200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった返事を書くものかと感激をした。
それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか?
鈴木教授という名前と、その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。
初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。いや書かされたのかも知れない。
要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。
そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐこと
を選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。
今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、等々。
もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」
とも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。
そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」というな内容であった。
この時点で自分の行き方が変わったように思える。いや決まったように思える。
もともと決まっていたのかもしれないが。俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」

・・・・・・
お笑い
ー下ネタコーナー
[男のさが]☆☆☆
ある男が交通事故に遭って病院にかつぎこまれた。
その男の怪我を調べて 医者が小声で看護婦に
「左半身不随になりそうだナ」というと、男は、
意識は混濁しているのに、イチモツを一生懸命、右に寄せ始めた。