つれづれに

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   * つれづれに
 この22日から23日辺りにふくのが春一番
春二番、三番もあるが、あまりニュースにならない。
春三番が、桜の咲く頃で、4番が散らす風になる。
 梅や、桜の便りが、そろそろ聞こえてきそうだが・・

 


・・・・・・
2152, スピリチュアル・ブームを考える -3
2007年02月23日(金)

     b(^o^)dおっ
         W(^O^)Wはようー♪
         
    香山リカ精神科医)も現場の様々なケースを見ているから説得力がある。
    生まれかわりを前提に生のリセットを真面目に考える人がいるというから、
    来世などを吹き込むと間接自殺幇助になってしまう。
    騙すほうも騙される方も命がけである。
    スピリチュアルだけでなく、判断をすべて人に委ねる人を見かける。
    本当に多いのだ。携帯電話がそれを助長する道具となっているから、
    ますます他人志向的になる。
     その連中が安直に求めるのがこのブームの背景にある。

ーー
現在の風潮に「これって本当?」とすべてを疑うのは野暮!という
価値観の広まりは、TVの捏造問題とも強く関係している。
精神医療の現場では最近、「死後の生」を前提とした上での子供や
若者の自殺を企てる者をみる。彼らがこういった番組の影響を受けてないと、
考えにくい。いま売れている、こういった類の本に
「すべてのものはあなたの意志を超えたところで決まっている必然なのだ」
というメッセージが溢れている。

    この意志を超えたものは「前世」であったり、「宇宙の大いなる力」
    であったりするが、これらの中に重大なメッセージがある。
    ひとつは「だから、今が不本意なのはあなたの努力不足ではない」
    いまひとつは「だから、いくら頑張っても何も変わらない」ということだ。
    つまり、「あなたは悪くない」と個人を免責しておいて、
   「少々頑張っても何も変わらない」と、努力の放棄や不満の受容を勧めている。
    少しでも状況を改善したければ、「守護霊」や「宇宙の果て」からの
    メッセージを媒介してくれる霊媒師や超能力者の声に耳を傾け、
    それに従うしかない。

何とかして欲しい」と願う個人が霊や宇宙といった超越世界と直接、つながって
救われようというしておきている、いまのブームは
「組織は世の中を自分たちの力で変えることで何とかなるかもしれない」
といった社会的な視点がまるっきり抜けている。
もちろん人生のかなりの部分は理不尽で不本意なものであり、
怒りや悲しみを乗り越えるためには「目に見えないもの」の力も時として。
必要なこともある。しかし、それは苦から身を守る最終手段であって、
日常的に安易に「死後の世界」や「宇宙の力」を持ち出して解決しようというのは、
決して社会の進歩ではなく、むしろ退化と考えた方がよい。

    ーーー
    なるほど、そりゃそうだ。
    運命論ほど馬鹿馬鹿しいものはないが、
    スピリチャル・ブームの批判につかうとは、さすがである。
    
     神社のお土産品の「お守り」も、古典的なグッズである。
    お賽銭って、神様への賄賂というが、100円?というのが可愛い!
                 ヾ(●´∀`●)  バイ!
 ・・・・・・・・ 
 2006年02月23日(木)
1787, サンキュー(39)セール
            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
            
  まあ、どうでもよい話だが、
  ちょっとした地方の名物の話題のニュースをみて、
  随想日記的に加工すると、こうなる。
  越後長岡の二月の風景が垣間見れるだろう。  
 
  ー二月の長岡名物、美松のシュークリームー
        σ(´~`*)ムシャムシャ (*´▽`)◇ ゞ*´▽`*)=3デリシャス♪
長岡で二月の名物といえば、             ┐('~`;)┌?
美松の39円(税込み)のシュークリームのセールスである。
長岡駅の至近の店で、二月は連日行列をなしているが、行列が切れることは殆んど無い。
面白いのは途切れそうだったので並んで買ったという人が多いことだ。

   売り上げを知りたいと思っていたら、昨夜の民放のニュースで、
   社長が4、5万箱(箱売りー10個)売ると言っていた。
   てっきり一日と思い電卓を叩いてみた。

   一日とすると、
   ・45万個×39円×28日=4億9千万である。
   ・一人7箱?平均として、6400人?
   ・一時間550人は売れたとしても不思議ではない。
   ・一分で10人は販売は可能だろうから、
   前もって並んでいる人から注文の箱数を聞いていれば処理できる数字である。
   ここまで売れれば、この会社の売り上げの大部分を、 
   この売り出しで稼いでいることになるが!?そんなことがあるはずはない。
    でも、一週で4,5万箱なら納得いく?
   会社としての売り上げが6億としてみると、
   1ヶ月間の可能性のほうが大きい!  
   一番肝心なところが曖昧な文章を書いているのだから!
   いい加減なものだが!

お客の方も、このシュークリームの行列に並んで
年中行事に参加しているのだ。
もう30年以上も続いているから地方の伝統的名物になっている。
家内が先日買ってきて一個だけ口にしたが、
39円で一年に一回だけなら良いか?というレベルである。

下手な小手先を使わないのが良いのだろうが、
競合店が無いのがポイントなのだろう。  ( ̄~; ̄) ムシャムシャ
どうでもよいテーマだが、探せば日常のニュースの中に
  テーマなど幾らでもあるものだ! 
       (((o(´・з・`)グッ。・:*:・ ゚☆w(´・з・`)バァイ

・・・・・・・
2005年02月23日(水)
1422, 新型MPUについて

最近よく新型MPUの記事を目にする。
MPUといえば、超小型演算処理装置をいう。
パソコンの頭脳にあたる部分だ。
これまでは、米インテルが圧倒的な強さを誇っていた。
それに対して、ソニー東芝、IBMが三社連合で
次世代のMPU「セル」を開発、年内に生産に入るという。
用途はゲーム機にとどまらず、デジタル家電、コンピューター全体に広がる。

今のMPUは「中核のコアが一つ」だが、
「セル」は複数搭載しているのが特徴。
MPU内に複数のコアを持つことで、複数の機能を組み込むことが可能になる。
マルチタレントのMPUである。
これはインターネット対応に最適になる。

例えば電子辞書にカメラ機能や、電話や、TV機能を入れておくことが可能になる。
携帯電話などにも、更に何種類の機能の搭載が可能になる。
今の携帯電話は、多くの機能を持っているが、
これが他にも同じ機能が入り込んでいくと思えば良いだろう。

これからは頭脳を持った製品が多く開発されるということだ。
特にロボットや、ゲーム機、液晶TVなどに多くの機能が入り込むことになる。
そして、それが「簡単に」ネットで結ばれることになる。
想像を遥かに超えたハードが、更にどんどん開発される。
5年後の世界は、これによって全く違った様相を帯びてくるだろう。
コンピューターに関しては、どこまでも進化が続いていく。
十年後、二十年後を見るのが楽しみだ!

現在起きている大変革の大元は、
この「MPU」の進化にあるといって過言ではない。
ITの進化は止まることがない。
このことが人間の在り方まで根本から変えようとしている。
人間の脳に例えれば、脳が朝起きると前日と全く違った高度の進化をしていることだ。
そして、その脳同士がネットで結ばれて爆発的に高度化されていくことと同じである。

本当にどうなっていくのだろう?
これからは可能な限り長生きをして、この進化?の行く末を見たほうが
この世に生を受けた意味がある時代になった。

・・・・・・・
2004年02月23日(月)
1055, TVが面白いー上海建築家コンテスト

上海の変貌には、ただただ驚きである。
今の中国を象徴しているのが、「上海の高層ビル群」といって過言ではない。
怒涛の勢いで変貌している都市の姿が、そこにある。
その高層ビルの設計家を何人か紹介しながら、現在の中国事情を紹介する
TVの番組の内容を紹介してみる。

現在の上海は、各国の設計家の高層ビルの展示会のようなものだ。
その中で最近、中国人の若手設計家の計画をした高層ビルが最近目立つように
なってきており、そのいくつかを紹介していた。

「新秀賞」という優秀な若手設計家に与えられる賞があり、若手設計者にとって
大きな権威への登竜門になる。
実際に設計した高層ビルと、そのコンセプトに対して専門家数人の審査がある。
そして多くの設計者の中から、5人に賞が与えられる。
TVでは、その内容を詳細に紹介していたが、
普段日本では見る機会がない面白い切り口であった。

19世紀末から20世紀にかけて建られた「リーロン」という低層の住宅が、
上海市内の60?を占めている。
その再開発として、次々に高層ビルが建てられている。
既存の住民は、安く優先的にそこに入居できる。
上海市全体の都市計画の模型があったが、完成時点では殆どロスや
サンフランシスコのように、高層ビルが林立する予定になっている。
それも新しい斬新な設計ときているから、21世紀そのものだ。

15年ほど前に北京と上海に行っているが、新しいビルは皆無。
わずか15年で、全くちがう都市に変身してしまった。
数年前に北京にも一泊をしたが、その時も、ただただ驚いた。
新空港から北京市内まで、高層の住宅ビル群の建設ラッシュであった。
現在の中国の政治体制は日本の戦後に似ている。
社会主義体制が高度成長に必要条件といえる。

日本はアジアの横丁になってしなうのか?
前門の狼がアメリカ、後門の虎が中国になるのだろうか。
いや、既になっている!

・・・・・・・
2003年02月23日(日)
690,「わたしを認めよ!」

「ぶざまの人生」「まれに見るバカ」が何とも面白い内容であったので
三たび「わたしを認めよ!」を買ってしまった。
これも前書にまけず面白い内容であった。

この3冊は日常の心の何気ない事を取り上げているから、
ひき付けてはなさない内容になる。
「なるほど、なるほど!」という説得力がある。
人間は誰でも褒められれば、解っていても有頂天になる。
人が褒めてくれない時は、自分で周囲に褒めてくれるように誘導さえする。

「私って若く見えるでしょう?」
「あの人と自分はどっちが若く見える」
 この場合明らかに自分の方が若く見える時のみいう。
 その反面、自己認証が歪んだカタチとして貶しに入るケースがある。
 私の嫌いな痴呆迷士と子狐に、このタイプが多い。

褒めるということは認証として、一番大事なことである。
しかし、認証はもっと深い意味の話である。
前書きと要約を書きうつしてみる。
 ・・・・・・・・

「わたしを認めよ!」
洋泉社新書018
著者名 勢古浩爾 (エッセイスト)
ジャンル 心理学・社会学
発刊日 2000年11月22日
買い入れ日 2003年2月19日
購入場所 新潟セゾン
価格 680円
★★★

まずは「まえがき」の要約
ー我々は認められたがっているーもっと厳密にいうと「承認」されたいのだ。
「まじめでおとなしい」性格!、これは明らかに揶揄を含んだ否定の言葉である。
 わたしには、「まじめでおとなしい」ことのどこが悪いのかまったくわからないが。
 この言葉は自己証明にならないのだ。
 根本的には、自分という存在を証明したいのだ。
 人間は承認原則と証明原則の力学として読み解く事ができる。
ー内容  
・人間は、「承認」を求めて生きている。自分という存在の意味が他人から否認されるとき、
 人は絶望し、あるいは暴発する。
 人は、自分の何をどのように認めてもらおうと欲しているのか。
 狂おしいまでに「承認」を求める人間の心理構造とはいかなるものかを考察し、
 現代日本における承認の実態を解き明かすとともに、最終的な承認である「自己承認」を
 手に入れるための心のありようを探る内容である。
 何より、「人間に必要なのは、自分の『価値』を『肯定』してもらうことではなく、
 『意味』を『承認』してもらうことだ」と主張している。
ーそれでもわたしが生きる意味とはなにか?
 わたしたちが世界のただひとりからも「理解されたり、認められたり、必要とされたり」
 しないとき、自分が生きる意味を失ってしまう---。
 ・古典的承認(家族、性、社会)、
 ・現在的承認(金、「セックス」、「自己」)、
 ・反承認(「自分」)
 など承認のかたちの三層を踏まえ、
 この「承認」への欲望をいかに自分の生に捉えなおすことができるかを指し示す
 他人の毀誉褒貶に翻弄されない自己承認の道を語っている! 
 古典的承認・現在的承認・反承認。なるほど美味いタームである。
  これを「我が人生三枚舌悦楽教の三層スキーマ」=
 「世間・社会・魂」にあてはめると古典的承認
 とは世間あるいは社会における承認であろう。
 そして反承認とは?

  この「自分」にとっては、もはや他人による承認など一切無用である。
 他人を承認もしないし他人から承認してもらう必要もない。「自分」は自分が承認するからという
 自己満足と、自分が世界だという全能感、これが1990年代を特徴づける反承認である
(とはいえ、1990年代の主流は依然として現在的承認である。
そのなかの先端部分が反承認として突出する)。
 反承認は突然変異ではない。
かつての「新人類」がそうであったように、あきらかに現在的承認の正嫡子である。

 反承認とは魂のことだ。
 世間がどうであろうと社会がどうなってもいい、
俺はベートーヴェン弦楽四重奏NO.16を聴いて随喜の涙を流す。
魂にとって世間も社会も究極的には無関心事なのである。
 そうなのだ。魂にとって世間も社会も故に当然に承認も不要。
 私が私であればそれでいい。
かくして魂は自律する。すなわち存在は関係を止揚して自律するのである。
 起て万国の存在者よ
ー感想ー
・社会的の承認をまずは求め、と同時に一般の承認ー世間の承認を求め、
 世間も社会も、そんなものどうでもよいという 自分の魂の世界を求める
 ―わたしがわたしを認める世界を求める。
 これが 「わたしを認めよ!」 の三層である。
  これが人生の意味なのかもしれない。
 こうして毎日随想日記を書いているのも、
 潜在的に自己承認を求めているのだろう。
  
 ただ自己承認を強要してくるやつがいるから始末が悪い。
 自信がないからだ!     ー つづく

・・・・・・・
002年02月23日(土)
340,ある時間の断片ー3 
1968年9月2日  六日町 雲頓庵

朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。
食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。
二浪とか「つらいだろう!」

13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。
21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!
よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。
逆に歯をむいてくる。
とりあえず戸締りをして、次の日にする。
ーーーーーー                 
1968年9月3日

目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。
本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を
退治しようと長い棒を持ってやってくる。

そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。
よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。

昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。
それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
  相変わらず、読書のペースが遅い。
・・・・・・・・
お笑い
[インデアンの娼館にで]☆☆☆

白人のある男がインデアンの娼館で若いインデアンの女を買った。
いざベッドインでおんなが「クエックエッ」と身をよじる。
それなりに満足をして下のバーで飲んでいると、
玉突きで遊んでいるインデアンの男達が時たま
「クエックエッ」と言っている。

マスターにあの「クエツクエッ」ってどういう意味だ、
と聞いてみた。
マスター曰く  ‘穴が違う!’