ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 〜深尾 葉子(著)
   * カエル男度チェック
  有難いことに、タガメ女と、カエル男度チェックシートがある。
まずは、☆カエル男度チェックシート  ( )内は、私自身のチェック
1.パートナーや家庭を大事にしている  (○)
2.周囲から「愛妻家ですね」と冷やかされたり、「恐妻家」と呆れられる(?)
3.気がつくと、「うちの女房が」「家内に聞かないと」の言葉がでている(×)
4.住宅ローンを組んでいる(×)
5.月の小遣いは一万〜三万円と決まっている(×)
6.職場にいるとなによりも落ち着くので、朝出勤をするときの気持ちは
 憂鬱というよりもウキウキしている(×)
7.時には、家に帰りたくない夜があってわざと寄り道をして帰宅する(×)
8.フェイスブックに奥さんや子どもたちの写真をひんぱんに公開している(×)
9.学生時代よりも社会人になってからのほうがよくモテたと思う(?)
10.よく部下や後輩に仕事を押しつけてしまう(?)
11.職場や周囲からは「コワモテ」だと思われている(○)
12.部下の指導力には自信がある(?)
13.周囲からは面倒見がいい親分肌だと思われている(×)
14.酔うと居酒屋の店員やタクシーの運転手に威圧的なことを言う(?)
15.大きな声では言えないが、けっこうセクハラっぽい言動をしてしまう(?)
16.渡辺淳一の小説が好きだ(×)
17.じつは若い愛人がいて、仲間内ではよく"愛人自慢"(浮気自慢)をいう(×)
18.女性と交際をしているときは、白分が主導権を握っていると思う(×)
19.正直に告白すると、マンガの「島耕作」のような生き方に憧れている(×)
20.たまには「俺も辛いんだよ」などと甘えたことを周囲に言ってみたい(×)
 ☆ あてはまった項目の数で、
   0〜4:カエル男度20%
   5〜10:カエル男度50%
   11〜15:カエル男度80%
   16〜20:カエル男度100%
(?)を0・5として加えると、私のカエル度 30%? 
  主観と傍目は違う? だから共生していける!いや、共演? 実演?
・・・・・・
4728,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー2
2014年02月23日(日)
  * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 時代はバブル崩壊辺りから変わってしまった。と共に人間の生き方も、
ここで大きく変化を始めてきた。資本主義の論理の限界もみえた中で、
貨幣に縛られ振り回されている枠を見直そうという動きも出てきている。
先進国といわれてきた人たちと、後進国といわれる地の人たちの文化と、
果たしてどちらが優れているか? それが構造主義である。  
 ー以下の解釈が、明快であり、納得できるー
《「脱コード化」社会においては、貨幣が王に代わって社会の頂点に
 君臨するわけではありません。貨幣は、頂点と底辺の間(言いかえれば
「王座」と「世俗」の間を行ったり来たりと、めまぐるしく回転運動します。
人々は貨幣を追い求めるため、それを資本として活用することで商品や
サービスに換え、より多くの貨幣を手に入れるという生産活動を繰り返す。
「もっと豊かに」「他人より幸福に」という人々の思いに突き動かされて、
貨幣は資本となり、資本はさらに貨幣を生み出し、それが資本として再投下
されます。貨幣はそのような無限の運動を 繰り返すのです。
このように、貨幣が「王座」と「世俗」の間をぐるぐると回り続ける様子を、
浅田彰氏は『構造と力』の中で、「クラインの壺」をモデルに使って解説。
「クラインの壼」とは、境界も表裏もない壺のことです。 
実際の三次元世界では存在しえない形状ですが、円錐形である「超コード化」
社会との対比として、動的な「脱コード化」 社会のイメージを明確化
するために、このモデルを採用した。ここで注目したいのは「脱コード化」
社会においては、「貨幣が、人間の欲動をクラインの壷における反復運動の
エネルギーに転換させることによって、秩序を維持するための装置として
機能している」ということです。・・・
 ここの狙いは、哲学的な「ものの考え方」や「もののとらえ方」を身につけ
「経済予測」に生かす方法を説明することにある。・・現代の資本主義社会は、
人間がお金によって動かされ、生かされる社会であり、人間が幸福になれない
理由はそこにある、という話をしました。では、どうすれば人間は幸福に
なれるのでしょうか。そのひとつの答えとして、浅田彰氏が『構造と力』に続く
『逃走論』で提示するのが、「パラノ」人間から「スキゾ」人間への転換です》
▼ 最近、シルクロードの一つの村々の人たちの姿と、アメリカの都会の人たち
 の姿を比較すると、果たして彼らが先進をしているか疑問に思わざるをえない。
フンザの老人と子供の澄んだ姿と、あのファッションの姿を比べれば一目瞭然。
アメリカの主軸通貨のドルと、米国債を、貨幣と資本に当てはめると面白い。
アメリカ資本が二種類の紙切れで世界を牛耳ってきたことが見えてくる。
その循環の大元を握っていれば、紙切れの発行をするだけでモノが手に入る。
パラノ人間が、スキゾ人間から、ものを収奪してきたのが人類の歴史といっても
過言ではない。ブータンのように、地政学的に隔離されていれば、それはそれで
良いが。だから、生き方として、実社会人の時は、パラノ型で、50歳を過ぎた
辺りから、スキゾ型になる、そのため定年がある。森からサバンナである。  
・・・・・・
4361, 嘘と真実 −2
2013年02月23日(土)          
    「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
  * うそつき 
 この本は、「嘘と真実−1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。
この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の行蔵がみえてくる。そこには、
自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたく
ないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。身勝手の本性に小理屈
をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。
だから生きていられることもある。
ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言と
 いわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 
          《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』とき、より効果的うそをつく」
          《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」
          《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。
           うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
          《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞き
 たがっていることを語る。この関係は双方的なもので、政治家が有権者
 自己欺まんを代弁することもある」
 《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
これ、恋愛もいえる。人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 
                 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」
          《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福は、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」
          《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力が
          ある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしい
 ように思われるものであっても、その人の過去の歴史的事実とはあまり関係
 のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、
          正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なもの
 でもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。その道徳的価値が判断
 されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」
         《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、
 人間は自分の真実の実像を見ていたら耐えられないのは自明である。そして、
「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として
 栄えるために不可欠の要素」がある。自分が「不完全である」という事実を
 受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、
 自分を見つめれば分かること。本当のことってあるのだろうか? 
本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、
本当もうそになる。利口者の自己欺瞞、馬鹿の正直者、その間に揺れるのが心。
利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
 ・・・・・・・
3986, 生保に入るバカ、入らないバカ ー3
2012年02月23日(木)
 ここで、著者は、保険会社の危なさを次のように書いている。
≪「生保」という商品は不思議で、ふだん買い物をして、商品を持って帰る段
 になって、買ったものが買い物袋に入っていない(しかも10万〜15万円分
足りない!)のに気がつかないのは、変だろう。(p.144)≫と・・・
セールスは顧客のためにというのは嘘で、会社のために、顧客の無知に付込んで
契約をする。それも弱者の不安を掻き立てて。最近は、成人病でポックリという
のが多いが、40歳後半までに死ぬ確率は非常に低い。65歳まで亡くなる
確立は2割である。それを死ぬか死なないかの5割の確率で命をかけた博打
をするのだから、保険屋が儲かるのは自明。(詐欺的)要素を持った商品を
セールスが言葉巧みに、貧しく無知の主婦を狙い撃ちにさせる。保険会社ビルが
立派なのは、顧客を信用させる小道具のため。国家予算と保険の売上が同額
というのだから呆れる以前に、むしろ感銘を受ける。
ー それでも生命保険に入りたい人に「生命保険のカラクリ」著者の
岩瀬 大輔は次のような心掛けを勧める
  ◎ 生命保険にかしこく入るための7か条
一、死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう 
二、加入は必要最小限、を心がけよう
三、まずは中核の死亡保障を、安い定期保険で確保する  
四、医療保障はコスト・リターンを冷静に把握し、好みに合ったのを選ぶ
五、貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けは避けよう
六、すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう  
七、必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう 
◆ 数年前のことだが、家内が街中で見知らない女性にスカウトをされた。
 それが保険勧誘員。「何か保険セールスに御似合いのようで、如何ですか」
と勧誘されたと嬉しそうにいう。「典型的保険セールスのキャッチじゃないか。
カモがネギをしょっているように見くびられただけ。まさか乗ってしまったん
じゃなだろうな」と、私。 断ったというが、なる程!幾らでも手があるもの。
保険のブラックボックスは、あの契約書。好き放題、手前勝手でも法律の限界を
守って、全国レベルの経験則が入っている。相手は単独の無知の大衆。
マスコミも広告もあるので、それに触れない。私の両親は、数千万はゆうに
払ったがバックの話は聞いたことがない。Oとかいう関西系の保険屋の男に
食い物にされていた。
・・・・・・
2881,アメリカの住宅金融の惨状とは −2
2009年02月23日(月)
 ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー伊藤 誠  −2
                   (現代思想ー金融恐慌特集)
ここで著者は二階の建物で、このサブプライムローンを分かりやすく説明。
1Fが、借りてと貸しての間の第一次住宅金融市場をめぐる問題
2F が、一階部分で形成された住宅抵当権を集めて抵当担保証券として束ね、
 販売し取引する第二次市場の問題としている。
ここでは書かれてないが、隣のビルに格付け会社があり、隠れ通路でつながる。
格付け会社の直ぐ上の階には保険会社があって、そこが保険をかけることで
格付けを上げる仕組みになっている。そして、それを世界の金融機関に
ばら撒いていったのである。本人たちはプロの金融マンという自覚だったが、
その実態は態の良い詐欺でしかなかった。本人達の何割かは気づいていたが、
とにかく歩合を稼ぐことしか頭にない連中であった。特に世界を壊滅的に
までしたのは2Fにおいて重層的証券化をしたことに関わっていたことである。
 −−
 このように視覚化して、この問題を考えると分かりやすい。この問題の性質が
悪いのは、2Fの連中が、一階に御客を選ばず住宅を売りつけを推奨したこと。
1Fのものにとって、誰でも良いといえばホームレスにさえ住宅を売りつけた。
更に、住宅の値上がりを前提として、車のローンまでつけていたのである。
その毒に変わる可能性のあるサブプライム・ローンを、他の債権に一割の割合で
混ぜて束ねて売ってしまったから、他の9割の債権まで、腐った債権になって
しまったことは、何度も書かれてきたことだ。その債権は、世界中の金融機関、
そして資産家、中産階級の資産運用として売られ不良債権化しつつある。
この金融恐慌は、世界恐慌に発展・転化するだろうが、「世界恐慌」を専門と
する学者は、1929年の世界恐慌より遥かに大きい者になるという。
この恐慌は三年にわたり深化して、株価の暴落に続き、銀行恐慌の三次にわたる
波状的な大波に見舞われ、アメリカの全銀行の四割の倒産、失業率25パーセント、
デフレスパイラル、世界農業恐慌、再建金本位制による国際通貨体制の崩壊、
国際貿易の収縮、経済生活の崩壊をもたらした。
今回は、これに近い、それ以上ではないかという恐怖が広がり始めている。
しかし、日本の巨大なバブルの破裂、アジアの経済危機、ITバブルの破裂に
加えて、今回の経済危機でも何とか大崩壊が現在でも免れているのは何故? 
諸説あるが、今度考えてみる。
・・・・・・・・・・
2008年02月23日(土)
2516, 人は何年先に標準を合わせるべきか?
                     (。´_`)ノおはぁ。
以前、経営セミナーに通っていたとき、
ー短期目標は5年先に焦点を合わせて現在の戦略を立てるべきである。ー
という言葉が印象的であった。しかし、それを実行しただろうか?というと
非常に疑問である。9・11事件など思いもよらない事件が起きるご時勢だが、
逆に5年というと、読めるのではないだろうか。現在の世界情勢と日本情勢
からみて、この5年間は間違いなく大乱である。根っ子は情報化を起因とした
グローバル化からくる、民族、国家などの既存の体制の崩壊と、創造が始まる
からである。 その意味で、それぞれが選択と集中をした生き残りをしなければ
ならないのである。 まずはアメリカと中国が大きなポイント。

人間にとっても5年先を読んで現在は何をすべきか考えるべきである。
大方の人は7年と、10年か、どちらかがサイクルである。
それは、その人によって違ってくるが、7年をサイクルとするとき3年、5年を
中で切るとよい。「へ」を7年とみると、三年が右上がりで、4年が下がりになる。
これは商売を始めたときの目安となる。 だから、売り上げや利益を維持しよう
としたら翌年から新たに「へ」の字の初年目を始めていなければ三年目のピークを
維持が出来ない。毎年、創業を始めるような革新をしなけらばということ。
「日々新たに」革新してないと現状維持が出来ないということである。
その辺を、しっかりと見極めてないと、右下がりから逃れることが出来ない。
これが意外と出来ないのである。50歳の人だったら57歳の自分を想定して、
現在何をすべきかを考えなければならない。60歳でもよいが・・・
私の場合は+7年=69歳の自分、そこから逆算して現在は何をしたらよいか
考えるべし!ということになる。 それもこれも、どうでもよいか?
という声が、聞こえてくるが!
・・・・・・・
2007年02月23日(金)
2152, スピリチュアル・ブームを考える −3
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
香山リカ精神科医)も現場の様々なケースを見ているから説得力がある。
生まれかわりを前提に生のリセットを真面目に考える人がいるというから、
来世などを吹き込むと間接自殺幇助になってしまう。騙すほうも騙される方も
命がけである。スピリチュアルだけでなく、判断をすべて人に委ねる人を見かける。
本当に多いのだ。携帯電話がそれを助長する道具となっているから、ますます
他人志向的になる。その連中が安直に求めるのがこのブームの背景にある。
ーー
現在の風潮に「これって本当?」とすべてを疑うのは野暮!という価値観
の広まりは、TVの捏造問題とも強く関係している。精神医療の現場では最近、
「死後の生」を前提とした上での子供や若者の自殺を企てる者をみる。
彼らがこういった番組の影響を受けてないと、考えにくい。いま売れている、
こういった類の本に「すべてのものはあなたの意志を超えたところで決まって
いる必然なのだ」というメッセージが溢れている。

この意志を超えたものは「前世」であったり、「宇宙の大いなる力」であったり
するが、これらの中に重大なメッセージがある。ひとつは「だから、今が不本意
なのはあなたの努力不足ではない」いまひとつは「だから、いくら頑張っても
何も変わらない」ということだ。つまり、「あなたは悪くない」と個人を免責
しておいて、「少々頑張っても何も変わらない」と、努力の放棄や不満の受容を
勧めている。少しでも状況を改善したければ、「守護霊」「宇宙の果て」からの
メッセージを媒介する霊媒師や超能力者の声に耳を傾け、それに従うしかない。

何とかして欲しい」と願う個人が霊や宇宙といった超越世界と直接、
つながって救われようというしておきている、いまのブームは
「組織は世の中を自分たちの力で変えることで何とかなるかもしれない」
といった社会的な視点がまるっきり抜けている。もちろん人生のかなりの
部分は理不尽で不本意なものであり、怒りや悲しみを乗り越えるためには
「目に見えないもの」の力も時として。必要なこともある。しかし、
それは苦から身を守る最終手段であって、日常的に安易に「死後の世界」や
「宇宙の力」を持ち出して解決しようというのは、決して社会の進歩ではなく、
むしろ退化と考えた方がよい。
ーー
なるほど、そりゃそうだ。運命論ほど馬鹿馬鹿しいものはないが、
スピリチャル・ブームの批判につかうとは、さすがである。
神社のお土産品の「お守り」も、古典的なグッズである。
お賽銭って、神様への賄賂というが、100円?というのが可愛い!