2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える −2
              オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン

溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、怪しげな女占い師を切り捨てている。
詐欺・たかりの類の小道具としては、これだけ有効な手段は無い。騙されやすい類の人種が興味を持つからである。
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人は成長するにつれ、サンタクロースや魔法を信じなくなる。
現在のスピリチュアル・ブームは大人たちの幼児期への退行現象である。
この世は合理的に動いていることを成長しながら学んでいく。
霊魂や超自然ではこの世は渡っていけない。霊性では数学は解けないし、免許証はとれない。
わずかに世を渡っていけるのは霊性を商売にする人たち、
占い師、スピリチュアル・カウンセラー、新宗教のリーダーと仲間達ぐらいである。
もっともそういう人たちも、ライバルや税務署とやりあう時につかうのは、合理的思考である。
観念論者同士が争うとき、最後に決着するのが唯物論であるのは公理である。

もちろん人はスピリチュアルという袋小路で遊ぶ自由はある。
せめて遊びのときぐらい公理一辺倒の世界から離れたいと思うのも理解できる。
娯楽や気休めとして占いや手相見、神頼み、お守り、など人生の小道具として認められてよい。
しかし、墓相とかいって墓地を買え替えたリ、造りなおす人は金をドブに捨てるのと同じである。 
人生の孝・不幸と先祖のお墓との関係はない。脳科学は発達はますます意識を司るものが物質と
その化学反応であることを証してきた。生命の物質的反応として意識が生まれいる以上、生命が死を迎え、
活動を止めるとき、意識もまた絶える。 死後の霊など存在しないし、存在できない。
現在、霊性の迷いの道に入った人が珍しくもない惨状である。霊感商法にやすやすと騙されて大金を失い、
家族不和を招く。民放各局が視聴率稼ぎで守護霊の霊視やエセ占い師を登場させ、彼らの権威付けや宣伝、
影響力の拡大に力を貸している。

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霊感という言葉ではなく、シックスセンスという言葉ならいいが。
心を込めた、いや魂を込めた作品なら、自分が亡くなっても、その作品が残るかぎり、
その中に籠った魂の痕跡は残るだろう。しかし自分が来世に生まれかわるかどうかは別問題である。
一人一人は、全くの別であるのは当たり前のことである。 エピクロスではないが、
「死なない存在」の死後を如何して問うのだろうか!

遊び遊び、霊ズニーランドの霊界イメージ・ゲーム それでいいではないか!   
ただし、一期の夢と割り切ること             
                  (^o^)ノ バイ!                 
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