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2007年02月21日(水)
2150, スピリチュアル・ブームを考える −1
才八∋ウ_〆(∀`●)
毎日新聞の2月19日の「論点」に「スピリチュアル・ブームを考える」をテーマに
島田裕己、溝口敦、香山リカの三人のジャーナリストが、それぞれの視点で鋭く、
そのブームについて分析をしていた。 なるほど非常に面白い内容であった。
現在の日本は、一部の強者以外は全体として行き詰まりの様相を呈している。
その中で人間は内側にエネルギーをもとめてしまう。「霊的エネルギーへの欲求が社会に満ちている」
といってよいだろう。心の中に何かが起きているのだろうか?
私自身も父の死をキッカケに十数年間も霊感がついた。何をもって霊感というと難しいが、
とにかく変な感覚がついてしまった。最近はホボ無くなったが、あれだけは実際に「その感覚」が
つかないとわからない。だから、興味を持っている人以外に話さないことにしていた。
生来の盲目の人に、視覚の話をしても理解できないのと同じである。
といって、極端なスピリチュアル・ブームもおかしなものだ。
細木数子の批判文の中でも書いたが、物語を人は求めているのである。それを安直にイメージ化できるのが、
霊とかいうヤツだ。まあ、この三人の切口から、その本質を考えてみよう!
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ー島田裕己ーの分析から考えてみよう。
まず要約すると、
「バブル以降、霊観念の個人化が進展、カウンセラー型の霊能者がはやる」ということだ。今日現在のブームは、
伝統的な霊観念の衰退、希薄化ということと関係している。前は宜保愛子の先祖の霊が適切に祀られていないと、
その祟りで病や不幸がもたらされると考えられ、それを取り除くには先祖の霊を正しく供養しなければならないと説かれた。
ところが、核家族化が進行して、家の解体が指摘される今、家の比重が低くなり、先祖の霊の祟りはリアリティーが
無くなってしまった。多くの人は家のしがらみに苦しんではいない。少子化で、家の存続も危なくなっている。
そこで今は「個人化」の傾向が強くなり、家の影響は小さくなり、対象が家の霊ではなく、
個人になっている。それは、個人の前世の霊ーすなわち生まれかわりの霊ーに変化したのである。
もし出てきたとしても、それは祖父母など近しい存在に限られるのである。
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解)まあ、これから考えてみると、これだけいい加減なことはない! 霊など心の迷いの時に頼る無知な人間の玩具や
マジナイと同じ。彼はそういいたいのだろう。父が「墓は本家より大きなものにしてはならない!」と言っていたが、
それも明治生まれの[家]制度を背景に持った論でしかなかった。家そのものより、個人化の方が重んじられる現在、
あの父の言葉は何だったのか?墓は「家の抽象的な心のカタチ」だったのか?人は、心の何処かにそれが必要なのか?
だから レジャーを兼ねた盆帰りをしてお墓に参るのだろう。
バイ (σД≦)ネムゥ〜
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