つれづれに

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    今日のYoutube

 北朝鮮金正男の暗殺。 何のためか? 何がなんだかサッパリ分からない。
これほど、ドン様にとって不利なことはないのに? どう考えても、アメリカ辺りの
策謀なら分からないではないが・・・ 表立った現象からみえるのは、ドン様いちみが
韓国にでも亡命して亡命政権でも作られる前に、潰したとみられるが・・・、
こう公然と映像に撮られ、世界中のTVで流される逆効果は計り知れない筈だが。
 そろそろ、太りすぎの通風で脳梗塞になる時節といえば、そうだが。


・・・・・・
2880, 上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)

19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、
 中国の出稼ぎ労働者の現状を生々しく追ったもの。
  ーまずは、その部分NHKのHPの番組紹介からコピーしてみた。
 《 再訪・上海バスターミナル ~不況下の帰省ラッシュ~ 》
中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。
NHKが2年前に取材した、好景気に沸く上海の長距離バスターミナルは、春節
直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。人々は貧しいながらも明日へ
の期待を膨らませていた。しかし今年のバスターミナルは、打って変わり閑散としていた。
世界経済危機の荒波を被り、出稼ぎ者の多くが仕事や生活の基盤を根こそぎ奪われ、
すでに帰郷していたのだ。それでも大晦日のバスターミナルには、追いつめられながらも
故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の姿があった。バス代を工面するのが
せいいっぱいで、土産も買えず身一つで帰省する農民工。給料が支払われず、妻子だけを
帰省させて一人上海に残る工員。故郷に残した我が子に会いたくて、リストラされた夫の
反対を振り切って来た母親。その一方で、大晦日に地方から上海にやってくる人々もいた。
地方では暮らして行けず、新天地を求めてやってきた大家族の農民。出稼ぎから戻らない
母親を捜しに来たものの連絡がとれず金も尽きて途方に暮れる父と子…。
金融危機に揺れる中国、春節前の上海バスターミナルで繰り広げられる庶民の
悲喜こもごもの人生のドラマを見つめる。
 --
どのケースをみても、追い詰められた人たちの姿が痛々しい。
特に、出稼ぎから戻らない母親を捜しに来たが連絡がとれず金も尽きて途方に暮れる
父子の姿が哀れ。バスターミナルで二人が途方にくれている姿を映し出し理由を尋ねる
所から始る。地方から出てきたが金を使い果たし、ターミナルの閉門で寒空に追い出される。
そして二人は当てもなく歩き出すが、見かねた若いターミナル職員が後を追って、近くの
安宿に自費で二人を泊めてやる。極限の人間の姿は、それだけでドラマになる。その時に
上海で連絡を絶った母親から携帯に電話が入る。「私を捜さないで!」 
究極の悲しみの場面である。 翌日、若い職員にいわれたとおりにバスターミナルの
所長を訪ねる。 そして女所長が、帰りのバスに無料で乗せてやる。
思いやってカップヌードルを持たせてやるところは圧巻である。
 他のどのケースをみても深刻な問題が浮き上がっている。
この番組は彼等の姿を通して、大不況の一般庶民の苦しみを訴えたいのだろう。
二年前の春節の上海ターミナルの職員の仕事収めを追った映像と、閑散とした今年を
比べて現在の中国の現状を浮き上がらせていた。 冷え冷えとした10年を予感させた
ドキュメントであった。

・・・・・・・・・・
2008年02月22日(金)
2515,  iMacの感想! -2
                      オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、事務所に二台、
自宅も含めて9台を導入した。とにかく画面が綺麗なことと大きいことでパソコン環境
が一変した。そのキッカケが年に数回事務所に訪ねてくる知人が三年前のパソコンを見て、
「そんな古いパソコンなぞ使っているのは如何なものですか?」といわれたことである。
何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシカメラ」に、パソコンを見に行った
ところ、最新のオール・インワンの「iMac」を見て気に入り、即座に事務所に一台
入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較をしてみて驚いてしまった。
そこで決算期の節税対策もありロビーに導入することにした。
珍しいこともあってか、お客の反応は上々で判断は正解のようである。

これまでのパソコンとの差は、既存のカラーTVと、最新のハイビジョンTVの差はある。
当たり前のことかもしれないが、パソコンの世界の三年は質を根こそぎ変えてしまう。
さらにiPodも入れたことで、音楽に常に取り囲まれた生活になってしまった。
今朝も、昨日も、朝の三時にベッドの中で音楽を一時間ほど聴いていた。
さらに写真と動画のブログを気楽に見るようになった。
web2.0の流れが、面白い映像や写真が溢れるようになったのである。電子機器
などのハードや、ブログなどのソフトの飛躍的な進歩が時代を根こそぎ変えているのだ。
恐らくモバイルのMacbook.airを使ったら、まったく違った感覚になるのだろう。
それもこれも、やはり経済である。 もし、ここで新潟駅の再開発工事が始まらないとしたら、
思い切ってパソコンを変えようとしなかった。何があっても携わっている事業は健全にして
おかなければならないならない。このテーマとは話はそれたが・・・ あと三年経ったら、
さらにパソコン環境はMacairのように軽量、無線、ノーキボード化に変わるだろう。
                 ゚ο゚)☆グハァッ゙
・・・・・・・・・・
2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える -2
              オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン
溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、
怪しげな女占い師を切り捨てている。詐欺・たかりの類の小道具としては、これだけ
有効な手段は無い。騙されやすい類の人種が興味を持つからである。
ーー
人は成長するにつれ、サンタクロースや魔法を信じなくなる。
現在のスピリチュアル・ブームは大人たちの幼児期への退行現象である。
この世は合理的に動いていることを成長しながら学んでいく。
霊魂や超自然ではこの世は渡っていけない。霊性では数学は解けないし、
免許証はとれない。わずかに世を渡っていけるのは霊性を商売にする人たち、
占い師、スピリチュアル・カウンセラー、新宗教のリーダーと仲間達ぐらいである。
もっともそういう人たちも、ライバルや税務署とやりあう時につかうのは、合理的思考。
観念論者同士が争うとき、最後に決着するのが唯物論であるのは公理である。

もちろん人はスピリチュアルという袋小路で遊ぶ自由はある。せめて遊びのときぐらい
公理一辺倒の世界から離れたいと思うのも理解できる。娯楽や気休めとして占いや手相見、
神頼み、お守り、など人生の小道具として認められてよい。しかし、墓相とかいって墓地
を買え替えたリ、造りなおす人は金をドブに捨てるのと同じである。人生の孝・不幸と
先祖のお墓との関係はない。脳科学は発達はますます意識を司るものが物質とその化学
反応であることを証してきた。生命の物質的反応として意識が生まれいる以上、生命が死を
迎え、活動を止めるとき、意識もまた絶える。 死後の霊など存在しないし、存在できない。
現在、霊性の迷いの道に入った人が珍しくもない惨状である。霊感商法にやすやすと騙されて
大金を失い、家族不和を招く。民放各局が視聴率稼ぎで守護霊の霊視やエセ占い師を登場させ、
彼らの権威付けや宣伝、影響力の拡大に力を貸している。

ーー
霊感という言葉ではなく、シックスセンスという言葉ならいいが。心を込めた、
いや魂を込めた作品なら、自分が亡くなっても、その作品が残るかぎり、その中に
籠った魂の痕跡は残るだろう。しかし自分が来世に生まれかわるかどうかは別問題である。
一人一人は、全くの別であるのは当たり前のことである。 エピクロスではないが、
「死なない存在」の死後を如何して問うのだろうか!

遊び遊び、霊ズニーランドの霊界イメージ・ゲーム それでいいではないか!   
ただし、一期の夢と割り切ること             
                  (^o^)ノ バイ!                 
・・・・・・・・・
2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記

図書館で借りてきたが内容が深いので、中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。
それぞれが味わい深い内容で満ちている。ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ず
といってよいほど、ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。
その度に生活の豊かさを感じ取っていた。ウォーキングの本は数多あるが、これだけ
詳しく書いてあるのは珍しい。
    
ーこの本の概要をまとめてみた。   _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代にフットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、
 現在では20万キロも整備されていて生活の一部となっているという。
 イングランドウェールズ地方だけでも、なんと16万キロメートルの歩くための道が、
 公道だけでなく、私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、そこで人々は自由に
 通行ができる権利を有している。国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し、
 何処かへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。
           だぁ(=Д= )るぅ(=д= )いぃ(=д=   ブスッ!☆ ―⊂|コ-ω- )
                      ニンニク注射いきますっ!
「フットパス(footpaths)」とは、「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、
 人だけが通れる道のこと。他には「ブライドルウェイ(bridleway)」があり、これは
 手綱(bridle)のとおり 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。 この本では、
 英国のランブリング(逍遥)と、日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容。
 人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、精神を様々な様式で駆合せてきた。
その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング 歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど
   思索を深めるために歩く
(2)宗教的ウォーキング 悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、
   富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング 静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース国木田独歩などロマンチックな歩行の原点
(4)達成へのウォーキング  アルピニズム、長距離を踏破する
(5)訓練のウォーキング 歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
   ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など「やらせる側の意図」による歩き
(6)余暇活動としてのウォーキング 暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という
   行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
(7)コミュニケイションのためのウォーキング~友人、恋人、家族がコミュニケのために歩く
(8)教育のためのウォーキング   自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング  フィットネスウォーキング
 --
 20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、散歩をしている人が少ないのが不思議である。
 生活に取り入れている人は5�にも満たないようだ。
    
初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、現在では「歩くために歩く」に、
目的が変化してしまった。この本を読むかぎり、英国は生活天国の国のようだ。          
                               -,_っ-)ゥンゥン
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】
             =☆(((((((((・ω・。)バイバイ!
・・・・・・・              
 2005年02月22日(火)
1421, 西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜

  何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、
 堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
(字数の関係でカット09年02月22日)

・・・・・・・
2004年02月22日(日)
1054, 職業性格形成論-3
 ー「営業屋性格論」が解りやすく、面白いから取り上げてみる。

仕事柄、営業の人と接することが多い。
営業にも色いろな種類があるので一括りには出来ないが、彼等には大きな特徴を見える。
「褒めること」と「世間情報の内幕情報屋」を武器にする。遵って、その人の人柄が
出てしまうのだ。一つ間違えば信頼を失い「汚い子狐」として軽蔑の対象になる。
その為には、自分の良い部分を相手に示し、信頼させるがポイントになる。
営業といえば、外商や代理店や飲食業や店のママなど挙げればキリがない。姉から聞いた
話だが、欧州旅行のツアー仲間のリタイアをしたばかりの人の成功話が印象に残っている。
「営業活動で、キーマンが名古屋コーチンの鶏肉が大好物という話を聞いて、雛を買って、
最良の餌と水を与えて育て上げ、潰して、その肉をお歳暮として持っていき続けた」という。
ここまですれば誰でも心が動くだろう。逆に、その位しなくてはプロとしての営業にはなれない。
昔は金持ちや偉い人には「太鼓もち」や「芸者」が、お世辞や芸のサービスを売っていた。
現代では、クラブのママやホステスやバーテンなどが代わって、その役割をするようになった。
現代芸者・太鼓持ちというところか。営業活動で、職務としてキーマンに「どっこいしょ」と持ち上げ、
心の隙を見つけて営業をスムースにするスキルを求められる。
人好きの人でないと勤まらないだろう。必死になれば人好きになるだろうが。
営業は自社の商品を売るのが目的であり、その良さをアピールするのが仕事になる。
そのために、相手の気持を開かなくてはならない。その際たるものは保険屋の営業であろう。
第一保険の日本ナンバーワンの手記を読んだことがある。トップセールスに相手を絞って、
徹底的にお客のサイドに立った保険のシステムを組んでやるという。
そのために顧客大部分が、顧客の知人の紹介でのネットされたものだという。
セールスの機能を保険会社の代行ではなく、顧客の代行と切り替えたのである。

昔から営業のやり手は仕事が終わった後のアフターファイブから仕事をする。
または自分の休みの土曜日を遊びを兼ねた営業をかける。
仕掛けを自分の知恵をつかってフリーの時間外につくっているケースが多い。
へドロといわれる人がいる。時間内しか仕事をできない人である。
公務員系の子息を一般の会社に入れると、本人だけでなく周囲に??をもたらす。
別に本人責任でないから問題は深くなる。父から聞いた話だが、戦前に骨董屋をして
いた時、地元の大手の社長へのトップセールスを思いついたという。
女好きという話を聞いて母に電話をさせたところ直接出てくれたという。そして
骨董商をしているが会ってくれと言ったところすんなり会ってくれたという。もちろん
父がいったそうだが。やはり知恵をつかっての営業ということだろう。その後、その人の
キッカケで多くの大手のトップを紹介してもらったという。何事も必死になれば道が
開かれるということか。そこから性格が磨かれるのだろう。セールスは品性が基本に
なくてはならない。品性は普段の生活の中から築くものだ。 家系もあるが?
                              耳が痛い?!
・・・・・・
2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
 ーいやなことはやらない!

51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。
事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー人生の
分岐点の年であった。その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」
という方針をたてた。ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。
哲学者の中島義道氏の文章で 
 ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
 きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、
 いやなことはなるべくしない
・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
 -5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。
・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
 -感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は
 「おめでとう」と言わない。
・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな~。
 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな~」とか考えている。
・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。
 しかし、自分の人生のカタチと諦めている。

先日亡くなった同級生が正反対の世界で、必死に自分を演じていた。彼の立場は、
それが不可能の立場であった。6年前に考えたのは、「本当に好きな事は何か?」
「いやなことは何か?」であった。

・好きな事は秘境旅行、ウォーキング、事業、読書、居酒屋通い、映画、随想を
 書くことであった。それと世界をもっと広く深く知ることだ。
・今までの付合いの見直しである。「世間体に生きている度合いの高い人」は
 可能な限り寄せ付けない。 勿論、それすら解らない人もだ。
・プレッシャーのかかるセミナーや会合には可能な限り出ない。それを割り切って
 一づつ確実に実行する。
そんなことをいったって、不可能だろうし、高慢でないか!と聞こえるかもしれない。
そのとおりかも知れないし、バカなたわごとと解っている。でも、中島義道氏の
ようには徹する事は難しいが、少なからず実行している事は事実である。
このHPを開いてから誰かとどこかで繋がっている実感が強くなった為に、更に
この傾向が強くなってしまった。中島氏のように多くの読者を持っていれば、
その姿そのものを共感する見えない仲間の存在があるから可能になるのだろう。
自分の人生のカタチは自分で創っていくものだ!

・・・・・・・・
2002年02月22日(金)
339,笑う人 

ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。
旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。あるいは人を笑わせていた。お笑いの
芸人も2種類いるという。普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。
その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。「母親が何時も笑っている人で、
その影響だ」という。職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きが
かかったのだろう。ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが「ポパイにそっくり
な顔」をしていた。そして初めから最後まで運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。
こんな陽気な笑いは、かって見たことが無く、ハワイにピッタリであった。
あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。
土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。子供は何らかの形で両親の分身なのだ。
会社に毎年新人が何名か入ってくる。研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。
若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。
ちょうどこんな感じである。  ー(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿