< しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 人は皆、うぬ惚れの生きもの
  金沢に勤務していた時の会社のNO2に教わった言葉、
<創造の一歩は、自己能力の限界の設定>があった。それが何時の間にか、
うぬ惚れて、小隙から船が沈む諺通り…この有様。創業とは、小さな隙間に
的を絞り、バブッテ、破裂する一環。以前は平均30年だったが、今では10年。
自信喪失も、うぬ惚れも人間の持つサガ。その一環を経験してみたが、深い
甘塩っぱい味がした。 例えると何だろう?味の素をそのまま口にしたような。
 健康食品など多くの事業が、この人間の性癖を利用している。
懲りずに再び健康食品を使いだしたが…  〜その辺りから〜
≪私たちは自分を他人より上だとうぬ惚れて生きている。このバイアス(偏り)
が多くの過ちの種を宿している。行きもしないスポーツジムの会員権、リゾート
マンションの共同利用権の購入。初期だけの低金利のクレジットカード。こういう
傾向を研究している学者が一般的な結論に至った。
 <人はおよそ誰もが自信過剰である。例外は、じつは現実的な自己認識
  をしているという欝状態の患者だけだ。>
アメリカで大きな成長をしてきた「ニュートリシステム社」がある。その株価
が大きく上がったのは、その呼び名を借りると「シリアル・ダイエッター」―
つまり体重を減らそうとして失敗してきた人たち。大半(80%)が、平均年齢が
44歳、体重95キロ、大方の減量目標が27キロだが、結局9キロしか減らない。
10〜11週間でギブアップが通例。では、何故、会社は顧客が失敗し、会社が成功
したのか。他の企業と同じように、人の自信過剰につけ込むすべを学んでいたから
である。人が実際にすることでなく、人がすると信じていることで、この会社は
成立っている。ここでも、有名スポーツ選手を広告塔にしている。ただし広告を
よく見ると、重要な?の単語から成る免責事項が、小さな字で書かれている。
「結果に個人差があります」と。≫
――
▼ ネット検索によると、<日本にもフランチャイズで、2009年10月にハウス食品
より発売された「ニュートリシステムJ-ダイエット」だが、2年で全サービス終了
という結果となった。>とあった。こうした本が日本で出版されると、ハウス食品
が効果のないことを分かっていてフランチャイズ契約を結んだという悪いイメージ
がつくため、サービスを中止にしたようだ。大志を抱き、何とかカタチにして、
うぬ惚れの小隙がバイアスとなって、はい、それまでよ>も決して悪くない。
どの道、死んでしまえば、それまでの人生。神様が存在するのではと思えるほど、
丁度よい味ある結末を与えてくれたと我ながら感心する。外には飄々と風が吹く。
 
・・・・・・
5456,閑話小題 〜逃げるから怖ろしいのだ ー2
2016年02月22日(月)
   * 逃げるから怖ろしいのだ ー2
 このテーマ、面白いので続ける。「悲しいから泣く」の、
<悲しいは「感情」で、泣くは「情動の表出(身体反応)」>である。
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい}
「うまくいったから幸福なのでなく、幸福だからうまくいく」
「成功したから面白いのではなく、努力が面白いから成功する」
このような論理で、逆照射を立てると、面白い道理が多くたつ。
「内的自由度は外的自由度と、ほぼ同じなら、まずは内的自由から
始めよ」というが、まずは、知識の蓄積から始めるのがよい。
 内的自由度のコントロールで、「うれしい」「たのしい」「しあわせ」
「ありがとう」を、日常的の口癖にすればよいと勧めた小林正観がいた。
彼の言葉に、『人はいつも<正しい>ことを受け入れるのではなくて、
<温かいもの> を受け入れる。』とか、

友人も 全てがあなたにちょうどいい』を思いだす。人の心は普段使っている
内語で大きく左右される。この「う・た・し・あ」を暇を見つけて唱えて、
いれば、その感情が強い磁力になって、情動になっていく。だから、感情の
コントロールは非常に重要になる。怖ろしいので、問題から目を逸らすと、
自滅するのは、感情が、情動にマイナスに働くため。『その時は、その時、
取りあえず戦い続ける。そのうち、何か手がかりが出てくる!』でもよい。
好き嫌いの感情は、すぐに相手に伝わる。「う・た・し・あ」に、好きを
加えればよいことになる。愚痴をいうから、毎日が、つまらなくなる。
「かなしい」「つまらない」「不しあわせだ」「のろってやる」「きらい」
の言葉は、その事象を自らへの磁力になる。現実に溺れた世間原理主義者が、
巧妙に、この言葉を駆使する。言葉は言霊で、相手への毒は、自分への毒に
なる。だから、世間原理主義者を、悪し様にいうのは最悪と解ってはいても?
 で、以下の内容が丁度よく繋がっていく。世間とは、そういうものである。
脱兎のように逃げるべき時もある。逃げ、負けは、前向き、勝利の裏表。
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5092,閑話小題 〜『悼む人』が良かった! ー?
2015年02月22日(日)
   *  『悼む人』が良かった ー?
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
 8人兄姉の末っ子に生まれ、両親に溺愛され?育ったことが、
私の人生の最大の恩恵である。それにも+−の両面がある。
小中学校の同級生を思い出すと、既に亡くなったが、義母に憎まれ
育った子や、戦災孤児寺男のような生活環境で育った子もいた。
5〜6坪の居酒屋の2Fの4畳半の屋根裏に母と二人住んでいた子も。
家庭環境の格差は大きな問題。人生は不条理で覆われている。
 家内も私も両親に溺愛されて育ったが、愛情を受けることには慣れては
いるが、逆に愛することが苦手。これも大問題で、最大の欠点になる。 
 創業を志したことで、感情を抑えてきたことが、果たして正しかったか。
それが現在の私の中(自己対話)での最大のテーマになっている。
 45年、無我夢中で取組んできたことが果たして正しいことだったか? 
後悔は少ない?が、無我夢中で生きていたことは確かに憶えている!
『 誰に愛され、誰を愛したか。何を感謝されたか。』の問いが、突き刺さる。
 高度成長期の20歳で創業を決意したとき、
 ‘結果はどうであれ、やらない後悔より、やってみた後悔’の道を選んだ。
撤収を決意した時、何の躊躇いもなく行動に移せたのは、出始めに、
失敗への受容の覚悟をしていたことがある。 創業とは、
『 誰かに恨まれ、誰を憎んだか。 そこで何を失ってきたか。 しかし、
  確かに、全身全霊で生きていたことだけは私が憶えています。』である。
その結果、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と受け止めるだけ。
中原中也‘帰郷’の一節「 ああ おまえはなにをして来たのだと…
吹き来る風が私に云う」が、心の底から私に語りかけてくる。
その答えは、「面白かった! ただ面白かった ひたすら面白かった」
 何か辞世の言葉のような、自分への悼みの言葉になるが。
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4727,閑話小題 ー「受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり〜」
2014年02月22日(土)  <プレミアムアーカイブ 2/19(水)9:00〜11:05 >
   * 受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり  
 最近の日常生活に、午前中のNHK・BSの過去の名作番組を見ることが多い。
これが未知の世界を垣間みることができ、下手な読書より遥かに良いことに
気づいた。 今回は7年前の番組。 ーその番組内容によるとー
《400年の歴史を持つ京都の老舗料亭「瓢亭」が、転機を迎えようとしている。
 14代目主人で日本料理を代表する重鎮・高橋英一から、15代目となる息子・
 義弘への代替わりである。 挑戦することで新鮮な魅力を生み出し続けてきた
 京料理の魅力の神髄を、新しい和食を捉えようと格闘する15代目と、彼を
 励まし育てていく周りの老舗料亭の主たちの姿を通して描き、
 京都の伝統文化の奥行きと幅の広さを浮かび上がらせる》
▽「京都の老舗料亭の代替わり」となれば、静かな寝室で二時間かけジックリ、
 その世界に入ってみた。京都の歴史が作りあげてきた独特の京料理の世界は、
 奥行が深い。ライバル店の主が競合店の調理場に、平気で入って、料理場の
 様子をみる。お互いにフリーの長年の京都独特の慣習という。また、先代が
 亡くなった場合、その知りあいが、他店の後継者の面倒をみる。
 京料理の世界が共同体のようになっている。また100店以上の料理店が
 互いに腕前を競い合う展示会が年一回は開かれ、それぞれ新商品を展示する。
 これぞ京都の古くからの原風景の世界が映し出されていた。
   * 記憶のモザイク
 以前行った旅行先の写真をネットで探し、気に入った何枚かをファイルに
入れ、改めて見ていると、タイムスリップをしたように、当時の光景が蘇る。 
その先が異郷・秘境のため、強力に脳に焼きつき残っているが、撮ってある
写真は、さほど良くない上に、記憶が年々薄れていく。しかし、その時の感動を
思い出しながら、画像検索にキーワードを入れると、忘れていた記憶が鮮明に
戻ってくる。その写真が磁石の役割を果たしてくれる。情報機器の進化が、
同じような体験をしてきた人たちの画像がネット上に溢れ、次々と新鮮な
それぞれの瞬間が現れ出てくる。現地で実際に見ていた光景が、きめ細かく、
広範囲に、新たに追体験が可能になる。例えば長岡花火のフェニックス。
自分が撮った写真よりネット上の写真の方が遥かに臨場感がある。
パンプローナ牛追い祭り」や、「リオのカーニバル」のなどの熱狂は、
現場に実地に行かないと味わえない。しかし、当時の感動を思い浮かべながら、
検索で現れ出てきた写真を見ていると、当時と同じような追体験が可能である
当時の朧げながらの記憶も、ネット上の写真から生々しい記憶に置き換える
ことができる。 ケニアの丘で見た夕景。そこに足の骨折で取り残されたヌーが
印象に残っている。いつ獣に襲われるかもしれない恐怖で立ちすくんでいる姿が、
痛々しいが、何とも美しい。それらの記憶が脳の染み込んでいるためか、
ネット上のアフリカの夕景が違って見えてくる。

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4360, 閑話小題 ー久々の百均ショップ
2013年02月22日(金)
  * 久々の百均ショップ
仏壇用のライターと、チャックが壊れたのため、衣服用の両面マジックテープ
を探しに『百円ショップ』にいってきた。半年ぶりである。「日本の主婦は世界で
一番、頭が良い」というテーマのTV番組があった。 百均ショップの商品を、
材料にし、組み合わせて新たなインテリアを作ることを趣味にしていた主婦を
紹介していた。恐らくネット世界で情報が流れているのだろう。私の周りには、
この数年来、買い集めた百均の小物が100はくだらない。100円だから
欲しくなるものは数多ある。以前、針に糸を通す道具があれば、と思っていた。
子供の頃、市場で針通しの小物を売っていたのを見たことがあった。
で、探すとあった。極細の針金が二つ折りになっていて、それを針の間に入れて、
出た先で糸が通る位の空間ができ、そこから引き出すことで糸を通すというもの。
成るほどである。 家内が目が悪いので、ボタンの縫いつけや、ほつれ等は
私がすることが多い。これも慣れると面白い。あとiPadのスタンドがあった。
ネットで買ったものがあるが、かさ張る。 単行本用の書見台にも使えるので
衝動買いをしたが、実際使ってみてなかなか良い。30分、5百円の
ディズニーランドと思えば良い。で、要らない物が、溢れかえっている。
   * 久々の夢の中の母
 最近あまり母親の夢をみてなかったが、一昨日の朝方、母が出てきた。
それもリアルに。ふと眠りから覚めると、居間の炬燵で母が隣に寝ていた。
夜半に私も転寝をしていて、母親に声をかけた。80歳代半ばの年令で、夢では
呆けてはなかった。夢は現実との境が無くなっている。毎晩、寝ている場所が
母親が寝ていた同じ位置にあるためである。末っ子ということもあり両親から
特別愛され育った。また、その後姿から多くのことを学んだ。父親の死亡年齢に、
あと4年足らずになった。本当に良い両親に恵まれて良かったと年齢を重ねる
たび思いが深まる。父親との差はあまりに大きい。両親とも、常に何かテーマを
見つけて追い求める人だった。意識として両親から出発して、最期は、
そこに戻っていくのか。
・・・・・・
3985, 生保に入るバカ、入らないバカ ー2
2012年02月22日(水)
 生命保険は生命を賭け対象にした博打。保険屋が騙すのも悪いが、騙される
のも問題。確率論を背景に不安心情につけこんだ悪質?商法が生保の本質。 
彼らは必要悪と嘯くが、それも程度の問題。 欧米の二倍の9割の世帯が、
3倍〜8倍の額の契約、というと10倍以上の額を生保に支払っている異常さに
誰も気づいていない。 国家予算と同額が生保の餌食とは、日本沈没も当然。
愚かさという点では、他人にいえた柄でないが・・ 私が生命保険嫌いのため、
家内は、こっそりと家内名義の給料の全額を40年近く預金をしていたことを、
後で知った。ある意味、それが正解。死ななかったこともあるが、塵も積もれば山。
それが現在の命綱になっているが、それを生命保険に注ぎ込んでいたら、数分の一
も手元に残っていなかったはず。その辺の詳しい内容は、≪生命保険のカラク
(文春新書)  岩瀬 大輔 (著)≫に詳しく書いてある。 その一部を抜粋する
【▼ この仕事を始めてわかったのだが、生命保険を理解できていない人は、
  決して少数派ではない。ビジネスパーソンも主婦も、若者も年配の方も、
 そして金融のプロでさえ、同じく生保の仕組みについては理解できてない(p.70)
* 多くが巧妙に近づいてくる女性セールスとの「付き合い」で契約し、
 「月々いくら」という状況で気楽に契約しているが、1,500万円近い商品に
 関して理解していない。
 ▼ 日本の生保業界の現状といえば、専属のセールスの人海作戦のネットを
  張り巡らせがビジネスモデルのために、組織として高収益の保障性の商品を
 販売してきた(p.43)
 ▼ 生保業界では長きにわたり、「顧客のニーズに合った商品は何か」でなく、
 「既存の販売組織を維持するために必要な商品は何か」という観点から、
 高収益を確保できる商品開発がおこなわれてきた。(p.46)
 ▼ 売り手である保険会社と買い手である国民との間に、大きな情報格差
 あることを前提とした既存のビジネスモデル(p.189)
 ▼ 生命保険商品の3つの機能(p.81) 
  1. いざというとき、残された家族のための所得保障→遺族保障(死亡保障)
  2. 病気・ケガによる入院・手術のための保障→医療保障  
  3. 将来に備えるため→生存保障(貯蓄・年金) 】
* 家庭の大黒柱が死んでも生活に支障のないのに保険に入る人をバカという。 
 それを積立にしたほうが、二倍も得になる。その本質は「弱者救済を建前とした
 タカリの類」で、貧困ビジネスそのもの。豊かな人は、そんな不安は本来、
 全くないのと、保険のいかがわしさの情報を持っている。いずれにしても
 情報格差で搾取を業にしていることは事実。千五百万の買物の中身はカス。
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3620, ちょいとした 小話
2011年02月22日(火)
  経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。
 イギリス人: 「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」
 ドイツ人 : 「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」
 フランス人: 「その定理をフランス語で言ってください」
 日本人  : 「あなたの先生は有名ですか?」
   ――
 ・賢い男 + 賢い女   = ロマンス  ・賢い男 + アホな女  = 妊娠
 ・アホな男 + 賢い女  = 不倫    ・アホな男 + アホな女 = 結婚
 ・賢い上司+賢い部下=業績順調・賢い上司+アホな部下 =余剰人員即削減
 ・アホな上司+賢い部下=能力主義昇進・アホな上司+アホな部下=長時間残業
 ――
  なんでもゲームにしてしまう夫婦がいた。何事につけ勝負を競い、
たがいに掛けあうのだ。その結果、夫は常に欲求不満だった。というのも、
結婚して以来彼は妻に一度も勝つことができなかったからだ。だが夫は自分が
負ける心配のないゲームを思いついた。子供の頃よくやったオシッコ飛ばしだ。
壁に向かって、どちらが高くまで飛ばせるかというあのゲーム。
構造上からいって、自分が勝つことは確実だった。「さあ、ごらん」彼が言った。
「あの壁に向かってオシッコをするんだ。高くまで飛ばしたほうが勝ちだ」
「分ったわ。面白いゲームね。私に先にやらせて」妻は足を広げ、スカートを
まくりあげて狙いをつけた。壁の約二十cmの高さの所に彼女の痕がしるされた。
「よし」男が言った「今度は俺の番だ」彼がジッパーを引き下ろし、モノを取り
出して準備を整えたとたん妻が声をかけた。「待って。手を使うのはナシよ」
 ・・・・・・・
3255, 「都市主義」の限界  −1
2010年02月22日(月)
  「都市主義」の限界 養老 孟司 著    〜読書日記
 ーまずは、概要となるポイントの文章を書き出してみたー
*仮想社会とは、ネットやTVなどのバーチャルなものではなく、我々の脳内に
 作られた社会(=都市)であり、脳による判断のみで社会を構築していくこと
 への恐怖が伝わってくる。「戦後社会の変革を、私は『都市化』と定義してきた。
・・ 戦後の日本がいかに都市化されたか、それがいかに行き過ぎたか、それは
 もはや歴然としている」 『都市化』を脳化ともいう。 都市の全ての物は
 脳が作り出した意識の産物であり、それと対局にあるのが都市生活者が全く
 意識の及ばなくなった自然である。 日本もヨーロッパもアメリカもその状態
 にあり、現代社会に起きるありとあらゆる問題はそのことに帰結するという。 
 少子化に決定的な解決がないのは、子供は「自然」である、と著者は主張。 
 自然は都会で排除されるものである(子供も然り)という。また、都市で起こる
(悪い)ことはすべて「他人の所為」という視点があるからだ。
文化大革命では「批林批孔」を行っていた。このとき、中国の二大思潮は
 儒教老荘思想であり、「文化大革命老荘思想」「中国旧体制=儒教
 なのだとおぼろげに感じた。「都市主義」対「田舎主義」として、儒教老荘
 思想、文化大革命も説明している。
*日本で学園紛争がおきたが、同時に中国では文化大革命が、フランスでも
「ラテン区」の騒動がおきている。これらの学生の動きが世界で同時におきた
 のはなぜか? それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定する。
 都会化するためにはエネルギー供給が不可欠である。そのころ石油が安価に
 供給できる体制が整ったことにより、世界中で都市化が急速に進展した。
*急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だった。 
 当時の運動は、反体制を標榜した。 体制」とは、「人間が意識的に作り
 出したもの」である。しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずっており、
 大学は「封建的」で「田舎」的。当時の若者は「都会」的であることを志向
 して「田舎」的である大学に反発、同時に彼らは「都会」主義に反発もして、
 文化大革命の「田舎」主義にも共鳴した。
▼ なかなか、面白い切り口である。多くの国ではの人口の三分二が大都会の
 周辺に住んでおり、その半分〜三分の一が首都圏に住む。東京都民の増加が
止まらないで、何時の間にか1300万人を超えてしまった。首都圏には大よそ
三分一が住んでいる。彼等は、異常な位にそれ以外に住む人を「田舎もの」
と差別。 自分たちは文明の最先端で文化的な生活をしている。
 彼方此方で催事があり、それに触れる機会が多いのは事実だが、不自然な
生活環境である。 「都会人が優位という感情が、目くそ鼻くそを笑うレベル
でないことは学生時代から認識をしていた。そこで産まれ育った人の固定観念
想像を絶したことを知った。機能を優先させて不自然な環境に住んでいることが
自覚できない。偶然に、下記の同月同日の上海のターミナルの文章が間接的だが、
同じ問題を提起している。    ー つづく
・・・・・・・
2880,上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)
 19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、中国の出稼ぎ
労働者の現状を生々しく追ったもの。ーその部分NHKのHPの番組紹介からコピー
《 再訪・上海バスターミナル 〜不況下の帰省ラッシュ〜 》
 中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。
NHKが2年前に取材した、好景気に沸く上海の長距離バスターミナルは、春節
直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。人々は貧しいながらも
明日への期待を膨らませていた。しかし今年のバスターミナルは、打って変わり
閑散としていた。世界経済危機の荒波を被り、出稼者の多くが仕事や生活の基盤
を根こそぎ奪われ、すでに帰郷していたのだ。それでも大晦日のターミナルには、
追いつめられながらも故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の姿があった。
バス代を工面するのがせいいっぱいで、土産も買えず身一つで帰省する農民工
給料が支払われず、妻子だけを帰省させて一人上海に残る工員。故郷に残した
我が子に会いたくて、リストラされた夫の反対を振り切って来た母親。
(字数の関係でカット2012年02月22日) 
・・・・・・・
2008年02月22日(金)
2515,  iMacの感想! −2              オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
 Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、
事務所に二台、自宅も含めて9台を導入した。とにかく画面が綺麗なことと大きい
ことでパソコン環境が一変した。そのキッカケが年に数回事務所に訪ねてくる知人が
三年前のパソコンを見て「そんな古いパソコンを使っているのは如何なものか?」
といわれたことである。何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシ
カメラ」に、パソコンを見に行ったところ、最新のオールインワンの「iMac」
を見て気に入り、即座に事務所に一台入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較を
してみて驚いてしまった。   (字数の関係でカット2010年02月22日)