2004年12月15日(水)
1352, 23歳の日記ー6
6月17日 (2)

今日は休日である。 何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。
何か日ごとに、会社に染まりつつある。それ自体悪いことでないが。流されている自分が不安である。 
自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている姿とどこが違うというのだろう。
その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。 それが行動にチグハグが出ているのだ。
流されているという感じも、そのためだ。自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。
歩むことしか、今は許されないのだ。 休むことも必要だ。
といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。
登っていることはそれでよいが、しかし断念はしてはならない。

頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくてはならないのだ。
しかし、登山には登山の準備が必要である。一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。
現在目指す山は『商道で力をつけることだ』流通業で、自分の創造力をつけることだ。
しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、不安と疑問を持ち始めているのだ。
このこと自体ナンセンスなのではないか?という疑問である。
5月病でしかないのか。自らが燃えないで、どうして光をつくることが
できようか。そのエネルギーがこの程度ということか? どうしたのだろうか?

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7月16日 1969年
 22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。
四日市検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、やっと慣れたら、2日後に急遽転勤の辞令。
実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが合併の先頭の交流の為に神戸や大阪や姫路などに転勤である。
まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。昨夜は当直、その為か今日の午前中は肉体的極限状態。
聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。
店の女性を仕切っている大ボスである。まず彼女を自分の監督下におかないと。乗りこえなくてはならない女の壁だ。

四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。ボロが出る直前だったからだ。そのため、良い思い出だけが残った。
特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、名前は忘れたが エッチャン、伊藤さん、それに梅村さんだ。
四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は忘れることができない。
ところで今日、アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。
それにしても、凄いところにきたものだ。寮が、四日市で同室であった堀田君が一緒というのが救いである。
丁度良い相手が同室になって良かったが、寮生と店の人たちは、まだまだ、心を開いてはくれないが、
彼らも様子見というところだろう。

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