つれづれに

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今日のYoutube

 クリスマスや、年末年始など、一つのイベントから
 私生活の断面を覗きみる自分を見るのも面白い。

 学生時代の終盤から、社会に飛び出した直後に書いてあった、
 日記も、全く違った己の姿が垣間見れるのも良い。第三者
 面白くもなんともないだろうが…
 「生きるとは、日々を味わうこと」と、つくづく思い知る。




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・・・・・・

5763,閑話小題 ~クリスマスからみえてくる当時の私
2016年12月25日(日)

  * 今日は2016年の、クリスマスですか
 クリスマスとはいえ、別にケーキを買うでなし、鳥の骨付きモモ肉を
食べるぐらい。それでもパソコン画面に、クリスマスツリーを貼り付け、
少しは、その気分を味わっている。ハロウィンに、そのお株を半分以上、
取られたような? 楽しみ方にも皆んなで楽しむのと、二人で楽しむのと、
独りで楽しむのがある。ハロウィンは皆で楽しむ傾向が強いが、クリスマスは
独りでも、二人でも、皆でも楽しめる。終われば直ぐに年末年始がやってくる。、
 HP内検索に『クリスマス』を入れると、以下の内容があった。
その時々の自分の世界が現れ出てくる。昨日、録画で『時間について』に
ついての哲学的論証について聞いたが、『それぞれの時間は、それぞれに
独立して生き続ける』というが、過去文を読み返す度、それを実感する。
そのためにも、兎にも角にも、書き残さないと… 書く秘儀が、そこにある。
 クリスマス、年末年始のイベントを背景に、忘却の彼方の中の自分が
現れてくる。そこには無垢だが、チャンと息をしている自分が存在している。
――
2014/12/25
つれづれに ~書き尽くしてきた過去
  * 書いてあった、過ってのクリスマス
 昨日のイブ、TVで過っての思い出深い話を聞く街頭インタビューを
していた。そこで、この24、25日分の、この随想日記をみると、よく書いて
きたと自分でも驚いている。しかし、少年期のイブの思い出は、書いてなかった。
≪ 幼稚園から小学校低学年の頃、我家でも、クリスマスにツリーを飾っていた。
 二番目の姉が、率先してツリーに色々な飾りをしていた。私と共にい近くの店に、
星、サンタや動物の人形、点灯などを買いにいき心トキメキながら飾り付けるのが、 
一番の楽しみだった。そして、翌朝には、贈物が、枕元に置いてあった。
 クリスマスソングが流れ出すと、あの頃の、あのツリーと生活を思い出す。
レジャーの少なかった当時、クリスマスと年末年始は、大きなイベントだった。
10歳まで住んでいた繁華街の真只中の4F商業ビルの3階の住居、刺激的で、
激しくて、今から考えてみると、小説の世界。ある規模以上になったら、職住を
別にしないと、家族崩壊まで、追いやられる危険が増大していく。 そこに家族が
住んでいたのは、8年間。引越し先は、駅裏の、店から歩いて10分ほどのところ。
 ところで、過去のクリスマスを読み返してみると、20歳代のブルークリスマス
記憶に残っている。そうこう考えると、人生の花は、20歳代の青年期と、10歳まで
住んでいた店の3階に住んでいた頃、ということ。クリスマスという切口で振り
返っても、結構、面白いことが多くあった。書き残すことは、人生の秘儀である。
 今日は、ステーキランチでもいってみますか。
――
2003/12/22
992, クリスマス ー1
 
クリスマスといえば色いろ思い出がある。子供の頃ツリーを買ってきて、
電飾を姉たちと作った時のトキメキをクリスマスソングを聞くと思い出す。

パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドヘルシンキのクリスマスイブを何とも言えない
神聖な思い出であった。街全体が張り詰めた独特の雰囲気に包まれていた。
日本の年越しに似ている。会社でスペインに行ったときの帰路に立ち寄った。

最近は不景気のせいか、あまりデコレーションスケーキの派手な販売は
殆ど見られなくなってしまった。

昨日ダイエー光ファイバーで出来たツリーを買ってきた。
ふとレジの横を見ると半額セールで1500円。
糸状の先に小さな光が点滅する幻想的なものであった。
家で飾ったところ思ったよりずっと良かった。
ミニサンタなどと供にクリスマスの雰囲気がでてきた。

~ネットでクリスマスと検索したら、
 以下の内容が印象的であった。

 ークリスマスを楽しむ24の方法ー
クリスマス・グランデからちいさな提案です。
01: 指折り数えて待つ。
   待つことで見えてくるものがあるはず。
02: 書を捨てよ、街へ出よ。
   参考書はなし。肌で感じることからはじめましょう。
03: 毎年、を持つ。
   プレートでもカードでも。積み重ねる月日の上にあなたがいます。
04: 手紙を書いてみる。
   言うは易し書くは難し…僕は手紙というものが苦手です(^^;
05: 今年あったいいことを書き出す。
   たぶん、今年会ったいい人のリストに?
06: 三年後に残したいものは何か?
   三日後でも百年後でもなく、三年後を考えてみてください。
07: 「特別な日」にしない。
   これは基本ですね?
08: ご近所をみなおす。
   300m四方にも輝きがあふれています。
09: 腕によりをかける。
   いつもの食卓の方がいいに決まってる!
10: 想像はパワー。
   サンタさんの12/26を想像できますか?
   (Yesと答えた人、人類はまだいける)
11: 庭木を飾ってみる。
   ベランダの鉢でも街路樹でもいい。最近、木と話してます?
12: 去年と違うところはどこか?
   それは良い変化ですか?
13: 背伸びをしない。
   精いっぱい背伸びをしたら、人は自分の丈に戻る。
14: 昔読んだ本を読み返してみる。
   自分のパワーを感じるひととき。
15: ラッピングは気合!
   ご自分でやる。ぶさいくでもええやないですか!
16: 街でいちばんの場所をさがせ!
   意外と悩むはず。あなたの大切な人はどこを選ぶでしょう?
17: 目を閉じてとなえる。
   何をとなえるかはおまかせします。
18: あわてず、あせらず。
   (ハーイヤ、イ-ヤサッサ!)
19: 手作りを、ひとつ。
   できればパンなんかがよいのですが・・・
20: あなたがお父様より勝ってるところは?
   僕の場合、まだありませんが(^^;
21: ちいさな自然に会う。
   身近な地球と話せる人はおおきい。
22: 鏡と仲良くする。
   恥ずかしがらずに笑顔の訓練をしてますか?
23: 誰かのサンタをめざす。
   僕にもなれるでしょうか?
24: 感謝する。
   (ここまで読んでくださったあなたに!)
  -メリークリスマス!
  -------------------
 
 何かブルークリスマス用の楽しみ方みたいだが、
それでも、楽しむことは良い!
最近は何でも意識的に楽しむことにしている。

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2003/12/25
995, クリスマス -2

 昨日は学生時代のクリスマスイブの日を書き写したが、
その[一年後のクリスマスの日]を記憶の中から引き出してみる。
 ジャスコオカダヤに入社して四日市本店に勤務、そこから合併先の
ジャスコフタギの「神戸垂水店」に転勤になり、半年経っていた。
会社は幹部候補生を即戦力にする為に、店と売り場の高速配転をしていた。
2ヶ月もして慣れると、即配転である。四日市、神戸、桑名等。
5番目の売り場では、関西では初めての靴部門の立ち上げの責任者に
取立てられていた。それにしても、あまりにも過酷であった。

 当時のスーパーは、まだ得体の知れない新参の危うい小売屋でしかなかった。
濁流に放り込まれて、毎日が濁り水の中を溺れながら押し流されている
日々だった。現在考えても、よくぞあの濁流に飛び込んだものだと思う。
それだけ当時の流通は暗黒の世界であった。
いや今もそうだが。

 話はそれたが、クリスマスは食堂でささやかなクリスマスパーテーを
やったような記憶があるが、確かかどうかはハッキリしてない。
その後に会社仲間と寿司屋で酒を飲んでいたような記憶があるが、
これも如何であろうか。女性とは一緒ではなかったようだ。
そうなら何処かで記憶が残っているだろう。
クリスマスなどと浮世のことなど考えられない状態であった。
それにしても、あまりに異常の世界であった。
合併というのは、信じられないほど現場の摩擦がある。
その先兵は如何立場かという知識は全く無かった。
 先ほど書いたように、流通業は当時は濁流そのものであった。
信じられないような光景が色いろあった。

 ところで、その年の年越しを思い出した。
宿直で、年越しを床屋で髪を刈っていた。
当時の関西は、年越しは床屋が深夜まで営業をしていた。
それまでの年越しは全て実家で両親と供に年を越していた。

 刺激が強すぎた日々でも、芯には染まらないのが私の特性である。
これは武澤ゼミのお陰であるし、また欠点かもしれない。
また創業という目的があったためである。

「クリスマス」や「年越し」という視点で、過去を切り取ってみると
色いろのことが記憶の底から湧き出てくる。
 
   メリークリスマス!
~~
インターネットでクリスマスと検索したら、
以下の内容が印象的であった。

――
2007/02/18
2147, 白い雲に乗って ー2
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪

 先日のつづきの夢をみた。
半分は覚醒をしていたのかもしれない。
前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。
如何いうことなのだろうか?
それは57年前の世界そのものであった。
その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある
塀の上での微妙な世界に立っているようだ。    
ーー
 白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。
そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。
面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。
恐らく入れるだろうと思った。
 家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの同じ
くらいの友達のところに行った。最近できた大きなビルのところの子。
何か遊んでいると楽しい!

 その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。
手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、お母さんが
「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはず・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。

 クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの
飾りを買いに二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。
ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。
小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、他の姉たちと飾りつけた。
ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
 あれは誰だろう?
翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
 突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は!
白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。
 目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった。
               (o ・д・)ツ  バイ!
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・・・・・・
ある時間の断片
12月24日 火曜日 1968年

9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。千葉の姉の西村、小林
さんの所にクリスマスプレゼントを届けるように頼まれる。16時に
部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。その足で独りで
銀座に行ってみる。銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。
人の数は思ったより少ないようであった。
市川さんの部屋ですき焼きパーテーをしていた。
相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男だ。
少し休んで、新宿に出る。23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。自分のお客に
案内するのに丁度よいという。明日の飲み代は全て自分が持つという。

ーーーー
1968年
12月25日

11時に起床。
午後本を読んだり、食事をして過ごす。
夕方、米林が帰省をしていく。
夕食後、会社の論文の構想を色いろ書いてみる。
21時に、市川さんの友人等5人を引き連れて赤坂に行く。
いざ中に入ろうとすると、誰も物怖じをして入ろうとしない。
ここまできて何だろうと強引に入れようとするが3人が逃走する。
やっとのこと市川さんと、あと一人を入れる。
入って、踊りだせば後は狂ったように踊りだした。
24時に帰寮。
変な学生時代最後のクリスマスであった。
来年はどんなクリスマスを過ごしているだろうか。

ー2003年12月24日記
その一年後のクリスマスは、ジャスコに勤めて四日市から神戸にになっていた。
神戸の垂水という街であった。凄い世界であった。転勤直後に瀬戸物の叩き売り
をやらされたり、店舗の大改築の真っ只中にいた。クリスマスの日は、おぼろげ
な記憶だが寿司屋で仲間内で飲んでいた思い出がある。神戸の場末のストリップ
小屋に、現地の店の先輩に連れて行かれたりしていた。興味より気持ちが悪い
というのが実感であった。その時は、もう靴屋ー靴部門の責任者であった。
僅か八ッヶ月である。まだ憶えているのが、年越しに宿直で年越し時間に床屋に
居たことだ。何か侘しい寂しい時間の中にいた。何が流通革命だ!というのが、
実感であった。いま考えてみると、半分正しく半分は純粋になれなかったのだろう。