つれづれに

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今日のYOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=DWsN63PRCW8


 今日、衆院選だが、既に勝負はついたようだ。
これで民主党は、壊滅状態。 鳩山は引退、小沢は一派を引きつれ抜け駆けをして
未来の党とかいうのをつくったが、惨敗間違いない。 元社会党系の管前首相も落選の危機。
自民党の圧勝は間違いないみたいである。これに公明と、維新の党で後ろを固めて新憲法
つくればよい。 それと同時に、弱者救済のスタンスが、弱肉強食に一変するはずだから、
地方と中小・零細企業は大ごとになる。 自民党圧勝で良いではないか、この際。



 ー 明日の随想日記の下書き ー
閑話小題 ー選挙結果の政治談議
    * 選挙結果が出た
 選挙結果が粗方の予想通りになった。小選挙区制度では、こんなものだろう。
これで日本も右傾化の体制で、この難局に立ち向かうことになる。
北朝鮮のミサイル発射も日本の右傾化を進める結果となったが、中国の狙いが日本の右傾化を
進めて、逆に挑発する狙いがある仮説を立てておくべきである。それだけ、甘く見られているのか。
 しかし、これでガッラと空気が変わるはず。自民党は、民主党の弱者救済のスタンスから、
弱肉強食へ大きく舵をきるはず。グローバル化の中では仕方がないと割り切るしかないのか。
ここで来年三月の金融円滑法の打ち切りが問題になってきている。
自民党が果たして、打ち切りが出来るだろうか? 
地元の高校の同級生が3人立て続けて、倒産、不祥事、自殺が発生した。
これも、「地方は既に恐慌が始まっている」という私の説の現象化でもある。
ある意味、ここで政策の大転換が必要な時節もあり、小選挙区制も悪くはないとするか。
 ー 後は今夜の選挙結果を見て、明朝、書くが、
  1929年の恐慌以来、第二次大戦に突進んだ、80年前に、様相が酷似してきた。
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1352, 23歳の日記ー6
2004年12月15日(水)
6月17日 (2)

今日は休日である。何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。
何か日ごとに、会社に染まりつつある。それ自体悪いことでないが。
流されている自分が不安である。自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている
姿とどこが違うというのだろう。その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。
それが行動にチグハグが出ているのだ。流されているという感じも、そのためだろう。
自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されないのだ。
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。
登っていることはそれでよいが、しかし断念はしてはならない。
頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくては
ならないのだ。しかし、登山には登山の準備が必要である。
一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。現在目指す山は『商道で力をつけることだ』
流通業で、自分の創造力をつけることだ。
しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、不安と疑問を持ち始めているのだ。
このこと自体ナンセンスなのではないか?という疑問である。
5月病でしかないのか。自らが燃えないで、どうして光をつくることが
できようか。そのエネルギーがこの程度ということか?どうしたのだろうか?

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7月16日  1969年
    22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。
四日市検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、やっと慣れたら、
2日後に急遽転勤の辞令である。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが
合併の先頭として、交流の為に神戸や大阪や姫路などに転勤である。
まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。
昨夜は当直、その為か今日の午前中は肉体的極限状態であった。
聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。
店の女性を仕切っている大ボスである。まず彼女を自分の監督下におかないと。
乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのためか、良い思い出だけが残った。
特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、名前は忘れたがエッチャン、伊藤さん、
それに梅村さんだ。それも、四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は
忘れることができない。ところで今日、アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。
歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。
それにしても、凄いところにきたものだ。寮が、四日市で同室であった堀田君が
一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、寮生と店の人たちは、
まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。

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2003年12月15日(月)
985, アパについて
 先日の夜のワイドショーにアパホテルの女社長がTVで出ていた。
アパ・マンションの社長婦人で、ホテルを任されている人だ。
ホテルにしても、会社の奥さんがTVのワイドショーに出てきた時は大体が末期の時である。
落ちとして、最後には「わが社のマンションを買ってくれ」とのコマーシャルで終わった。
 このマンションを請け負った大手ゼネコンの営業部長が「あそこのマンションだけは
買わないほうがよい。10年もしないうちにボロボロになるのは必定の設備である」と言うのだから、
これだけ確かなことはない。
 いつ消滅するかどうか分らないマンション分譲メーカーの長期物件を買う人の無知に大問題がある。
無恥を曝け出してTV出演をしてサクセスストーリーを得々と話している姿をみると、こちらまで
恥ずかしくなってくる。そもそもマンションを買うのは、やめておいた方がよい。
理由は20年~30年経ったマンションをみればよい。ほぼゴミ屑同然である。
それすら分らない相手を騙すのだから凄い。
 アパ・マンションに対しては、
・光の部分をみると、「三こう」がコンセプトに入っている
 -高(高感覚ー若い人の感覚に合っている)
 ー広(広い面積)
 ー好(値段が見た目から安く好感が持てる)
 これは、今までなかったマンションで若者に支持を受けている。
・影の部分は
 10年、20年経ったときのことはほとんど考えてない?
 ー目に見えない部分の設備などは徹底的のコストカットしてある。
 水漏れなど、時間が経つとトラブルが続出する。
 精神衛生上、マンションは問題になることが多い。
 確かに、メンテや防犯的には合理的に見えるが、
日本におけるマンションの歴史が浅いのが致命的な欠陥である。

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2002年12月15日(日)
611,ある時間の断片-25
 1968年 10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。人事管理で討論をやる。
我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。
その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。
大学の近くにある。寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。
それぞれあるのだろう。欧州旅行の仲間の会を日曜日に開くことにする。
そこで連絡の打ち合わせをする。
茶店のジョーイに行く。そこで川村の鈍行というグループが集まっている。
石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。田島は個性豊かな人間だ。
私の顔がユニークだという。貶しているのか、褒めているのか。
お前に言われたくないとも言えなし。13時から武澤ゼミに参加。
指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいかまるでついて
いけない状態だった。つくづくいやになる。
ゼミ終了後、高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。
2軒回った後に、所属している合気道会の主催の「素晴らしき飛行機野郎」を
タッカーホールに見に行く。21時半に寮に帰ってくる。
新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。
別れようが別れまいがどうでもよいだろう。23時に就寝。
ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。もっと本を集中して読まないと。批判にしても
プラスマイナスを明確に把握しないと。その為には、本を4~5回は読まないと。
       10月26日 土曜日
朝10時起床。
午後は卒論や音楽を聞いて過ごす。
22時から、先輩の河路さんのオーストリアへ留学の送別会だ。彼らの仲間のOBが主体でやる。
全く彼等とは上手くいかない。私の吊るし上げに近い状態だった。もう少し寮の先輩を
大事にしろと言っているようだ。彼等の目で見たらそうかもしれないが、如何しろというのだ。
自分の世界に一人割り切りすぎるというのか。
まとまりのある寮にしろというのは自分が外に行き過ぎていることか。
2次会の終了後、市川さんと飲みに行く。自棄酒で夜半の2時に帰ってくる。
市川さんが気の毒と思ってくれたのか奢ってもらった。ぼろぼろだ。

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2001年12月15日(土)
270,本屋と図書館
“私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。
本屋でこの本を自分が買うと決めるその一瞬こそ最も大事なのだ。”
(第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
本屋に行くと何ともいえない緊張感がある。そのせいかもしれない。
自分でリサーチをして、そして決断か、情報万引きー立ち読みか、本当の万引きか、
その雰囲気を楽しむかいろいろあるからだ。
週に二回か、三回行く。その時の時勢が反映しているのが面白い。
最近はネットの「紀伊国屋」や「アマゾン・コム」で、半分以上買うようになった。
桜井氏の考えにも一理あるが、私など是非そのような人物が近くにいたら、
教えてもらいたいと思う。といってやはり自分で苦労して捜してこそ意味があるのも当然の事だ。
本屋とか図書館に神か妖怪がいて、自分が真に求めている所に導いてくれるという。
誰もがその不思議な出会いを経験しているはずだ。
立花隆の「僕はこんな本を読んできたⅠ・Ⅱ」が今の私のガイドブックになっている。
トイレに置いてある。一度座るたび、ダイジェストで一冊の要約を知る事ができる。
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ある時間の断片
12月15日 ー日曜日  1968年
 朝10時に起床。
午後も何となく過ごす。夕方食事に行き、その後独りで本を読む。
その後卒論をまとめてたりして過ごす。
 今朝ゼミの植本君から一昨日の礼状がきていた。その番のうちに礼状を書いて
翌朝速達でよこすとは凄い。それだけ感激したようだ。
しかしこの気持ちが一番大事なことである。
 先日のゼミの私が創作をした内容は実家の商家をモデルにした。
そこでの人間関係を現在の寮の自分の立場に置き換えて話した。
しかし、あまり練ってなかったので、その場でパフォーマンス的につくり
変えたので矛盾点が出たのだ。どうしても表面的な受け答えに なってしまった。
必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。