* 今日、衆院選
 今回の選挙ほど見ている分に興味深い選挙はない。この国難といえる問題山積の中、結果が大きく将来を左右するからだ。
終戦から67年、今だにアメリカに実質に占拠されている状態。この間、国民が借物の民主主義で骨抜きにされてしまった。
この世界的大変動の中で待ったなしで新憲法をつくりかえる時節になった。 明らかに民主党は、この三年間で方向を誤った。
しかし自民党は、それ以前に日本を大きく弱体化させた張本人。 県内の自民党女性候補が何と、「人からコンクリートへ!」
と絶叫していたのを聞き耳を疑った。 彼らに票を与えすぎると地震対策という御題目で、ゼネコンマフィアと組んで、
建設国債を発行させ無制限に公共投資をしてくる。彼らの景気対策は、それしか考えられない。どっちらに転んでも、
救いようがないなら、最後の饗宴をするのも分からないでもない。 ところで、私のスタンスは、
改憲、消費税増税、国会議大幅員削減、原発の現状維持、原爆保持、以上が賛成。インフレ政策反対」である。
今度の投票は人物第二で、家内?ともどもに無党派だが日本維新の党へ投票予定。 石原の傲慢さは好かないが、一番まとも。
     * 今年、買った最大の物は何?
 何気なく、Yahooを見ていると、今日のお題「今年、買った最大の物は何?」という言葉があった。
ハッとして考えてみた。電波歯ブラシと、ジャケット二枚に、ウォーキングシューズ、他に何だろう? 本が数冊。
後はスーパーで酒のツマミと百円ショップで小物以外、心当たりがない。そうそう、電気洗濯機を買え換えた。
これは家庭必需品。私が買った部類に入るのか入らないか。 それよりも去年の春以降、iPad以外、思い当たらない。
何か欲しい!と大体思わなくなったことがある・・ いや、年金生活者は、大体こんなものか。 現在、欲しいのはパソコン。 
だが5年使っているiMac二台が、まだ使える。TV、パソコン、月に数回のシネマ、スポーツジム、月に1〜2度の
飲み会の世界では、こんなもの。ところで家では「ママリッチ、パパプアー」。大きな夫婦間格差が現実。(´;ω;TOHO!
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3917, 精神力ーその偉大な力 ー7
2011年12月16日(金)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
* まず相手を許すこと、そして自分自身を許すこと
◎ ヤコブは聖書に書いている、「汝が乞うても受けないのは、誤り乞うからだ」それを別の訳にすれば、
  「あなたが求めるが受け入れられないのは、間違った求め方をするからだ」ということ。
  「その人を許しなさい。そうすれば天にいます貴方の父、すなわち大生命力は、あなたを許して下さる」
◎ 傷ついた否定的な過去の記憶では、大生命力のエネルギーの自由な流れを妨げる。それを愛と信念をもって
  書き換えねばなりません。「なんびとかに、また、なにものかに反抗して抱く全てのものをゆるせ」といった
  キリストの言葉は、非常に実用的である。
◎ もし彼を許さなかったら、私自身を不愉快な体験に、そしてまた、その人に結びつけておくのです。彼を思うたびに、
  不愉快な体験を繰り返すことになる。もし、私が誰かを傷つけたとして、彼が私を許せば、彼は解放されたことになる。
  その許すということは、彼の側の精神活動です。怒りは憎しみは、恨まれた人より、恨んだ人を傷つけるものです。
  賢い、常識的な考え方は、愛し、理解し、そして許すことです。「神よ、彼に祝福を」とだけ、心の底から言いなさい。
◎ 私たち各自は、毎日、静かに座って自分向かって次のことを言い、それをまじめに務めるがいい。
 「 ・・・ 私たち各自は大きな無限の大生命力の一部であって、大生命力は実在の一部である。その大生命力の中で、
  すべてを生き、動き、そして実在している。これは真理だから、私が行なったあらゆる過ちはについて私自身を許す。
  そして多少とも私を害したあらゆる人を私は許す。許すなら、あらゆる体験から善いことのみが私に来ると知るから。
  私が行なった一つ一つのあやまちは、より大きな理解と、より大きな機会への踏み石だから、過去のあらゆる体験を
  私は祝福する。どんな過去の体験も、今日あるいは未来において私を害さない。私が許されたいよう、私はことごとく許す。」
自己啓発の、このようなセミナーに出席して感化を受け、日常の考え方と、祈りに取り入れたら、心の傷は和らぐだろう。
20歳代半ば、何度も何度も、この本を読んで救われていた。こういう経験があったから、何人かの鬱病の相談にのれたのだろう。
現状でも平然?としていられるのは、自分で見つけ、何度も読んで一人で手当をした経験があるためと、再確認をしている。
数ヶ月前に、地球の芯からの声が聞こえてきたのは、こういう経験があったからである。芯の声は大生命の声、魂の声である。
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3552, 何に出会うかを、成長と呼ぶ
2010年12月16日(木)
  「何に出会うかを、成長と呼ぶ」 ある雑誌の新聞広告にあった言葉である。
 実際に出会った人、著書を通して出会った人、宗教的啓示で触れた何もの。大自然の荘厳な景色から受けた感動、
絵画や音楽を通して感じた作者・作曲家の魂など、出会いそのものが成長になる。マイナーの何ものかの出会いは、マイナー
成長ということか。 その中で、書物を通して崇高な教えや啓示などの出会いは、一番身近で誰もが出会う機会になる。
最近は、ネットやテレビや映画などからも多くの出会いが可能になってきた。長年の風雪の中で、これまで読み継がれてきた
古典には、何かがある。その辺から多くのことを学ぶことも出会いになる。65年間に多くの出会いと別れがあった。
自分が経験してきた蓄積が新たな出会いを呼び込むのである。 最後は自分の「死」の直感という厄介な何に出会うのだろうが。
それも刷り込まれたイメージでしかない。出会いといえば、感動が伴なった経験である。人はどれだけ、感動、感激に
出会えるかで人生の豊かさが決まってくる。 ところで、この出会いに関しては、本当に豊富であった。
その蓄積が、さらなる上質な感動の場面を作り上げてくれる。感動した対象に対し我われは何だろうか?と知りたくなる。
それが、考えるキッカケになる。 もう一つ、出会いの中で、宗教がある。知識を持ってしまった人間は、いずれは
死ぬ運命にあることを身近の人の死を通して知ってしまう。それは二人称の死で自分の死とは違うと分かっていても、
長年かけて、知人の遺体と焼却を目の当たりにすると、二人称の死を一人称の死に重ね合わせてしまう。
 出会いこそ人生であり、生き方が変ってくる。未知との遭遇、無知との遭遇、人生には色いろある。
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3177,デフレス・パイラルの脅威
 2009年12月16日(水)
* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショック津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 
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2812, 今年を振り返る
 2008年12月16日(火)
今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
 ■ 世界をみると
アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
アメリカ大統領選挙で、民主党オバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
 ■ 国内では
金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、
価値のないものから否応無く淘汰される。特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?
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2007年12月16日(日)
 2447, 四四太郎の霊日記 ー12       (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。何時も同じようなことをブツブツ言っているが、違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記          
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王ヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの審査会議などの低?次元の話題や、
最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
字数の関係でカット(2011年12月16日)
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
          −読書日記  岡本 吏郎著   ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。ところが先日図書館で見つけて読んだところ、
  なかなか面白い。ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
  お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺振り込め詐欺
4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが
売る気があるのか」とか。これ、土地の売買のプロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。
字数の関係でカット(2010年12月16日)
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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
 夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。 
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。今後とも彼のような男と
巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。「パブ・エリート」へ飲みに行く。
最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。それだけ見ているだけで楽しい。
その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
 10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。
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2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ〜の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん〜」「そう〜か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。食事をして帰寮するが、
急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。駒村君の部屋に行き、
彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて行こうという話になる。
着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバーに入り飲む。
もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。彼とブーちゃんと尾形君だという。
40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、
そうなら気をつけないと。最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で
生意気そうだったので、少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した
気持ちの余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。