* この結果は、ベストに近い! とみるべきか?
 選挙結果が粗方の予想通りになった。小選挙区制度では、こんなもの。これで超保守体制で難局に立ち向かうことになる。
この選挙は民主党の自滅と、第三局の乱立による共倒れと、尖閣列島などの領土問題や北朝鮮のミサイル発射も日本の右傾化を
進める結果となり、まったく空気が変わる。 民主党の弱者救済のスタンスから、弱肉強食へ大きく舵をきることになる。
グローバル化社会では割り切るしかない。 経済は、今週の株価がどうなるのか? 特に週末にかけての動きが心配である。
まずは来年三月の金融円滑法の打ち切り問題、自民党が果たして打ち切りが出来るだろうか?地元の高校の同級生が3人続け、
倒産、不祥事、自殺が発生した。 これ、「地方は既に恐慌が始まっている」という私の説の身近な現象である。
ここで政策の大転換が必要な時節、この結果も悪くはないと見方も出来る。問題は、自公で三分の二の議席を確保したこと。
参院で法案が否決されても、再び可決出来る。おまけに改憲に反対している公明党と、この夏まで組んで、その後に、
改憲賛成の維新の会に乗り換えれば、それも可能になる。週刊誌などの事前予測の結果に近かったが、まさか60議席
割ることになるとは思っていなかった。 タカ派の安部が、領土問題で中国と真っ向から対峙することになれば、経済に直接、
大きく響いてくる。それと、建設国債の乱発による公共事業の拡大も懸念される。地元の小選挙区では自民党の全勝。
建設業界の笑い声が聞こえてきそうである。 土建王国の宗主だった角栄の娘も、この逆風の中で落選。当然といえば当然。 
政治課題のスタンスは、「消費税増税原発継続、改憲、原爆保持、地方への分権化、賛成。公共事業の依存化、反対!」。
そうこう考えると、最後の公共事業反対以外は、この圧勝は良かった、ということ。分かってはいたが、民主党への拒否反応が、
ここまで大きいとは驚き。 政治談議が多くなったのは、歳のため? 年末まで、株式か国債の暴落がないことを祈るばかり。
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3918, 精神力ーその偉大な力 ー8
2011年12月17日(土)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
【 難題にぶつかり、それを理解し、それを乗り越え、超越するとき、そこから多くの力と知恵を与えられます。
 それにより将来においての他の更に大きな問題に取り組めるのです。世の中には善いもの悪いものもありません。
 ただ私たちが善い悪いと思うだけです。もし問題、難題を一つの機会か励ましの挑戦と見るならば、人生に処する私たちを
弱くしたり無能にしたりすることは、ありえません。‘あらゆる事態はつまずく石か、ぬかるみの中の踏み石’です。
 すべての進歩は、なにかの問題を征服し、なにかの挑戦に戦い抜いた結果です。大生命力は、絶えず励ましの挑戦をしてきます。
 前進を促す体内の威力を見出すと、私たちは成長するのです。もし挑まれなければ成長が出来ません。
  教育さえあればとか、子供の頃の愛情の欠如で、やる気が起きないとかいう人を知っています。しかし、その逆に、
 それをバネとして、その中に善を見つけ強くなった人がいます。「あらゆる逆境は、好機のタネをもつ」といいます。
 あなたの過去の傷は打撃や損失を癒す最も良い方法の一つは、その体験の結果として生涯に起こった善いものの表を作ることです。
ものごとが良くしていくには、体験をいかに反応するかにあります。鹿が足がはやいのは、敵から逃げるために自分の体内の力に
 頼ったからです。 人間は自然界の挑戦を克服するため推理と知性を発揮してきました。 問題を受け入れ、善さを見、ゆるし、
 解放して自由にし、そして前進するか――あるいは怒り、おのれを哀れみ、自分のことだけを思い、みじめに暮らすかです。・・・ 】
  ▼ 先日の新聞記事に「壁を乗り越えようとするな、壁のまわりを動き回れ、そうすれば壁の隙間が見つかる。登ろうとするから、
 登れないと諦めてしまう」というような内容があった。上記の内容に似ている。 20歳で創業を決意し、準備を始め、結果は、
2つの経済震災と東北大震災で、この結果に終わった。が、創業も倒産も廃業も事業のうちである。その創業も、まずは精神である。
計画し、手順に入ると、まず思いもよらない難題が山のように次々と行手を阻んでくる。 初めは、それを嫌々取り組んでいたが、、
慣れてくると、 これこそが踏み台で、難題の中にこそ鍵があることが分かってきて、逆にゲームとして楽しむようになる。
 この難題がゲームの醍醐味と自分に言い聞かせ暗示をかける。 下り坂より上り始めは夢はあるが、厳しい! それも数十倍も。
何だかんだあっても、事業人生は面白い。自分の限界が常に目先に立ち塞がって、自分自身に直面する緊迫感が、である。今もか?
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3553, 「閑話小題」 が一番面白い?
2010年12月17日(金)
 「閑話小題」は書くネタが出尽くして、仕方なくメモがわりに書いた中途半端な文章を小題として、幾つか重ねたもの。 
読者からみたらバレバレと思っていた。 だから、しゃ〜ない「B級品」と割り切っていた。 その半分手抜きの文章が先日、
久々に参加した木鶏クラブの人から何気なく「閑話小題」が一番面白いと言われ、何かの間違いと、再び聞き直したほど。
それでも「その人が、たまたま、そうか?」と半信半疑だった。ところが昨日、ある知人が訪ねて来て「閑話小題」が面白いと、
全く同じことを言った。この10年間、一度も言われたことがない「‘しょうがない’閑話小題」が面白いが偶然にも一週間内に、
たて続きである。 実際、長い文章ほど時間もエネルギーも要する。書くほうからしたら、その分、自己満足する。 
昨日の友人曰く、「それは、あなたの言葉で、身近かなことを実感で書いているのが伝わってくるからよい」という。 
 日々の身近な内容はブログ「バード・ウォッチング」に書きとめていた。要は実感として書いた文章こそ、相手に伝わるのである。
記事とか書物の感想文は、自分の記憶として留めておくためのマトメとして書いている。 さらにいえば一年先、数年先の
自分が読み返し、消化するためのマトメ。 読む方からしたら、それは、それでしかない。しかし小題は書き散らした短文を
マトメタもので要点だけ書いてある。 それなら閑話小題を多くすればよい。書いている方は無我夢中であるが、読んでいる方は、
その無意識の本音を楽しんでいるのである。だから、今さら冷笑も、侮蔑も、「何じゃい、笑うなら笑え、笑われて何ぼじゃ」と、
割り切らないと。 ブログは結局は自慢話?の披瀝になる。読んでいる方は冷静に、その辺が見えている。
息抜きの文章が面白いとうと、もう少し内容に強弱をつけた方が良いということか! 書くテーマが見当たらず、
苦し紛れの「閑話小題」が、逆に、井戸の底から湧き出てくる水の味なのか。 書き、曝すことの恐ろしさと、面白さか。 
ネット・セルフも色いろ考えさせられる。 そこで、閑話小題を遡って調べたら、月に1〜2度しか書いてない。
内容も短くまとめてあり、解りやすく、言われるとおり。 これからは週一ぐらいは「閑話小題」を書くことにする。
 ところで、「ツイッター」も時々書いているんだけど! 少し軽すぎる?
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3178, アメリカは現在、どうなっているのか ー2
2009年12月17日(木)
 * アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを「メイン・ストリート」という。
現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリーや地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。
アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能
しなくなっている。工場労働者だけでなく、高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。
自動車会社のビッグ・スりーは工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイトの失業率は17・7%と
さらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、パートタイムでしか働けない半失業の
状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて
45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。 同州では、高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の
企業の誘致を進めているが、目立った成果は見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで働いており、
週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル以上あったが、
早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に留まらない。
アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
 ▼ アメリカ社会の深刻な問題は貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。その貧者に金融危機が直撃をし、
その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから13・2パーセントへ拡大した。「1人暮らしで100万円、
4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と一年で、250万人も増えたという。医療も、教育現場もガタガタで日本とは
事情が全く違う。あと1〜2年後の地方が、これに近い状態だろう。 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 
それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。
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2813, ビッグスリーの救済は正しいことか?
 2008年12月17日(水)
 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。そこまで賃金を下げるべきという議会の案に組合が反対という。
   (字数制限のためカット09年12月17日)
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2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!     ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に
送信するシステム。365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、
顧客の誰にとっても「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、
機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの記録を販売会社、
顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただただ、驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。         バイバイヽ(*´∀`)ノ
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2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活            (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
 『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫     
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、人間が生きるために必要なものは、
「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は
東洋的である。自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、混沌として複雑化する
世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。 しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、
そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
 ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか
確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。
人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 生きるということはそんなにもたいせつなのだから。
深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。
それがつまらないものであったら、それを身をもって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・ 永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」(上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いた
とおりの人生を生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。
あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも君の生活を愛したまえ。賢人らしく菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。
我われが変わるのである。君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。
ーーーー
2005年12月17日(土)
 1719, 熟年離婚           おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。そのうちの二〜三回しか観ていないが、
 考えさせられる問題であった。 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
   (字数制限のためカット 2010年12月17日)
 ・・・・・・・
2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、
その先々で買ってきた小さな置物人形と、その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。
旅行だけは私としては、金とエネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかといえば旅行経験である。
そうすると旅行経験と、それにともなう写真と人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37〜8年のスパンの、わずかなライフワークである。現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、
初めてで最期の手紙を両親に書いていた。転勤で通帳からお金が引き出せないで、手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、
お金の無心をしていた。母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。「子供の思う心と親心の差」を、
その時おもい知った。両親にとっての宝物?だったのだ。現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。
何せ一日3時間近くのエネルギーが、この文章に時間を入っている。1350×3時間=4千時間の圧縮である。
それと秘境の旅行先で買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋から買ってきた置物だ。
会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。地震で全て壊れても、おそらく惜しくは思わない代物である。
しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。
・・・・・・・・・・
2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
自社のホテルの4棟のうち2棟が、この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に変っている。
(字数制限のためカット11年12月17日)
・・・・・・・・・
2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。「藍より青く」を創ったエピソードである。
朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。「醤油と魚」である。醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。
それから「藍より青」ができた。 その子女、子息の恋愛に対して、困難という山を次々と置き、それを主役が解決していく
プロセスをドラマとして筋を付けていく。「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。 
主役とは「問題解決人」だ。 水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。
そして一山二山越えていく事だ。 自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。
自作自演の舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。どうにもならない運命という奴である。
それを神という存在で解決しようというのが宗教。いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り切ってしまえばいい!
「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」と思えば諦めがつく! その時私のおまじないは以前も書いたように
「正中心一点無」だ。問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。それが出来ないのが人間だが。
・・・・・・・
ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の寮立ち入りについて相談される。
私に対して軽んじている風がありありであった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と面と言われた。
生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。17時に着く。押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。
22時からよく2時まで卒論に集中できた。