ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。
一人ひとりの人生を見つめると、誰も彼もが波乱に富んでいる。
短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。
「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー

・・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツを着て
成人式に出席しました。これが二十代のはじまりです。
そして.「この人となら死んでもいい」と思える恋をしたものの、
「わしの目が黒いうちは、かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。
主人と知り合って妻になり、長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。
主人が交通事故のために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
 女の一生
  二十代 美しく
  三十代 強く
  四十代 賢く
  五十代 豊かに
  六十代 健康に
  七十代 しなやかに
  八十代 艶やかに
  九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも健康に気をつけて、
しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
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解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒
  三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと
  五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?
  七十代 (やはり)しなやかに


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