つれづれに

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今日のYoutube

http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote2016/
 昨日は、『デスノート』をみてきた。会場は中高生ばかり。
ほかに面白そうなのがないので、妥協してこれをみたが、まあまあ。 評価80点。
 

≪ デスノートを駆使して世の中に野放しになっていた凶悪犯を次々と死に追いやった
キラこと夜神月と、命をかけてキラを食い止めたLとの天才同士の対決から10年。
再び、死神が地上にデスノートをばらまき、世界中が大混乱に陥っていた。
夜神総一郎が立ち上げた<デスノート対策本部>は存続していた。すでに亡くなった
夜神総一郎の跡を継ぐべく、キラ事件に精通した三島を筆頭に、唯一10年前のキラ事件を
経験した松田他5人の対策特別チームの捜査官たちを中心に警視庁内に本部を構えていたのだ。
ロシア、ウォール街そして渋谷でのデスノートによる大量殺人が行われる中、世界的私立探偵
にして、“Lの正統な後継者” 竜崎が加わり事件解明に当たり、地上には6冊のデスノート
存在する事が判明する。 その矢先にキラウィルスと呼ばれるコンピューターウィルスが
世界中に拡散された。そのメッセージとは「他の所有者に次ぐ。速やかに私に差し出せ」と
デスノートの提出を呼びかけていた・・・。 6冊のデスノートを全て手にした者が地上を制する。
キラ復活を望む者、それを阻止する者たちとの究極の争奪戦の幕が切って落とされた!
東出昌大 池松壮亮 菅田将暉 川栄李奈 戸田恵梨香


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3876、閑話小題
2011年11月05日(土)

  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
文芸春秋-7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相を予測。
その中で、9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 野田を予測していた
のが政治学者の伊藤敦夫だけ。彼は野田を「安定感」と「バランス感覚」に優れていて、
他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」がなく、「論破」のタイプではなく、
「説得」で物事を進めていくのが、他党との信頼関係を築く上で最適であるとしている。
その頃でも、安部とか小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 
野田は、就任してニヶ月だが、今のところ安定した政治運営をしている。これを読んで
みて、識者の予測のいい加減なことに驚いてしまう。現在の日本は大震災から僅かな
時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 まだ実務的能力が優れているのか
見極めがつかないが、兎にも角にも、1~2年で終わらない政権であって欲しいもの。時
代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を書いていた。
この春に大きな人生の節目を経験し、その後も、色いろ考えさせられることが多くあった。
そのプロセスの中で見えてくるのは、この書のとおり、「大部分の人は全く考えない
ということ」である。 という私も、考えが足らなかったので、この結末を迎えてしまった。
偉そうなことは言えた立場ではない。 考えるとは、目的、目標に向かう時、最短距離と、
不足しているものを探すプロセス。他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探す
ことも、考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の一環として、日本人
に考えさせない教育をしてきた。その結果として、考えない日本人の現在があると指摘。
この10年近く、哲学書の入門レベルの本を読み続けてきた。 考えるとは何か、考える
べきことは何か、を考え続けてきた。その積み重ねから分かり始めたことは、自分も
含めた大多数の「考えない、考えられない日本人」の現状である。
その大敵は、TVであり、ネットであり、映画である。とすると、その考えない日本人
の典型は自分ということになる。それでも、何とか考える時間は持っているつもりだが、
それを全て、文明の力?が破壊している。 考えないことを、日本人だけでなく、
自分の中に見るべき、ということ。 「下手な考え、休むに似たり」もあるが。

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3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
   「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 感じたことをどう表現するか
10年近く毎日、テーマ日記を書いてきた。そして得たことは、感じたことを、
素直に表現できるようになったこと。それは前日書いた文章を、早朝40~60分
かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んでいて、時間をかけたエネルギー
を文章の中に感じ取ることができる。魂の一片である。 言葉のデッサンの修正と、
色づけをしていたことになる。 知人が、あれだけ自分にはスラスラ書けないと、
諦め顔でいったが、私だって出来ないのを一番知っている。スラスラ書けるように
なるには、文筆業でしか生活が出来ない土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 
天才は別だが。早朝、何度か書き換えてアップロードする時に必ず「稚拙だが、
これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の蔵庫を開放
しているに過ぎないと。満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を
見失っている時である。それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。
いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。(この本のマトメというより、
自己主張になっているか) この本に 【短くても素直な言葉、素直な表現、
素直な組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】
とあるが、それが考えることの基本である。素直な心-ことばは、おのずと独特の音、
独自の韻を持っていると、著者は述べているが、その自然の抑揚と響きが読者の心を
打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した文章と、
自分の脳を通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。素直に
発したことばは、時空を超えて過去の自分に邂逅できる。だから、素直になるしかない。
それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものに近くなる。それと過去の文
章を無心で読むことも。だから続いている。この文章は、著者に触発されて、私が
感じたことを、そのまま書いてしまった。 ところで今度、実際のダ・ビィンチ
などのデッサンの模写をしてみようか。 名画の模写と、名文の模写は基本である。
ー文字制限のため毎日、文章をカットしているが、これが自分の身を切るようで辛いー
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3136,脳と日本人 -2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 -読書日記
 * 日本という方法
松岡: ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、
日本が日本を「方法としての日本」にしようとしてきたことに関心があるんです。
それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの仏教は、
 中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然
親鶯らによって、かなり独創的な日本浄土教というものになっています。
空海密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。つまり、日本は、
 中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。
それは禅もそうだし、屏風や庭園もそうです。屏風は、中国ではほとんどが木です。
日本は紙ですね。 日本という方法になっていくんですね。 たとえば、屏風は、
 閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったらまた蔵に
戻すとか。ぼくの家もそうしていました。掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。
ヨーロッパなどでは、いつ行っても同じ絵を飾っていますね。えんえん百年間も
同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。セザンヌの絵でもお爺さんの
肖像画でも、三年ぶりに訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 
新しく購入した絵画を自慢したいというのは別ですけどね。ところが、日本では、
僕くが育った環境では、少なくとも季節ごとに変えています。 みんな、お金持ち
じゃないから繰り返して使いますけどね。そういうやり方をするわけです。
また、禅宗は中国で生まれて発展しましたが、日本で広まり、五山の禅宗文化
になった。そこにはいろいろ付属して芽生えたものもある。細長い掛軸もその
ひとつ、座敷で酒を飲むのもそのひとつ。その代表的なものが、枯山水です。
中国にもロックガーデンは沢山ありますが、枯山水はまったくありません。
 枯山水は、水を使わずに岩や石や砂を配置しただけで、そこに山や水をあらわしている。
水を感じたいから、あえて水を抜いているんです。 枯山水の庭の前に、日本では
池泉庭園というのをつくっています。毛越寺の庭園ですね。そういうのがあった
にもかかわらず、枯山水の庭をつくって岩や石や砂があるだけなのに、そこに
水の流れや大きな世界を観じようとした。つまり、感じたいものを方法論的に
そこから抜いたのですね。 こういうことは、宗教改革のような既存価値の打倒や
分割とはいえないかもしれないけれど、とはいえそこには宗教感覚が生成して
いないともいえないんです。水を感じたいがゆえに、あえて水をなくして
しまった。不在をもって、かえって存在感を表現する。
 ―
 松岡は、何らかの情報を得て受けとめる方法のすべてを「編集」であると見て
史書の編纂から日記、短歌、連歌などにとどまらず政治・経済のシステムや、
書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、長年考察し
続けてきた成果をもとに日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っている。
 ただ「主題」を求めようとするのではなく歴史に蓄積された「日本という方法」
を発見している。極東の島国に流れ込んだ、あらゆる文化を島国に合わせて
再編成を長年かけてしてきたのが日本である。21世紀こそ、このノウハウが
世界に必要となるのではないか、という。分からないでもないが。
 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を
見つめると、誰も彼もが波乱に富んでいる。短い文章の中に、一人の人生が
垣間見れるようだ。「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー
・・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツ
を着て成人式に出席しました。これが二十代のはじまりです。そして,
「この人となら死んでもいい」と思える恋をしたものの、「わしの目が黒い
うちは、かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。主人と知り合って妻になり、
長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。主人が交通事故の
ために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。それからの月日は
二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
 女の一生
二十代 美しく  三十代 強く   四十代 賢く  五十代 豊かに
六十代 健康に  七十代 しなやかに 八十代 艶やかに 九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも
健康に気をつけて、しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
 ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒         三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと 五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?   七十代 (やはり)しなやかに

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2007年11月05日(月)
2407, こころの旅 ー?     ○´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
 この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」の内容で満ちている。
 それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
 その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
・一歳半~五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回のコペルニクス
転回を指摘している。
 私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
  まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
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  *人生の三回のコペルニクス的転回
・第一の転換期については、ピアジュは子どもの研究において、一歳半ぐらいまで