つれづれに

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 急に過ごしやすい気候になって驚く程。数年前から、確かに天候が異様である。
歴史的な大地震の発生に関連しているのだろう。
 年金暮らしのためか、世情のことに疎くなっているが、静かなる恐慌は進んでいるのだろう。
こうなれば、何が来ても、高みの見物に近いが・・・ 
 シリアもアメリカの攻撃が近づいているようだ。徹底的な破壊が起こるはず。
イスラエルが、イラン攻撃の前に、やるべき手順? 
・・・・・
1972.事業百訓  2006年08月27日(日)
事業百訓ー1996年(10)
H0805 エジプト、トルコ感激の旅  ー①
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのがカルナック神殿
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。これが三千数百年に本当に!
周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた
高度の技術があったのだ。そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。空に天を指すオペリスクと
ラムセス?世などの王や神の像の数々、今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く
来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。  次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、
かくれるように数々掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられた
ツタンカーメンの墓室にも入ってみた。  また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の
巨像の神秘的な光景も印象的であった。
  その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も実際そこに立ってみて
古代歴史の深さを実感する事ができた。 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”
という小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”という、
まさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から
日の入りの断食の行)という事もあり、異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが
逆に対比する事ができた。 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、“騙すより騙されるのが悪い!”
“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。 カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を
積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて、不死への激しい希求を魂に語りかけてくるようであった。

H0805 エジプト、トルコ感激の旅 ー② 
 -トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れのあるカッパドキアが有名である。トルコ中央に位置している
アンカラの南東に広がる高原地帯にある。中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、
奇岩をくり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地である。まさにSF映画やアニメ漫画に出てくるような現実ばなれ
した奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と息をのんでしまうほどだ。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の秘密地下都市群だ。
あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下のマンションと形容できた。
一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、信仰の深淵さをかいまみた思いであった。
そして、その帰りのバスの中より夕景の“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景。  
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン・サライ”も非常に印象的。
十二列×八mの列柱が三百三十六本整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、
メンドーサの石首が土台になっているのが神秘的だ。バック・グランド・ミュージックにベートーヴェン
第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったりであった。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中より集めた秘宝がところ
狭しく展示してあった。リンゴ大の四十数カラットのダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。
宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も圧倒された。
私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれがきたのには驚いた。
 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか触れる事はできなかったが、この国の“光”の
一部はしっかり見たつもりである。 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。五千の貴金属、みやげ物を
売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると逆に面白いものばかりであった。
殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。
                                       (H 8年.1月30日~2月8日)
H0807
インカ帝国<夢の旅> ーマチュピチュの遺跡編   
 ペルーはインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで文字が一切ないという不思議な文明の国であった。
その為かプレインカ(インカ帝国以前の文明)と、インカ帝国がより神秘的にナゾめいて来る。
 その圧巻がマチュピチュの遺跡である。高度三千三百mのインカの首都であったクスコよりバス、
登山列車、登山バスを乗り継いで四時間あまりの行程。四千~五千mの山々の谷間に、突然小さな
(といっても二千三百m)山が見えてきた。 そこに空中都市といわれるマチュピチュの遺跡が、
霊界のように造られていた。まさに地上世界ではなく「あの世」を思わせる神秘的、霊的、宇宙的な別世界である。
エジプトのカルナック神殿をみた時の驚き!と同じか、それ以上の驚嘆に一瞬につつまれてしまった。
あれだけTVドキュメントと写真でみていたのに、“現実にみると全く違う!”神秘的あまりにも神秘的、
いや霊的神性という言葉が、ぴったりとする!本当に地球は広いそして深い!とあらためて実感した。
 この空中都市は、インカの人々がスペイン人より逃れる為と復習の為の作戦都市といわれている。
そして突然、この都市を焼き払い奥地へと消えていき、まだ発見されてない地に伝説のそして幻の
ビルカバンバの都市を建設したという。マチュピチュを去る決意をした人々は老人と“太陽の処女”たちを殺し、
その一角の墓地に葬った。この遺体がこの遺跡が発見された時に一緒に発見されたという。私もこれだけの
異界文明の“すごみ”を経験するのは生涯で初めてであった。まさにSF小説の地を夢で浮遊しているようであった。

H0807インカ帝国<夢の旅> 
  -ナスカの地上絵編ー 
 AC百~六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化。
彼等は何を思ってか九百k?にわたる広大な大平原に直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を
描いた。(その絵と同じものが当時の土器に描かれているので、彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
 その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、
星座をあらわすカレンダー説などあるという。灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。
それを三十cmの巾で十~三百mにおよぶ絵をえがいている。その数がペルー全土で二百以上あるという。
そしてその多くがナスカに集中している。
 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。本当に宇宙人にみせる為としか思えない。
“UFO”のまさに世界である。少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは?
と確信したくなる光景であった。ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロに
わたる縦横に描かれた直線は、誰に見せる為のものであろうか不思議そのものである。
 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖にすむ原住民の素朴な生活。
そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏に
やきついてはなれない。高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。(次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、
テーブル・マウンテン     ーH08年6月6日~
H0809 
大地の果て南アフリカ 
 はじめに南アフリカに注目した時、何と遠い国かと思ったが、英国・ジンバブエ・ボツナワと飛行機を乗り継いで
本当に“遠くへ来たものだ!”と実感した。わずか十一日の間にこれだけ多くの見聞と感激と驚きを経験できるとは…。
 ツアーの同行者十名が二十~五十回以上のリピーターが大部分で、トラベルにつきもののトラブルを全員で
逆に楽しむ強者ばかり。そのためかストレスが最小に済んだ事もあって、非常に楽しく味わい深い旅行であった。
* 一番の圧巻はジンバブエにある世界三大瀑布の一つのビクトリア滝であった。 リビングストンの発見した
 この滝は幅千七百m、落差百五mあり、まさにあのイグアスの滝に匹敵する壮大かつ豪快な男性的な景観であった。
 またそこでの超恐怖体験のバンジージャンプは、この旅行のすべての記憶を消しさる位の強烈な体験であった。
* また次に行ったボツナワ共和国のチョベ国立公園でのサンセット・サファリと、翌朝のポート・サファリも
 ケニア・サファリと違った味わい深いものであった。野生の象がハトやスズメのように街の中へ入りこみ、
 木の葉を食べているのには腰を抜かさんばかり驚いた。そしてロッジに帰ってくるとホテルの柵の入り口に、
 やはり五~六頭、木の葉を食べていた。ケニアの殺気だった緊張感がまるでなく、田舎の、のんびりした
 アフリカ…という感覚であった。ここでは象があまりに増えすぎ間引をしているという。
* 喜望峰も感激の連続であった。大地の果ての峰の左にインド洋、右に大西洋という。
  ここでしか見られない高台で海をみとれていると、何と!クジラが泳いでいるのが見えたのだ!
  これこそ喜望峰での最高の見ものであった。また