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2006年09月04日(月)
1980, ある首斬り役人の日記 −2 \(^▽^*)おはよう
−読書日記
HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきたのには驚いた。
さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。
ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。
この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。
首切り役人は、「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」
と言った。 刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。 その形相の凄まじいこと、
この世のものとも思えなかったという。 周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。
事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って、「そんなことがあるわけがない」
と全く気にしなかった。あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、
「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」
日本では「首切り浅右衛門」が有名である。 事実は、小説より奇なり!である。
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298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。
38、1579年8月6日
ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。 ゲオルク・ガーブラー、ー シェーンフェルト出身。
ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。
哀れなのは辺境伯の妻。 哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。
彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、そのような一味であったのを知らなかったのだ。
ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かんでくる。
大悪人の処刑を見ようとしたら、まさか自分の夫とは!
立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。
82、1584年7月7日 バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、
別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の父親や息子といかがわしい行為に耽った。
そのほか同じように妻ある男や若い職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。
その件で立ったまま打ち首の刑に処した。 その夫はムチ打ちの刑を受けた。
彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。
相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にもそうしてやれ。
あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われないよう訴えてやる。
私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。 さらば、お休み。
ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何かドラマ仕立てである。
女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。
87、11月17日
フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼
女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する刀鍛冶職人との間に子供を生んだ。
この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、この子を投げ込み、溺死させた。
その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首の刑に処された。
ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。 つづく
(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
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