2007年09月04日 
「エーゲ 永遠回帰の海」 −1
          −読書日記
  * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社

ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅はギリシャエーゲ海の旅を思いたった。
(次男が「ギリシャに行って良かった」と言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、
写真も文章が違ってみえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、
また違って見えてくるが、それもまた楽しみである。

世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な感覚になる。
数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と驚きの連続であった。
遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わってくる。

生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没したイタリアのポンペイの遺跡。
火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がそのまま残っていた。
また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。
そこに立っていると、タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。

この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、トルコ取材をもとに出来た本である。
(出版までに20年以上を要した理由については本書にその経緯が記載されている。)
写真家の須田氏の美しい写真と、立花氏の紀行文がなかなかよい。

ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの復活神話や「一粒の麦もし死なば」
という教えとの相似性。 アジアの地母神信仰がギリシアのアルテミス信仰に変容し、それがさらにキリスト教
マリア信仰に姿を変えたこと。新約聖書ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。
言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。」というくだりが、
プラトン主義哲学のロゴス論を下敷きに書かれたことなど・・。 ギリシアの神々は、一神教である
キリスト教の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、この本を読むとよく分かる。

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