2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!
                     ー読書日記ー
    外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
    この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、
    内容が濃いからだろう。 冒頭からして、深く考えさせられる。
    特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
     何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、
    少し取上げたことがある。 敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。
    それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。

  ーオーストラリアの蜜蜂ー

かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。
ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、オーストラリアでは常夏のように年中、
なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。
さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、仕事は始まった。
最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、
やがてほとんど蜜を集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、
いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。
年中花のある恵まれたところに移って、蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。
それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。

人間も概して、きびしい環境におかれた方がよく働く。
欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。
それがやがて社会の繁栄に結びつく、そう考えるのである。
悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。
ハングリーならよく働くというわけだ。 ひとりひとりについても同じことが言える。

いまアメリカでもつとも優秀な学生は、ベトナムカンボジアからボート・ピープルとして
アメリヵへ渡った難民家族の子女である、と言われる。
ハーヴァード・イエール、プリンストンなどの名門大学へすいすい入学する。
ハーヴァードなどでは定員の二十パーセントを超えて問題になったほど。 
ベトナムカンボジアからの難民が秀才、才媛だけをつれて行ったわけではあるまい。
不目由・不如意な環境で育ったために、石にかじりついても、といった勉強をした。
ハングリーだったからこそ、目ざましく学力をのばしたのである。

   ーーー
    現在の韓国や中国、そしてインドの若者が目覚め、必死に学んでいるが、
    ユトリ教育とか訳のわからない理屈で遊び呆けてきた日本の若者の姿が痛た痛たしい。
    この文章は本の発刊の3年前の10年前に書かれた内容である。
    現在の日本は更に問題が深刻化している、いや、表面化してきたということだ。
   「茹で蛙」という言葉があるが、自分が茹で蛙と気づけばよいが、
    茹で上がった蛙は、その自分の姿が解らないものである。
    それも、周りの蛙がホボ茹で上がっていれば、気づけというほうが無理? 
            [ ・ω・]ノ  ヂャァネッ !
・・・・・・・