* 都銀支店長の全面協力が、出発第一歩!  〜後半編へ
 時は、1980年3月1日。都銀・営業のTさん(兄と私の嫁を世話をした恩人)の上司である支店長が、
私に面会したいという連絡が入っていた。当日、本店の朝礼で辞任挨拶をした足で銀行に行った応接室で、
辞めるについての経過と、今後の事業計画を述べたが、それを黙って聞いていた支店長がおもむろに、
『現状のままでのホテル計画なら賛成できないが、貴方が会社を辞め、以前に手がけた千葉のビルを売却して
始めるのは筋が通っている。 当行とし今後の資金計画の全てを当行が面倒をみます! まず千葉の貸ビル売却
からですね!』と。金融の知識や、長期資金調達方法が皆無の私にとって、渡りに舟の信じられない言葉! 
小説のような話である。何ごとも、実績? 直前に辞任の挨拶をしてきた帰りに、次の事業計画の最大の
理解者を得て、最大課題が解決の糸口を得たとになる。 その間、僅か一時間。幸先良い出発になった。
地銀の役員クラスでは、無理! 今の私が都銀の支店長なら全面協力をするが・・ 地方豪族化した彼らでは? 
 それもあり、今回の私の結末は、地方豪族システムの価値観で染まった地元権力の残存者には最高の物語? 
あと一つ、現在も酒友だが、当時の相互銀行の計算センターの部長が、そこの契約コンサルタントのW先生が、
私の事業計画を聞きたいという。そこで、ありのままを話すと「この事業計画は間違いないでしょう!」の、
お墨付き。私にすれば15年間の捨身の計画だが、誰も、それを知らない。もし都銀の支店長の全面協力が
無かったら、その経営コンサルタントと契約することになった? その後、姉夫婦の倒産の後始末と、義父の
会社の不動産トラブル解決をして貰うことになったが・・ 既に20数年前に亡くなった。
 その前の節目は、産地の大手問屋の全面協力と、暖冬で暴落した冬物で大当てで、一挙に波に乗せた。 
千城台ビルの二店舗は、商社のS氏が面倒を見てくれた。 その前のジャスコ辞任後の産能大時代では、
千葉の新興住宅地の中央四つ角商業地の売出し記事をみて応募、抽選で当選、次へのステップになっていた。
今回は、都銀支店長が全面協力の約束。 節目節目で、何もかもがプラスに働いたのも、右上りの時代に
捨身で挑んだため。どれも紙一重で、思わぬ因縁がプラス導いた。捨身で、全力で節目に挑めばこそである。
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4496,怒らないって本当は恐い! ー11
2013年07月08日(月)              
   * 怒りへの反発を覚悟し、耐えて生きる      『怒りの作法』小川仁志
 怒りっぽい私は、常に反発されてきたが、それぞれの問題の中心点を凝視、考えることで何とか乗り越えてきた。
考え続けると、いつの間にか、その答えが導き出されてくる。だから、この「怒りの精神論」が身にしみる。
  ーその辺りからー
≪ まずは怒りの精神論。 怒りは強いメッセージを発する。当然、それに対する共感と反発が出てくる。そのメッセージが
強いほど異論が噴出するのは必至。それを予め承知した上で怒る必要がある。その覚悟がないと、大きは精神的打撃を受けたり、
怒りに臆病になってしまう。だから怒りには覚悟と準備が必要になる。覚悟とは予め事の困難さを了解し、受け止める心構え。
それはある種の決断といってよい。決断なしに闇雲に怒ると、後で後悔することになる。怒るべき時に、決断して怒らないと
チャンスを逸してしまう。怒りは一日24時間の中の例外事項で、怒るべき時に怒る一瞬の決断が必要ということ。 
ひとたび怒ると決断するには、どんな反発が来るか、どう対処すべきかを想定しておかなければならない。
 反発には、積極的に否定してくるのと、消極的に無視してくるのがある。特に積極的に否定してくるのは厄介である。
そこで重要なことは、反発を予め予測して、その際の自分の出方を決めておくこと。それさえしておけば、対処が数分の一で
済ますことができる。そのためには経験の積み重ねが必要だが。 しかし、心の準備が出来ていたとしてもへこむのが人情。 
そこに心の強さが必要となる。 そのために自分の主張が正しくなければならない。正しければ、怒りは無駄にはならない。
 この国では、怒りは仏教文化の影響もあってマイノリティに捉えられがちである。そして、孤立をしてしまう。
心の強さとは孤独の強さをいう。 岡本太郎は、「孤独ということは絶対に社会的だ。孤独者とは肉体的にも精神的にも、
他からの制約を誰よりも鋭く感じ、それに傷つきながら、なおも絶望的に挑む人間である」と言っている。
誰からも理解されなくとも、それでも挑み続ける人間を孤独者と捉えている。 孤独とは怒りと深く結びついていて、
それらがともに創作の根源になっている。・・・ ≫
 ▼ 怒りを表出するには覚悟がいる。その場で怒るか、タイムラグを置くか。過去の怒りが、数十年の時を超えて、
  蘇ることが、最近ちなみに多くなってきた。50歳位までは過去を振り返らないようにしてきた。しかし、還暦を
 過ぎた頃から、思わぬ記憶がフラッシュバックすることが多くなってきた。「遠き日は 年とるごとに 近くなり」である。
 それもマイナーの怒りの記憶が多く占める。それにしても己の無知蒙昧には独り怒った後に自嘲することになる。過去は決して
 消えてなく記憶の奥に刻印されている。だから、老いて心身が緩むと過去の封印された記憶が、あちこちから飛び出してくる。
 それも面白いが・・ 過去は現在の記憶でしかない。そこに脚色も嘘も加わり、その都度、書き変えられ、違ったものになる。
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4122, 閑話小題ーつれづれに世相
2012年07月08日(日)
   * つれづれに  
 激変する世界と日本の渦中で、一戦を退いた立場で鳥瞰している毎日が刺激的である。情報化社会の本格的到来で
情報はネットから簡単に手に入る。世界は既に恐慌突入か、その一歩手前で一年先の経済見通しは全く見当がつかない事態。
10年前に現在の事態を誰が想像しただろうか。 80年前の世界恐慌より遥かに大きい恐慌前夜というが、実際のところ
起こってみないと分からない。しかし、ただ事でないことは確か。こういうカオスの中では、軍事力しか頼ることが出来ない。
それも原爆の保持が前提である。この国は被爆国という建前で、保持をしないという国是?がある。 しかい世界の常識は、
この国では通じない。 目先の世界恐慌は避けて通ることは出来ないことは誰の目にも明らか。 20G会議も、目先の
対処療法しか対策がたてられない。 不安を煽るようなことばかり書いているが、リーマンショックは起こってしまった。 
その原因となった不良債権が世界中の銀行、政府、企業の金庫に塩漬けで置かれている。それが債権市場か、株式市場で暴落が
起こった時に、表立ってくる。その火薬庫に火の手が近づいている。ロンドンオリンピックも、この状況の中では盛り上がらない。
数ヶ月ぶりにいった居酒屋の主人の話では、長岡の飲み屋街は、惨憺たるもの。これも20年近く言われ続けてきたことだが、
他に働き場が無い上に、一日一日を生き抜いているだけ、という何時もの悲鳴に似た愚痴。歳が歳だけに、行き先は死だけと真顔。
 前の事業の整理も終わって身軽になり、身体が浮いたみたいに気軽だが、日ごと何か気が抜けていく。リーマンショック以来の
経営危機の立場から解放された分、逆に身辺が見えてくる。世間的価値観を割り切ってしまえば、けっこう面白いことに満ちている。
しかし実際のところ明日、死ぬかもしれない舟板一枚下は地獄もある。それが人生。天国も地獄も、娑婆にありということか。
何はあれ後悔はないし、ほどほど満足している。自主独立を貫けたのが最大の収穫?最後は自問自答で自分を説得するしかないか。
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3756, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −20
2011年07月08日(金)
     ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
  * 楽器編成の基本は、ビッグバンドにあり!  ーP・60
【 ビッグ・パンドにはそれこそ膨大な組合せがあるが、思い切って要約してしまえば、ジャズの入門者には次の三つを覚えれば十分だろう。
それは「ビッグ・バンド」「スモール・コンポ」「ビアノ・トリオ」の三バターン。そしてこの三形態も、基本はビッグ・バンドにあるので、
まずこれを見ていこう。ビッグ・バンドの土台を支えているのはリズム・セクション。 リズム・セクションというのは、ピアノ、べース、
ドラムスそしてギターから成っている。なぜこれらの楽器をリズム・セッションと呼ぶかと言えば、ジャズの要のリズムを提供するからだ。
だがベースとドラムスは先ほどの説明から分かるとしでも、初めての人は、ピアノとギターがリズム楽器というところがわかりにくいかも。
 クラシックでは、ピアノは、オーケストラをバックに従えたピアノ協奏曲を例に出すまでもなく華麗な主役であり、ロック・ファンにとって、
もちろんギター・ソロが目玉になっている。しかしロックでもサイド・ギターが渋くリズムをカットしているようにジャズのビッグ・バンドも、
ギターはコードを掻き鳴らしつつリズムを提供している。そしてピアノもまったく同じことをやっているのだ。そしてそのコード・サウンド
押さえたリズム・セクションに乗って、ビッグ・バンドの花形楽器ホーン・セクションがバンド・サウンドを吹き鳴らす。
ホーン・セクションというのは、おのおの数名からなるトランペット、サックス類、トロンボーンのことを指し、これにサックスを受け持つ
ミュージシャンが適宜楽器を持ち替えて、たとえばフルートなどを吹いたりする。またスイング時代のバンドでは、ベニー・グッドマン・バンド
のようにクラリネットが加わることが多かった。】
 ▼ ビッグ・バンドの楽器編成を基として、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターがリズム・セッションの基本。
  ジャズファンの、まず初め憶える第一歩である。 そこからピッグ・アップしたのが、スモール・コンポとなる。
  トランペットはジャズの花形だが、リズム・セッションにならない。
  * ジャズの花形楽器、トランペット
【 ジャズの歴史のところで、サッチモの吹いたトランペットの親戚のような楽器としてコルネットが、1920年代は主役だった。
しかしモダン期以降は逆転して、ほとんどがトランペットに変わっていった。トランペットはジャズを代表する楽器といって過言でない。
よく通る高音域と華やかな音色の輝きが、ジャズのダイナミックな特質と一致しているからだろう。実際ルイ・アームストロング
はじめ、一時代を築くようなミュージシャンにはトランペッターが多い。代表例はマイルス・デーヴィス、クリフォード・ブラウン
そしてリー・モーガンだろう。】
 ▼ トランペットが主流なら、トランペットが聞こえたら、モダン・ジャズとみてよい?
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3391, 911・考えない・日本人  ー7
2010年07月08日(木)
   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、
故に反省意識が生まれない。故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類で唯一無二の
原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、
見当違いの悔恨の思考を働かせて死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の三歳児性は、
無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。 われわれ日本人は動物心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。
知能ではなく、心理として狸や狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る脳みそは、内言語と反省では作りえない
言語以前の反応である。ニャーという猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人はその「音」を使ってきた。
「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・・
人間が人間の条件とされたものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」(自己満足した
卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字のとおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に
人間性を失った人間を嘆く言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
 ▼ この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、
 それさえ気づかない三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず「ウィ(我われ)」しか言えない
 幼児性から抜け出れない日本人。そして、あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
 ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうもならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
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16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。
その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、
旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。
全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、
何回シリーズで書くことにした。
   まずは ー序章  旅を作るー から
  一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』で記した次の定義が最も的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。
 そこには旅を作る、という要素が入り込む余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、
 旅をする人が作るのだ。・・・
(解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを主にすることをいう」
 ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして文化・文明というより、大自然
 触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。
  夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって
  その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、そして、
  その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。
  その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が膨らんでいく。
  とにかく一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
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2651, ロジャーズ 中国の時代 −1
 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。20年近く前に中国を訪れて以来、
5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、この本によると、更に変わっているようだ。ただ、その劇的な成長に対する反動が、
どういうカタチでくるのか問題だが。そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。
ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き国際商品の高騰を予言した冒険投資家。これは中国株投資の手の内を明かした
全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ
100倍になったのである。ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。
ソ連のように分裂というカタチを通るのか? これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 
独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、やはり同じ道を通るのだろう。 
この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
≪ 中国人の友だちが言うには、「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
 中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、世界経済が何十年にも
わたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。扉を閉ざして社会主義桃源郷を作ろうとしていたのだ。 
私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。
食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 
サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、
新しいことを始めたりするのも不可能だった。生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。
資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、
こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」≫
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
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2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!            ー読書日記ー
 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、内容が濃いからだろう。 冒頭からして、
深く考えさせられる。特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、少し取上げたことがある。 
敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
 ーオーストラリアの蜜蜂ー
かつてある人が、ヨーロッパからオーストラリァへ移住した。ヨーロッパには長くきびしい冬があるけれども、
オーストラリアでは常夏のように年中、なにか花が咲いている。それを見てこの移住者は養蜂業を始めようと思いついた。
こんなに花があるのなら、さぞ蜜がたくさんとれるだろうと考えたのである。さっそくヨーロッパから優秀な蜜蜂を輸入して、
仕事は始まった。最初の年は大成功だったが、二年目には収穫が激減、それから年々大きく減りつづけ、やがてほとんど蜜を
集めなくなってしまった。おかしいと思って調べてもらったら、いつも花があるからだという意外なことがわかった。
ヨーロッパで働き蜂といわれるほどに勤勉であったのは、花のなくなる冬があるからだった。年中花のある恵まれたところに移って、
蜂はハングリーでなくなってしまったらしい。それは、蜂のはなし、人間は別だ、とは言い切れないようである。人間も概して、
きびしい環境におかれた方がよく働く。欧米の人たちは、雪の降る国でないと、文化、文明は栄えないと信じているようだ。
寒いところの人間は、温暖なところで生活する人に比べると、おしなべて勤勉で努力する。それがやがて社会の繁栄に結びつく、
そう考えるのである。悪条件のもとではハングリーにならずにはいられない。ハングリーならよく働くというわけだ。 
  ( 字数制限のためカット 2011年7月8日 )
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2006年07月08日(土)
1922, 第二次・関東大震災      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/          
 今後30年以内に首都圏で、関東大震災クラス(マグニチュード7)の地震が起こる確率は70パーという。
その時には阪神淡路大震災の二倍の被害になるという。死者は最大で13000人というから、1000人に一人になる。
( 字数制限のためカット 2012年7月8日 )
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2005年07月08日(金)
1557, 宇野千代ー3
 ー 宇野千代語録 −2
 忘れるということは得なことである。 私は幾度も失恋したが、そしてその瞬間には泣いたりした記憶があるが、すぐに忘れた。
  ( 字数制限のためカット 2012年7月8日 )
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2004年07月08日(木)
 1192, 国家破綻?ー読書日記  藤原直哉           長岡中央図書館 2004年7月3日
この4月に出版された国家破綻?を読んで、暗澹たる気持になった。
  ( 字数制限のためカット 2013年7月8日 )
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003年07月08日ー アラスカ旅行中
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2002年07月08日ー スイス旅行中
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2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!
まずコペンハーゲン
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由    2日目はベルゲン
  ( 字数制限のためカット 2013年7月8日 )