閑話小題 ~飽きずにパンデミックの話

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    * まだまで、序盤戦…
 ワクチン投与の開始で、目途が立った空気感が漂っているが、100年前の
スペイン風邪」から第二次世界大戦までを類推すると、まだ二合目でしかない。
これから先は、中国や、テロリストが、これを戦いの手段と知り、悪用の可能性
を考えると、ミサイルを手に入れたようなもの。これだけは如何にもならない。
北朝鮮を例にすると、家族を虐殺された1人が、ドローンで細菌を投下するのは
至極、簡単。アメリカに向けた弾頭弾と効果は変わらないため恐ろしい話になる。
今世紀末まで世界は無事に過ごせるかが現実問題になってきた。
  ――
    * オリンピック次期会長は…?
 次期会長に、安倍前首相の名前が出ているが、オリンピックの開催は土台、
無理のことは、彼らが一番、知り得ていること。 嫌味で安倍の選択もあるが、
そこまで、捻りの入った人選を出来ようもない。 麻生副首相辺りが順当だが、
誰が火中の栗を拾いますか? どのみち、開催が危ぶまれている人選!
{8年後に延期決定」が、妥当だろう!

・・・・・・      
6913,読書日記 ~『不幸論』といえば
2020年02月17日(月)
読書日記 ~『不幸論』といえば、中島義道。 
                    『不幸論』 中島義道
   * <どんな人生も不幸である>という結論
 全ての人の最期は「惨憺たる死」が誰へだてなく待ち受けている。
死ぬことは、一人称の『自分』が0人称になるのだから、一人称の自分は死な
ないというのは分る。‘死んでしまえば、それまでよ’である。最後の30分は、
地獄の苦しみタイムになるが、それも娑婆への未練の立切に必要欠くこと出来
ない事になる。 アルコール依存症とか、薬中の人には、楽しんだ分、苦痛が
上乗せされる。身近な二人称の人の死を凝視すると、やはり、『不幸論』って
いう論も分る。恵まれた人生ほど、最後の最後に、失う苦痛と苦悩は大きく圧し
掛かってくる。それも生きていればこそ。
 ―
  ~Amazon 内容紹介より~
≪ 「幸せになろうね」「私はほんとうに幸せ者です」……。
 世に蔓延する「幸福でありたい症候群」。だがその幸福感は、他人の不幸や
「死」の存在を「知らないこと」「見ないこと」で支えられている。
本書では、古今東西溢れる「幸福論」とその信者たちの自己欺瞞を鋭く指摘。
さらに「他人(自分)を傷つけないために真実より嘘を語ること」を優先する
特殊日本的幸福論者の傲慢さ、怠惰さを赤裸々にする。
 著者は、長年の哲学的考察の果てに―どんな人生も不幸である―という結論に
辿りつく。この恐ろしく理不尽な「真実」をトコトン見すえて不幸に留まって
はどうか。そのほうが「よく生きる」ことができるのではないか、と提案。

 <目次>
第1章・幸福のための条件 
第2章・さまざまな幸福論 
第3章・幸福がもたらす害悪 
第4章・相対的不幸の諸相 
第5章・「死」という絶対的不幸 
第6章・自分自身の不幸を生きる

 著者の人生哲学が凝縮した、世界初の「不幸論」。
 ――――
▼ 私は如何だったか? 幸福・不幸感というのは、その時々に変わるもの。
 私は、3割が不幸感、7割が幸福である。それらは、現時点の躁鬱状態や、
体調に左右される。老化は病い、それも炎症。なる程、その実感がする

――――
2016年08月26日
堀井の居間 
    * 幸・不幸の実相
  10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
 いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
 起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
  人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
 痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、
 目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、
 出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、
 群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。
そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」
ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。

・・・・・・
4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4
2014年08月26日(火)
   * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。
 臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 
  ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。
  彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。
そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を
殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく
 ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。
 家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼
のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として
生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする
 こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの
鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
 ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は
LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に
 させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに
調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら
兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を
持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する
 ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、
それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫
 ▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアポルポト
 よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような
弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万~5千万人が虐殺
されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が
文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ
 ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
 タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、
 平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 
憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理?  
 ~ また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! ~

・・・・・・
4170, 金正日の料理人
2012年08月26日(日)
  * 若きドン様の親の敵討ちは残酷!
  何気なくTVをみていたら、北朝鮮金正日の元料理人が出ていた。これが
漫画的ドラマ仕立。その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」
で、金正恩や、そののファミリーと食事をした写真があった。 父・金正日
裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在のドン様に感激
している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、
 正恩の計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した
二週間前の夜半に苦しみだし、両手を三回突上げ絶叫し、亡くなった」という。
 心臓発作だった。
 『呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、
その事実を知らしめ、今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮
メッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも明らか。その後、妻と娘
を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘されると、
 「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。北朝鮮に愚弄されて
 いる姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 
リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 
独裁国家のドン様を裏切り愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。
これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージをしてきたことになる。
 逆にみれば、この程度の連中でしかない。マスコミが、料理人を抹殺するか、
パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。現地の家族が本当に
存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、
 色いろの仮説がたつ。コミック漫画の悲劇、喜劇? くさい話だけは確かだが。

・・・・・・
3805, 哲学人 ー�
2011年08月26日(金)
 * 学生時代の恩恵 
  学生時代の恩恵は、現在でも大いに実感している。もしも学生時代に一度、
 頭を粉々にしてなかったらと思うと・・ マギーは、ここでイギリスのエリート
学生の内面を正直に書いている。哲学と芸術の長い歴史が大学にあり、そこの
 プログラムを学生はこなしているのである。都市には、美術館があって歴史的
 名画を身近に見ることができる上に、コンサートも子供時代から親から連れて
行ってもらっている。 教養のベースが、風土の中に染み付いているのである。
   ー「哲学人」ブライアン・マギー著よりー
【 結局、大学が知性という面で私にしてくれたことの中で一番肝心なことは、
  知的価値が芸術的価値とは独立して存在しているということ、そして、知的
 価値に関心を持つように仕向けてくれたことである。 一年目には、理知的で
気の合う仲間の中に、他にもまして知的な価値に傾倒している人がいることを
知ってカルチャーショックをうけたことである。彼らとの交流のかなで、
そうした価値を自分なりに受け入れられるようになるに三年目まで待たなければ
 ならなかった。そのおかげで、知的価値は私にとって欠かせないものとなり、
 私の人生と考え方に色褪せることのない彩を添えてくれた。
  ちなみに、私はこのような経験をしたおかげで、一部の聡明な人々に対する
理解を深めることができたのではないかと思っている。それは、さまざまな
理由から大学教育を受けたことがなく、そのためにこういだ経験をしていない
人々についてである。そういった人々がどんなものの見方をするか私はわかる
 つもりだし、彼らの身になってみることもできる。 ひょっとしたら自分も
同じ立場になっていたかもしれないからだ。 正式な教育は、世界というものが
個人の見解や意識や関心や想定の単なる拡張ではないという考えを育むよう
仕向けてくれる。これは正式な教育が授けてくれる最大の恩恵である。
 当然のことながら、こうした教育は他者の助けなしにできない。他者は私たち
個人をしばっている拘束をまぬがれているからである。けれども、ここから
導かれるのは、独学の者は生半可な教育を受けた程度にしかなりえないという、
 残念だが逃れようのない事実である。 オックスフ・オード入学当時の私の
考え方にはっきりいって欠けていたもののうち、最も重要だったのは、その後の
経過を考えると、哲学ということになる。 人間の関心事の中で最も価値が
 あって大切なものとして、哲学は確かに偉大な芸術に近い水準に達しているし、
その理由も似通っているように思う。どちらも、人間が到達しうる最も高い
 レペルで真理を探究する活動である。どちらも物事の本質を、つまり存在の
根源的な神秘を探ろうとしている。それを果たせないとしても、人間の理解
に限界があるせいにすぎない。ショーペンハウアーが述ベているように
「芸術家が具体的に行なっていることを、哲学者は抽象的に行なっている。」
 哲学者は自分の意見を概念で表現するよりほかなく、そして概念というものには
 どうしても一般性がつきまとうため、哲学は芸術ほどの深みには到達できない
 かもしれない。だがその一方で、哲学にはできても芸術にできないことがある。 
アイリス・マーギックは「よきにつけ悪しきにつけ、芸術は哲学より深い
 ところに達する」と語ったが、哲学には芸術よりすぐれた面がいくらかはある
 という意味ではそのとおりであるし、全体としては芸術に及ばないという
意味でもそのとおりである。】
▼ 芸術と哲学が教養のベースであるのは今さらだが、マギーの、このような
 文章を読むと、より芸術に触れておくべきだったと実感する。 芸術作品は、
 作者の魂そのもの。それぞれの時代が生み出した人物が全霊を捧げて、作品の
中に魂を入れ込んだ名作である。それに直接触れ、感動するのが一番、人間の
魂を高めることになる。そのためには時間をかけて対象と向き合うしかない。
・・・・・・・
3440, 再び、死について考えてみる ー4
2010年08月26日(木)
  * 死を喩えると
 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。 「死ぬ」が旅と、眠り、に
喩えとされることは、プラトンソクラテスの弁明』の一節にある。
ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一つなのです。あるいは
全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば何も少しも感じない
 といったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいに
 とって、ここの場所から他の場所へと、ちょうど場所をとりかえて、住居を移す
 ようなことになるかなのです。そしてもしそれが、何の感覚もなくなることで
 あって、ひとが寝て、夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごときものである
 としたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになる。
・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなもの
 であって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、あの言伝えがが本当とする
 と、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー
 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰って
 くるのが前提にある。永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。
 無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、これで
 わかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、
その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、という意味で、喩えとして
科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で
空間の歪が生まれ、穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。
これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。最近、ホワイトホール
 も、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の
存在。それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものに
 している説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、
 眠る、去る、失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性
がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。そうすると、
 永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそう
 だが、生きている人間の論理というのが露出するだけ。同じ動物の牛に喩えると、
 先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら
喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。
   (字数制限のためカット2011年8月26日)

閑話小題 ~ 引いてしまった話

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   * 会場が一瞬、引いてしまった話題
 30年以前の話だが、経営セミナーで、『経営だけでなく、普段の生活の中で、
聞きたいことがあったら丁度良いチャンスです、何か質問を』の司会者に、
やおら自信なさそうに御品の良い女性が…
『私は字が上手くて、何時も誰かに、貴女が書き込むと、誰もが嫌がられる!
意識的に下手に書いたら嫌味になるし… その対処って如何すべきでしょう?>…
…会場は一瞬にして凍りついていた。答えは『少し癖をつけるのが良いのでは?』
 それは純粋の気持ちから出ていればこそ! 人びとの記憶に永遠に残る質問? 
になった。
 
 何度も書いてきたが、結婚した直後、鱈の子をみて、不思議そうな顔で、
『鱈の子って、塩鱈の子?』 これには暫し無言の後に、独り爆笑!
なる程、一度、塩漬けの塩鱈の子が… 合理的である。  
 
 もう一つは、金沢での勤務先の店のこと、客が誰ひとり居ない店内に、
『アララ閑古鳥が鳴いてるは!』に、相方が『閑古鳥って何の鳥?』も…
 
 大学受験を終えて、心配した姉の『どんな問題が出ての?』に対して、
樋口一葉の代表作は?』があったので『背い比べ』と答えて…爆笑された
私めが、そこに居た。 他人事ではない。その年の大学受験は全て落第した。
実家には読書好きは、見当たらなかった。20年近く書き続けていれば、少な
からず、似たような誤りを書いているのだろうが、自身、知る由もなし。

・・・・・・
6183,閑話小題 ~座禅は心の安楽死 ー6
2018年02月16日(金)             
         『坐禅は心の安楽死~ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著)
   * ピラミッド・パワー Ⅱ
 座禅の空間環境にはピラミッド空間は最適だろう。実家の仏間の一角に、
書斎コーナーがある。その環境が、ピラミッド・空間と似ている。仏間が
亡き先祖の魂、とりわけ両親の魂と同化しているような安堵感がある。
これを書上げ、アップした後に、仏前で祈っている。早朝のこの時間と、
9時から2時間の読書か、ネットサーフィンか、随想日記の下書きの時空間が
パワーの源になっている。
――

≪ ぼくがピラミッド・テントの中で座禅、あるいは瞑想をするようになって
 からの効果となると、まだわからない。 しかし、この中に座ると、
<自分が完全に外界から遮断されているという意識だけは強烈に起こってくる。
それと、同時に非常に特殊な空間によって保護されている安心感が得られ、
また普段と違ってある種の聖なる意識を伴った上昇感がある。>
 になるのが特徴。
 
 …アメリカにはフラナガンというピラミッド・パワーの研究者がいる。
彼とそのグループは過去数年間にわたって生体宇宙エネルギーと呼ばれる
エネルギーの諸現象に関して研究を続けているが、まだ誰一人としてこれこそが
そのエネルギーであると現実に示した者はいないという。このエネルギーは古来
から色いろな呼び方をされている。生体エネルギー、磁気エネルギー、プラーナ、
マーナ、クンダリーニ、気、その他で、これらのエネルギーの根源や特徴について
殆どが宗教的あるいは秘教的修法にかかわる見解ばかりである。 

 ピラミッド製品を取り寄せたパンフレットに、フラガン博士のパンフレットの
‘ピラミッドと、その生体宇宙エネルギーとの関係’の一部が紹介してある。
【 現在私の研究では、生体宇宙エネルギーは磁気の特殊性質によって起こる現象
 であることを実験的に確認しており、このエネルギーは宇宙の諸力と密接不離に
結びついています。 … 磁気形態共鳴によって、ミクロ的次元のエネルギーは
ピラミッドのようなマクロ的次元の形態の中に凝縮化されていくに違いない。
電磁スぺクタルに於ける周辺効果の場合には、このエネルギーはしばしば隠されて
しまいますが、これと同じように、このエネルギーは不可視の次元で存在し、ただ
その性質だけが現われてくるのです。さまざまな物理的現象がこのエネルギーを
現出せしめていても、このエネルギーの本性自体は人々の注意を引くことはない。 
このエネルギーは生体絶縁子によって引き付けられ、磁力と同じように熱や光を
発生しますが、この熱や光自体がこのエネルギーの正体ではありません。これら
多くの発見は、ピラミッドによってもたらされたものです。】
                   横尾忠則『わが坐禅修行記』より ≫
――
▼ 気といえば、学生時代のクラブで、「合気道」に属していた。演武が中心で
 実戦がないが、「気」の鍛錬で相手を丸め込む技。これも、大男のアスリート
には、実のところ敵わない。しかし、「気」が鍛錬されているため、少なくとも
相手に気合負けすることはない。宇宙の気と自ら一体化する訓練は、ヨガ、座禅
に通じるところがある。特に重視するのは呼吸。 ヨガも同様だが、聖なる意識
空間が、道場にある。4~11月の早朝の信濃川土手へのポタリングも同じ。
 人間には7つのチャクラがあり、ヨガは第7のチャクラを活性化させることが
目的と言われている。ピラミッドには、そのチャクラを全開にしてくれるパワー
を引出すのが目的に創られたとは、驚きである。いま、思いだしたのが、以前、
『光の手』ー上・下』と『7つのチャクラ』を読んでいたこと。倉庫の書棚にある
筈だが。この2冊は手かざしで7つのチャクラの歪みを正し、病を治す、ヒーラー
への道しるべの内容である。長年かけた不摂生の中でも、現在、生き残っている
のは、聖なる?生活習慣と、内臓に向けた夜半の手かざしの習慣があるためか。 
毎日、心かけていることは、「ああ面白かった」と心の底からいえること。
そう考えると、結構、面白い日だった。有難いことだ。で、今日はシネマの日。
 『グレイテスト・ショーマン』を予定。
☆「地上でもっとも偉大なショーマン」と呼ばれた19世紀アメリカの
 実在の興行師P・T・バーナムの半生を描いたミュージカル… 面白そう。

・・・・・・
5450,閑話小題 ~木鶏クラブにて ー②創造的生き方とは
2016年02月16日(火)
   * 創造的生き方とは
 去年の会で初めて会ったが、ここに新大医学部二年生が参加している。
平均60数歳の中で、良くぞと感心する。彼の一年終了後の一年間の休学は、
人生設計上、理想的に思えた。当時、『よく、その発想と決断が出きたね』
と褒めると、『「一年終了時の一年間の休学」は東大の医学部で流行ってる、
その真似しただけです』と謙虚な答え。私が知る限りの医者の選択肢には、
医院の開業医の独立(父親の開業医を引継も含め)か、勤務医での昇進
(山登り)がある。更に、僻地医療も専門にするか、あくまで都会にするか。
医師で探検家で大学教授など、様々な顔を持ち、 「グレートジャーニー」
で有名な関野 吉晴みたいに、探検を気ままする生き方もある。
直後に連れといく、近くのスナックに誘うと、喜んで参加したが、そこに
60歳半ばの男が話しかけてきた。それが、何と、内科の勤務医を66歳で退職
直後の、高校も、大学も、その学生の先輩という。
 本人にとって、医師としての人生設計上、知りたい情報の宝庫である、
嘘のような偶然の出会い。二人の話が盛り上っていたので、列車の都合で、
中座をしたが、普通なら誘われても断るのだろうが、求める何かがあると
感じたからだろう。こういう人に、偶然という形で、大いなるチャンス
を与えてくれる何かが存在する。大成のためには、この頃から志にそって、
着実に知識と経験を積み始めている若きエリートの一端を見た思いである。
父親は医師ではないが、祖父が精神科開業医で、退職した勤務医の近所にあり、
その医院の存在を知っていたような? 命を扱う医師こそ分厚い教養が必要。
分厚い教養を得るに、一年間の休学という予定挫折?こそ、代えがたい経験だ。
羨ましいというより、これからのキャリアを積むプロセスが大変だが、明るい
のが良い! で、以下の内容をHP内を検索、コピーしてみた。
・・・・・・
5086,タガメ女の正体  ー�
2015年02月16日(月)
         ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体~深尾 葉子(著)
 子供の頃、小川で見かけたタガメが、カエルなどを主食にした肉食昆虫で、
捕食する姿から、夫婦に例え、「世の亭主は、すべからず女房にお金も人生も
吸いとられる」という切口が、なかなか説得力がある。~その辺りから抜粋~
 ≪ タガメとは、体長5~6・5�の肉食の大型水中昆虫 ・・
 今から一〇年以上前、私はNHKのハイビジョン番組を観ていました。
琵琶湖近くにある〆里山の四季を追いかけるというもので、写真家の指導のもと
撮影された映像はそれは美しく、素敵だなあと目を奪われていると、初夏の水田
風景のなかでショッキングな映像にでくわしました。それはタガメの捕食シーン。
 じつはタガメというのは肉食で、魚やカエルを獲物にしています。
場合によっては、自分よりも身体が大きい生物をいったいどうやって捕まえる
のかというと、これがなかなかエグいやり方なのです。
 その映像では、まず土のなかに身を潜めて獲物がくるまでじっと待ちます。
そして、カエルが近くにやってきたらガバッと飛びつき、鎌状の前脚でガッチリ
と挟んだら、鋭い注射針くちばしのような口吻(鳥でいう噛)を刺します。
タンパク質を溶かす消化液を注入するのです。カエルも当初は異変に気づき、
「バタバタと必死にもがいているのですが、タガメの締め付けはハンパでは
ありません。やがて気力を失ったのか全身に毒がまわったのかグッタリ。
体内の消化液で溶かされ、肉をチューチューと吸われて絶命してしまいました。
番組ではそこまで映してはいませんが、タガメに吸い尽くされた獲物は骨と皮
しか残りません。言葉ではさほどではありませんが映画『エイリアン』を彷彿
とさせるグロテスクな捕食方法。タガメが「水中ギャング」と呼ばれる所以。
 そんな捕食シーンをハイビジョン映像で目の当たりにし、息をのみました。
自然界とはいえ、やはりひとつの命が奪われるシーンというのは衝撃的だった
ということもありますが、私にはこれが別の場面と重なって見えたからです。 
 『これって男と女の関係にそっくりじゃないか――』
 女はガッチリと男を捕まえて、月一万円という小遣いで身動きがとれない
ようにし、チュフユーと夫の収入と社会的なリソースを吸いつくすつ男たちは
といえば、最初はバタバタもがくも、やがて諦めたようにグッタリとして、
ゆっくりと収入やリソースを吸い尽くさ最後は骨と皮になって死んでいく。≫
▼ タガメ女の餌食の「カエル男」は、妻の洗脳で「ATM」と揶揄される
 タガメ女の搾取と奴隷生活を巧みな洗脳と人格改造により「それなりに幸せ」
と勘違いさせて心の平衡を保ち、保てない人間は職場で溢れたストレスを
パワハラ、セクハラ、不倫で発散させる。タガメの顔写真が、女性の股間
見えてきた。これでカニバサミされ、一度食らいついたら骨の髄まで(ノД`) あ゙

・・・・・・
5816,緩和小題 ~しまった! ー 人は意味を探す  ー 4
2017年02月16日(木)     
       < しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
 人は意味(価値)を求めて生きている。当然、自分だけでなく、他人にも、
それを求める。男女別なく、死ぬまで生活をしていかなくてはならない。
まずは、その確保。そして好きなこと(趣味)を生涯続けることが出来れば、
これに越したことはない。 それが連れ合いと重なれば尚のことよい。そこで
連れ合いとの相性の問題(価値の共有)がある。 また連れ合いとのバランス
がある。相方は長期物(人)件?。選定の9割は間違えるか、長年かけ破損する。
それでも、何とか… 
  * 人生何を生業(なりわい)にし、何に価値を求めるか?
<名前が他の要素に比べて、さほど重要ではないことは、数年前の英国の実験で
 証明された。にせの人物のプロフィールを暗記させる実験だ。各プロフィール
に架空の名前のほかに、人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、
にせの情報が記されている。たとえば、〖アン・コリンズ。有名なアマチュア
写真家。プリストル近郊在住。地元で訪問介護師として働いている〗とする。
 憶えていた第一が、職業で、69%。 第二位がタッチの差の68%で「趣味」。
第三位が、62%の「出身地」。最下位が、「名前」で、ファーストネーム(名)
が31%、ラストネームが30%しか憶えてなかった。なぜか、人は意味を求めて
いるため。その人の名がパン屋を営んでいることは姓がベーカリーより憶えやす
かった。人の名は、あまり意味がない恣意的につけられた「ラベル」でしかない。
それに対して、職業、趣味、場所は「意味論的に豊かで何かを意味している。>
――
▼ 当り前のことだが、その人となりの判断基準が生活を支える「職業」と、
長年かけて蓄積された「資産」。そして、「趣味」になる。 次に男なら、
「美形」と「センス」。女なら「出身地」「最終出身校」と続く。男は、実は
「美形」と「センス」ではない。 それに加えた身についた魅力で8割は知り
えるが、それでも数ヶ月は様子をみなければ…。当然、名前などどうでもいいが、
相手の注意を惹きたいなら、フルネームを覚えればよい… このことから、
人生如何に生きるを読みとく示唆がある。 まず職業を何にするか。そして何を
趣味にしたライフワークを続けるか。その為の学校の選択。その条件としての、
両親の職業(家柄)と、学歴の土台を元に、自分の特性をキャリアを加えていく。
それが、各自の人柄になる。「で、このザマ」が、知る限り万人に当てはまる。
 そう思えば、気が休まる。社会など、世間など、他人など、妄想でしかない。 
あるのは、行蔵と知恵だけ。遊べるうち、学べるうち、今のうち、人生を歩め!
・・・・・・
「ゴールデン・ルール」のコーナー
2015/12/02
武器としての決断思考 ー①     
        ー武器としての決断思考~ 瀧本 哲史 (著)ー
 図書館で見つけた本で、京大の医学部で場違い?の『起業論』を教えている
内容に興味を引かれ借りてきた。医師の世界も、将来的に、そう甘くはない。
30年以上前に新潟で立ち上げた「木鶏クラブ」の会が、今も二ヶ月に一度、
開かれている。そのの例会に、年末か、年始に、年一回参加しているが、去年、
新大医学部の20歳の学生で、考えるところがあって、一年の休学をとって、
白紙で将来を考えたいという青年が来ていた。『思い切った判断だね!』
と褒めると、『教養課程で、一年の休学は東大医学部の学生の一部で
受継がれてきたのを聞き、考えるところがあり真似ただけ!』という。
この「武器としての決断思考」が、そういう人たちのバイブル?かどうかは
不明だが、私が人生を通し、学んできた要点を、軽く一冊に凝縮してある。 
『青年は荒野を目指せ!』である。でないと、溝沼の腐った一員になっていく。
 人生からみたら、「事前の一策は、事後の百策に勝る」の、具体例。
「事前に学んでおくべき人生戦略本」で、さすが、東大、京大医学部。
20歳の白紙の状態の決断は人生を大きく左右する。~アマゾン内容紹介より
《 東大×京大×マッキンゼー式・決断の技術!
 本書は、著者がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている
「意志決定の授業」を一冊に凝縮したもの。今後、カオスの時代を生きていく
若い世代にいちばん必要なのは、意思決定の方法を学ぶことであり、決断力を
身につけることです。もう過去のやり方は通用しないし、人生のレールみたい
なものもなくなってしまいました。「答え」は誰も教えてはくれません。
 となれば、自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていくしかないのです。
仕事をどうするか、家庭をどうするか、人生をどうするか? この本で私と
一緒に「自分で答えを出すための思考法」を学んでいきましょう。
きっと、あなたの人生を変える授業になるはずです。》
  ~カスタマーレビューより~
《 筆者は、東大→マッキンゼー→京大准教授というエリート。
人生において、自分で考え、行動ができる事の重要性を説き、その秘訣を
伝授するとの趣旨。出版社である星海社新書という会社は、「戦う事を選んだ
次世代の仲間たちに、武器としての教養を配る事」を目的として謳っています。
私は、本屋で初めて見つけた本を買って読む事は、めったにないのですが、
思わず買いました。 内容はと申しますと、ガイダンスまでは期待通りで、
これからの厳しい世界を生き抜いていくには、知識・判断力・行動力・修正力
をバランスよく身につけるべき! と実例を交えながら、うなずきの連続。
ただし、本章に入ってからは、ほとんどがディベートの基礎講座。
(大雑把に言うと)ロジカルに物事を考え、常に(正解ではなく)最善解を
導いて、行動を起そう。状況が変化すれば、適宜修正をしていこう。それが
決断思考であり、自分の頭で考えて、自分で決めて行くという事!という内容。
日ごろから、ある程度、まともに物事を考えている人からすると、
同意こそすれ、目から鱗とまではいかないでしょうか。》
▼ ーはじめにーの「武器としての教養」を身につけろーが、この書の要約。
 学生時代の教養課程から専門課程で、何を目指すかを課題を無い頭を絞って
考えて結論を出したが、正に、著者の、この要約を地でいっていたようだった。
50年前の当時は、「坂の上の雲」を目指す高度成長時代の真只中。で、結果は、
バブル崩壊への転換を甘くみて、この結果? しかし、面白く、充実していた。
 で、現在は低成長時代の真逆の環境。だからこそ、ゲリラとして、それぞれが
実学としての武器としての教養が必要になる。 既に時代は氷河期に入った。 
 その中で、久々に? 面白い戦略本に出会った。来週、この会の忘年会に
出席予定だが、この青年、来ているかどうか?   ーつづく
・・・・・・
「ゴールデン・ルール」のコーナー
2015/12/03
武器としての決断思考 ー②    
          ー武器としての決断思考~ 瀧本 哲史 (著)ー
  * 人間を自由にするための学問を ーリベラルアーツ
 高度成長期は、20年以上も昔におわり、今では時代は氷河期に入ろうと
しています。そこで選ばれし者同士の熾烈な戦い生じてくる。そのための
明らかなエリート教育が、これである。著者そのものが、更に選ばれし者。
自分自身の経験を、筋立てて教えればよい。 ~その辺りから抜粋~
《 リベラルとは本来「自由」を意味する言葉で、アーツとは「技術」。
 すなわち人間を自由にするための学問である。その基礎としての教養は、
10~20代の若い時にそのベースをつくっておくべきである。
 教養の起源は、古代ギリシャにまでさかのぼります。
 当時の社会には奴隷制度があり、奴隷と非奴隷を分けるものとして、
学問の重要性がさけばれていました。かなり大ざっぱに言えば、
「学のない人間は奴隷として使われても仕方、ない」、ということです。
 奴隷などというと、21世紀の日本で生活しているこの本の読者にはあまり
関係のない話のように思えますが、決してそんなことはありません。
 私は、いまだからこそ、リベラルアーツが必要だと強く感じています。
それも、未来の日本を支えていく10代~20代の若い世代にこそ必要なのです。
どうしてか? それを説明するため、京都大学医学部生の話をしたい。
  * どうして京大医学部生の40パーセントが「起業論」を学ぶのか?
 私は京都大学で、「意思決定論」だけでなく、「起業論」の授業も受け
持ってます。教えているのは、成功したベンチャー企業ケーススタディ
中心とした、実践的な起業の方法であり、その根底にあるべき考え方です。
 その授業を受け持ってしばらく経ったときのこと。ふと履修者の情報を
整理してみたところ、驚くべきことに気づきました。
 なんと、学部別の割合で見ると、医学部の学生がもっとも私の授業を
受けていたのです。その率、40パーセント。
 京大医学部ば、東大医学部と双璧をなす最難関の学部として知られています。
卒業後は、ほぼ100パーセントの人間が医者になります。やりがいだけでなく、
高い社会的地位も報酬も得られ、まさに一生食いっぱぐれない安粛な人生を
約束されたはずのエリート中のエリートたちが、なぜ私の起業論の授業を
受けるのか?不思議に思い、私は学生にヒアリングを試みました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「この国では、医者になったって幸せにはなれない」
「もう昔のように、医者髄お金持ち、という時代でもない」
「やりがいだけではやっていけない。新しい方法を見つけないと」
彼らは自分の将来に対し、明確な不安を抱いてました。》
▼ 医者の卵でも、勤務医より開業医の方が遥かに恵まれていることと、
 その開業(起業)のための知的準備を学生時代から始めておくべきも
知っている。だから、連れあいも、医師とか、資産家の娘の中から、
探すことになる。医師を目指そうというのは、本来、ある程度の資産が
必要条件である。開業するには、医師としての特性がなければ成立たない。
その特性を磨くには学生時代からの長期のリベラルアーツが必要となる。
「鬼に金棒」の金棒と、使い方は、学生時代から準備すべし、ということ。
 
 

閑話小題 ~森元総理のオリンピック委員会長の辞任は

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   * たった一言の失言の辞任劇
‘森の引き摺り降ろし’で「東京オリンピック」中止が決まってしまった…? 
と断定して良いだろう。 癖の強そうな女ごが委員会で、あれやこれやお御託を
並べたのが脳裏に浮かんだのだろうが… <オリンピックの中止に立ち塞がる
老人の削除にタイミング良い口実を与えてしまった。 癖の強い女子も、これで
抹殺が決定され相討ちで目出度し目出度し! 誰が悪いわけでない、中止への
物語の役割として宛がわれてしまった。 開かれるかどうかは、成行き次第。
純粋なオリンピックは、この資本主義経済の仕組の中では、土台に無理のはなし。
綺麗ごとも必要だが、その辺りを知ったうえでの建前噺。 
国家のメンツをかけた競技には、プロ以上の技能が要求される。何がスポーツ
精神ですか…  このオリンピックも、安倍首相が政治的狙いで、強引に持ち
込んできたイベント。幼稚な国家なればこそ! このコロナ禍と、オリンピック
の損失は、消費税の5~10%として直接税として一般国民に請求される。
   ――
   * 大ごとでなくて良かった余震
 コロナ禍と、オリンピック騒ぎが重なったこういう時節…、とかく自然災害が
重なるもの。一度、震災で破壊された経験から、土台がシッカリ補修されていた
ためか、大事に至らなく済んで幸いとしても、東京直下地震と連動しない訳がない。
 このコロナ禍も世界的の大災害! まだ、この一連は物語として続いていく。
この時節の世界的株式と商品相場の高騰。温暖化が齎すであろう不安定な情勢が、
背景にあるのだろうが… 決して予断が許されない。安倍に、トランプと日米共、
悪い役者が揃ったもの。そのツケは貧すれば鈍するのごとく弱者に向っていく。

・・・・・・
6912,閑話小題 ~過去19年分の、このブログ
2020年02月16日(日)
   * 20年分+α…の道標 (19年+当日1年=20年分)
 19年近く、こつこつ書き続けてきたブログ。毎日、書くためのテーマ探しや、
内容の文章化に気をとられてジックリと読返す余裕などなかった。しかし最近、
YaHooがブログを一方的に廃止をした。そのサイトには、日常の軽い話題を紹介
するツブヤキのツイッター代りにした気ばらしに丁度良かった… で、無情に
オジャンに。 と同時期に、【分類コーナー】サイトも中止になった。
YaHooのブログの全てを『はてな』のブログに統合、改めて、機能をみ直すと、
そこには、『分類』と『ブログ内検索』の機能があった。それに私が気付か
なかっただけ。そこで改めて過去文を読返すと、19年のエネルギーが道標とし、
残ってるようで新鮮に受け止められる。 それまでは、当日分を書く際に、
「過って書いたかどうか」を、『分類サイト』で内部検索して書いていた。 
iPadを家庭内でWI-FIで使っているが、家庭内の何処ても、何時でも、自分自身
と繋がることが可能になっている。間違えて入力した単語があるが、そこには
一日、2~3時間かけた文章が残っている。
 5月になると、19年分+当日1年分=20年分になる。それは、土台になるが、
縛りにもなる上に、知り得た限界の察知になる。 『事業百訓』も含めると、
道標は更に増える。 …で、黒鳥数匹で、このあり様。 何やってんねん!の
御宅そのもの。 気持ちが沈んだ時、自信喪失の時、突如の叱責で動揺した時、
己を取囲んだ小さな塀に入りこみ、しばし行蔵の世界で、黙考すると少しは自分
を取り戻せる。書き続ける秘儀は、私にとっても絶大。想定する相手は、今日の
私以外の私と、明日と私である。 …何やら変な感覚になってきた。
 
~以下の去年のテーマを読返すと、今年と同じく暖冬と不景気感が書いてある。
そのまま、今年にも使える内容。 今年は、これに加えて<新型コロナ>が
加わっている。サービス産業などの一線は、深刻で夜も眠れないだろう…   

・・・・・・
6546,閑話小題 ~地元長岡は、底知れぬ不景気感が…
2019年02月15日(金)
   * つれづれなるままに
☆ 先の3連休はYouTube観賞。今ではユーチューバ―で稼いでいるプロの一群が
 存在して、その内容は日々向上している。 1万のフォロアーで千円が相場。
 土日・祭日など週末にはテーマを絞って集中して見ている。 先週末は、
「ドローンレース」。先々週は「街中闘牛」。その前は「世界の景観」。これが、
 数カ月単位で大幅に内容が更新される。これでは地上波の番組は廃れて当然。
 今まではパソコンで見ていたのを大型TVに移行しただけで面白さが倍増する。
 刺激的動画を検索で探して見ていると、受動的に見ていたTVを、能動的にみて
 いるような感覚が奇妙。 その上に、Wowowで次々と映画や、新シリーズの
 ドラマが放映されるのを録画をするが、限られた時間の中で、300本の録画分
 を見ないまま消去することが多くなる。その繰返しが在庫の質を上げるため、
 面白いのが残る。映しださる世界は竜宮城の世界。 御宅とはかくあらん。 
 確かにバカになるが否かは内容による。10~15日もかけて辿り着いたベスト
 ポイント絶景が現地の視覚より鮮明に映し出されるため、連日、感動、感激
 の連続。20年前に買って目の前の書棚に鎮座してある『世界のプピリチュアル・
 スポット』という大型写真集。 何これ?である。尤も、YouTubeの目録と
 割切れば良いだけだが。<何時も、TVのことばかり書いている… それだけ、
 撮影機種や、ドローンなどや、受信機能が向上。一般人が様々な視点から
 新鮮な画面を投稿するようになった。

☆ 積雪が、この時節まできて30~40㎝とは少ない。そこで各店が慌てて冬物の
 逃げ切りバーゲンに入って暫くになる。恒例の冬物衣料の半額セールを目指し、
 イオンの紳士服売場を覗いたが、そこは売れ残りの山。 他山の石でも… 
 地元もスキー場も小雪で苦戦。
☆ ヨーカ堂が昨日、閉店をした、この半年で長岡、柏崎、上越店が閉店。
 家内が週に2回、川西のイオンのSJに行く。 数日前に駅でバスを下りて、
 ヨーカ堂を振返ってみると閉鎖…。 帰路、駅内専門街の「こころ」は、幾つ
 かの店が廃店。北銀は第四に吸収。そして、近くの地元スーパーに立寄ると、
 食品の値上げ。何やら底知れない恐怖を覚えたという。
☆ 女子大生の殺人事件。図書館で週刊誌の立読みで、援助交際の金銭トラブル?。 
 約束の金額の支払いで揉めた結果の殺人? 15~30万につられて… 
 真面目な身持ちが固そうなお嬢さん風で! 一行にすると
〔女子大生、無銭援交・居直り殺人事件〕何やら薄気味悪い時代になった。

・・・・・・
6182,閑話小題 ~座禅は心の安楽死 ー5
2018年02月15日(木)            
         『坐禅は心の安楽死~ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著)
   * ピラミッド・パワー
著者の横尾は、家で座戦をする時は、瞑想用のピラミッド・テントを使う。
アメリカから取り寄せたもので、瞑想用につくられたもの。 これはエジプトの
ギゼーと同じ精密な比率を持ったもので、人体に実際に反映し、エネルギー場を
反射し、生成、蓄積することがあるということから、開発されたもの。私が
20歳代半ばの頃だったが、世界的大ブームになって、カーター大統領の出身地の
ジョージア州では60%の家庭が、ピラミッドを所有しており、テキサスのラレド
の病院でもピラミッド・テントが病室に置かれているという。ファラオの墓
して建てられたとした説が、『人間成長の器械』として建てられた説が有力に
なっている。 ピラミッドによって発生するエネルギー場が人間の意識を上昇
させる目的という説である。 ~そこで、ウィキペディアで検索すると~

・ピラミッドパワーとは、ピラミッド形の物体に宿っているとされる
 不思議な力のこと。
・1930年、エジプトのギザにあるクフ王のピラミッドを見学していた
 アントワーヌ・ボビーが、ピラミッド内に残された死骸が脱水状態である
 ことに不審を抱いて、再現実験を行ったのが最初と言われる。
・腐敗を防いだり、精神を集中させて悟りを開いたり大幅に頭の回転が速く
 なったりさせるといった効果があるとされているが、科学的根拠が無いため
 疑似科学の一つと考えられることが多い。日本では1970年代から1980年代
 にかけブームとなった。
目次
1 語られている効果
2 ピラミッド(形)の条件など
3 ピラミッドパワーに関する諸説 
  3.1 「生命力を活性化させ、腐敗を防ぐ」説
 3.2 「中のものを乾燥させる」説
 3.3 「精神集中を助ける」説
 3.4 学者の見解

1 語られている効果
腐敗(細菌繁殖)の抑制
剃刀の刃の寿命が延びる
静電気の発生
瞑想、ヒーリング(癒し)効果
植物の成長促進効果
食品の味が(マイルドに)変わる

2 ピラミッド(形)の条件など
正四角錐であること。
方角を南北合わせること。
パイプ等で稜線を構成するのみでも可
形状が大きい程、効果が大きいといわれる。

3 ピラミッドパワーに関する諸説
1、「生命力を活性化させ、腐敗を防ぐ」説
ピラミッドの形そのものが宇宙エネルギーなどを受けて、その内部に
おかれたものの生命力を活性化させる効果があるため、人間は元気になり、
食品などの腐敗を防ぐ効果があるという説。
2、「中のものを乾燥させる」説
ピラミッドはその内部におかれたものの水分を
奪い去る力を発揮するという説。
3、「精神集中を助ける」説
ピラミッド型の施設の中で瞑想をすると悟りにいたる道が開かれるという説。
4、学者の見解
エジプト研究の学者である早稲田大学(現在客員教授)の吉村作治は、
ピラミッドの中で物が腐敗しないなどいわゆる「ピラミッドパワー」が
起こるのはピラミッドに使用されている石材の石質が磁性体であるために
ピラミッド内部に磁場が生じて起こるレナード効果現象であって、ピラミッド
の形(正四角錐)によって起こるという説はまったくのでたらめである、と
述べている。
――
▼ 半世紀前の世界的ブームで、ピラミッド・パワーについての知識はあり、
 以来、TV番組で取上げられたのを見てきたが、半信半疑の域を出なかった。
人生を振返ると<見て見えず、知ったつもりで何も知らなかった>に、尽きる。
年齢もあってか、バカの壁が低くなったのか、受入れ能力が出てきたようだ。
横尾のテントの中での効果についての記述が、面白い!  ~つづく

――――
5815,緩和小題 ~しまった! ー見れど見えずー 3
2017年02月15日(水)     
        < しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 見ていても見えているとは限らない
「人生の幸せは金ではなくその人に与えられた時間の過ごし方にある」が良い。
 古希も過ぎ、70歳代に入り一年。残された時間は、5~10年在るか無しか。
その間の過ごし方は、やり残したことを遣り、好きなことを好きなようにして
過ごすこと。 その点、現状は満足できるといってよい。
 6年前のリタイア時に、精神のバランスを崩さないためにと、少し厳しめの
一日、一週単位のスケジュールをたて、実行し、現在に至っている。
「習慣は第二の自己」というが、その点、我ながら充実している。16年続けて
いる、この「随想日記」の掲載が『核』になる。与えられた時間を好きなこと
に徹せるなら、これほどの幸せはない。で、書きながら思うことは、これまで
気づかなかった、「しまった!」ことばかり。 人生すべからく「ったく!」
と、「あ~良かった!」で、「まっ、いいか」の諦念で成立っている。そこで、 
美空ひばりの<悲しい酒>の台詞が落ちになる。 この本には、面白い逸話が
次々と出てくる。上手くいった背後には、失敗が数限りあるが、人はそれを
敢えて表立てないだけ。「失敗したって良いじゃないか」は、結果オオライ
なればこそ言えること。その上に、「手ごわい、あと知恵バイアス」がある。
その上に、「見ていても見えているとは限らない」ときている。真に見える
のが、目の前にたてた一本の指の幅2cmだけ。人間とはそんなもの。
 その一つが、「不思議なドアの実験」
<仕掛け人の「よそ者」に、大学を歩いている学生に道を尋ねるように指示。
 この実験にはヒネリがはいっていて、よそ者と学生の間を、ドアを運ぶ二人
 の学生が割って入る。その時、ドアを運ぶ1人が「よそ者」と入れ替わる。
 ドアを通り過ぎた時には別人の男は素知らぬ顔で話しを続けるが、歩行者は、
 そのことに気づいたか?という実験。 実は気づかない方が多かった。
 気づいたのは15人にうち7人だけだった。>
信じられない結果だが、気付いた7人は、ほぼ同年代の人だったという。
TVのお笑いで、SC内のモールで、同じ設定で違う人と入れ替わり、その驚きの
反応をみて笑いをとるの場面を見たことがある。 それだめでない、
<厳しいはずの運輸安全局の潜入調査によると、飛行機に乗客の拳銃検査で、
 4丁に1丁の割で、手荷物に隠した爆弾と、材料の60%が見落とされた。>
彼らエキスパートですら見落とすのだから、私たちは何おかいわんや。>
初回にみる映画より、二度目の方が、画面を冷静にみるため、新鮮に思える
経験が誰にでもある。映画館を出たと同時に、全てが忘却の彼方。
本も新聞も雑誌なら、尚のこと。で、こうして書き残し、毎年、読み返す。
「見てなくとも、見ている気になっているのが、凡庸な我々、問題は自覚が
出来ているかどうか。少ないほどゾンビ人間に陥っていく。要するに世間様!
・・・・・・
5085,真の友人 ー楽しく生きる一日一話 ~�
2015年02月15日(日)
    * 真の友人   【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)
 私に真の友人がいただろうか? 学生時代からの友人が存在するし、
仕事での付合いから、気心が知れた人が何人かいる。そういう人は、年に
一度か、数年に一度しか会わないが、それで十分。この随想日記は、一方的
に、友人にトッテオキの情報を知らせる感覚で書いている。 その意味で、
ビュアーは私と会っていると同じ? しかし残念ながら、知人で同じ感覚で
ブログを書いている人はいない。今ではソーシャル・ネットワークもあるが、
何か参加する気になれない。 ー以下のドイツ人の友人観に同感するー
≪  ある日本人がドイツ人に尋ねられた。
 「あなたに友人はどれくらいいますか」
 日本人は、『さあ、百人か二百人くらい……」と答えたが、
 それを聞いてドイツ人は驚いたという。 
  ドイツでは、その人のために自分を犠牲にできる人 
 ――自分が何も言わなくても、自分をわかってくれる人――
 この二つの条件が満たされて、はじめて「友人」と言えるそうだ。
 だとすれば、百人も二百人も友人がいるわけがない。
  ドイツ人が驚くのも無理はない。
 わたしたち日本人は、いささか「友人」を安売りしているのではないか…。
 簡単に友人ができる、友人をつくれる、と思い込んでいる。
 だから、自分に友人がいないとさびしくなる。
  しかし、真の「友人」というものは、一生に一人得られるか否か、
 といった存在なのだ。そう考えると、いま自分に「友人」がいなくても
 悲しむ必要はない。これから死ぬまでのあいだに、真の「友人」に
 めぐりあえぱいいからである。きっとチャンスはあるであろう。 ≫
▼ 以前、トーク番組で、『私には友人がいません!』といってのけ、
 周囲が一瞬、静寂になった、のが印象的だった。これを公然と言放つには
強さが必要である。20歳時に、両親の後姿から、創業を決意した時から、
自ら友情を求めない孤独業、一種の自閉症になっていた。といえ、友人は
存在していたが。 創業を決意して見えるのは、自分の卑小、無能だけ。
しかし、今さら後には退けない袋小路で、その都度、友人ができていった。
・・・・・
3613, 旅ばなし 小題
2011年02月15日(火)
  * マッターホルンの登山ツアー
 先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。
それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。
ここはアルプスの中で最後まで登山を許さなかった標高は4478メールの魔の山
140年前に初めて英国の7人の登山家によって征服された。しかし下山の途中に
4人が足を滑らせて死んでしまった。その山頂へ地元のプロ登山家のガイドが
先導して登る内容を克明に記録した内容。もちろんクライマーは経験者で、
登山前に近くの山頂へのロッククライミングで、その人の能力がガイドによって
試され、合格者のみが登山が許される。コースは決まっているので何組も同じ
コース登っていたことには驚いてしまった。もちろん、一つ間違えば滑落して
死んでしまう。頂上には、登って休んでいる先着者が何組かいて、パラダイス
を眺めていた。そのガイドは70回以上登っているという。 その頂上から見る
パノラマの素晴らしいこと、この上ない。スイスには何回か行っているが、
学生時代の車窓からみた景色の美しさは今でも忘れることが出来ない。
スイスツアーにトレッキングのコースもあるが、山は、その時の天候で大きく
左右される。外れたら、山頂からの景色は霧一色で覆われて何も見えない
リスクが伴なう。近くの丘のビューポイントからのマッターホルンは絶品。
天候に恵まれた場合になるが、スイス山岳ツアーはお勧めである。
ここと、カナダのロッキー、ヒマラヤ、北スペインのピレーネの絶景は、
深く心に刻みついている。一度行ったところは、TV放送で再び楽しめてよい。

・・・・・
6911,映画観賞 +6910,『1917 ―命をかけた伝令』
2020年02月15日(土) 
    +6910、『正体をみせ始めた新型コロナ』
           <昨日、アップミスだったような…>
   * 正体をみせ始めた新型コロナ
 さて、伝染病は如何に?と、ネットニュースをみると、刺激的なニュースが.…。
この数日来、楽観論とは裏腹の感染者と死亡者数のニュースが流されている。
問題は、対応する薬品が皆無なこと。まだ感染者の死亡率が低いので、パニック
にならないが… としても、やはり非常事態だろう。義妹が、数日前に銀座に
行ったところ、普段の半分ぐらいで閑散としており、あれだけいた中国人の姿が
皆無だったとか。中国以外の国で、静かに浸透しているコロナ菌が、本格的に
表だってくるのが来週あたりか。これでは、誰も人混みの中に行けるわけがない。
株の暴落が起きてないのが、摩訶不思議。
   ―YaHoo ニュースより―
≪ ~新型肺炎 1日で感染者1万5000人増の衝撃~
封じ込め作戦は破綻したのか 湖北省武漢市トップを更迭
13日、死者1300人、感染者6万人を突破。1日の感染者数(日計)は
約1万5100人とこれまでの最高だった約4000人を大幅に上回りました。
 死者の数も日計で12日に255人を記録。10日の108人を上回りました。
1月23日以降、武漢市とその周辺の5600万人を“集団隔離”した封じ
込めは功を奏していないのでしょうか。
◉ これまでに確認された感染者6万332人のうち4万8206人が湖北省に集中
(約80%)しています。インペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンターも中国
の感染者数が重症化した患者に限られているのに対し、中国国外の感染者には
症状が現れていないマイルドなケースも含まれていると指摘していました。
◉ 一方、横浜港で隔離されているイギリス船籍のクルーズ船「ダイヤモンド・
プリンセス」で新たに44人の感染が確認され、感染が確認された乗員乗客は
218人となりました。中国国外では最大の感染者数です。
クルーズ船は感染症に脆弱で、「海に浮かぶ培養皿」と呼ばれているほど。

  ~1879年の「海港虎列刺病伝染予防規則」~
感染症が大きなニュースになると必ずと言って良いほど新聞のコラムに登場
するのが「コレラ船」の話です。幕末の開国で外国との交易が盛んになり、
感染症を水際で防ぐため1879年「海港虎列刺(コレラ)病伝染予防規則」が
公布されました。 その年、コレラが流行していた清からやって来たドイツ船
ヘスペリア号が検疫を拒否し、横浜に入港しました。当時、列強ドイツには
治外法権が認められており、日本は手出しできなかった。因果関係ははっきり
しませんが、その後、日本ではコレラが大流行し、死者10万人を数えました。≫


▼ これでは、オリンピック開催云々の話どころでなくなった。
 経済恐慌レベルのブラックスワンの飛来云々の可能性が? 
これにタクシー運転手の感染と、義母の死亡も不特定多数への感染の可能性も。
 ところで、トヨタの中古のコロナの相場が暴落しており、近く『新型コロナ』
が売り出されるが、この流感と同名でいいんでしょうか? 
これでは大相撲観戦、プロ野球観戦、春の甲子園、そしてデズニ―ランドなども、
その対策が出てきた。これってタイミング的にみて、大問題になって然るべき。

 ――――
 6911,映画観賞 ~『1917―命をかけた伝令』
  * 迷った挙句…
 恐そうだったが、邦モノの喜劇と、ドチラかと迷った挙句、これにした。
ところが、正解、面白かった。戦場に二人が伝令に出たところから、小さな
不安をかきたてる背景音が鳴り響く。そして、途中で、二人のうちの1人が
死んでしまう。それからは、完全に当人になったような臨場感が強くなる。
                         評価:90点
押井守(映画監督)
『延々と続く塹壕を果てしなき長廻しでワンショット。凄いアクションもない
けど何より映画のスケールそのものを堪能できました。泥だらけなのに映像の
美しさは特筆もの。戦争映画なのに抒情的。いろんな意味で注目の一作です。』

■浅野美奈弥(モデル/料理家)
『途中、何度もやめたくなるけど諦めずに走り続けるというまさにフルマラソン
のような映画。主人公の気持ちと自分がマラソンの大会を走る時の気持ちが
リンクしてとても感動しました。さらにワンカットという点もみどころで、終始
ドキドキする緊張感を味わって観てもらえると思います。』
神山健治(アニメーション監督)
『見始めて3分で嫌な予感がひろがる。主人公が置かれる状況も全編ワンカット
で撮影する技法も。シンプルだが困難なワンカット撮影に挑戦する映画は何年か
ごとに現れる。だがこの作品のワンカット撮影は物語が描き出さんとするテーマ
を補完して余りあるものだ。気がつけばワンカットで撮影されていることを忘れ、
主人公とともに戦場を駆けていた。素晴らしい、これぞ映画だ。』
■和田竜(作家)
『セリフも少ないし、兵士たちの背景も特に説明していない。にもかかわらず、
否応なく私たちは本作に没入し、劇的な場面ではかつてない衝撃を体験する。
最後にホッと希望も得られる。これもひとえに全編ワンカット映像だからこそ。』

 ―
▼ 映画の世界は、大画面と大音響が加わり、その臨場感は一段と高まった!
 私の場合、一週間のピークポイントをシネマ館での映画観賞。それだけの
ことは充分ある! 毎日の中でも、寝室内の閉ざされた空間でのドラマ観賞も
異世界に導いてくれる。また、このネットサーフィンも然り。
 ―
 ところで、新型コロナのその後、ますます、事態は深刻になってきた。
《国内の「市中感染」連鎖を警戒  経路不明、重症化対応が急務
                 2/14(金) 22:15配信  産経新聞
【 新型コロナウイルスをめぐり、日本国内で感染経路が「不明」の感染者が
 相次いで見つかり、日常生活の中で広がる「市中感染」が現実味を帯びている。
専門家は「新しい局面に入った」と警戒感を強め、重症者の早期発見と適切な
治療の必要性を呼びかける。いまだに3千人超の乗客乗員を抱え、感染者が後を
絶たないクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応も続く中、国内の
検査・医療態勢は十分といえるのか。】

閑話小題 ~YouTubeネタ -3

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   * 信じられない程リアルな映像
 ドローンが、一つの空軍基地を襲って、完全破壊する動画。それも、米軍が
中東の国を攻撃かと思いきや、最後に、オスプレーが数機も破壊された映像が
有り、攻撃されたのが米軍と知る。ならば、表立ったないのは理解できる。
もしかして、ロシアか、中国の捏造動画の可能性もある。ジェット機が数機も
破壊され… ヘリコプターが次々と撃墜され… ミサイルが幾つか破壊されて、
戦車が次々と破壊されていく。
 これは戦争映像だが、北朝鮮か、中東の敵対国の映像なら理解できる。
軍人が機関銃で次々と殺されていく様は、ゲームのようである。
ドローンでロックされたら助からない。 この戦闘場面が、YouTubeで流される
のだから… 数年前には「IS」が、斬首した首を幾つも曝した画面が投稿して
あった。それと油をつけて焼き殺した画面も、あった。 近くにドローンの臨時
基地を設け、衛星基地の中継からの情報で攻撃するため、証拠が残らない為に
成す術が無いため、こういう現象が起こるのだろう。何よりも、こういう実態が
ネット上に公然と流される恐ろしさである。
  
  ――
   * ワクチン投与が始まり…
 世界は絶望の果てにあったが、ワクチンの投与が始まり、何となく、楽観的に
なっている。さてどうなるのか? これだけは、その時節になってみないと判断
できない。岐路に立たされた個人、会社の当事者の判断は難しい! 数年経過し
なければ、分らない! まだまだ、序盤である。昨晩に、東北大震災の余震が
宮城県で発生したが、被害は最小のようだ。それだけ、その震災は大規模だった
と専門家は宣っている。まだまだ、突然、不確定要素の問題が、発生するのが、
この一連のシリーズ。

・・・・・・
6545,読書日記 ~人生における読書の効能 ~4
2019年02月14日(木)
             『本を読む人だけが手にするもの』藤原和博(著)
   * 読書は私の人生にこんなに役立った(第三章)
 若者向きに書いているので、このような言い方になるなるのだろうが、
『人生における読書の役割とは?』が適切な問いかけだろう。それを軸に、
青少年期を振返ると、成るほど、人生の「どん底」時に縋るように読んだ本が
自分を支えてくれ、精神の滋養になっていた。それらが、精神的支柱になり現在
に至っている。そして、それらを抱いて死んでいく。 
 …次々と襲いくる挫折感。そこで自分の弱さと直面する。その時、書店や
図書館で見つけた本で魂が救われたことしばしば。何の手がかりも見出せない中、
フッと灯を、先人の言葉、行蔵の中で見出し、独り言を呟きながら嚙みしみた
言葉。それが重要な分岐点になる。学生時代、新たな門出に向って気持ちが
大揺れの頃、ロマンローランの『ベートーヴェンの生涯』の
「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」
「 良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐える
 ことができる」。
聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげた人物。
狂人と天才は紙一重そのままの人生を過ごした大作曲家。
  ロマンローランで想いだすのが、
<もっとも偉大な人々は、人に知られることなく死んでいった。
   人々が知るブッダやキリストは、第二流の英雄なのだ。>
金沢時代の25~6歳の頃、大本教を知った。その生々しい重厚な教義をモデルに
した高橋和巳の『邪宗門』も、気持ちがどん底が故に人生の何たるかを垣間
見ることが出来た。学生時代の前半に、新約聖書、日本純文学書を読み込んで
いたことが、長い人生で非常にプラスに働いていた。最後は独りだけ…
「経験と知識と情報」の質・量の総計と、両親からの血筋が、その人そのもの。
それと、触媒の質も… 更に挫折という節目も。その限界の眼鏡で、私たちは
世界を感じ、考えているに過ぎない。殆ど知らないで、何も味わうこともなく、
小さなミクロの粟粒が、膨大の宇宙の中で彷徨い、浮いているだけ。読書は、
それを教えてくれる媒体。司馬遼太郎シリーズ、海音寺長五郎の『天と地』
孫子』。などなど、独り自分の世界に閉じ籠って孤高になる時間の快楽。
それこそが人生の滋養である。 
 <達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ>
                        の 禅言葉もある… 
・・・・・・
3977, 人生を振り返る時節に
2012年02月14日(火)
 還暦を過ぎ60代半ばを越えて、そろそろ人生の整理に入る時節に入った。
一年近く前に会社も倒産し、事業人生を終えてしまった。後悔も、未練も全く
ないのが自分でも不思議である。しかし時間に余裕が出来、気持ちも落ち
着いた現在、人間は時代の波に漂う存在でしかないことに思いやられる。
 出身の長岡市が生まれる直前の戦災で、両親も含めた我家全て焼け出された。 
子供の頃の記憶は3歳位から始まるというが、私は生後三ヶ月から始まっている。 
大人数の中で育ったこともあるのだろう。 長岡の商店街の真っ只中で何時も
独りで遊んでいた。その習性が、そのまま現在に至っている。 幼児の頃から
住み込み従業員と10人の家族の中で、常に周辺の人の顔色を窺っていたが、
それが刺激的であった。そして年齢を重ねるのと同時に、経済が成長していく
右上がり社会で、その豊かさを享受してきた人生だった。それも20年前の
バブル崩壊で、一挙に右下がり経済になり、それと正比例した引き潮に私の事業
も浚われてしまった。それでも66年を振り返れば、ベストの時代に生きることが
出来たと両親に国家に天(運命)に感謝している。人生の満足度では90点以上。
しかし振り返るとフラッシュのように恥ずかしい場面が次々に思い出される。
それでも嫌なことより、良いことが数倍あった実感が気休めになる。 
時代と家庭に恵まれて、社会に出てからも独学を続けてきたこともある。 
で、これだが問題はこれから。 老齢は、おのずから病気、老い、死の問題が
背後から追い越し目前に突きつけられる。 自然と気持ちが暗くなり、慢性
老人性鬱症が付きまとう。初老の心象風景とはこんなものかと思っているうちに、
中老になっていく。人生それぞれの年齢の心象風景は、それなりに微妙な味がし
面白い。やはり、読書と芸術と自然に深く触れることが晩年の味。人生万歳!
 
・・・・・・
5814,緩和小題 ~しまった! ー概要とは?  ー 2
2017年02月14日(火)
          < しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 概要とは?
「しまった!」で一番多いのが結婚相手の選定。ベルギー、ポルトガルなどは
7割が、アメリカでは5割以上、日本は3割半ばが離婚に至っている。家庭内離婚
を含めると9割が破綻している? とはいえ、家庭だけは持ってみないと…
 失敗を最小にとどめるに、知識と情報が必要。 ここで、
<医師の84%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
だが、自分が影響されていると考える医師はわずか16%しかいない。> 
成る程、日本は贈答社会(ミニ収賄社会)であるわけだ。
   ~Amazonの内容紹介~
≪ 「人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、
 面白くてネタになるトピックを「これでもか」というぐらい集めて
 分析した本です。たとえば・・・・・・
★レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という
 誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
 その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、
 「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、
 利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか
 「記憶」そのものになってしまうことがある。
★一般的に、男は自分を持ち上げるために、
 女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度における三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的同期には左右されない。
(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)≫
――
▼ 上記の中で、【☆人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話
 をつくり変える。☆無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうち
に、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。】などは、如何に
世間話の「噂話」が奇形されて流布されるかを端的に言い当てている。
9割は好い加減な馬鹿話。それを信じ真面目に論じているのが、世間人。
 ・・・・・・
4719,「余命3カ月」のウソ  ー3
2014年02月14日(金)
  * 苦しみ抜いて死に至るがん治療 
             ー「余命3カ月」のウソー近藤誠 (著) 
 著者は、現在のがん治療は拷問するために生かしておくようなもので、角を
矯めて牛を殺す喩えそのもの。がんを治そうとして本体を痛めつけ、死に至ら
しめる危険が大きい。ー以下は、その典型。知り尽くしているのに、であるー
《 名誉総長はこう語っています。{妻は抗がん剤のつらい治療も受けてくれ
 ました。1回目はマーカーが下り、喜びました。しかし、2回目からは効果が
なく、副作用ばかりが出てきた。薬を代えたのですが、今度は口内炎、食道炎が
ひどく、食べるのもつらそうで、かわいそうでした。医師も転移したリンパ節
1個は治せると思っていたはずで、前向きに治療していました。
 しかし、最後は敗戦処理のような感じにもなりました。抗がん剤の効果を
本当は信じていなくても、前向きに闘いたいという気持ちでした}。妻が余命
3ヶ月と思われる時期を迎えても、「緩和ケアのことは考えませんでした。
迷うことなく再入院し治療を」と、玉砕しか考えていない。ふともらした
敗戦処理」「抗がん剤の効果を本当は信じていなくても」という言葉に、
がん治療の恐ろしさが集約されています。医者はこのように「がんと闘う」の
一点張りで、効果を信じてもいない残酷な治療を患者に次次へと平気で押し
つけるのです。患者がどれほど苦しみ、弱っていようと。がんセンター名誉総長
の妻は一度だけ「こんなつらい治療を受けたのは、あなたのためですよ」
とつぶやいたそうです。・・・ 》 
▼ 老人ホームの専門医の中村仁一が、「ホームでの放置患者は、ほとんど
 苦しまず亡くなっている」という事実が、上記の名誉総長の妻の悲惨さの
逆を物語る。私の父がスキルス性胃がんになって、余命半年~一年と身内に
宣告された。そこで当時名医といわれた東京女子医大の中山教授に執刀して
もらったが、一年で亡くなった。父は亡くなる直前、「あれほど苦しむなら、
死んだ方がまし、同じならしない方が良かった!」と、こっそり打ち明けた。
死ぬ間際の肉体的苦痛は、それは酷く、「結果はどうであれ、モルヒネ
うって苦痛を止めてくれ」になっていた。 がん死か、痴呆老人になって紐に
繋がれ死んでいくか、どうするか?と言われたら、私は前者の選択になる。
酒の飲みすぎの罰として、モルヒネの効きは飲んだ量に比例して悪くなる。 
神は生きていたくなるほどの苦痛を与え、天に召されるようだ。だから
生きている内、五感と肉体がしっかりしている内、楽しめる内に、積極一貫
に生きるしかない。成るほど、後ろに感じた死神が、そろそろ横並びになり、
数年後は正面から? 死ぬべき時には死ぬが良い!ということ。 
 

閑話小題 ~始った地銀の合理化

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   * 地元の地銀の合併から二ヶ月
 地元の地銀同士の合併が4年前に発表され、年明けに統合されたが、地銀情報
に詳しい知人から、その生々しい話題が入ってきた。仕事文化の違いと圧倒的
仕事量から、被対象の銀行員が次々と、辞めだしているとか… 聞えてくるだけ
でも、現場感覚が生で伝わってくるようだ。耐えきれない程の仕事量を与えて
心を折るのは彼らの得意分野。このコロナ禍で、合併も必要悪になる。

≪【地方銀行のリアル】第四銀行新潟県)―北越銀行を“併呑”する公家集団
                    2017-06-14T23:34:02+09:00
「言葉を選んで慎重に進めているが、実質的には第四による併呑だ。北越のいい
部分をとって、冷え込む地元経済の心臓として新たなスタートを切ってもらいたい」
地元経済団体である『新潟県経営者協会』の有力企業幹部は、こう期待を語る。
今年3月にインターネット媒体の報道を皮切りとして明るみに出た地元地銀
第四銀行』と『北越銀行』の合併。翌4月5日には正式に両者が合意文書を交わし、
来年4月の持株会社発足と、オリンピックイヤーである2020年の合併銀行スタート
に向けて動き出した。合併ついて、「地元メディアは殆どノーマークだった」
(『新潟日報』関係者)という。同日の会見で第四銀行の並木富士雄頭取は、
「昨年12月、荒城(哲、北越銀行)頭取に『将来的な経営統合を視野に入れた
話し合いをしてみないか?』と申し上げた」と経緯を明かした。第一地銀である
第四銀行から手を差し伸べた格好だが、実際には「金融庁が両行を焚き付けた
というのが正確」だ。北越側から合併を申し入れれば、足元をみられる。
形だけでも第四から持ちかけたことにして、話は漸く前に進んだ。
“最古のナンバー銀行”――。第四銀行には、この肩書がついて回る。
明治政府が各地に設立した国立銀行は、設立された順に機械的に第一銀行・
第二銀行…と名付けられた。第一銀行は後に『第一勧業銀行』となり、現在の
みずほ銀行』に繫がる等、当時の名前を残す銀行は少ない。その中で第四銀行
は、看板を変えずに現在まで残っている銀行の中で一番歴史が長いのだ。
「これは第四銀行マンの誇りになっている」。地元金融機関関係者は、こう語る。】

・・・・・・
6544,閑話小題 ~北越第四銀行の統合 -4
2019年02月13日(水)
   * 時代の変化は全てを飲みこんでいく
 駅で北越銀行出身の知人とすれ違った時に、『如何なんだ?』と聞くと、
誰からも同じ質問をされ?でウンザリした顔で『新聞発表以外は何も知らないが、
吸収合併さ!私には、もう関係ないが…』と…。 聞く方も聞く方だが。現役
だけでなくOBまで肩身が狭くなる典型? 目立たない生活をすれば、それなりに
良い思いをしていた団塊の世代。 娑婆という言葉がピッタリの社会で、吸収
されるサイド、特にリストラ対象の管理職は厳しい。 元もと、行員は実家が
豊かな人を優先して採用するから、さほど深刻ではない? のが実情…。
 <サラリーマンには二種類ある。実家が裕福か、貧乏か>という。
そこに自ずから資金力の格差がある。 学生時代の友人によると~
< 都会のリタイア組にも二種類の階層があって、連れに拘束されない資金が
 1000万あるか無しかが階層ライン! > まあ、面白いもの。
切れた首輪の紐を付けたまま彷徨う一群。社会は変われど地銀だけは守られて
きたが、一度、堰が切れれば世界が一変。 営業悪化の資金難など地域社会の
粗探しが職業故に、心底、嫌悪される職業なればこそ‘返り矢’が集中する!
看板が地に落ちれば、如何に自分の能力が看板との融合で生かされてきたかが
実感させられることになる。‘同じ雪には変わらねど、融けてしまえば皆同じ!’ 
元武士の家系程度しか誇るものがない、ここは窒息しそうな城下町の閉鎖社会! 
高みの見物の、それが無くなれば…。 問題はライフワークが有り無し?
 OB同士のゴルフで寂しさを紛らわす生活も、ここまで? せっかく職業の縛り
から解放されて、余白を埋める時節に、切れた紐付きの首輪のままでは、蛇の
ような目つきの老人になり下がる? 『どうしたら、なる?』と自問自答の末、
『節目に節目を打たず、そのまま生きていると、ああなる!』…
人の世は、あくまでクオリティの純度である。 

 ところで古希過ぎた辺りから独り遊びが益々、面白くなって、死にたくなく
なってきたから困ったもの。成るほど、人生プラスが3~6、マイナス1だが、
両者とも年齢を重ねていくと、濃度が飛躍的に濃くなっていく。特に老いの
実感は何とも面白い心的映像、それも人生全体の、底に沈んでいた心象風景が
突然、湧き上がってきて、自己否定と、肯定感が根こそぎ動揺をする。
伊勢丹三越を、大丸が松坂屋を、西武百貨店ヨーカ堂が傘下に置く時代。
第四が、北越を吸収合併も何ら不思議でない時代。

――――
2017/03/17
閑話小題 ~北越第四銀行経営統合
  * 北越第四銀行経営統合、の号砲一発
 昨日の夕方、TVのニュースで「地元NO・1と、NO・2の地銀の統合合併の
ニュースが報じられた。 6年前に一線を離れた身としても、驚きは大きい。
実際にあるとすれば、元・第二地銀大光銀行北越銀行と思って当然。
まさか殿様?の北越第四銀行とは鳩に鉄砲の組合せ。
「合併に対等はなし」の通例からして第四の吸収になるが、目的は人員と
関連会社の整理。機械化と、ネット化などの合理化で、人員の三分の?が
不要になるという。ニュースであまり取上げられてないが、2年前の
北陸新幹線開通のマイナス効果。それと、二つの地元の大地震の損害と
原発停止による経済の弱体化も大きな要素。 
 ~ネット記事から
≪・新潟県地方銀行で最大手の第四銀行(新潟)と二番手の北越銀行
(長岡)が経営統合する方向で最終調整に入ったことが、16日分かった。
4月にも基本合意を交わした上で、2018年春をめどに統合を目指す。
統合の形態は共同持ち株会社を設立して、2行が傘下にぶら下がる方式を検討。
将来的な2行の合併も視野に入れる。2行は統合による規模の利益の追及など
によって経営効率を高め、今後の生き残りを図る。
2016年9月末時点での2行の連結総資産額を単純合算すると、8.2兆円。
統合が実現すれば、全国の地銀約100行・グループの中で10位台に浮上
する、大規模な地銀グループが誕生することになる。
・2行を経営統合へと突き動かした要因は大きく二つ。
一つは、ここ数年で相次いでいる他の地銀再編と同じく、地元地域の人口減少と
超低金利環境だ。 国立社会保障・人口問題研究所によると、2行が地盤を持つ
新潟県における25年時点での15~64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少
するという推計結果(13年3月推計)が出ている。
2つめは、足元の経営環境も16年2月の日本銀行によるマイナス金利政策の導入
以降、一層厳しさを増している。超低金利の状況において、預金と貸出金の
金利差である利ざやの縮小が進んでいるためだ。
対前年同期比で見た、2行の16年4~12月期決算における業績がそれを示唆する。
一般事業会社の営業利益に当たる実質業務純益では、第四が26.7%減の117億円、
北越銀行が18.9%減の65億円。さらに、連結経常利益では2行共に3割以上の
減少という苦境に陥っている。この状況が長く続けば、将来的に地元である
新潟県の地域金融を支えられなくなるかもしれない。そんな危機感が2行を
統合交渉のテーブルに着かせた。≫
――
▼「15~64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少」は、この記事で知ったが、
 これは深刻な事態。常識的にみれば、中越地区は3割減?。これからして、
この合併は、当然といえば当然。第四にとって第二地銀との合併は避けて当然。
その結果が第四+北越銀行の組合せ。「地方経済の弱体化モデル地区の象徴」
として、越後長岡は取上げられる。全体エネルギーが、3分の2に落ちている
感はあったが… それでも合併で何とかなる?から、よいのか。
 今後10年で第四の3分の1、北越の2分1の人員と店舗の整理があって然るべき。
目的は時代に即した合理化。 地銀の整理淘汰の号砲一発。
今夜と明日の殿町の巷は如何なることに? 金融関係者は青い顔、中小・零細
経営者は赤い顔で。今さらだが、「毒喰えば皿まで」。県知事は建設省出身者
の選択しかなかった? 床柱だった北海道拓殖銀行の倒産は、地元道民が乾杯
をあげたという。地元は、如何なることに? 倒産でもないし… 
越後新潟も、新潟市一極化は、ますます顕著になる。ここというより、地方の
常識は非常識。負け犬の遠吠えでしかないが…  ワオ~ン。いや、キャン!
――――
2017/04/08
閑話小題 ~北越第四銀行経営統合 -2
   * 大蔵直轄統治の大光は
・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が
TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は
下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、
前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から
他県の有力な地銀との連合が筋道なるが…  考えてみれば、今まで動きが
無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の
疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行
まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。
 銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、
弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め
ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが
銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉
強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。
立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。
バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス
からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。
しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。
ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。
また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、
元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。
・大蔵官僚として、天領天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、
問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは官僚役人
の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は
絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ
浸かってしまった私。「先手の一策は、事後の百策に勝る」という。 
この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、
文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!」 

閑話小題 ~ある学生寮の人間模様 ~2

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    * 人生は悲喜こもごも

 後期高齢の入口に立ち、若い時分の己を振返ると、実に嫌な部分に赤面する。
 シェアハウス的生活は滅多に経験できないと思いきや、その後も、三年近くも
味わうことになる。これだけは、青年期しか経験できないこと。 …それぞれが
個々の問題を抱ているが、それぞれの悲喜こもごもが、合せ鏡のように直接的に、
間接的に見えてくる。その幅をつけるのが経験になる。兎に角、金の無いのが、
人間性を狂わせる。なら使わない手があるが、それでも遊びたいのが若さ。
ピンハネ詐欺で留置所住まいを数ヵ月したのも、隣室に居た。ウィーンに留学
していった人が二人もいた。「打つ、買う、飲む」が遊びだが、当時、学生運動
が華やかなりし頃、何故か、寮内には一人も、存在してなかった。寮内は仲間内
の飲み会が隔週ごとにあり、それは面白くて楽しくて、青春を謳歌していた。
人生のピーク時は、この時節だったことは間違いない。一度、両親の影響下から
抜出して、真っ新な自分と向き合う必要性は人生に有って然るべきである。
その分が、人生にプラス材料として残っている。逆に、様々な問題を抱え込み、
悶々とした日々でもあった。要するに過剰な知識と、目の前の断層が迫っていた
ことによる。 右上がり角度が鋭い時節というか… 淀みからの脱却というか…
一番、恵まれている時は、そのこと自体が気づかないもの! 
 逆に言えば、胡散臭い嫌な時節でもある。
 
・・・・・・
6908,閑話小題 ~野村元監督が逝去
2020年02月12日(水)
   * 克也と沙知代
   ~まずは、ネットニュースより~
 野村監督が亡くなった。夫人が亡くなられて、急に老け込んだ姿をTV画面で
見ることが多くなった。
【 南海、ヤクルト、阪神楽天で監督を務めたが、11日午前3時30分に
 死去した。84歳だった。家政婦が浴槽の中でぐったりしている野村さんを
見つけ、病院に搬送され、その後、死亡が確認されたという。
1954年にテスト生として南海に入団し、3年目からレギュラーに定着すると、
現役27年間にわたって球界を代表する捕手として活躍しました。歴代2位の通算
657本塁打、戦後初の三冠王などの強打で数々の記録を打ち立て、不動の正捕手
として南海の黄金時代を支えました。平成2年にヤクルトの監督に就任し、
ID野球」などデータを駆使した戦術を用いてチームを3回の日本一に導くなど
手腕を発揮しました。】

 ―
 野村克也といえば、猛妻の野村沙知絵女子。その彼女とわたりあった女剣劇
浅香光代。消えかけていた浅香のパフォーマンスの面もあったが、面白かった。
【 © 週刊女性PRIME:  当時の騒動を振返る浅香光代。91歳になる現在も役者・
 指導者として活動する70歳近い熟女同士が憎まれ口を叩き、舌戦を繰り広げる─。
ワイドショーにとって、こんなに“おいしいネタ”はなかった。
浅香光代さんは女剣劇のスターで、歯に衣着せぬ物言いで昔から有名人。
一方の野村沙知代さんも野球界の大物・野村克也さんの奥さんで、不遜な態度が
ウケて当時はメディアに引っ張りだこ。そんな個性の強い2人が言いたい放題の
口ゲンカをするんですから、面白くないわけがない」(ワイドショー関係者)
 長きにわたった“ミッチー・サッチー騒動”だが、20年近くがたった今、
当事者はどう思うのか。浅香本人にあの騒動を振り返ってもらった。
「あたし、元気でしょ! 声も大きいから、声を落としてって言われちゃうの」
91歳を迎える今もハキハキとした口調は健在! そんな彼女がサッチーと出会った
のは’97年。とあるパーティーだったそうだ。
「もともと、あたしと事実婚状態にある世志凡太さんと野村克也さんは若いころ
からの友人でね。その2人から“仲よくしてほしい”って紹介されたのがきっかけ
だったの」… 「あたしはお客様はおもてなしするのが当然だと思ってるの。
でもサッチーは毎日のようにウチに来て、寿司とか高いのをお願いするのよ(笑)」
 サッチーはおねだり上手なだけでなく、想像を超えた“厚かましさ”も持ち
合わせていた。…  …世間をにぎわせた熟女バトルは’01年12月にサッチーが
脱税容疑で逮捕されたことで収束。踏んだり蹴ったりだったはずの浅香だが、
彼女の口調はなぜか当時を懐かしんでいるようにも聞こえる。】
 ―
▼ 「王と長嶋は向日葵、俺は月見草」が口癖だった野村克也。大選手、名監督
 に訳ありの猛妻が控えていた。蔭でないところが、野村夫妻たるところ。そこに
目を付けた検察の強引な捜査も、なかなかなもの。さて、次は長嶋?王?張本? 
彼らも、イチロウの出現で、片隅に。 …それでも、その果たした一時代の功績は、
褒め称えることが出来る。 我々は、「巨人、大鵬、卵焼き」の時代に生きた。
その影の一人が亡くなった。 ご冥福を!

・・・・・・
6543,閑話小題 ~北越第四銀行の統合 -3
2019年02月12日(火)
   * 釈迦に説法ですか… 
 この発表で、新年度の4月から、現場の具体的リストラの手順に入る。
普通、内部的には、廃店予定の店は、残る店の「何々付け店」になる。
敵対してきた新潟の主が長岡の主を呑み込むため、プライド高き銀行マンの
悲喜こもごもの「帰り矢」風ドラマが生まれんとしている。都銀21行が3行に
集約された時の経緯と同じドラマが…、弱者にまわると現実社会は実に厳しい
ことは周知している? 
・街全体が弱体化しているため受皿が少ないのが大問題。
・それと職業柄、マイナス思考が強いため、潰しがきかない。 
・また中長期の準備があったかどうか? 
・最後は、最も銀行員の得意問題?の黒鳥の到来時の「資金準備」に行きつく。
・もう一つ、ライフワークを持ってるか… これしか危機は乗りきれない。
 即席ライフワークなら、週一のシネマ通いか、大型TVでWowow加入をしての
 映画三昧がある。
・あとは、野良犬、猫へのギアの切替。そう『態度価値』を切替えること。
 そう割切ると世界が俄然と面白くなる。これには、一度、孤立をして、
 孤独を噛みしめて、仲間たちとの「断捨離」から始めないと。
 野良猫、野良犬への切替は難しい必要条件! 今まで真白の五目の目が、
 振返ると、真っ黒にみえる爽快感? 面白さ! 実は、そこには空風しか
 吹いてなかった認識。比較脳しか持ち得なかった人生。
今さら孤立をいて独り考えろ!という方が土台無理。舟底には固定観念が、
ビッシリヘバリツイテ、重く動き辛い舟を、操縦しろと迫れれても、エンジン
そのものも錆がついて… こんなイメージが、先に立つ。人生を殺伐とするか
オアシスにするかは当人次第。文化都市長岡市民のエリートなら、準備万端? 
 
 ところで、先週、北越銀行OBの知人と駅で擦れ違いざまに… 
ああ、これは次回のテーマに。 この手の話題。小池に嵌った世空言。
他者に厳しく、吾が身に甘い世間話ですか。 一番嫌っているのに…
                          ~つづく
・・・・・・
5082,閑話小題 ~地方の現場では
2015年02月12日(木)
   * 佐渡経済からみえてくる地方経済の惨状
 ネットサーフィンをしていたら、ウェブ版産経新聞に以下の記事が載っていた。
内容は、去年4月のものだが、3月14日の北陸新幹線の開通で、更に追い詰め
られることになるが、止めるに止められないのが実情。 固定資産と、水道料金
の滞納の金額からみて、かなり重症。これは一部であって、地方経済全体が死に体
状態である。地方再生というが、土台無理。 その大都会も、行き着く先は、
ブラックホール化現象になる。周囲を吸い込んでいくが、最後は自滅状態。
≪ ~【島が危ない】第2部 佐渡に迫る影 産経ウエブ ~
 ◎ 一時、年間120万人の観光客で溢れていたが、長年にわたり減少が続き
 昨年は53万人にまで減った。島の主力産業だった観光業界は縮み続けている。
元県議の清野正男(64)によると、景気がよかったころの上客は全国の農協。
東京オリンピックと新潟国体以降、観光バスを連ね、百人規模の団体で訪れた島
には、大型ホテルができ、木造の小さな旅館も大きなホテルに変わっていった。
◎ 観光業の深刻さを表す数字は多い。平成24年度末現在で佐渡の固定資産税
 滞納者をみると、滞納額の1位から9位までがホテル、旅館業者。1位は
1億2255万円、2位は7307万円、3位は4102万円…と8位までが
1000万円以上だ。水道料金滞納者も、滞納額の1位から5位までがホテル、
旅館業者。1位は3397万円で2位は965万円。いずれも100万円以上を
滞納している。 ホテルや旅館の関係者からは悲鳴ともいえる声が聞かれる。
「道の駅がタダ同然だったように、値段うんぬんというより、どこでもいいから、
 うちのホテルを買ってほしい。このままやっていても赤字が膨らむだけだ」
「中国でもどこでもいいから買ってくれるところがあれば喜んで売りたい」
佐渡にはアベノミクスという言葉はない」
◎ 観光客激減にもがく佐渡。「トキや佐渡金山で話題を呼ぼうとしているが、
 なかなか難しい」と市議会の祝(ほうり)優雄議長は苦悩の表情をみせる。
甲斐市長は中国による観光施設の買収にも言及した。
「中国が山林をあさっているという形跡はないし、ホテルを買い占められている
こともない。むしろ、反対に高く買って経営でもしてくれればありがたい」
 そこには、経済疲弊から脱却するため、韓国に近づいていった長崎県
対馬と同じ構図が見えてくる。(宮本雅史) ≫
▼ 佐渡経済の惨状は、以前から聞いていたが、こんなもの。4年前、決断が
 出来なかったら、佐渡の同業者と同じ事態に至っていたのが実感できるため、
悲鳴が直接伝わる。 地方再生の名のもとに、地方経済の惨状は覆い隠される。
 これがアベノミクスの実態。政権は、任期さえ乗切れば好いだけ!

・・・・・・
4717,閑話小題 ー45年前の自分
2014年02月12日(水)
  * ゴーストライターの報酬は?
 一般的にゴーストライターの報酬の相場は幾らほどか?書籍、音楽の印税は
その一割が作家や作曲家の取り分になる。だから、ミリオンセーラーには、億
以上の報酬になる。「現代のベートーベン」のゴーストライターの場合、20曲で
700万。一曲35万円は決して安くはなく、CMソングで、40~50万。
フォークとかは100万が相場。 時と場合で、ゴーストに印税10%のうち、
2~3%が支払われることもある。物書きの場合、200Pで100万前後(50
~130万)で、雑誌のコラムの場合は2~3万。有名作家や作曲家は、ゴースト
ライターから出版社や、レコード会社に認められ世に出てきた人が多いようだ。
で今回、本当か嘘か、男同士の愛情関係の縺れ?と誰かタレントが話していたが、
話題としては面白い! ゴーストライターの存在は、この世界においては暗黙の
了解事項。前提の絶対の秘密事項の約束事からみて、何故、この時期に、発表
するのか疑問であり、愛憎関係?と考えると、成るほど? 笑点の「大喜利
の巧妙な落語どうしの遣り取りも、放送作家のつくったもの。 
子供のゴーストライターは、両親?父、母?それとも先生?
   * 45年前の自分と向き合って
 毎年、この時節になると、学生時代の社会に飛び出す直前の日記を読み返えす
ことになる。当時の逼迫した不安と期待が相まった緊迫感が懐かしい。それも
年々、リアルに記憶が鮮明に蘇る。「遠き日は年とるごとに近くなり」であり、
書き残す重要さを改めて思い知る。書いてない期間の記憶は、空白に近く、
具体的記憶は蘇えらない。書いたそこには、息づいている当時の私が存在する。
当時の友人と何十年ぶりに会ったところ、『堀井は、用心深かったからな。
今回の件を聞いても、手立ては必ずうっていると思っていた! 汗かきも、
顔色がツヤツヤしているのも変わってない』という。当時から心配性で、何事
にも用心深く逃げ口を用意をしていた。それを40数年ぶりに会った友人に
指摘されると、本質は何にも変わってないことになる。「真面目な路線上を、
面白可笑しく」は、当時も今も同じ? しかし45年間の激動は、思いのほか。
それと、情報化社会も想像を絶するSF世界。毎日が、刺激的で、面白く、
夢のようでもある。当時の自分に言いたい! 『その気持ちを忘れずに、
学び続けなさい! 相手と自分を思いやる気持ちを忘れずに!』 

・・・・・
4350, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー2
2013年02月12日(火)
 *「思う」と「思い出す」の違いは?    
      「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
ー この違いを具体的に述べている箇所を抜粋してみる。
≪  ◎ まず「思う」を列記してみると
 ・さびしい  ・孤独感  ・人間の幸、不幸  ・忙しいとか慌ただしさ
 ・一年の反省 ・街のあかり ・年末行事のこと
   ◎ 次に「思い出す」の列挙である
 ・暮れも押し詰まったころの祖父の卦報
 ・船上でのメリークリスマス体験。遠く見えるみなとみらいの夜景
 ・祖父母の家に帰省する時の父の革ジャン ・パーの匂い  
 ・親戚一同でやる暮れのそば打ち
 ・ラグビー早明戦前の一週間に、一年生みんなで夜通しでやった
  グラウンドの落ち葉拾い
 ・所属していた吹奏楽部の厳しい練習の日々。
 ・野球部恩師の死(もうすぐ一周忌  ・センター試験に向けての勉強 
 など「思う」ことと「思い出す」ことではこんなにも違うのです。
原稿用紙に向かって何も浮かんでこないとき、いかに乗り切るか。その手立て
としては具体的に描写しやすく、かつ書き進めやすい題材が並んでいる。それ
には「思う」ことより「思い出す」こと。 これはぜひ覚えておいてください。
「師走」というテーマで「さびしい」「孤独感」といったことをいくら
文章にしようと思っても、それらは心の中のことですから目に定かでない。
五感も働かないから描写もできない。 最悪、一行すら書けないということに
なりかねません。ちなみに司馬遼太郎の『関ヶ原』は、こう書き出されています。
「いま、憶いだしている」 作品は大小、長短を問わず、「思い出す」ことを
おいては始まらないのです。・・ たとえば「つらい」というのは心に抱く思い。
皆さんは「つらい」はつらいと表現すればいいのでは、と言うかもしれませんが、
「つらい」というだけの言葉なら、A君の「つらい」もB君の「つらい」も
みな一緒だということになります。でも、同じつらい体験と言っても、人が
違えば体験そのものも異なるはず。心に抱く感情も人それぞれでしょう。
それをみんな同じ「つらい」という形容詞で表現していいものかどうか。
つまりどうつらいのかが具体的に書かれていないと、自分の心にある思いを
ちゃんと表現したことにはならないのです。そうだとすると、自分がつらいと
思った出来事(体験)を細かく描写して、読んだ人に追体験してもらい、
そのときの胸中を察してもらう表現法を心がけるべきなんですね。
▼「思い出す」は、状況の具体的再現ということになる。果たして詳細に
 記憶が残っているかどうか? を、自分の幼稚園時代を具体的に思い出すと、
意外と記憶が戻ってくる。更に小学、中学、高校、大学時代に焦点をあてると、
記憶が戻ってくる。その機会は同級会か同窓会でしか焦点を合わせることがない。 
ガンなどの病気で、「あと半年」と宣言されると、急に過去の記憶が溢れかえり
出てくる。あと僅かと思うと、自分の人生を具体的に思い出し、味わい懐かしみ、
物語として編成する。これを訓練するに、日記や随想を書く習慣が必要になる。
・・・・・・・
3975, iPad購入半年、経過報告
2012年02月12日(日)
 再びiPad購入半年の途中経過報告である。居間と書斎の二台の卓上型パソコン
iMacに、iPadが新たに加わり、生活パターンが変わったことは何度か書いた。 
先日、新たに書籍を70冊を電子化のため業者に送ったが、愛蔵書の電子化は
合計120冊。蔵書の電子化は一応終了だが、これで何処にいても書斎にいる
気持ちになれる。それにネットで購入した電子本が入っている。
 タブレット一枚を持ち歩けば、何処にいても自分の居場所にいるような
不思議な感覚になれる。タブレットの読書は抵抗がないか?と問われれば、
まったくない。 三台のパソコンの画面のファイルに入れておき、ことある
ごとに開けるのがよい。 タブレットPCの柱として、
◎読書◎ゲーム◎お気に入りブログの閲覧◎電子新聞、雑誌の閲覧◎メモ。 
便利なのは、常に手元におき、気楽に立ち上げ、直ぐ目的のウィンドウにたどり
付けること。そのためチョットした隙間時間を有効に面白く使うことができる。 
卓上パソコンは、電源を入れ、スタートボタンをクリック・・の時間がかかる。
それに対しタブレットは極めて短時間で済む。 それと自分の気に入った蔵書
を入れたのが良かった。 一度読んだ本は自分の一部のように感じるもの。 
読書の効用に何ども繰り返し読むことがある。繰り返す間に、知識が熟成される。
それがタブレットに入れると気楽に繰り返しが可能になる。ノートパソコンを
自分の鞄、書斎とみたて使っている人がいるが、タブレットPCで、その感覚に
なってきた。 購入時に半年を導入期としてきたが、一応、及第。iPhon
より私には相性が良い。「事業も終え5ヶ月後、気持ちが落ち着いた頃に
iPadを購入、気持ちを紛らわせてきた。 そして、半年を経過した現在、
それに同化を始めてきた」ということ。 現在、タブレットPCが、スマート
フォンの陰に隠れているようだが、そろそろ、タブレットPCにエネルギーが
向かい始めた。 ところで有機Elの画面がタブレットに向いているようだ。
画面の鮮度と薄さと軽さが次のメーカーの争いのポイントになる。 
これに居間の大型液晶TVとの連動もポイント。
 
 ・・・・・・・・
3245, アメリカ一極は終了したのか?
2010年02月12日(金)
 欧州のユーロが、ここにきてジワリ下げてきて、1ユーロ120円割れ
直前で数年前の三分の二である。PIIGS(ポルトガルイングランド
イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。
その上に、中東欧のルーマニアハンガリーなどの危機もある。ドバイの
バブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。日本も異常な財政赤字で、
国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態。
 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。ところが発火点のアメリカは
大きな変動がみられないのもおかしな話。彼等は不良債権を発行し世界中から
過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を
発行しただけ。発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。
支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。
 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」
と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、
≪ 経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、
 アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。特に海軍の戦力の影響が
大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は
世界で圧倒的に強い。中国はもちろん、ロシア、欧州も、どこも、その力は無い。 
その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心でありつつける」≫ という。
大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様。
世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な
空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、おこがましいというのがアメリ
の本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が
成り立ってきた。ところが、この世界恐慌アメリカ一極体制が本当に終わって
しまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、その主導権を
持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。
残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。アメリカ一極支配は、
まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んで
いくか?その辺が面白いところ。この数年が見ものなど、いっていられないか。

 

閑話小題 ~ある学生寮の人間模様 ~1

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   * 青雲寮の日々
 人生の先が限られると… モノゴトが違って見えてくる。
十数年前に、自分の人生の75歳説を公言しだして、その時節になった。
寝たきりで、そろそろ娑婆からオサラバの頃だが、歯医者以外に何のトラブルも
ない。 で、5年先の80歳に延長にするしかない! …が寿命の時節が決まると、
世界が変わって見えていた。 死んでしまえば、全てが解消され、喜怒哀楽や、
感激、感動の玉手箱も、置いていくしかない。何やら悟りすました説教も、心の
境地も、割切ってしまえる。 怒り、行蔵も、何もかもが、その一点から消え
去ると思うと、気持ちが楽になってしまう。
 
 過去シリーズを時どき考えるが、特に多感だった学生時代の青雲寮の日常の
光景が想いだされる。早大苦学生が半数と、それ以外の学生が半数。馬小屋
のような土間の片廊下に、学生が20数名が住まう。500坪の屋敷の芝庭を取囲む
新宿の環境は良好。 そこは…秋田、福島、新潟、愛知、大阪、熊本から、異種、
雑多の癖の強い学生の巣窟。個室には、鍵がかかっているが、今でいうオープン
ハウス。それぞれが、自分の世界を持っている。本当に金の無い学生が屯する、
危ない連中の群れ。女狂い、ホモ、私設秘書、大金持ちの子息などなど。 
時どき、歩いて30分程の鳩山邸のパーティの壁フラワーとしての一員として
駆り出される。ただ酒と、酒のツマミを食べ、別世界の学生たちと、素知らぬ
顔をして議論のような話をし、帰ってくる。そこが、鳩山御殿の一角のため、
それはそれとして、何とも他山の石の面白い経験。
 
 寮の近くには、合気道の本部が有り、月に数回は顔を出す。当時、合気道
創設者の植芝盛平が、道場に詰めていて高段の直弟子を指導していた。
何やら、張りつめた緊張感が漂っていた。ホンの昨日のようだが、はや50数年も
経過している。 振返ると、様々な経験をしてきたが、戦場を駆け巡る経験は
なかったが、恵まれた時代に生きてきたものと、感謝するしかない。人生は、
初動に上手く転がれるか否かである。高度成長の真只中で、坂の上は青かった!
 
・・・・・・
6907、閑話小題 ~アカデミー賞の作品賞に『パラサイト』が受賞
2020年02月11日(火)
 1~2年に一度は、さてと掲載する直前に、完成した文章の全てを、チョッとした
はずみで、消去をするミスをする。それが今朝のこと。何やらブログが不調で
内容も、いま一つ良くはなかったが、苦心惨憺の挙句が、全ての内容がパーと
なれば、気力が湧いてこない。そこでアカデミー賞の『パラサイト』を
テーマに何とか…。 で、遅れたしだい。 なる程、気を強くしてないと!

   * あの『パラサイト』が入賞
 さほど、私の評価は高くなかった(85~90点)。それでもアカデミー賞
匂わせてはいた。まさかであるが、いざ受賞ともなれば、感想は違ってくる。
当時、映画観賞を書いてあったから何か光るところがあったのだろう。
韓国も貧富問題は大きい。
  ~まずは、ネットニュースより~
【 一月ほど前に上映された韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が、
「第92回アカデミー賞」で脚本賞、国際長編映画賞、監督賞、作品賞の4冠達成。
本命とはされていたが、まさか脚本賞、監督賞、作品賞まで受賞するとは驚きだ。
92年の歴史を誇るアカデミー賞において、英語圏以外の映画が作品賞に輝く
のは初めてのこと。韓国映画アカデミー賞を受賞するのも初めてのことだ。
それだけに韓国でも大盛り上がりなのは言うまでもない。】
 ―

《 映画観賞 ~『パラサイト』  ~2020年1月15日記
        ~シネマ 『パラサイト/半地下の家族」―01・10(金)ー
   * 凝縮された貧富の格差
 極貧家族と富豪家族の社会問題の表裏を凝縮してみせる味わいある?映画。
学生時代の苦学生の寮と、ミッション系の学園の二重生活の経験があればこそ、
その対比が実感として理解出来た。失業中の親子4人が富豪の家庭に、身分を
偽って入りこむプロセスや、パラサイトの実態が、韓国的で何とも。
 ー
≪2019年・第72回カンヌ国際映画祭韓国映画初のパルムドールの受賞作品。
キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。
そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を
受けに行くことに。そして妹ギジョンも、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。
正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速して… 
思いもよらぬ事態が起こる。≫
 ―
▼ 世界共通の直視できない“貧富の格差”の問題。資本主義の価値基準が
 現実は一度お金に換算して身分の優劣をつける社会背景が厳然と存在する。
それが情報化で辛辣に表て立ち、様ざまな問題が発生する。グローバル化
弱肉強食を、更に押しすすめる。
 最近YouTubeでみたのがシリアスな場面の実写。 警官2人に、法務局員が、
家の差し押さのため、老夫婦と中年夫婦を立ち退かせる一連の映像。数人の
撮影者が、記録のためか、その一部始終を撮影する。筋肉隆々の男と妻が最後
に警官2人に捻じ伏せられ、後ろ手に手錠をかけられパトカーに押しこまれる。 
その前に麻酔銃を撃たれた男が狼狽える姿も。 何度も聞こえてくるのは、
『マイ・ハウス』の中年夫婦の声と、行場のない中高年の一家の極限の姿が。
一つ間違えれば、私も陥っていたかもしれないため、尚のこと同情目線になる。
あとは、浮浪者になるしかない厳しい近未来が待ち受けている。考えてみれば、
私もパラサイト? 奥のPC前と、寝室に追いやられ、家庭内格差そのもの。
 『男はつらいよ』そのもの? 酒と肴を求め独りスーパーを流離うしかない。
面白いさは、この上無いが… でも可哀いそう? 何ごとも慣れてしまえば
 生活満足度が90点?なら、まあ良いか。 》

・・・・・・
6178,閑話小題 ~ソウルダスト
2018年02月11日(日)
         『ソウルダスト―意識という魅惑の幻想 』
   * 意識って、そもそも何か?
                   ニコラス・ハンフリー (著),
 我々は毎日、意識を失う。寝るからだ。といって、寝る態勢を整えられるが、
自分の意思で寝ることは出来ない。目を覚ます時は、誰かに頼むか、目覚まし
時計か、習慣の力を借りる。その意識を自分だと思っているが…何だろうこれは。
毎日、ここで一文章を7時に完成し、アップし提示している。それを成している
のが意識であり、意思である。過去の同月同日の文章を読返すたびに、その時の、
意識を省りみることになり、不思議な感覚になる。その意識とは何か? そこで
図書館を回遊して、「意識は脳内のマジックショー」の副題に魅かれ借りてきた。
 結論から言うと、<意識とは、ミステリアスなマジックショーで、
『万人が心底で自らを特別の存在』と思い、自作自演を演じる存在ということ。
マジックこそが意識の要である発見を公表した> 書だと。とすると この幻想
を自他に自作自演するのが、人生ということになる。 他人の中に、それを
見出しても、自分のそれは、見出すことは難しいから娑婆は面白いのである。
 その露出が、このブログそのもの。 露出狂?だから出来ること? ったく!
自意識過剰も、見方を変えれば、それはそれで良し。但し、不快感を持たれない
範囲で。今度、雑談で、『あなた、自分を特別な存在と思ってるでしょう』と… 
聞いてみたら…
    Amazon内容紹介
  ―〈意識〉は脳内のマジックショーにすぎない―
それはいったいなぜ発生し、生物学的にはどのような役割を果たしているのか?
意識研究の最先端を切り拓く大胆な仮説を提唱する、理論心理学者ハンフリーの
集大成!  著者は本書で驚くべき新理論を提示する。
 意識は私たちが頭の中で自ら上演するミステリアスなマジックショーにほか
ならないというのだ。この自作自演のショーが世界を輝かせ、自分は特別で
超越的な存在だと私たちに思わせてくれる。こうして意識はスピリチュアリティ
への道をつけ、そのおかげで私たち人間は、ハンフリーが「魂のニッチ」と呼ぶ
場所に暮らす恩恵を受けることができると同時に、死への不安も抱くことになる。

 隙のない主張を展開し、知的好奇心と読書の喜びをかき立てながら、深遠な
難問に次々と答えを出していく。そして、誰もが頭を悩ます疑問、すなわち、
「いかに生きるべきか」「いかに死の恐怖に立ち向かうか」という課題に、
意識の問題が直結していることを明らかにする。

 神経科学や進化理論を基盤に、哲学や文学の豊富な知見を織り交ぜて書かれた
本書は、意識の正体についての独創的な理論を提唱すると同時に人間の生と魂を
讃えるリチャード・ドーキンスダニエル・デネット、マット・リドレーら著名
な科学者たちからも支持を得る〈知の軽業師〉ハンフリーの刺激的論考。
 ――
【本書への賛辞】
 理論心理学者のハンフリーは絶好調だ。シェリーやキーツなどのロマンティック
な詩情と、シャーロック・ホームズばりの鋭利な知性を持ち合わせた彼は、その
明敏な頭脳をもって、科学の一大難問「意識の進化的な起源」に切り込んでいく。
そしてこの解決不可能とされる問題に、これまでで最も優れた答えを出したのだ。
 ――V.S.ラマチャンドラン(『脳のなかの幽霊』著者)
科学者が自然現象の解明を試みると、マジックのようなミステリアスな面を見落
としていると非難されることもある。だが、この詩的な驚異の一冊で、ハンフリー
は正反対のことをやってのけた。彼は脳を探究するうちに、マジックこそが
意識の要であることを発見したのだ。
 ――マット・リドレー(『やわらかな遺伝子』著者)

▼ 当日分を含め18年分の幾つかのマジックショーと毎日、再会している。
 これが面白いため同月同日が再読する動機になる。書上げた瞬間、安堵もあり、
内容そのものを客観視出来ない。そこで、その日の内に、再チェックをするが、
まず、誤字と、稚拙な文章に、赤面し修正する。それでも、数年後に再読すると、
全く違う切口の視線の自分を見つけ出す。意識は絶え間なく変わっていく。
読返すたびに、第三者の違った視線(=意識)を、道標として見出している。
書き残すことは、意識の刻印になる。
 マジックで『自分は特別で超越的な存在』だと誰もが心の奥に思っている。
問題は、万人が持っていることが理解できないこと。魂の居場所(ニッチ)は、
実は自分が特別の存在と思える場所や心の内、例えば両親の面影や想い出とか、
小中学校の同級会での歓談の中や、人生の節目の決断をした心の刻印にある。
毎朝、17年分の、マジックショーを省みれる幸せも悪くない。マジックショー
といえば、大家、八、熊、寅の対話も、ショーに相応しい面々? 
 特別の存在ですか、特別の! そうだろう、『存在の不思議』を考えれば!
マジックでも何でもない、元もと特別の存在だから… 純粋の意識こそ大元。
 で、何時ものように、文脈が丁度よく続いていく。

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4349, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー15
2013年02月11日(月)
   * 床の間は、本来、仏の座る場所だった
 日本家屋の様式を取り入れている家には大抵、床の間が存在する。
そこには掛け軸、生け花、木彫りの熊などが飾ってあるものだ。床の間は室町
時代の書院造りに由来する。書院造りとは禅の思想にもとついて設計された
建築様式であり、書院とは幽玄を悟るための部屋とされる。床の間は書院の
中にあって仏を祀る場所、つまり仏が座る場所であった。そのため床の間は
部屋の中でもっとも上等な場所とされる。人間が座る場所よりも一段高く設置
されたり、板張りの床が普通であった時代でも床の間だけは畳を敷いたりした。
宴会の席などでいう上座は床の間の前に設けられるが、これは仏に近い場所が
上座にあたるという昔の慣習の名残である。もともとは仏を祀る場所であった
床の間だが、時代とともに形式が省略されていく。仏像は仏画となり、また
すぐれた僧侶の筆跡や経の一部となった。そしてしだいに美術品が飾られる
場所となったのである。このように床の間は聖なる場所であるから、けっして
テレビを置いたり、物置にしてはならない。仏壇の横には床の間があるのは、
そこに仏様が座るためと、今になって気づいた次第。
   * どこまでが宇宙か
 どこからが宇宙か、その前に何時から宇宙が始まったか?という問題が、
これまで世界中の昔より科学者を悩ませてきた。 天体観測の進歩で、星が
遠くに離れていくのが解り、それでは、逆に時間を遡って、その始まりを計算
した結果、137億年前にラグビーボウル大の素粒子が爆発したビッグバン説が、
現在知られているところ。しかし、観測結果から、宇宙全体のエネルギーの
内訳は星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは、宇宙全体の
4・4%しかないことがわかった。それでは何か? 実は23%の暗黒物質と、
約73%の暗黒物質を占めていたことである。膨張している先の宇宙の物質が
希薄化している筈だが、それが同じということは、他の宇宙から、
そのエネルギーが、流れ込んでいるのではという仮説が出てきた。この宇宙の
他に、10の50乗分の宇宙があるかもしれないという。 ところで、一般
でいう宇宙は、どこから設定するというのか。1967年の『宇宙条約』でも
明確にされてない。地球の空気が無くなる辺りとか、宇宙船が燃え尽きない
90~110キロ辺りとか、議論がされている。アメリカは、その辺に対して
消極的になる。上空の領有権の問題が絡んで宇宙船を自由に飛ばせないからだ。
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5811,下降感覚の仏教と、上昇感覚の仏教
2017年02月11日(土)
               ー生きる事はおもしろいー五木寛之
   * 下降感覚に身をまかせ
 上昇感覚が最も現れ出ているのが日蓮宗法華経。太鼓を叩いて、
「何妙法連華経」と連呼すれば元気が出てくる。40歳後半から年々、老いを
 感じきたが、これだけは自然の摂理、従うしかない。 その時に、上昇か、
 下降感覚のどちらが、その人の理にあっているか… 
 日本に、浄土宗、浄土真宗が多いのは、四季の差がハッキリしている気候に
 合わせ生きるしかない自然条件の摂理のため。下り坂最高と諦念しても、
 凡夫の自分を慈しみながら最期は消える運命。 ~その辺りから(p115)
≪ 仏教思想の中にも上昇感覚と下降感覚との二つの対照的な傾向がある。 
・上昇感覚の仏教とは
  悟りを求める仏教がある。
  即身成仏をめざす仏教がある。
  立正安国をとなえる仏教がある。
  天地自然との合一を願う仏教がある。
  六道輪廻からの離脱をうたう仏教がある。
 それぞれに修行をつづけ、人格の向上と真理への飛躍をめざす仏教だ。
 これらの正統的仏教は、いわば上昇感覚の世界だろう。みずからを
 高めていく仏教だからである。
・これに対して、下降感覚によって成り立つ仏教をあげれば、浄土宗、
 浄土真宗だろう。浄土宗は、法然を宗祖とする。浄土真宗は、親鸞である。
 この両者は、ともに念仏による救いをめざす仏教だ。その前提が末世である
 前提だ。…(略) 最低、最悪の時代が「いま」である、という自覚は、
 まさに下降感覚そのものでないか。…(略) 
 その最悪の「われ」をみちびいてくれる唯一の道がある。それが阿弥陀仏
 と仏を信じて、その名を呼ぶことだ。それが念仏である。念仏を唱える前に、
 この時代は末世と確認する。そこに生きる自分を、最悪の凡夫として認める。
 そこから出発するということは、人間存在の最底辺に下降していくことに
 他ならない。…(略)
 光を求めるために、頭上をあおぐのではなく、うつむいて自己の内面を
 凝視する。悪の自覚から出発するということは、まさしく人間存在の底辺
 への下降にほかならない。≫ 
――
▼ 『南無阿弥陀仏』とは、南無(頼む)、阿弥陀様! と自然に身を委ねる。
 そうとしかならないなら、初めから自然の法則に従えばよい。大乗仏教
教えである。オートバイで目的地に向かうより、仏様仕立てのバスに乗り、
念仏を唱えて生きていく生き方。 私の体質は、上昇感覚が強いためか、
オートバイで独りで向かう方が、私らしい… それも死ぬ瞬間、プッツン。
 老いてこそ知ることがあるが、基本として下降感覚に支配される。それに
抵抗するか、自然に身を任せるか。たそがれ時の宴も、それはそれは良い。
 スポーツジムで、外観から観察すると、生きている限り上昇感覚は必要と
思うが。 80歳半で亡くなった従兄の葬式に参列していた、やはり80歳の
従兄弟が典型的な下降と、上昇感覚の持ち主だったが、生き様が、そのまま
現れ出ていた。恵まれた人生には上昇感覚があり、愚痴・悪口の多弁の人
には、恵まれてない人生がみられる。この人をみて、無知からくる不幸は、
重罪と思うが、合せ鏡か!人にもよるか… 同じ空の下、泣いて笑えばいい。
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4716,「余命3カ月」のウソ  ー1
2014年02月11日(火)        
               ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著)                         
   ーアマゾン・内容紹介ー
☆「進行性胃がんで、余命3カ月です。今すぐ手術を」医者にこう言われたら、
 あなたなら、どうしますか? 本書を読めば、余命宣告のカラクリと、
 がん治療の真実がわかること間違いなし! 医者のすすめる「がん治療」で、
 あなたの余命が削られないように、話題沸騰の近藤誠医師が余命宣告の
 ウソにメスを入れた1冊です。
☆ 歩いて通院できるほど体力のある人間が、ある日突然「余命3カ月」
 と診断され、手術や抗がん剤治療の挙句、本当にあっけなく死んでしまう
 ―このような悲劇を身の周りでも見聞きされていないだろうか。
 実は、余命宣告の多くはいいかげんである。治療が命綱の医者にとって、
 余命は短く言うほど「うまみ」が増すのだ。余命を告知される病気は、
 圧倒的に「がん」が多い。がんの本質に迫り、余命宣告のウソを
 暴くことで、患者本位の治療を提言する。
  ーアマゾンのカスタマー・レビューよりー 
・ガンには「本物のがん」と「がんもどき」の二種類あり、本物のがんの殆どは
治療では治らならない(見つかるころには転移してる)。治るのは「がんもどき」
の方だが、それはほっておいても問題のなかったもの。つまり、がん治療はいずれ
の場合にも無意味なものであり、むしろ副作用や感染症や合併症などのリスクが
あるぶん有害であるというのがこの本の根幹に流れる主張です。無駄にあがいて
苦しむより残りの人生をいかに楽しむかというのは価値観の一つとしてありだと
思います。私は共感しませんが。
・例えば、固形がんにたいして抗がん剤が延命に役立つと証明する臨床データ
はないなど、全体的に引用や紹介されている情報は偏っていて、都合のいいもの
だけを持ってきている印象はぬぐえません。がん治療なんてまだまだ未知の分野
で様々な主張があると思いますが、それについては全く触れられてない。
でも結局何が正しいかなんて私のような素人には分からない。私はこの本読む
まで何もしないという選択肢があることを考えもしませんでした。自分や身内が
ガン宣告され、今後の選択肢を模索してる人にとってこの本は選択肢を一つ
広げるヒントになる。この通りにするかどうかはおいて置いて。
▼ この数年来『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一・近藤誠対談)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(中村仁一)
 『末期がん、その不安と怖れがなくなる日』(樋野興夫)など、怖しい本を
 敢て、取り上げてきた。それに加え、この本である。書店では見かけていたが、
 図書館にいつの間にか並んでいたので借りてきたが、これも、早速買った。
 その時になった時に、慌てないための予習である。これらの本などに影響され、
 4年前から、20年続けてきた年一回の,一日人間ドックを中止にした。
 上記のとおり「どのみち助かるのは助かる!助からないのは助からない!」
 と、判断した。 が、もう一つは平均看護期間が男9年と知ったこともある。 
 男は平均70歳で介護が必要になり、79歳で亡くなる。 介護で9年間を
 薬つけで生きるより、余命数ヶ月で死ぬのも悪くない。平均からみて、元気で
 いられるのは、あと2年?だが、実感が無いのは何故? 老人性鬱症状が日々
 強くなり、他人の粗探しで人相まで年々歪んでいくのが老人。
 気持ちは、50歳前半! 実際のところ、そのギャップが大きい!
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5081,悪夢の21世紀 ー2
2015年02月11日(水)
           『月刊「新潮45」12号』ー悪夢の21世紀ー
 グローバル化は、白人優位の欧米文化の普遍化を意味するが、100年前に、
文明史家のシュペングラーが、その限界を指摘していた。現在は、それが表
だって本格的混迷期に入った状況である。イスラム教徒には、狂気を持った
独裁者が必要で、民主主義は似つかわしくない。 
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 ~�    佐伯啓思
( 5 ) 今では世界中、問題だらけ。一方、日本は、外国人から不思議がられる
 ほどのお祭り騒ぎも見られるが、少なくとも世界が置かれている状況を見ると、
 仮装ごっこなどをやって嬉しがっている場合ではない。
  新聞ジャーナリズムも政治家も、現在の世界で生じている相当に深刻で、
 ある意味では破滅的な事態に、眼が飛び出さんばかりの好奇心と実証的厳密さ
 を持って対応してしかるべき。我々の能天気な日常風景とは別に、日本を
 取り巻く状況は実に深刻化しつつあり、我々の日常を組み立てている目に
 見えない骨組みがグラグラ揺らぎだしているように思える。
(6) 100年前に第一次大戦勃発。3、4ヶ月で終わるかとの期待を裏切り、
 4年半続いた。終戦後に世界が一変。欧州が疲弊し、アメリカとソ連が台頭。
 歴史を積み重ねてきた欧州に代わり、歴史を破壊する実験国家のアメリカと
 ソ連が、世界を動かし始めた。文明史家シュペングラーの「西洋世界の没落」
 (1918年)によれば、『欧州は、優れてダイナミックな想像力をもった「文化」
 によって科学を生み出し、産業を生み出し、経済を発展させ、優れた経済制度
 を生み出した。しかし、それが成功し、普遍化すると共に、世界に伝播する
 <文明> となり、欧州から離れていった。 この近代文明は、それを生み
 出したヨーロッパ文化から切り離されて、形式化し、極めて技術的なもの
 となり、味気もなく、内容の浅いものとなった。』
▼ まだ東北大震災ショックから立ち直れない日本。この二人の斬首の画像は、
 寝ぼけ眼の日本に大きなショックを与えた。アメリカは、世界基軸通貨
ドルを、リーマンショック前後から、三倍に増加したが、殆どドル安には
ならなかった。三割ではなく、三倍も増やしたの係わらずである。
そして、致命的大打撃を受けた金融機関に流し込んで、その窮地を救った。
しかし、欧州も日本も、その手立てを持たない。損害を被るのは弱者の構図。