閑話小題 ~ 漢字の面白さ…

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    * 人べんに為と書いて、何故に偽りなんですか?
  この問いの語源をネットで検索すると… 明快な解説があった。
 ―
≪ ♦ 「為」は、旧字体では「爲」なので、「爪」(つめ)が部首となります。
  この「爪」は、手を表す象形文字で、そこから、この字は「手を使った
 作業に関係する漢字です。
♦ ですので「為」は、「ため」というより、 もともと「なんらか人の手を加える」
 という意味なのです。 (・・・行為とか人為的とかで理解できると思います)、
「人+為」で、<人がなんらかの手を加える>事から、 偽(いつわり、ニセ)の
 意味が派生したと考えられます。
 ―
ところで、色いろあって肌身で感じたことは?
「命(健康)とお金」の大切さ。 それ以外に、 大切なものを3つ
挙げるなら、何を挙げますか。 当方的には、以下の通りです。
・若さ(無いけど)
・美しさ(無いけど) 
・言葉つかい
 ―
・人間との信頼関係
・家族
・お酒?
 ―
・音楽  スマホ  良心
 ―
ハーブティー  ・ぬいぐるみ  ・優しさ     
 
国家のため、家族のためなら、まだしも、漠然と …の為では‘偽り’になる。≫
 
 ―――
▼ フランクルの < 良く遊び 学び 働く >が、まず浮かぶ!
 次に…
・燃焼する! 
・生きる意味に従い日々を過ごす 
・夢を追い続ける
 
・・・・・・
6758,閑話小題 ~韓国の怒り… 
2019年09月16日(月)
   * さて、韓国の行方は?
◉ 朝鮮戦争終結宣言がなされてない現状で、大統領に権限が集中するため、
 不正発生が必定! 次世代の権力者により、抹殺される悪しき体質が、韓国の
お国柄。75年前の日本による統治時代の悪口と、北朝鮮との対立軸が、権力維持
のための御膳立て。それも、そろそろ、限界に… 地政学的にみても、あまりに
悪過ぎる立ち位置。海に囲まれ自然の幸に恵まれている日本に、八つ当たり感情
も解らないこともないが… 戦勝国家が、何ゆえに敗戦国家より経済的に劣る
のか? 20年前の中国の桂林ツアーの参加した時のこと。 中国の開放政策の
直後で、北京の街中は、人民服をきた自転車で溢れていた。 現地ガイドが、
<私は鯖江で数年暮らした経験があるが、戦勝国の日本が豊かで、中国人の
自分が、かくも貧しいとは… 政治体制を何とかしなければと思っていた矢先、
4人組が逮捕されて、経済の自由か始まった。何故か、中国の日本人は 毛沢東
恐怖時代の実態を何も知らないか?ヒトラーは約5500万人の命を奪ったというが、
 毛沢東も5000万人か、それ以上の人間を殺害しています。人類史上最も多数の
人命を奪った張本人です。幼児の頃、文化大革命紅衛兵により、殺された裕福
だった階級の人たちの死体が村の広場に、山積みになっていた記憶が残っている。
両親からは、農業政策の失敗による、餓死していった人民の苦しみの実態を、
聞いて育った。それに比べ、日本が如何に恵まれていたかを全く知らない>と…
 
◉ 聞いていた私の方が、ガイドが秘密警察に逮捕されまいかと冷や冷や。
韓国人は、北朝鮮の実態を脱北者から、克明に聞いて知っている。北朝鮮と、
日本の狭間で、自国の立ち位置を知れば知る程、怒りが止めどなく湧いてくる
のは、致し方がないのか。 これだけは運命というより、宿命ということ? 
経済悪化は、頭の方(脳)から変にする。自爆の先は、より過酷な未来が
待っている。 もっとも、同じことが日本にも言えることだが。

・・・・・・
6395,閑話小題 ~左手薬指の秘密
2018年09月16日(日)
              『楽天家は運を呼ぶ』高橋三千綱
   * 薬指に輪ゴムを三重に折って付けてみて
 まずは、以下の部分(p123)から
< 坪井師範が教えた「薬指の秘密」の効果は驚くべきものがあった。
 それは薬指の第二関節にそっと唇をつけることである。そこは指輪をはめる
場所で気流が心臓に通っている。そこに舌先を軽く押付け、5つ数える。
すると驚くなかれ身体が柔らかくなり、肩と腕の力が抜ける。呼吸が深くでき
やすくなり、気持ちが落ちつく。ことに緊張しているときなど効果的だ。
試して成る程と思ったら受験生などの子供に教えてやることだ。荒んでいた
親子関係がスムーズになり、子供に精気が甦る。日常の武道は案外、そんな
ところに潜んでいる。>
 ー
▼ これを読んで実行してみたが、何かピンとこない。そこで目の前にあった
 輪ゴムを3重に折って、薬指の第二関節の部分に付けてみた。20分ほどして
立ってみると、気のせいか? 重かった腰が数分の1に軽減したような。
それと動悸が少し高まったような異様な感覚… それもあってか、早朝、雨で
中止したポタリング(チャリ散歩)に、行く気になっていた。 「何なに?」
と思ったらダメ元で左手の薬指に付けてみたらいい。絶大な効果でないとしても、
何かを感じるはず。 ~ネット検索によると~
古代ギリシアから、左手の 薬指は心臓に直結している指と考えられ、
 「心臓は人の心」とも言われていて、愛情を約束するため、結婚という
 契約のために、左手薬指につける慣わし。】
【自律神経と心臓に関わっているので、この指の第三関節を右手で握って
 揉んで下さい。そうすると明らかに脈拍が下がり、バクバクが落ち着いて
 くるのが分かります。】とある。
「何でまた直に輪ゴムを左手薬指に…」というと、10数年程前、左手の薬指
に紐に絡めた4~5㎝大のゲルマニウム石を握って寝ていたことがあった。
これをすると熟睡できるため。「何故、輪ゴム?」 「たまたま目の前に
あったため」 ネット写真検索をすると、左手に5本、同個所に付けたのが
あった。そこで、これを中断して、指の5本付けて30分ほど、ベッドでヨガの
死者のポーズで横になってみた… 薬指だけの数倍、精気が漲ったような!
世の中は知らないことで満ちている! 晴間をみて、ポタリングにでも試して
みようか。

・・・・・・
5663,『エゴの力』④ ~ドーキング
2016年09月16日(金)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
 『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
 当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席
で思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ!』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
 最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
  ~ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。

・・・・・・
4933,コトの本質 -3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。

・・・・・・
4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30~40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。

・・・・・
4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!

閑話小題 ~アベノミクス失敗の責任は…?

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    * 安倍首相の後任に菅官房長官ですか!
 顔ぶれからして順当だが、あまりの大勝に周囲も吃驚! これまで通り
日本の舵取りは、自民党主流派に思惑どおりに舵取りは進む。問題は‘コロナ禍’
を無難に熟すことが求められる。  
  ~ネットニュースによると~
【 安倍総理大臣の後任を選ぶ自民党の総裁選挙は、国会議員と都道府県連の
代表による投票の結果、菅官房長官が新しい総裁に選出されました。菅氏は、
16日、 衆参両院の本会議で行われる総理大臣指名選挙を経て第99代の首相に!
 大勢は同じで変わり映えはないが、叩き上げの凄みを、どう表現していくか。
阿部辞任の同情で責任を曖昧にして、女房役が、その路線を引き継ぐ遣り口は、
これまでと同じ。無責任体制は、そのまま、引継がれる!
 ところで緊急措置で大金がばら撒かれているが、財政が如何なっている?
 次回のテーマですか!
 ―ー
   * そもそも菅とは、どんな人物?
 暗い感があったがこの数年ニュースで見ない日がないほどTVに露出していた。
問題は、官房長官の選定と、ゴシップの存在。ソツはなさそうだが、これだけは?
乱世の中で、ロシアのプーチン南北朝鮮、中国のツワモノには、彼ぐらいの
叩上げの人材でないと立向かい出来ない。

【 ◉ 第99代首相に就任する見通しの菅義偉(すが・よしひで)官房長官
 秋田県のイチゴ農家の長男に生まれた。 高校卒業後、裸一貫で上京し、
民間企業に就職した後に法政大に入学。サラリーマン、衆院議員秘書横浜市
を経て国会議員になったたたき上げだ。
 自民党の非世襲議員の首相は、父が石川県の町長だった森喜朗氏(平成12~13年)
を除けば海部俊樹氏(同元~3年)以来となる。
 特定の派閥に属さない党総裁の誕生も異例となる。13年の総裁選で小泉純一郎
が無派閥で挑み、勝利したが、直前まで森派(現細田派)に所属していた。
菅氏もかつて派閥に籍を置いたが、直近の11年間は無派閥で、事実上の
「初の無派閥出身の総裁」と言える。
 ◉ 約7年9カ月続いた安倍晋三政権下では発足当初から官房長官として首相の
女房役を務め、在職日数は歴代最長。北朝鮮のミサイル発射などの危機管理を
担当しつつ、外国人観光客の増加や利水ダムの事前放流など複数の省庁にまたがる
課題に積極的に取り組んだ。
 …「令和おじさん」として知名度を上げた。周囲に対しては気配り上手で、
 慕う議員は多い。酒は一滴も飲まず、パンケーキや大福など甘いものが大好きと
いう一面も。趣味はウオーキング。「目の奥が笑っていない」(野党幹部)
と見た目は怖いが、素顔は孫をかわいがる普通の71歳だ。(大島悠亮)】

【 昼食時間は5分程度。NHKによると、菅氏は朝5時に起床し、主要な新聞全てに
目を通す。また、毎日40分のウォーキングと腹筋100回を欠かさず行うという。
 その後、ホテルで朝食をとり、官邸に入る。
11時からは午前の官房長官定例記者会見。
12時からの昼食では、ほどんど毎日そばを食べるという。昼食時間は5分程度。
16時からは午後の官房長官定例記者会見。
夜は政界関係者などと夕食をとって懇談し、23時には就寝する。】
 ―
▼ 成蹊大から泥臭い法政大の出身校が、この時代に良い!
 今のところ、命運が、この人にかかっている、さてドウナルのでしょうか?

・・・・・・
6757,閑話小題 ~事実は小説より奇なり!
2019年09月15日(日)
   * 映画・ドラマよりも… 究極の悲恋物語
 この夏に放送された『家、ついて行ってイイですか?』が、またして衝撃的!
「事実は小説より奇なり!」というが… これは遥か上を行く物語である。
 ~ネット検索をすると、この概要が詳しく書き込んであった… ガイド役の
番組のスタッフも泣きの涙であった、ずしとくる物語。
 https://news.livedoor.com/article/detail/16852619/

≪ ◉【ロケ3000回…奇跡の瞬間】6連発SP>と題されたこの日の放送の中でも、
 驚いたのは、スタッフが新宿で声をかけた宅建士のえりか嬢(38歳)。
「テレビのゴミ屋敷なんて、私に言わせれば甘い」
生ゴミもあるから相当ヤバい」と笑うえりか嬢の自宅へついていくと、
家の中は洋服やゴミであふれ返り、冷蔵庫の中は賞味期限切れの腐った食品
ばかり、生活空間はベッドの上のみ、という期待を裏切らない部屋! 
スタッフが写真立てに飾られた青年の写真について聞いたところ、話は思いも
よらぬ方向へ。

◉ 写真に写る青年はえりか嬢の元カレで、7年ほど前に亡くなったとか。
<なんで飾っているかっていうと、死んじゃったんで…。死んでいるから忘れ
られず、飾ってるんです。たまに花を飾ったり… …ちょっとした仏壇です」。
 友達の彼氏の親友で、湘南乃風の「純恋歌」の歌詞のような出会いだった。
2年付き合い、同棲していたという。スタッフが別れの原因を訪ねると、えりか
嬢はこう切り返した。
「同じ年で、同じ地元で、同じ誕生日ですよ? これ、なんだと思います?」
「運命だな、偶然だなって、最初は思いますよね。私たちも最初は浮かれてたん
です。でも、なんていうのかな… …血縁」 実は2人は双子で、生まれてすぐに
彼は子どものいない夫婦に引き取られたという。2人がこのことに気づくのに、
そう時間はかからなかった。
 
◉ ある日、彼がえりか嬢の実家に遊びにやって来た。えりか嬢の育ての父親と
 仲良くなり、「こんな家に生まれたかった」とうらやましそうに話す彼に、
「実は両親は彼女が1歳の時に離婚して、本当の父親ではない」と明かすと、
彼の表情が一変 。もともと自分の両親から双子の子がいると聞かされていた
こともあり、えりか嬢の境遇を聞いて生き別れたきょうだいに違いないと、
確信したようだ。「びっくりしたけど、あぁ、やっぱりなぁって思いましたね。
彼氏としても好きだったけど、自分のことを好きなように相手を好きだったんで。
やっぱり離れられなかったですよ。戸籍上は問題ないかもしれないけど、倫理上は
問題あるので。しょうがないよね、みたいな。それが苦で(彼は)自殺しました」

◉ 双子は他人にはわからない不思議な絆で結ばれているとはよくいわれるが、
 それが2人を恋人という形で結び付けてしまったとは残酷すぎる。当時はつら
かったと目を伏せるえりか嬢だが、だんたんと時間が癒やしてくれたという。
「いま幸せか?」とスタッフから尋ねられた彼女は、こう答えた。
「はい、幸せですよ。彼のことも悲しいかも しれないけど、(彼と過ごした)
2年があるからこそ私は世界一幸せと思うし、一生分の幸せをもらったかなって 」

◉ 市井の人の日常を切り取るのがこの番組のコンセプトだが、3000回ロケしても
 なおマンネリ化しないのは、私たちは誰ひとり、同じ人生を歩んでいないという
ことの証しでもあるだろう。だからこそ、赤の他人の人生をのぞき見するという
エンタメが成立するということでもある。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」とはチャップリン
有名な言葉だが、まだまだ当分の間、この番組の人気は衰えそうにない。≫

 ――
▼ 学生の頃、今は故人の知人から聞いた話に耳を疑ったことがある。
 その兄が、当時の専売公社で、煙草の売店の認可の調査をしていると、仰天する
内々の事実が表立ってくると… それは犬コロのような、裏話。えりか嬢に子供が
存在してない?のが、不幸中の幸いだが! 年齢もあるが…
「普通であれば、それで充分! …その普通が、なかなか!」と思う日々。
ところで、数ヶ月前に、面白いテーマを書いていた。
 これを重ねて読むと、様ざまな人生を想いうかべることが出来る。
自分も含めて、人間は絶対肯定をするしかないのだろう。 親鸞
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の言葉の重みがズッシとくる。
 
 ~まずは、数ヶ月前の以下のテーマから…
どの生き方を選ぶか? で、人生が変わってくるが… 因縁だけは、如何にも
ならない! 親鸞の「悪人正機」の意味合いの深さを、年々、垣間見ること多し。
苦しくても、岩を転がし、上に持ち上げるべきか、否か。 
彼女には、それより遥かに大事なことがある。 

 ――――
2019/07/07
閑話小題 ~島に辿りついた3人の兄弟の話 -1

         『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著 
   * 私は、島に辿りついた3人兄弟の話が好き。
 何気なく借りてきた、この本の中で紹介されていた村上春樹
アフターダーク』の一節を読んで、驚いた。 著者が「現実」と「本」が
交差して、「現実」そのものが変えられてしまったと。成るほど!面白い話は
尽きぬ。  例え話は、鋭く真実をついてくる。
 ―
≪・三人の若い兄弟が漁に出て、嵐にあって流されて、長いあいだ海を漂流して、
 誰も住んでいないハワイの島の海岸に流れ着く。 美しい島で、椰子の木が
生えていて、果物もたわわに実り、真ん中に高い山がそびえていた。 
 その夜、神様が三人の夢に現れてこう言った。
『もう少し先の海岸に、三つの大きな丸い岩をお前たちはみつけるだろう。 
お前たちはその岩をそれぞれに転がして好きなところに行きなさい。岩を転がし
終えたところが、お前たちそれぞれの生きるべき場所だ。高い場所に行けば行く
ほど、世界を遠くまで見わたすことができる。どこまで行くかはお前たちの自由』
・神様が言ったとおり、三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。
そして言われたように、その岩を転がして行った。とても大きな重い岩で、
転がすのは大変だったし、ましてや坂道を押して登るのはえらい苦労だった。
・いちばん下の弟が最初に音を上げた。
『兄さんたち、俺はここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。
 じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
 といちばん下の弟は言った。 上の二人はなおも先に進み続けた。
・しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。
『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん
 生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』。
・いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなって
 いったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠く
 まで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヶ月もかけて、
 ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げること
 ができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡す
 ことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような
 場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物と言えば苔を
 かじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができた
 からだ…。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩が
 ひとつぽかんと残っている。 ≫
 ―
▼ 含蓄の深い話である。いちばん上の兄が眺めた場所は世界を眺めることが
 出来る場所。ツアー道があるならば、より厳しい秘・異郷先に挑戦し、その先
を味わい、帰ってくる。大自然の神秘に触れ、感動を通し同化し、地球の広さと
深さを垣間見て、帰路に就く。それで、充分である。物質的満足感を遥かに超える
充実感。他者への説明の必要はない創業、いや、人生の味わいそのもの。
その味わいは、味わった者しか知り得ない至高体験。ただ、住みたいとは思わない。
 海辺の岩場で囲まれた岩穴で、外洋を知ることなく満足して生きるのも人生。
そうそう、外に出て世界を知るのも人生。問題は丸い岩を押し上げていく代償。
長男に見えていたのは、さて如何だろう? 丸い岩だけ。時どき、休み、下界を
垣間見ていた。その味わいは、麓に留まった弟たちには知り得ないこと。
としても、その石は重かっただろうに! 如何だろう次男のように、中腹に留まり、
時にピクニックで山頂に登って世界を眺め、時に海辺で釣り三昧。ただ、風当たり
が悪い?それぞれ、問題は生じてくる。反面、ハワイの土地柄で、何処も同じか!
 この手の話なら、限りなく面白そうな話が浮び上ってくる…   ~つづく

 ――――
2019/07/09
閑話小題 ~島に辿りついた3人の兄弟の話 ―2
          『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著
  フランクルの哲学の柱になっている【人生、よく遊び、よく学び、良く働け】
のとおり、バランスをとって、人生を生きてきた。 人生には思いもよらぬ
『まさか!』が、突然に襲いくるとものと… だから、楽しい釣りとか、山遊び
を通した学びを当初から組み込む必要性がある。「全機で可能な限り、世界を眺め
味合うことが、我々にとって必要となるって… ある時は、遊びを主とした学びの
三男の生き方。その後、次男の働きを主とした生き方。…最後は、長男の生き方と、
節目を持って態度価値を変える必要がある。

≪ この本『アフターダーク』の中で、教訓は
『何かを知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない』
『ハワイまで来て、霜をなめて、苔を食べて暮らしたいと思わないよな』
『でも長男には、世界を少しでも遠く見たい好奇心があったし、それを押さえる
 ことができなかっただよ。その為に支払わなくちゃならないものが、どんなに
 大きかったとしてもさ』
本は、この話の『神様』によく似ています。本はいつも、ここまでくれば、こんな
世界があるよと教えてくれます。その世界を詳細に、魅力的に。
だけど、現実世界では、案外きつい。
 正義のヒーローの話は面白い。主人公が成長する話はかっこいい。だが、自分が
現実でヒーローになったり成長するのは玄人時間が必要となる。哲学書を読むのは
楽しいけど、本当の意味でそれを理解するには、積上げた知識を必要御する。
… 本を本気で好きになったら、バカな男にひっかかったバカな女になる可能性が
増えます。世界の読書推奨人はそのことをわかってるのかと、苦笑します。
<だって、どんなマトモさを手放しても、人生を狂わせて面白い本に出会えることは
幸せなんだもの。役に立つ立たないというよりも、もっと大きな、遠くを見させて
くれる存在として「本」に触れていただけるなら、けっこう大変な人生を、一緒に
戦ってくれるならなら。 ≫
 ―
▼ この本は、まだうら若き、20歳半ばの京大院生の書店スタッフが「正直、
 これを読んだら人生狂っちゃうよね」と選んだベスト50のブックガイド。
30歳までが「学び」。50歳までが「働き」。それ以降が「遊び」が主とした
態度変換が人生には必要だが、彼女には、これから膨大な儚いが、膨大の人生が
待っている。 羨ましいが、それは、あくまで彼女の世界。 
< せっかく、この世に生を受けたなら、宇宙、世界の広さと、深さを少しでも
垣間見て、味合ないとしたら、勿体ないじゃないか! >に 落ちつく

・・・・・・
6394,閑話小題 ~「平成」も終わる、さっさと引退しましょうよ、キミたち!
2018年09月15日(土)
    
   * ヘドロ世界の殿様蛙よ
◉ 今度はウェートリフティング協会の会長がやり玉に!
『○○協会の会長』『○○市教育長』『青年会議所理事長』とかいう奴。
その職を得ると、人間がガラッと変わってしまうのは周辺を見れば分かる。
そこにドドメ色の目をした古キツネが擦り寄って、持ち上げ、その気にさせる。
そこに烏合の衆の連中が神輿を担ぎ… 世間様祭り(溝沼ヘドロ)のエログロ
世界そのものの饗宴…。 その具体的な物語の生々しいのが… 何やしら? 
 その拡大したのが韓国大統領職周辺世界。未だ朝鮮戦争終戦してないため
絶大な権限が大統領に与えられて腐敗の温床になっている上に、儒教社会の
構造上、汚職阻止は絶対無理という。大統領職をマトモに辞した人は存在しない。
 
◉ レスリング、ボクシング、体操協会、日大アメフト部にしろ、パワハラ当事者
 は対応を誤って後手を踏み、自らの首を絞めた後、最後は解任、辞任劇が通例に
なりつつある。スポーツ競技で暴力は通例だが…。セクハラの次が「パワハラ」。 
本来、世の中はパワハラで成り立っているのに… ポピリズム弊害の最たる事例。 
弱肉強食が世の習い。「強くてはならない」のである。業績を利用して、まずは
『○○長』の座。それさえとれば、弱肉強食の強者の肩書を得て利権漁りの手順
になる。ヘドロ世界には、ボウフラには快適環境。ボウフラをネット検索すると、
<「カ」の幼虫の俗称。水中にすむが,汚水,たまり水,清水とそれぞれすむ。
種類が異なる。腹端の呼吸器を水面に出して呼吸…> 何か地方大名のようで、
これ以上書くのは、止める。トンボの幼虫「ヤゴ」とて同じだが、人間の血を
狙わない。
 
◉ 日大監督と理事長、ボクシング協会の会長の精神構造から様々なことが浮び
 上がってくる。過ってバブルに浮かれていた我姿も…。だが、バブルで踊った
経験も、なかなかな! 破裂の20年後に、最後のトドメが直撃し… 因果応報。
<踊る阿呆に、踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら、踊らな損損!> だが、問題は、
その後のカエリ矢。 よく見ると、昭和の残物のこびり付きでしかない。
やはり「断捨離」。 「平成の終了の年度に、こういう問題が噴火始めた。
ということは、「カタチをかえ、様々の分野で何かが起こる」ということだ。

閑話小題 ~いい悪いは別にして…

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    * 機内のマスク着用拒否騒動について
 まさか、ここまで大ごとになろうとは本人も思ってなかっただろう。
チンピラの小遣い稼ぎにしては、やり過ぎ。 …割に全く合わない。
チョットした行き違いが、ことを拡大したのだろうが、これでは当人の人生の
汚点になってしまった。タイミングが合えば、この程度で国際規模のニュースに
なる事例。 問題は他の乗客を間接的に人質にしたこと! 
それは、2時間のロス×乗客+乗務員数になる知識を知らなかった? 
 ツアーでは、とにかくトラブルには細心の注意が必要! 非日常の中で、
いかにトラブルを少なくして楽しむかが目的… 
 旅行のトラベルは、トラブルが語源という。旅という非日常には困難が、
山積みのように出てくる。 そこには人生の教訓も多く含まれる。
 この問題提起、コロナ禍での3密室での集団行為に対する、行動規範が多く
含まれている。 気の毒?だが、当人は徹底的に抹殺経験されること必定。
何はともあれ機長の新潟空港の立寄りの判断は正解! 
顔も露出されただけでも、百罰になるが、逮捕も必要では! 

・・・・・・
6755,閑話小題 ~ 幸せの始まりは
2019年09月13日(金)
    * 自分を愛せるか?
 < 人を愛するよりも 人に愛されるよりも 
   まず自分を愛せたら 幸せの始まりだと思う >

 松下幸之助が、ある講演会で「ダム式経営」について、
(お金を貯めて流量を安定させる)の大事さを説いた時のこと。
聴衆の一人が「そのやり方が分からないから困っている」と質問しました。
その質問に松下さんは「まず、ダムを作ろうと思わんとあきまへんなあ」と
答えたそうです。 聴衆はその答えに失望し失笑したそうですが、
彼が言いたかったことは、「まず思い、強く願い続けることで実現させていけ」
つまり具体的なノウハウの前にまず「自分を愛せる自分であろう」その為には、
「小さい成功体験を積重ねて、その貯水量を満たせておけ!」ってこと…
 
 一般的に、まず両親の愛情に満たされた子は、愛情が満ちた人が多い。
夫婦破綻の子には、歪んだのが多い。 7割が離婚するというスペイン、
ポルトガル、ベルギーの人たち。あと2割が、家庭内離婚というから9割の子供は、
愛情に何らかの問題を抱えていることになる。 上手くいかないのが当り前とは? 
何かしら人生の不条理を感じる問題である。その事実を知らないで、仮面の舞踏
が日夜、くりひろがれている。だからこそ、夫婦愛は大事にしなければならない。

 何らかの成功体験の積み重ねたベースがあればこそ、その自分を愛することが
可能になる。それと、感激、感動、感謝体験が加味されて個性が生まれてくる。
それ以前の、両親の無条件の愛情があればこそだが。 何か人生を振返ると、
あまりに甘いスタンスに、自分第一主義の己に赤面すること多し。
良かったことだけを優先して考えることで、自壊しないで何とか生きている?
確かに愛情豊かな人には、自己愛が過剰としても似あいの人が付いている。
過小よりは遥かに良いこと。
 <まず自分を愛せたら 幸せの始まり> ですか? 
それなら、私も幸せの筈! これこそ、「日々 是 口実」になりますか。
 他人様の、それは可視できるが、自分のこととなると、さてと… 

・・・・・・
6392,閑話小題 ~「…生きるために食べろ」と言いますが!
2018年09月13日(木)
     * 食べるために生きるな。生きるために食べよ。
 最近、週一度の映画観賞前のササヤカな外食が楽しみ。 牛丼、回転寿司、
カツ丼店の何れかだが… これが全く飽きないから摩訶不思議。 他に2ヶ月
に一度は、家内とステーキ・ランチか、焼肉ランチか、シャブシャブ店に行く。
 今では、安ランチで満足できる自分に吃驚。 遥か以前になるが、誰かに、
『近所に出来た「サエゼリア」が美味しい!これで充分満足!』と言った相方に、
『美味しいのを食べ尽したから言えること。普通は、味に敏感。高いイタ飯屋の
デナーと、空間が楽しみ。サエゼリアなら冷凍食品の方を選ぶ。 何か、嫌味に
しか聞こえない!』と言われたが… 成るほど! 
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」の、この言葉も、捉え方一つで、
様々に解釈される。『食べるために生きて何故悪い!生きるために食べるのは
当り前。生活のためだけで生きていけない人間の存在を考えない言葉。生甲斐の
ため生きよとは、<衣食足って礼節を知る>で、足りなければ仕方がないだろう』
 
 山田風太郎が、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」新聞連載
の随筆。 飄々とした語り口で、老いること、生きること、死ぬことを独創的、
かつユーモラスにつづったのが印象に残っているが、今度は、私の順番? 
で、風太郎が果たして、「食べるために生きるな。生きるために食べよ」に
対して、『毎食を味わっているのに、何をぬかす! 今さら生きるために食べろ
だと… たっく。人間って、飯を食って、糞して死ぬだけ。その食事に対し、
ツベコベ言うな!』と、相成るはず。しかし、最晩年ともなれば、悲しいことに、
「生かしておくために、食べさせられる」になる。あと何回、晩飯を食べられる
のだろう? 多く食べたく(長生きしたく)もあり、食べたくもなし。 
長生きそのものが病気とすると、これから病気が日々、重症化していくことになる。 
 で、如何した?如何もしません。 美味い飯を食べ、今日一日を愉しめば充分! 

・・・・・・
5660,閑話小題 ~シネマ評 『ウフィツィ美術館』 ~①
2016年09月13日(火)
 フィレンツィに3度行き、その都度、ウフィツィ美術館を訪れている。
フィレンツィの観光コースに必ず含まれているからである。現地ガイドの説明
を聞き、生の名画をみるのも良いもの。見る度に、それぞれの名画が身近に
感じられてくる。この映画では、その名画と、フィレンツィの街並みが撮影
されている。その映画なら見ない手はない。で、予想とおりに、3D・4kの迫力
ある映像に圧倒された。 現地の慌しい人込みで、説明を聞きながら、一作品
に数分しか凝視できない名画を、シネマ館でジックリと観る醍醐味が良い。
現地で観る本物より、デジタル加工された立体的な画像が生々しく迫ってくる。
ある意味、現地の本物を観るの変わらない?というと、大げさか。TV番組で、
その作品と、解説を何度か、見聞きしてきたことも、そう思わせるのだろう。
  ~シネマの映画案内より~
《 日本×イタリア 国交樹立150周年を迎える記念すべき年に“イタリア・
 ルネサンス絵画の 宝庫”ウフィツィ美術館世界遺産の街フィレンツェ
 世界最高水準3D・4Kテクノロジー で撮影した本美術ドキュメンタリー! 》
《 花の都フィレンツェ。そうつぶやくだけで、うっとりとした気分になる
 美術ファンは多いはずだ。ウフィツィ美術館を始め、市内の教会や美術館、
広場のそこここに珠玉のルネサンス美術が顔を出す。その背景には銀行業で巨万
の富を蓄えたメディチ家の存在があった。当時、いくつかの共和国に分かれて
いたイタリアでフィレンツェ共和国の実質的な支配者となり、後に教皇まで
輩出し、中世ヨーロッパで権勢を誇ったキリスト教世界のトップにたった家柄だ。
 ロレンツォ・メディチを始めとするメディチ家の人々は、自らの為政の場や
住まいを飾るためミケランジェロダ・ヴィンチボッティチェリらに絵画や
彫刻を依頼する。教会にも布教のための壁画を寄進し、壮大なドームを備えた
聖堂を建てる。こうしてわずか2キロ四方程度のエリアに巨匠たちの至宝が
ひしめき合う、それ自体が一つの美術館であるような街が生まれた。
 本作ではウフィツィ美術館が収蔵する傑作の数々のほか、サンタ・マリア・
デル・フィオーレ大聖堂やシニョーリア広場、国立バルジェッロ博物館などに
並ぶ至高の絵画や彫刻、建築を高精細3Dで見ることができる。なかでも2011年
から修復が進められてきたレオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」が
映像では初公開となるのに注目だ。またフィレンツェルネサンスの代表作と
いえるボッティチェッリ「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」、
ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」などの作品群も
じっくりと堪能できる。世界遺産の街、フィレンツェの花が文字通り咲き
誇る映像は最初から最後まで見逃せない。》
▼ 現地の作品の前では、まず作品に集中し凝視する。そして、作者と、
 その作品の背景を知る。それは、TVや、写真集を再び見た時のため。
現物からの波動は、作家の魂の波動である。それに反応する心が感激と感動。
そのために、短時間でも、心を集中し凝視するしかない。
 人生とは、感動と感激と畏敬の念、で織成す連続体である。
それを作品で表現するのが芸術家。世界は広くて、深い!そして、面白い!

・・・・・・
4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、
 その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。
 良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。 
 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間に
 あるので、そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、
 「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに
 安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに
 三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。
 たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる技術は、移植医寮
 そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術
 の発見によって、癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な
 場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は
 良化している。いまの新興国が先進国なみの経済水準になる二〇五〇年
 までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」
 が出てくるからだ。その中で情報機器と、バイオテクノの革新は、
 予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。
 人間には、長期楽観、短期悲観が経験を通して認知バイアスとしてある。
 それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を
 転げ落ちている。そして日本は、20数年前のバブル崩壊から現在にわたって
 惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況をみれば
分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?

・・・・・・
5295,閑話小題 ~慎太郎と佐々の死生観の対話
2015年09月13日(日)
       文芸春秋2,015年7月号特集「老いと健康の危機管理術」より
   * 信長の死生観には共感するね
 図書館で立読みをしていたら、石原慎太郎佐々淳行の対談の、「老いと死」
についての以下の部分にひかれて借りてきた。80歳を過ぎた、お二人の諦観が
滲み出ている内容である。      
佐々: 私は、自分の家で死ぬつもりでいた。だから少し無理をして、
 鉄筋で三階地下室付きという家を建てたんです。自分の部屋で死んで、
葬式も自分の家から出そうという、前近代的なお葬式観だった。
そのための部屋も作ったし、お客さんの誘導路まで考えた。
家族と別れて暮らすなんていうことがあり得るとは思っていなかった。
ところが周りを見ていると、‘お葬式は身内で密葬をやって、あとで
ホテルとかどこかの会館で偲ぷ会って'いうのをやる。これが定着した。
石原:俺は遺言に「葬式不要、戒名不要。我骨は必ず海に散らせ」と書いた。
 去年出した『私の海』な(幻冬舎)には辞世
(「灯台よ汝が告げる言葉は何ぞ我が情熱は誤りていしや」)も載せた。
佐々:僕もかなり考えが変わったよ。でも、葬式無用っていうのは、ちょっと。
石原:僕は信長が好きなんだけど坂口安吾の『織田信長』っていう短編の
 エピグラフに、信長の愛唱した小唄があるのよ。信長といえば『敦盛』の
「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の
有るべきか」でしょう。僕は知らなかったんだけど、安吾が引用しているのは、
「死のふは一定、しのび草には何をしよそ、一定かたりをこすよの」と」いう
小唄なの。「かたりおこすよの」がわからなくて、ある国文学者に聞いたんです。
そうしたら「おこす」は、おこがましいの「おこ」で、「人が死んだあとに
皆な勝手、なことを言いやがるけど、死んだ人間にとってはバカみたいな話だ」
という意味なんだな。痛烈なニヒリズムですよ。信長は徹底したニヒリスト
だったんだね。偲ぶ会をやったり追悼記を出すなんていうのは、その信長の
小唄と同じことで、いまさら何を言ってるんだということですな。
佐々:でも、お別れ会さえやらないで、さよならも言わずに去っていくのもね。
石原:僕は敬愛した政治家はめったにいないんだけど、賀屋興宣という人には
 私淑したんです。無類の財政家で、日本で初めて統制経済をやった人です。
戦前に大蔵官僚から政治家になって、A級戦犯で服役したあと、政界に復帰。
晩年に賀屋邸へ行ったら、髪も真っ白になって、サンルームで瞑想されていた。
「先生、何をお考えですか?」と訊いたら「人間が死ぬというのはどんなことか。
興味があるので一生懸命考えている」。「それで、死ぬってどんなことですか?」
「いや~死ぬというのはつまらないね。私はだんわかってきた。死んだら、
一人で暗い道を黙って歩いていくんですよ。そのうち、葬式で泣いて送って
くれた家族も私のことを忘れてしまって、世間も忘れる。第一、彼らも忘れなきゃ
やっていけませんからね。それだけじゃなしに、自分が自分を忘れちゃうんです。
来世なんかありませんよ、石原さん。だから死ぬのはつくづくつまらないですね」
と言って、小さく笑うんだよね。すごいニヒリズムだと思ったね。
この段になってくると、そんなことを思い出しますな。 ≫
▼ 佐々が入った、介護つき有料老人ホームに、石原が訪ねて行われた対談。
 自宅に近く、三食昼寝付きで、何でもやってくれるそうだ。中産階級?向けで、
商社の支店長とか、サラリーマン社長だった人や、旦那がいるが、面倒を見切れ
ない奥さんだけが入っているとか。リハビリは別だが、食費や光熱費を入れて
30万位という。「奥さんも一緒かと思ったが、少し費用が足りないのでやめた」
とか。最近、同年代のタレントが夫婦して入居したとかという話は聞いたが!
古希を過ぎると、どうも娑婆の景色が変わって見えてくる。
・・・・・・
6026,リベラリズムとは
2017年09月13日(水)
    * リベラリズムとは
 最近、いやにこの言葉を見かけたり、聞いたりする。
そのまま解釈すると「自由主義」になるが、欧米では、<富の再配分などを
通して経済的な弱者を救済し、福祉国家的政策を支持する立場>をいう。
自由主義を主張するロールズにとって、<ベンサム功利主義の弱点を克服
するために、自分が男か女か、白人か有色人種か、健常者か否かなどが分から
ないことを前提とした「無知のヴェール」を皆なでかけた状態で、どのような
社会を作ればよいか考えるべき>と主張した。 
 その為にロールズは、3つの原理を導きださせると考えた。
・1つが、「基本的自由の原則」で、個人の自由は原則的に保証され。
・2つ目が、「機会均等の原則」で、公正な競争の機会は平等でなければとし、
・3つ目が、「競争による格差調整の原則」。これは、最も不遇な人々の生活
     が改善され、調整されなくてはならないとする原則。
自由主義とはいえ、再配分を前提としなくては、不平の充満が爆発を誘導する
からだ。これに批判を加えたのが、ノージックで、<税金を集めすぎて富を
政府が集中すると国家権力が肥大化してしまうと考えた。国家はあくまで、
暴力、窃盗、詐欺などの侵略行為を防ぐにとどまる最小国家であるべき>と。
この考え方は「リバタリアニズム自由至上主義)」という。これに対して、
サンデルはリベラリズムリバタリアンとは違ったカタチで否定、批判した
のが、「コミュニタリアズム」である。<自分のコミュニティの倫理や習慣を
重視して暮らすべし。個人のアイデンティティは育った環境や、共に歩んで
きた仲間と切り離して考えることはできない> と、考えるに至る。
白人でもないし、黒人でもない自分は、生まれ育った場所、仲間が一番好き!
という素朴な心である。トランプ大統領の「白人第一主義」も、これに近い
のか? トランプは、アメリカ独立の理念を根こそぎ否定するから、自滅は
時間の問題としても、数年は要するから、困ったもの。「リベラリズム」の
キーワード、ひとつとっても、これだけ奥行きが深くなる。 この隙間に、
チンケの軍事独裁国家に好き放題にされるから、問題深刻である。
「基本的自由の原則」「機会均等の原則」「競争による格差調整の原則」など、
絶対的権力者にとって軽く全否定される戯言でしかない。そこは未だに、
臨戦の世界。これもまた、文明の相剋ということになる。スターリン毛沢東
ヒトラーも、知らない間に気違いに変貌してしまうが、絶対権力はそのまま。
数百万、数千万の大量虐殺に至る。50~100年スパンで考えると、その時節に
到着しつつある? 人類の将来を考えると、人類の半分か、三分の二が、淘汰
され、生き残った三分の一が、新たな文明を立ち上げた方が?という悪魔?の
思想もあって然るべき。 それが21世紀とすると、特に今世紀前半は、過酷な
時節になるとしたら、第二次朝鮮戦争勃発も何ら不思議ではない。
国家を持たないクルド族、ジプシー、かってのユダヤ民族が、いかに悲惨か… 
リベラリズムもいいが、国家あっての国民ということを忘れないことだ。

読書日記~ <長生きしたけりゃ旅に出ろ!>

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            【ベスト・エッセイ 2018年】
   * 旅の効用とは
 40歳半ばに大病に遭遇し、以来、2年に一度の「秘・異郷ツアー」を自らに
課してきた。 一ことで〔秘・異郷ツアー‘シルクロードの旅〕と言うが、
そこには膨大のエネルギーを要する。文化・文明、大自然と、地球の歴史は深く、
重い! 対象に圧倒され、気持ちが粉々に打ち砕かされる。53年前の1ヶ月に
わたる欧州を中心にした世界ツアーで、正に、この経験を味わった。
それまでの溜りに溜った内なるヘドロが、その一月で吹き飛んだ実感があった。
 その刺激の強さと、カルチャーショックは、ここで何度も書いてきた。
人生の宝物である。 以来、半世紀を掛けて合計52回のツアーは私にとって
<行蔵の御宝>になっている。
 
 先日、図書館でエッセイ集の一遍…<長生きしたけりゃ旅に出ろ!>があった。
【 旅の効用とは、それは…長生きになることだ!長生きをしたけりゃ旅に出ろ。
 私は今年で51歳になるが、昔と比べて時間が過ぎるのが速いコトといったら。
一週間など、アッという間だ。逆に、その点、旅はすごい。初めての土地に行った
とき、1日の長さといったらない。時間の速度が一定でも、「体感速度」が年齢に
よって変ってくるからだと考える。 例えば、5歳の子供にとって一年は人生の
5分の1だが、50歳の大人にとっては50分の1に過ぎない。単純化すれば、
50歳の1年は5歳児に比べると10倍速で進んでいる。】
 ―
▼ 53年前の欧州一周旅行の時の一日の長いコト。 当時、この濃厚な日々が、
 一生続くのかと思われた。ある意味で、あの1960年代の後半から52回分が一貫
して物語として現在も続いている感がする。私の実感は、人生に+(プラス)
その日々×10倍が加算されたような実感がある。
 52回×10倍÷365日=1・42〔1年5ヶ月〕 【実感は7~8年分】になる!
現在、人生の元をとった実感は、これからである!

・・・・・・
6754,閑話小題 ~幸福とは、愛されているという確信である
2019年09月12日(木)
    * 何処の世界にも存在するタイプ
 人生を見わたして、何故か6~7%の格別な幸福の人がいる。
(ときに真逆の人もいるが… それは別の機会に)
両親に愛され、周囲の悪意から守られ、我が儘だが、思いのまま幼児期を過ご
してきた経験が沁みついている。取分け、家族の立ち位置から、自らの世界
をつくり上げている。幸福感が心の芯にあり、幼児期から愛情に満たされ、他者
の言動に左右されない傾向が強い。 言動が明るく、清潔感があり、センスが
満ちている。 「過去にテーマにしたのでは?」とHP内検索をすると、10数年
前に、やはり書いていた。幸福とは、心のバランスがとれている状態。美とは
バランスがとれた状態をいう。端的にいうと美人の「美」にあるバランス。
 老けないために、諦めないで工夫するのが「おしゃれ」というが。
愛されたかったら、まず愛することから踏み出すこと。そこで重要なのは、
相手の選定になる。愛し続けるほど、面倒なことはない。切口はやはり感謝。

――――
2005/05/24
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
  
  ~美容評論家の斉藤薫の文章が、ズバリ、要所をついている。

 最近、こだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が
鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも当てはまる内容が多い。
特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気を
つけることとして、「清潔7割、色気3割」は、男にとって
「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要かも。
清潔感は、その過去の行蔵から滲み出るもの。
 ――
・〈美の真骨頂は7対3〉
 私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。
 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
 --
・〈清潔感を毎日ひとつ〉
 メイクでも服でも香りでも何でもいい。
 毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
 ーー
・〈服のルール〉
 おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
 ーー
・〈地味の落とし穴〉
 他人の視線が気にならないのは、ある意味でとても「おさまり」のいい日。
 でもその「おさまり」こそ、言ってみれば「地味」の正体。
 人目を煩わせずに、ひっそりとしていれば心身ともに疲れない。
 だから気がつくと「地味」の中にぬくぬくとうずもれてしまいがち。
 危険なのは、そこである。「地味」はやがて体の中までしみ込んで細胞
 代謝を低下させ、女性がもっているべき艶まで失わせてしまう。

 ――――
2002/04/01
人に好かれる方法

  * 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。確か
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める
と記憶している。

学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的センスが身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。

即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した?
もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。

特に聞き役は大変だ。
そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。

あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。
また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。

「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」
「今度は逆をやってみよう!」

ヒステリック的に自分でハッタリをカマシテミヨウと。
その時読んだ本が「教祖の話術」-赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にワメキダシタのだから周りは吃驚した。
そしてその話にそのバックあるから、効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

――――
2018/07/31
読書日記 ~50年ぶりの『道は開ける』
             『道は開ける』 D・カーネギー (著),
   * 不安は人生の天敵
 図書館で、懐かし本を見つけた。 気難しい先輩や同僚に囲まれた都会の
ど真中での寮生活に慣れるまで数年を要した。その中で、地方出身者の足りない
のが対人関係の都会センスと、内面管理。自分に魅力が無いと、誰も相手にされ
ないことに気づく。その時に見つけたのが、カーネギーの『道は開ける』と、
『人を動かす』の二大名著と、ガードナーの『自己革新』。 
人間関係、自己革新のノウハウが解りやすく書いてある。学園も、寮生活には
ビッシリと人間関係が濃厚にあり、早速、書いてある通り実験を始めた。
半年もしない内に友人が多く出来ていた。 この『道は開ける』で、
<心配事があったら、その最悪の事態を想定しろ、その対処を考えていると、
 不安が消えてしまい、それ以上の悪いことは起こらない!>が、その後の、
人生を大きく支えてくれた。秘・異郷旅行も大きな不安がまず立上る。そして、
家内の絶対拒否の壁が立上る。 まずは、この壁を乗越えるに、この教訓が、
役にたっていた。最悪を受入れると、不安は半減する。兄や、姉の一人が極端
の不安症で、それが人生を大きく妨げているのを見てきた。戦中派のためもある。
<心配している99%は起きない> <意志の力を超えることは、悩まない>
ここに書いてあることが、そのまま、寮と学園生活で、即座の実験可能になった。
その内面生活の面白さは格別だった。都会生活は、誰もが孤独で、頭でっかちで、
不安定で、誰かに自分を知って欲しい、素性を知って欲しいのである。それも、
これも20歳で、起業を思いたったことがある。 読んでいなかったら、今でも
絶対おすすめの本。無理なら、以下の内容紹介を繰返し読んで欲しいもの。
 要するに会話テクニックではなく、魂の対話方法として身に付けること!
 …『で何で、こうなるの?』 まあ、酒の飲み過ぎではないですか?

寅:こんなセンスを身に付けた美女に会ってみたい? 
大家:高級クラブに行くと、幾らでもいます。但し、たっかいけどね。
 そして表向きで、直に飽きるけどね。
熊:俺さ、何の知識も知恵もないからさ、八つぁんに教えて貰った三度褒めを
 してるんだ。それも心の底からね。
寅:俺って、知ってても出来ないんだよ。熊は、赤い顔をしてドモッテね。
大家:そこが味噌なんだ。但し、アッサリできるのが熊の良いとこさ。
熊:俺って、実は多くの女姉妹の間に育ってね。とにかく、猫のように大人しく
 してないと、おっぱわれるの。静かにご主人様に近づいてさ。女の中で育った
 生立ちがあるんだ。それと、口が堅いんだ。一番、厳しいのが他人の告げ口。
 それと花束に弱いんだ。時々、何気なくお客が持ってくるだろう。あれ!
寅:何で客なのに持っていかなければならないの? 
熊:そこが、一番、甘いの。寅さんは。 
寅:この件になると、熊とは全く逆になるね。金も無いのに。
熊:金が無いなら知恵を出せって、何時も大家さんが言ってるじゃないか。
八:御前さんたちが、話すと、折角の真面目な話が壊れるじゃないかい。

  ~内容紹介~
《 邦訳300万部突破の世界的ベストセラー。
 悩みを克服するための方法が具体的で説得力豊かに綴られた不朽の名著。
『人を動かす』と並ぶカーネギーの二大名著。
人が生きていく上で誰もが直面する「悩み」の原因を客観的に自己分析し、
心の持ちようや習慣を改め、心身の疲れを取り除く等の方法で具体的かつ
実践的に解き明かす。
苦悩するすべての人を心の闇から救いだし、行動と自己変革への勇気を与え、
新しい人生を切り開くための座右の書。1944年の初版刊行以来、時代に合わなく
なった部分を修正するなど、折々に改訂が施されてきた現行の公式版。
〔目次〕
訳者まえがき
 ◇PART1 悩みに関する基本事項
1 今日、一日の区切りで生きよ
2 悩みを解決するための魔術的公式
3 悩みがもたらす副作用

 ◇PART2 悩みを分析する基礎技術
4 悩みの分析と解消法
5 仕事の悩みを半減させる方法

 ◇PART3 悩みの習慣を早期に断つ方法
6 心の中から悩みを追い出すには
7 カブトムシに打ち倒されるな
8 多くの悩みを閉め出すには
9 避けられない運命には調子を合わせる
10 悩みに歯止めをかける
11 おがくずを挽こうとするな

 ◇PART4 平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法
12 生活を転換させる指針
13 仕返しは高くつく
14 恩知らずを気にしない方法
15 百万ドルか、手持ちの財産か
16 自己を知り、自己に徹する
17 レモンを手に入れたらレモネードをつくれ
18 二週間でうつを治すには

 ◇PART5 悩みを完全に克服する方法
19 私の両親はいかにして悩みを克服したか

 ◇PART6 批判を気にしない方法
20 死んだ犬を蹴飛ばす者はいない
21 非難に傷つかないためには
22 私の犯した愚かな行為

 ◇PART7 疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法
23 活動時間を一時間増やすには
24 疲れの原因とその対策
25 疲労を忘れ、若さを保つ方法
26 疲労と悩みを予防する四つの習慣
27 疲労や悩みの原因となる倦怠を追い払うには
28 不眠症で悩まないために
ー―
  Amazonの読者レビュー
【あらゆる人間に共通する悩みの実態とその克服法について纏められた本。
 悩みの壁にぶつかった時に再度読み返したいと思える本でした。
下記の3つの言葉が特に印象深いです。
・気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。
「小事にこだわるには人生はあまりにも短い」
・私たちが取り組むべき唯一最大の問題は、正しい考え方を選ぶことにあると、
 私は自信を持って断言する。もしこれができたら、私たちの問題にはことごとく
 解決の道が開けていくであろう。ローマ帝国に君臨した偉大な哲学者マルクス
 アウレリウスはこれを短い文句に、あなたの運命を決定する短い文句に要約している。
 <我々の人生とは、我々の思考がつくり上げるものにほかならない>
・『神々に背いた十二人』の著者、ウィリアム・ボリソーはこう書いている。
<人生で最も大切なことは利益を活用することではない。それなら馬鹿にだってできる。
 真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。このためには明晰な頭脳が必要。
 そして、ここが分別ある人と馬鹿者との分かれ道になる>。】

【悩んでも、どうせ「過去」は変えられないのだから、冷静に問題と向き合い、
 できることをする。前進あるのみと、様々な言い回しで語っている。】

・・・・・・
2005/06/21
「人を動かす」-2    ー読書日記
         
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。
人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。
会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。
 数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!
もしかしたら、自分も?)
誠意を持って相手の話を聞くことは、
「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママや
ホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。

まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。
人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。
しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」
ことにもなりかねない。

会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。
新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。
この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する?
会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。
しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。

人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 
ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
――

ーあるHPより抜粋ー

人を説得する12原則

1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。

・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるもの。
議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。
相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。

・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、
そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。

・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。
・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。
冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。

・腹を立ててはいけない・・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが
決まってくる。

・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。
逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。
相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、
愚の骨頂である。

・意見が一致する点を探せ
・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。

・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。
それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。

・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。
だから、相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。
そうすれば論敵を味方に変えることができる。

・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。

2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

・人に物を教えることはできない。
  自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ)

・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。
わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。
これで議論が収まり、相手も寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、
自分も間違っているかもしれないと反省する。

・われわれは、真実を思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。
その信念をゆるがすようなものが現れれば、憤慨する。
そして、何とか口実を見つけ出して元の信念にしがみつこうとする。
結局、われわれのいわゆる論議は、大抵の場合、自分の信念に固執するための論議
見出す努力に終始することになる。

・決定的な意見を意味する“確かに”“疑いもなく”という言葉は一切つかわず、
「自分としてはこう思うのだが・・・」「わたしにはそう思えるのだが・・・」
 と言うことにした。(ベンジャミン・フランクリン)

3.自分の誤りをただちにこころよく認める。

・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を
やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。
相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。
そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、
こちらの誤りを許す態度に出るだろう。

4.おだやかに話す。

・人を無理に自分の意見に従わせることはできない。
しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることができる。

5.イエスと答えられる問題を選ぶ。

・意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。
まず意見が一致しているイエスといわせるような問題から始め、
それを絶えず強調しながら話をすすめる。
互いに同一の目標に向かって努力しているのだということを、
相手に理解させるようにし、違いはその方法だけだと強調するのである。

6.相手にしゃべらせる

・相手のことは、相手が一番良く知っている。だからしゃべらすのだ。
相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ。
大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。
そして心おきなくしゃべらせてやるのだ。

・敵を作りたければ、友に勝つがいい。
味方を作りたければ、友に勝たせるがいい。
(ラ・ロシュフーコー)

7.相手に思いつかせる。

・人から押し付けられる意見よりも、自分で思い付いた意見のほうを我々は、
はるかに大切にするものである。人に自分の意見を押し付けようとするのは、
そもそも間違いだともいえる。
暗示を与えて結論は相手に出させる方が、よほど利口だ。

8.人の身になる。

・自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見を尊重するところから、
話し合いの道が開ける。
まず、話し合いの目的、方向をハッキリさせて、相手の身になって話を進め、
相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も相手は受け入れる。
(J・S・ニーレンバーグ)

9.相手の考えや希望に対して同情を持つ。

・口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、
おとなしく聞かせる魔法の言葉――――「あなたがそう思うのはもっともです。
もしわたしがあなただったらやはり、そう思うでしょう。」

・われわれが交渉をもつ相手の4分の3は、みな同情に飢えている。
それを与えてやるのだ。

10.人の美しい心情に呼びかける。

・相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士と見なし、
そのつもりで取り引きを進めると間違いが無いとわたしは経験で知っている。
要するに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。
これに対する例外は、比較的少ない。人をごまかすような人間でも、
相手に心から信頼され、正直で公正な人間として扱われると、
なかなか不正なことはできないものなのだ。(トマス)

11.演出を考える。

・現代は演出の時代である。単に事実を述べるだけでは十分ではない。
事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。

12.対抗意識を刺激する。

・成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。
存分に腕をふるって相手に打ち勝つ機会、
これが、いろいろな競争や競技を成立させる。
優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。

  ------

ー人を変える9原則

1.まずほめる。
 ・われわれは、ほめられた後では、苦言も大して辛く感じないものだ。

2.遠まわしに注意を与える。
 ・「しかし」という言葉を「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。
 人の気持ちや態度を変えようとする場合、ほんの一言の違いが、
 成功と失敗の分れ目になることがある。

3.まず自分の過ちを話した後、相手に注意を与える。

4.命令をせず、意見を求める。
 ・命令を質問のかたちに変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、
 相手に創造性を発揮させることもある。
 命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、だれでもその命令を守る気になる。

5・顔をつぶさない。顔を立てる。
 ・たとえ自分が正しく、相手が絶対に間違っていも、その顔をつぶすことは、
 相手の自尊心を傷つけるだけに終わる。

6・わずかなことでも、惜しみなく、心からほめる。

7・期待をかける。

8・激励する。

9・喜んで協力させる。

読書日記 ~『わが人生の三大原則』 山折哲雄著

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    * 振返りを楽しむために 
≪ 京都にやってきたころ、ひとりの医師に出あった。京都四条病院・院長の
 中野進さんだった。ある会合での初対面のとき、突然、こんなことを言われた。
私は永年、医師をやってきて、その経験から医師の三原則ということを考える。
それが、
 ・とめる
 ・ほめる
 ・さする の三原則。
患者に接する時の医師の心得、ということだと思う。
その頃に思いついた三原則がある。
 1・人について比較しない
 2・だますよりだまされる人になる
 3・群れから離れる
1の比較は本来、モノとモノとの間にすべきこと。これが、ひとたび
自分という人との比較をすると、嫉妬が芽生え、不孝に転落をする。
2の騙される不幸の方が、まだよい。
3の問題は、今さら取上げる必要もない! これは歩くことで、気づいたこと!
 泣きながら歩いたと、言ったが、それは一人でこそ出来たこと。
70代に入った頃から、また新しいライフスタイルが入った。
 ・食べすぎない
 ・飲み過ぎない
 ・人に会い過ぎない    ≫
 
 ――
▼ ところで私の3原則がある。20歳で創業人生を目指した結果、
 ・ 孤独、孤立を恐れない
 ・ 何ごとも貪欲に吸収する
 ・ 楽しめるまで集中する 
 人との間隔を開けておく習慣が必要だった。
誤解されても、それを受入れる。まあ、遊び癖が強すぎた面もあったが、
一応、許容範囲… 20歳代に、様々な地域で、色いろの職の娑婆経験をしたが、
振りかえ見れば、それが、良かった。花も嵐も乗越えて… が人生である。
そこで途中から意識しだしたのが、
 ・ 後味が悪くなることは、避ける
 ・ 優しくすること
 ・ 一日(いま ここ わたし)を充実すること
  ―

  ~で、以下に続く! お後が宜しいようで…
・・・・・・
5658,『エゴの力』② ~総論
2016年09月11日(日)
          『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * 『エゴの力』② ~総論
 「エゴ」といえば、日本人にはマイナーな印象だが、包丁と同じで、使い方
次第でプラスにもマイナスにもなる。綺麗ごとで人生を切り開けない。
「健全なエゴを如何に内に育てる必要性」を著者は説く。江戸幕府士農工商
身分制度の中で、エゴを抑えることが美徳とされた。考えないこと、他人と
同じであることが、第一とされていた。<エゴイスト>は、社会から抹殺される
環境にあった。  =アマゾンの内容紹介=
《 織田信長イチローヘミングウェイも…成功する人物はみんな真っ当な
“ジコチュー" 「怯むな」「おもねるな」「諦めるな」悔いのない人生を送る
 ための新たなバイブル!【人生を決めるのは神でも仏でもない。己の感性だ】
・思いつきが報いられる組織は伸びる ・織田信長こそ完璧な自己中心主義者
・感性を磨きたければ趣味を持て ・強固な自我で老いと向き合う名選手たち
・恋心というエゴの恐ろしさ ・浪費こそが最大の貯金
・日本という国の「エゴの資質」 etc…
恋愛、結婚、進学、就職、転職、起業…人は人生の岐路で悩んだ時、第三者
助言やマニュアルを頼ろうとするが、結局何を選択するかを決めるのは自分自身。
その人の「エゴ」である。つまり、失敗しない人生を送るには強くて健全なエゴ
を育てるしかない。博覧強記の著者が古今東西の文献、偉人の足跡からその人物
のエゴが光り輝いた感動的瞬間を蒐集。人生の定理とともにエゴという力の
蓄え方がよく分かる画期的自己啓発エッセイ。
▼ 私の身近にも、「エゴの塊」のような人がいる。エゴイストほど、それを
 オブラートに巧妙に包む知恵がある。エゴとは、その人の感性というが、
理性ー>悟性ー>感性の三重構造のベースを、自ら明確にしておくべきである。
個性は、この三重構造のベースそのものと言える。創業、起業は、「エゴイスト」
に徹しなければならない。そのカエリ矢が、今になって次から次へと、突き
刺さってくる。だから、日々が面白いのも事実。極限を超えようとする時に、
エゴが顔を出してくるのは、誰もが経験すること。エゴを蔑む人は、極限に
立ったことの無い人だ。俗にいう、「世間様たち」「行動範囲数十mの人たち」。
家内に言わせると、そういう人が実に多いらしい。 ジムと近所のSM以外、
何処にも行きたがらない人たち。 そういえば、最近の私も似たようなものか。

・・・・・・
4928,パワレルな知性 ー6
2014年09月11日(木)
     * 人間の持つ二重性    『パワレルな知性』鷲田清一
 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに
舐めなければならない。」と、須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、
古典や人とのつき合い方についての根本を示している。人間は、40億年の
生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。自分の中にある
グレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー
≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな
 意味をもっているのではないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を
抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床になるのではないか、と。
そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。わたしは子どもの
頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし
見る癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。
 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。
そこを通り抜けると島原という花街があるという土地柄で、わたしは子ども
のころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。修行僧は冬でも裸足
に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので
着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」
とおもい、「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べ、きれいなきもの着て」
とおもったものだ。 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が
見えた出来事があった。
・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん
 『浄土』という、この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。
・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、
 帰り道にお宮に参って「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を
 見たことである。
貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに
見えた芸妓さんの心には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを
知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。わからんもんやなあ」
と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。わたしが哲学の道
進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす癖'
が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫
▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4~10歳まで育った
 ため、日常が戦場真只中! その上に両親を含めた10人家族と、住込み
従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、犬が、同居とくれば、
まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。
子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守る
しかなかった。その中で姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議。
その末っ子となれば、「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。
全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある生々しい世界で、娑婆
そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越えるノウハウ
になっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。
人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 
幼児、少年時代の、この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの
ケーススタディ」が加わっていた。今回の節目の一連の構えを備えていた
のも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の奥底を知ればこそ。 
で、この結果、この様だから、何を言わんか。それにしても、見え過ぎるのも、
面白い反面…?奇妙なもの!
 後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? 
    いや、丁度よい? 悪い?
・・・・・・
6024,明るく死ぬために ~1、まずは内容紹介から
2017年09月11日(月)
        『明るく死ぬための哲学』中島義道 (著)
 この春に出たばかりの、中島の本。「どうせ死んでしまう」と、死に対して
異常なほど恐れ慄き、逆に直視して、どこまでも堀下げている。死のイメージ
は暗く、絶望に満ちている。あれだけ気丈の人が、目先に余命を告げられると、
その恐怖に、恐れ慄く。数十年、いや、一生かけて自問自答して、自分自身で
土台を構築をしておくべき問題である。「人間は死なない。なぜなら自分が
死ぬことを見ることができないから」というエピクロスの言葉が実に納得できる。
 成るほど、70歳を過ぎると、後方から前方に回って近づいてくるというが…

  ー内容紹介ー
 私が住んでいる世界、私が見ている世界は「このようにある」のではない。
客観的世界のあり方と、「私がある」というあり方はまったく異なるのだ。
「私がある」とは、私がこの世界には属さないということである。
では私が死ぬ、とは果たしてどういうことなのか?
私が死ぬとき、私は新しい〈いま〉に直面する――。
子どものころから死とは何かを問い続けてきたカント哲学者が、
古希を迎えて改めて大難題に挑んだ哲学的思索。
 はじめに
1章:古希を迎えて
2章:世界は実在しない
3章:不在としての私
4章:私が死ぬということ
  =Amazonビュアーより=
《 中島哲学に最も共感を覚えるのは、それが死を ―とりわけ「私の死」を―
 モティベーションとしている点である。「哲学の最大問題は死である」という
中島の言葉には全く同感であるし、ともすればタブーになりがちな死を真正面
から論じているのは哲学だけであろう。「死がなければ哲学もなかった」と
ショーペンハウアーも言っている。
 一般常識によれば死とは「世界から私が消滅し、私の死後も世界は存続する」
ことを意味する。しかし中島はその残酷さに耐えられなかった。そして二つの
突破口を見出す。
・一つ。世界はそもそも実在しない。よって私が死んでも私は何も失わない。
・もう一つ。私はそもそも実在しない。実在しない私が消滅することに意味はない。
 中島は自分が消滅して世界が存続するよりも、自分の死とともに世界が消滅
する方がまだ救われるというようなことを言っている。しかし自分は全くそうは
思わない。どうせ自分が消滅するなら、むしろ世界は存続してほしいと思う。
そのせいもあるのか「世界は実在しない」という中島の一方の戦略は、それが
正しいか否かは別にして、少くとも自分にとって死の解毒剤とはなりえなかった。
 むしろもう一方の「私は実在しない」という戦略の方が、自分にとっては
はるかに有効だと思われた。もっとも「私は実在しない」という議論自体は、
それほど目新しいものではない。サルトルは対自存在としての私を「無」として
定義したし、永井均の自我論もとどのつまりは<私>を身体や記憶とは無関係な
「世界の原点」として位置づけている。ドーナツの穴はドーナツを食べても
何一つ傷つかない。 しかしながらもう一つ、中島の指摘していない突破口が
あるような気がする。それは「私にとって死は実在しない」というものである。
 死は必ず他人に訪れる。私が死ぬとき、私はもうそこにはいない。エピクロス
が言うように「死があるときわれわれはなく、われわれがあるとき死はない。
よって死とわれわれのあいだにはいかなる関係も成り立たない」。
私と死はあくまでも無関係にとどまる。そもそも私が死ぬことは証明されていない。
未来は常に不確定であり、私と他人はあくまでも別人である。しかるに今まで
死ななかった他人が一人もいないという過去が、私の死という幻想を未来に描き
出す。死の絶対的確実性は、過去と未来の同一視、他人と自分の同一視という、
実は何の根拠もない二つの倒錯に由来する。 その倒錯は、おそらくは言語に
よってもたらされた(この点では中島と一致する)。死は言語というプログラム
において不可避的に発生したバグである。死が誕生した経緯をひもとけば、
それが幻想に過ぎないことが分かるかも知れない。もっとも分かったところで、
それを消すことはできない。死を忘れるということは、人間であることをやめる
ということだ(それでも死を忘れることができれば、人生はどんなに明るく
楽しくなることだろう)。
――――
▼ これまで、挫折し、打砕かれた時、〔どうせ、死んで無に帰すのだから〕と、
 解毒剤にしてきたが、解毒剤そのものが、激痛の元になる? 平均80数年の地球
滞在が終盤に至ろうとする現在、「世界は世界として、ありのままにいて欲しい」
というのも、観念でしかない。「そこそこの人生なら、その真逆の人生が良い」
と、死は教えてくれる? それを信じて疑ったことにない私に、最後の最後に、
『神が教えてくださった!』 何を?『ほどほどの人生は、ほどほどにしろ』と。

 


・・・・・・
6753,閑話小題 ~瞑想の効果 :4段階
2019年09月11日(水)
   * 悟りへの瞑想法の効果 4段階
 悟りには4段階あるそうで、その段階になって初めて理解可能になる。
そこまで至らないと、理解しようのない心の境地である。 ある本に…
<悟りの境地を具体的に知りたいなら、嫌われている人を、好きになる心持ち>
とあった。成るほど! ここに至るのは、よほどの心の鍛錬と修業が必要となる。
  「瞑想の段階」とは、と検索すると…
<I.心理的成長(深層意識の浄化、人格の向上、煩悩[貪瞋痴…]の気づきと減弱)
 II.善心の強化(気づき[sati=マインドフルネス]、平静な心、理性に基づく
 確信、慈悲心、悪を恐れ恥じる心、など)
 III.積徳(功徳を積む、波羅蜜の涵養、業果としての幸福の招来、など)
 IV.悟り(4段階の悟りへの道を目指す、究極の悟り=煩悩の滅尽 =苦しみ
  からの解放=涅槃=解脱) >
 ―
▼ 現に何人の顔をイメージして、やってみると、成るほど、そんなものか!
 と納得出来るような、出来ないような。

 ――
   * 昨夜は、中学校の同期幹事会
 年に一度の中学の同期会。春先から事前の三回目の幹事会が昨夜、行われた。
大たい15名、集まるが、昨夜は12名が出席。二次会には10名が参加した。まあ、
地方特有の、濃厚の会。それぞれ持病を抱えているが、何とか… 9月28日の
同期会の出席予定が44名。昨年は、46名だから、こんなもの。今まで一度も
出席しなかった人が6名、加わり、全体が2名減というから8名が、約2割が欠席
になる。ホテル宿泊予定が8名。 古希の坂を乗越えて、人生を俯瞰する年齢に
なってきたということ。74歳になれば男の場合、平均介護年齢であり、あと
1年で、後期高齢者になる。ここに参加出来るのが、15%。それだけでも、
感謝しなければなるまい。

・・・・・・
6390,心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~2
2018年09月11日(火)
   * とにかく毎日書け!
 「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に垂直に立ち上がる。
一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく書いた内容が、
読返す度に違った視点に変化する。何もかもを書きだすプラス、マイナス面がある。
22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
 人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分の心底で
共鳴する一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を呼び
出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する文章を
書きつづける!」が、目標。旅行中は、身近な人に頼んで、書き下ろしていたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。「とにかく毎日書きつづけろ!」 
全部じゃないとしても!
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。

――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。自家用車持参のゼミ員の車で、
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスへ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >


▼ 孤老化している使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
 「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分の
 テーマ日記の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけて
きて良かったと実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いては
いるが、やはり、公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、
偽善の内容になっていくところが絶妙である。公開すると、それが即、
見抜かれるため、シリアスかつ、露悪に成りざるを得ないのである。
エゴまるだしの「このバカが!」と思われてこそ、面白い筋立てになる。 

閑話小題 ~狼少年か

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     * 今回も、そうだったが、
  4日前の気象庁の会見で… 
【 台風は今後さらに発達し、6日、沖縄地方と奄美地方に近づき、その後、
 7日にかけて、九州に接近、または上陸する恐れがあります。これまで経験した
ことがない暴風や高波、高潮、それに大雨になるおそれがあると!】と警告。
 何やら伊勢湾台風並みの豪雨のような警戒情報! で、過ぎ去ってみれば、
大した災害はなかったが、これを批判するのはタブー。ふくろ叩きになる可能
もある微妙な問題。自分の職住以外は、TV観劇のような変な時代でもある!

≪ Yahoo!ニュース :台風10号への警戒 「大げさすぎ」だったか(牛山素行)
 ―
9月6日~7日に日本付近を通過した台風10号気象庁がかなり早い段階から強く
警告を発し,社会の側もかなり積極的な対応が行われたようです.一方被害は,
まだ分からない部分があるとはいえ,歴史に残るような規模にはならなかった.
結果論としてみると,事前の警告や対応について「大げさすぎたのでは」,
という見方もでてくるかもしれません.あるいは,「社会が積極的に対応した
からこの程度の被害ですんだのだ」,といった見方もありそうです.  
はじめに筆者としての考えを言っておきますとこれらの見方については,
「そういう面もあり,そうでなさそうな面もあり,一概には言えない」と思い
ます.すっきりした話では無いですが,このように考える背景について整理して
おきたいと思います.(牛山素行) ≫
 ―  
    * コロナ禍が、あたかも終焉に向かったてるような空気感…?
 コロナ禍のワクチン開発も進み、あたかも終焉に向かい始めた空気感が漂い、
<飛行機内のマスク装着拒否で、飛行機が緊急着陸>のニュースが流れてきた。
「ピークも過ぎ、終焉に向っている楽観を大衆が望んでいる」ためである。
私も、その一員だが…娑婆には、軽くて無知が多いこと! このパンデミック
数年で終わるほど軽いものででないことは、少し考えれば解ること! 
 まだまだ野球でいう、2回表が始まろうとしているだけ! 今月から10月に
かけて濃厚な3波が押し寄せること必定。 としても、このコロナ禍。
時間経過をする程、意図的と誤解されるほど、中国の初動体制が悪い。
世界を相手に、中国が凄んだとしても、相手が悪い! とはいえ、一度、
放たれた細菌は自己変容を止めない! 

 ――

追文: 文章を書き終わり、去年分を読むと、これである。
  まあ、前提が、これで、覆い被さるようにパンデミック
 来年の同月、同日分は如何なることに? 10000万年分の人間の
地球への悪行への地球の大自然の逆襲が見てとれる!

 

・・・・・・
6752,閑話小題 ~何故にまた、巨大災害が続くのか?
2019年09月10日(火)
           ~NHK<地球大変動の衝撃 
             第5週『日本に迫る脅威 激化する豪雨』~
    
   * 地球大変動の衝撃
 NHKが<地球大変動の衝撃第5集 『日本に迫る脅威 激化する豪雨』>
を先日、見た直後の首都圏直撃の台風。今後の過ってなかった巨大台風の到来を
予測し、この傾向は一時的に治まることがない!と断言するシリアスな内容。
これに地震と火山噴火が加わるとしたら… 特に表日本側沿岸は如何なることに? 
とはいえ、一般庶民には、如何にもならないこと。首都圏で住むなら、埼玉?
温暖化が進む中で、このような異常気象が増える…?
純化して言えば「温暖化とは水の循環が極端になる現象」と言える。
 
 温暖化で、通常、陸や海から水分が大気中に蒸発、やがて雲を作り雨になって
循環する。蒸発する水分が大幅に増えた結果、水分を奪われた陸地では乾燥化が
進み、干ばつや火災のリスクも増加する。一方、熱帯の海ではさらに大量の水分
が蒸発し、大気中に含まれるようになる。しかも、海水が蒸発する時に奪う熱が、
形を変えて大気を運動させるエネルギーになるため、台風などの暴風雨が強く
発達しやすくなり、大気に含まれた大量の水蒸気は豪雨をもたらし、洪水や土砂
崩れにつながる。このように温暖化が進むと猛暑だけでなく、雨が降る所では
豪雨災害が深刻化し降らない所では干ばつが深刻化と両極端な現象をもたらし
やすくなると考えられる。国家予算は、支出が収入の二倍を超える中、破綻は
時間の問題。ある日、突然、現在の韓国並みの国家に… 恐ろしい限りである。
 その日本における客観的実態を、よくぞシリアスに映像化したNHK
NHKという存在意義の面目躍如の特集である。 少し褒めすぎ?
 ――
NHKスペシャル 巨大災害 MEGA DISASTER
地球大変動の衝撃 第1集 異常気象 “暴走”する大気と海の大循環

【収録内容】
■第1集 『異常気象 “暴走”する大気と海の大循環』
 東南アジアでは海面上昇に豪雨が追い打ちをかけ沿岸部の町を破壊、ロンドン
や東京などの大都市もこれまでの水害対策が通用せず未曽有の被害が予想される。
番組では、地球の“大循環”を可視化し、最新の観測データやシミュレーション
が明らかにしつつある将来の気象災害の姿を見つめる。

■第2集 『スーパー台風 “海の異変”の最悪シナリオ』
 台風は、熱帯の海にたまった熱エネルギーを温帯に循環させ、均衡を保とうと
する地球の巨大なシステムの一部でもある。しかし、今後も海水温が上がり
続ければ「スーパー台風」が頻発し、日本を襲う可能性が高まる。暴風によって
送電網の鉄塔が倒れ大規模停電が発生、高潮で都心まで浸水…、最新の
シミュレーションからは大都市の新たなリスクが見えてきた。大気や海水の
ダイナミズムが生み出す、地球最強の気象災害「スーパー台風」の脅威に迫る。

■第3集 『巨大地震 見えてきた脅威のメカニズム』
インドネシアや日本、チリなどで相次いで発生している巨大地震
地球を揺るがすほどの膨大なエネルギーは、どのようにして生まれるのか。
いま科学者たちは、地震波データを解析することで地下の構造をレントゲン写真
のように可視化する最新の“地震波トモグラフィー”を使って、そのメカニズム
に迫ろうとしている。番組では、地震波トモグラフィーが解き明かし始めた
地球内部の挙動から、巨大地震の発生メカニズムを読み解いていく。

■第4集 『火山大噴火 迫りくる地球規模の異変』
 地球の歴史上、繰り返されてきた火山大噴火。現代の私たちが経験していない
大噴火は、地球環境や人類にどれほどの影響をもたらすのか。火山研究の最前線
を取材し、その脅威の姿を見つめていく。

■第5集 『日本に迫る脅威 激化する豪雨』
 2014年、西日本の太平洋側では平年比301%の史上最多の雨が降り、全国的にも
記録的な大雨によって土砂災害や水害が相次いで発生した。最新の研究から、
日本列島に流れこんだ大量の水蒸気(暖湿気)が大雨を引き起こしていたことが
明らかになってきた。番組では、地球規模の大気と海の異変から日本を襲った
今年の異常気象を徹底的に解明。激しさを増す豪雨に私たちは、どう備えれば
よいのかを考えていく。

 ――
▼ 地元ではタブーかどうか? 柏崎刈羽原発が稼働して以来、地元の積雪が異常
 なくらい年々、減ってきた。世界最大の原発規模というのも、誰も口には出さない。
しかし東北大震災以来、その脅威を口に出すように… 彼らは、そこが地震帯の
真上にあることを知っていた上に、この計画を強行した事実が表面化してきた。
本来、地震と火山大国には、原発建設は無理があったが、目先の利権に、政治家、
利権団体も、目を逸らして… まあ、酷いことを…。とはいえ、資源貧国の日本に
とって、必要悪でもある。経済成長は国家としては絶対条件である。太平洋戦争の
敗戦以来、このかた。アメリカに次いだ経済規模に成上った付けが、返り矢として、
そのまま、災害として表立ったとみると、皮肉と言えば皮肉である。終戦直後に、
この日本に生を受け、ある意味、『起承転結』を、人生として経験できたことは
最たる幸運だったということか。 成るほど、その手応えは確かにあったような!
 
 で、脈絡として以下に続いていく。 これも偶然だが!
・・・・・・
6389,心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~1
2018年09月10日(月)
    * 未来とは、今である。
              ーマーガレット・ミード―
 この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、
数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい
からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を
入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月
同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が
出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の
テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」
として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。
ネットサーフィンで、ある名言集のブログに、「未来とは、今である」があった。
毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と
明確に示した内容である。

≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、
 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。
一方で、まだ将来の目標が定まらず、
いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。

わたしのまわりでも、
「今後のために いま何をすべきなのかわからない」
という話を聞くことがあります。
そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。

メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と
した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機メンフィス・ベル」は、これまで
唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る
ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。

最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは
初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。
その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。

新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」
ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」
新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、
   無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」
ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」
新人「 どうも、お邪魔を 」

このシーンが今でも気になるのは、ダニーの
『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。
それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫


▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
私にとって、「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

・・・・・・
5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑦
2015年09月10日(木)
         ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             ~心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。  ~その辺りから
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットヘンリー8世
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 
 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。
私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。
その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の
おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか…
それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の
本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。
そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、
わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、
故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する
侮辱なのである。・・・ ≫
▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、
 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。
物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、
他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、
壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。

・・・・・・
4927,パワレルな知性 ー5
2014年09月10日(水)
   * 専門主義と、教養     『パワレルな知性』鷲田清一
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に
影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、
音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の
自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること
を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。
  ーその辺りからー
≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外
の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は
とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、
じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの
プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに
じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと
伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること
のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、
プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。
「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる
ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの
異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに
よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、
じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて
いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい
アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が
もっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口
の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル
との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事
にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた
習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。
それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか
の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 
知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。
知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 
専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る
べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?

閑話小題 ~認知症試験

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    * それにしても
 年齢に比例した呆け気味は仕方がないが、なればこそ、注意をしないと思って
いたが、3日前の試験当日、試験のある会場の場所を勘違いをして時間に遅れて、
翌日の同時刻に替えてもらった。 …複数の知人などから、ネットに試験内容が
あるから、みていた方が良いと言われていて、家内から再三、ネットを見たか
どうか促されたが、後で後でと、結局は、みずまいで、本番に至った。
 私の参加した試験会場には7人が参加していたが、1人の女性以外は、予習?
をしてきたような空気。 試験官は、何でも知ってるふうに、
< ネットも、書籍でも試験内容が出ています。それを予習してきただけでも、
 合格なのです。それを知り乍ら、何もしないのが、問題です。そこに痴呆症
の要素があるのです。 > と開口一番に言われてドッキ! 前日は、会場を
知ってるつもりで辿りつけず、ネットで、調べもせず。 おまけに、前日には
自転車で転倒。右顔が腫れあがり、傷までついている!車も自転車も無い生活
は考えられない! それが後期高齢で、やむを得ないなら…? それが老人化
なら受止めないと大事故につながる。一つずつ、機能が失われていく悲しみを
味合わなくてはならない! ということ。
 ―
    * パンク修理!
 自転車の前輪のパンク。ワンタッチで外して、1kほど離れた自転車屋に、
持っていく。「パンク抑止剤がチューブで入っているため、取り替えに!
チューブだけで5千円は掛かる。その前にメーカーに在庫確認が必要と!}
チューブは、彼方此方、穴が開いておりボロボロ!」と。 何故か、倒れた
原因がアヤフヤだったのが少し分ったような。 家内に、やることなすこと、
全てを注意され、何やらミニ・ウツ気味! それでも、元気で過ごさないと!

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6751,閑話小題 ~yahooブログから引っ越し
2019年09月09日(月)
         『バードウォッチ』引っ越し先 ライブドア・ブログ
             http://livedoor.blogcms.jp/member/
   * 10数年のYahooブログの終わり
 今年に入って直ぐの頃、突然、Yahooが<12月15日付でブログのサービス停止。
を発表した。11月末までは大丈夫と安心していたが、8月一ぱいで書込みサービス
の停止を知らなかった。そのため、二日をかけて故障原因を調べてみたが、全く
解らずしまい。 仕方がないので、他のサイトへの引っ越しを早めることにして、
書込み不能の理由を知ることになった。 最近の秘・異郷ツアーの写真を載せて
いたので私にとって大事な行蔵を多く掲載してあるので、むべにも出来ず…
 まずは、引っ越し先のサイトの決定から始まった。慣れるまでは、違和感が
あるが、淡々と手順を踏む。今のところ、移行プロセスというところ。
 ―
   * 大相撲が始まった
 昨日から、大相撲が始まった。一場所15日×6場所=90日間。1年で4分の1が
大相撲に平均1~2時間は取られる。現在は、白鵬鶴竜の2強体制が、崩壊寸前。
あと1年持つかどうか? 若手の個性的な力士が多く見かけられるようになった。
好角家すれば、一番、面白い時節になっている。昨日さっそく、白鵬が敗戦を
きした。42回の優勝回数を誇る大横綱。問題はオリンピックでの「白鵬」の
横綱土俵入りのイベント。これまで、持つか否か。最近の楽しみ方は、幕下上位
から十両下位までの取組。そのご、1時間ほど、他の録画を見た後から、幕内の
後半からみると1時間半~2時間になる。 立合いから数秒で勝負が決まるため、
その間合いにエネルギーが集中する。そこに、それまでの稽古の番数と、その
質量が現われる。現在の人気は『炎鵬』という白鵬の弟力士に集中。2倍の
大きさの力士とガチに取りくみ、五分の確率で勝つから何とも言えない妙味が
ある。
 ―
   * 異常事態が異常でなくなった日々。
 天変地異の現象が、頻度を増していて、「ああ、またか」という日常化して
いるのが気になる日々。時の権力者は、一番大事な、こういう対策をとるのを
避けてきた。その結果として災害のカタチで、私たちに、そのシワ寄せとして、
襲いかかってくる。過っては年に一度あるかなしかの大災害が、毎月、地域を
変えて、襲いかかってくる。 これは、次回のテーマになるが… ことは深刻。

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6388,閑話小題 ~まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑 -2
2018年09月09日(日)
   * 本当にどうなってる
 このテーマを書いてから一月以上が経つが、その後も、大阪直撃の台風と、
北海道の大地震が続いている。それも前回、書いた延長上の地区と捉えることも
出来る。さっそく、この異常気象に対する特番が幾つか組まれているが、当然の
ことだが、オウム教の死刑執行に関連付けてはない。地震と台風との微妙な関係
は実証が難しいため語られないのだろうが、地球規模の温暖化によるオゾン層
破壊に関連しているのだろう。今世紀中まで、人間がつくり上げてきた世界の
終焉の仮説も立てておくべきでは?
 ―
   * 何とも面白くなってきた!
 現在、モンゴル相撲に占拠されていた大相撲。 2人のモンゴル人横綱と、
大関の上位のアドバンテージ(張手、肘打ち風カチ上げ)の有効活用と、
逆に下位力士が張手が出来ないように稽古土俵で連合して潰しにかける暗黙の
システムが露呈。それにあやかっていた日本人横綱大関まで、引退の瀬戸際。
それがTVで映しだすため、彼ら自身が大混乱に陥ったアヤを楽しむブラックを
楽しむのが何とも味わいがある。ところが、先場所から、大関以上が開き直り、
アドバンテージを再開。さて今場所は? 数場所内に稀勢の里。来年中に白鵬
鶴竜が引退が順当だが、二年後の東京オリンピックまで現役の目標があるため、
平成5,6年生まれと、彼らとのサバイバルが、面白さを倍増させてくれる。

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2018年 8月4日
閑話小題 ~まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑

   * ますます災害の頻度が増していく
 オウム教の教祖と側近の幹部の大量の死刑の一週間後に、
・中国、四国地区で豪雨が発生、(以下にコピー…)
・その一週間後に、関東から上陸、左折して東海に向かう不自然な台風。
・その一週間後に、関東をかすって、右旋回をして東北の海岸沖に向かった。

 コジツケだが、オウム死刑囚の刑場を三回に分けて周ったことになる?
何かしら不思議な因縁の現象と思えないでもない。としても、形而上、表現しては
ならない仮説だが。恐らく信者の何割かは、この仮説をたてて当然。台風の季節
到来としても、毎週欠かさない到来。「バカバカしい」で終わる話だが。
まだまだ物語が、続いていくのだろうか… 
 
 こういう世界的異常気象などが頻繁に起きている時節に、何故か、トランプ、
プーチン、金主席、中国の習主席の顔ぶれが並ぶ。そして矢継ぎ早に、愚策が
公然と実施され、世界が息を飲む図式。世界的異常気象、本格的ネット社会の
到来、そして情報機器の果てることない進歩が、20世紀的社会構造を破壊する。
で、オウム教のようなカルト教団の勃興と衰退。

 NHKBSプレミアムで5年前から【幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー】
の科学ドキュメンタリー番組がある。先日、この番組で、アメリカでは屡々、
社会現象としてUFO騒ぎが起きているが、これは第二次大戦以降から始まった。 
国家には、神話が存在しており、そこにはミステリーな物語が存在している。
しかし、歴史の浅いアメリカでは、それに替わる物語として「UFO、宇宙人との
遭遇騒ぎが代行している」と… オウム教と、この豪雨、台風を関係づけるのも、
カルトに手助けになるため、この辺りで打ち止めにする。

寅:7月末に、俺がさ、何か変?と、取上げただろう。その後さ、その変が、
 延長して続いていないかい?
熊:最後の、東北の海岸線への台風も仙台の刑場と、辻褄があってるね。
八:それがカルトの教祖の手軽の手法さ。でも、大本教祖の出口王仁三郎が、
 <空から火の玉が降ってくるぞ>と予言していたが、そのとおり、東京空襲、
 広島、長崎への原爆投下で、現実になってしまった。
寅:変な予言めいたことを言う前に、上手く隠したね。これもコジツケ?
大家:そう見れば、少しは面白いが、何か八つぁん、変じゃないか。
 前回の文章で、<魂で、対象の魂を屠る!> って話。あれ、やられた方は
 堪らないよ。でも、私も、あんまり腹が立ったんで、やってみたよ。
 10回でも、スッキリしたね。但し、アンタにね。

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4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3
2013年09月09日(月)
  * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた
 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が
絡むので、集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間
見ることが出来る。平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。
極限の生活で生きていく上で、常に分かち合うのが合理的であるからだ。
しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を生み出し、さらに
グローバル化が、それに拍車をかけている。 
≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとか
 カニバリズムは見たことがありますか。
関野〕うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。
たけし〕「人食い人種」とか言うじゃないですか。
アマゾンやニューギニアで、そうした風習はなかったのかな。
関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことは
あったけれど、それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、
誰でもいいわけではなく、強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、
そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで生き延びるために相手を
殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。理由は、
アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは
餓死することはあり得ない。・・・
たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、
慰謝科として何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようと
して侍つている奴がいたらしい。そういうバカなことが起きてしまう。
関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前に
ローマクラブが声明を出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければ
いけないと思ってしまうのは、やはり欲望のせいでずよね。欲望が膨れ上がる
ことによって、一部の人たちたけが富を独占しようとしているのが現代の社会。
アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。僕は人間が誕生した時に
平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、まず弱かった
ということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて
いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、
狩猟なんかできなかったと見ている。】
▼ レヴィ=ストロース構造主義などがある。アフリカや南米で残っている
「未開人」の地に何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味の
ある極めて合理的な社会である。決して、西欧が文明の最先端にいるのでは
ないのである。その社会の特徴は平等。文明社会は変化の積み重ねの結果の
産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が続いてきた。
そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。
その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを
根こそぎ覆す説こそ見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が
出ているからだ。 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、
追い越せで必死に生きてきた。そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、
30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、未開社会にある「冷たい社会」
のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。
あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。
「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない
劇薬であり最後のトドメ。年寄の冷水(酒)か? 
「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。
先がない私たちには、これでよいが? 
「それでは、落選した方が良かったか?」と、問われれば、
どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか!
・・・・・・
5291,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑥
2015年09月09日(水)
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
           ~心肺停止になって考えたこと 8! 中村うさぎ
   ☆ 「口先コミュニケーション」
 6月号を読んだ後、逆順の5月号の内容になる。私同様に、彼女もまた
世間様といわれる人たちを蛇蝎のごとく嫌っていて、その理由を、わざわざ、
「口先コミュニケーション」と項目を立てている。何も考えようとしない輩。
その言葉が、自らの想いや考えを伝えたり、まとめる手段ではなく、適当な
世間話の手段でしかないことを指摘する。彼らは、他者の理解など出来ようも
ないし、必要もない。何故なら、会話と対話の差異を知りようもないし、
対話など死際での家族とのやり取りか、窮地に陥った時ぐらい。『新潮45
の読者にも、世間様が存在することもあって、「口先コミュニケーション」
というお品のよい言葉にしたのだろうが、この一連の彼女の手記の多くが、
ドブネズミたちに言いたいこと、そのままが素直に書かれている。
   ~その部分を抜粋~
≪ 私には、人の気持ちがわからない。同じ世界に生き、同じ空気を吸って
 同じ場を共有し、同じ風景を見ているつもりでも、おそらく私の目に映って
いるものと他人の目に映っているものはまったく違っていたりするのだろう。
我々は「主観」という名の脳内世界を現実世界だと思い込んでいて、
それがどんなに歪んでいても気づかないし、たとえ間違いを指摘されても
おいそれとは自分の世界を描き変えられない。 こうして我々は、すぐ隣で
肩を並ぺている人とまったく違う風景を見ながら同じ体験を共有している気分
になっているのだ。そして、同じ風景や体験に一緒に感動しては、相手と心が
繋がったように錯覚している。本当は、それぞれが全然別の物語を生きている
というのに。ああ、諸君。このようなことを私はずっと以前から了解していた
はずだし、他人が感じていることと自分が感じていることは違うのだと己に
言い聞かせ、それを思い知らされるようなことが起きても動じない心づもりで
あった。 『が、実際には、私は何もわかっていなかったのである。』
その証拠に今回、自分を理解してくれていると思っていた人々がまったく
理解もしていなければ信頼もしていなかったこと、私と仲良くしてくれている
と思っていた人が私を蛇蜴のごとく嫌っていて陰でその心情を吐露しまくって
いたことを知って、心の底から驚いてしまった。こんなのは世の中によくある
ことなのだろうが、少なくとも私にとっては近年まれに見る出来事であった。
何故なら「周囲の人々」は心にもないお世辞や表面的な社交辞令などを言わず、
むしろ毒舌と呼ばれながらも本当に思ったことしか口にしない人々であり、
しかも言いたいことは相手に面と向かって告げる人が多いので、今回私を
驚かせた人々がずっとやっていたような口先だけのコミュニケーション作法
をすっかり忘れていたのだった。 だが、諸君、私は問いたい。
言葉が自分の想いや考えを伝えるものでなく、適当に相手をごまかすための
ものならば、我々は他人の言葉の何を信じればいいのか。そして、そのような
口先コミュニケーションが世間一般の常識なのだとしたら、「誠実さ」とは
いったい何か。そんなものは幻想なのか。少なくとも私は心にもない言葉は
絶対に言わないように心がけてきたし、たとえ相手にとって耳触りが悪くても
伝えるべきことはきちんと伝えてきたつもりである。それが「誠実さ」だと
私は思っていた。だが彼ら彼女らはそんな私を「幼稚」で「無神経」な人間
と思っていたようだ。 まあ、確かに「無神経」なのは認めよう。こんなにも
人の気持ちがわかってなかった私が繊細な感受性など持ち合わせているとは
思えない。しかし、それなら彼ら彼女らは、人の気持ちがわかっているのか。
少なくとも彼らは私が本気で語ってきた言葉を一切理解してなかったし
信用してもいなかった。私がどれだけ本気かわかっていなかったのだ。
彼らは私のことも自分たちと同様の口先人間だと思っていたのだろうか。
ならば、彼らはまったく私という他者を理解していなかったことになる。
そんな人たちに「人の気持ちがわかる」はずがないではないか。
彼らは私などより遥かに「空気の読める」人々である。だが、空気が読める
からといって、人の気持ちがわかっているわけではなさそうだ。(略)・・
・・ 私にとっては無意味な人間関係だが、それで彼らの世界が回っている
のなら、それでよかろう。永遠に空気なるものを読みながら、中身のない
価値なき言葉を吐き続ければいいのである。それが君たちの入生だ。
そして、そんな君たちの人生や処世術に、私は何の関心も持てない。
念のために言っておくが、私は彼らの人生に価値がないと言っているのでない。
彼らの人生には彼らなの価値がある。ただ、その人生においては、言葉に
価値が与えられてないだけ。彼らは言霊のない世界に住んでいて、そこでは
空っぽの言葉が行き来している。が、おそらく言葉ではなく別のものに
価値があるんだろうから、それはそれで、いいんじゃないかと思う。≫
▼ 死の間際から生き返り、改めて身辺を見たときの澄みきった感覚は、
 4年前の経験や、過っての色いろ味わってきた。 「うさぎちゃん」が
怒っているのも、彼女の、それまでの脇の甘さからくるもの。世の人は、
大体が、この程度のものと達観すれば、そこに慈愛が湧き出てくる。
それだけ、世人は口先人間が、目先で、口先で、空っぽのことで騒いで
いるに過ぎない。それを怒るとは、彼女自身も、同類になってしまう。
しかし、それらの多面をとらえて、全身で受け止めるのも彼女だからこそ。
『よくぞ、書いてくれた!うさぎちゃん』である。でもアフォか! 誰が?