つれづれに

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 昨日はシネマの日。邦画の『ザ・ファイブル』を見た。
面白いが、若者向きで、殺害場面の刺激が強すぎる。
それでも、85点。 

 大相撲が明日から始まる。てっきり次週と思っていたが、
今朝の新聞で気づく。奇数月の第二日曜日なら、来週の筈だが。
何故? 




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5956,洗って使える 泥名言 ~1
2017年07月06日(木) 
         <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * マンコ一回は数には入らん
 図書館の返却コーナーで見つけた、「サイバラ」の下ネタ、B級シリアス本。
この御堅いブログには相応しくない?が、第3章の『男と女の名言』が…何とも。
中村うさぎ」ちゃんも、無理がタタって、介護生活。その穴を、岩下志麻子と、
二人が埋めている。 スナックで、酔い客と、ママやホステスと日ごとの会話は、
こんなもの? 聞いたこともない?下ネタが、息をつかないほど続く。
・「無理マン」=私らの頃の高知の田舎の女子の初体験は、和姦と強姦の間の
「無理マン」というのが普通でした。二人きりになって、もう抵抗しても無駄だし、
殴られるのも嫌だし、まあしょうがないかな、みたいな…
・「マンコ一回は数には入らん」=ヤンキー文化の女子高だったので、みんな
 結構やっている回数が多いです。何回以上やると付き合ったことになるかと
 いう話題になった結果が、これ。
  ー内容紹介ー
≪実父はアルコール依存症。継父はギャンブル依存症で自殺。元夫もアルコール
 依存症。自身も地元高知の高校を退学となり、大検を経て武蔵野美術大学
進学するも、生活費稼ぎのために、在学中からミニスカパブでホステス、成人誌
で漫画を描く日を過ごした。そしていま“整形手術の帝王”高須克弥氏と熱愛中…
そんな波瀾万丈の半生のなかで、サイバラの人格を形作る土台となった身近な人
の「金言」集です。 その一部を紹介すると――。
・「前科とお金、どっちが大事?」…バイトしていた白夜書房の編集長の言葉。
 猥褻図画を載せて何度も警察に捕まった氏は、「前科なんていくら増えても
 いいじゃない。お金が儲かるんですよ」と繰り返した。
・「半分も払ったのに」 …雀士・小島武夫の言葉。麻雀の負け分をめったに
 払わない氏は、「半分も払えば返したも同じ」という考え方だった。でも、
 誰からも愛されたという。
・「病気は作んなきゃ」……高須氏の言葉。氏が「包茎は悪いこと」という
 認識を世に広めることに成功し、「包茎手術の第一人者」となった経験から。
歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものではありません。
どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったり
するような言葉ばっかり。でも、サイバラの人生の糧となった“言葉の劇薬”≫

▼ 御堅い明治生れの両親の元で生れ育ったため、親元から離れても、すり込み、
 呪縛から離れることが暫く出来なかった。女性中心の職場だったこともあり、
B級グルメ的魅力の女性が多くを占めていたが、地域の魅力を持った愛らしく
美しい人が、それぞれいた。ヤンキー上がりはゼロに近かったが、それでも
面白く、際どいのが4~5人に1人の割合だったような。驚いたのが、
平気で2人、3人目の相手の物色をする実態。違った相手に気持ちが移るのは
自然のならいか。西原は「えげつない、下ネタの漫画家」でもあるが、これがマタ、
面白い。ここまで明け透けになると、「いやらしい!」の気持ちが吹っ飛ぶ。
 ところで、「洗えば使える」は、あれのこと? 「洗って返してもらえば…」
両親に、生々しい具体的下ネタは控えるように教えられて育ったが、一般家庭
なら至極当然だが。下のことは、「暗黒の大陸」より、「暗黒の密林」ですか。

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4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29
2014年07月06日(日)
  * 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、
④転売可能で、⑤手堅いこと」を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分に
ダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の更地を売却をして、
新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。
まずは、千葉と長岡と同じく、孤独、孤立からの出発である。不安と緊張の中で、
漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。ところでホテル名は、
学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。
その上にツイン、ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円
の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!の確信が生まれていた。
これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要で
あるということ。すなわち、いつまでも古い形式にこだわってはならない、
というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、己を無に
して市場に聞きながら、踏出すのが基本。 事前調査で、ビジネスホテルは
月~木曜日が、ほぼ満室、金土が5~6割、日曜が3割、平均稼動8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 
平日はフロントに、土日はショップにシフトをし、回わせば、究極の合理化。
その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、大いに
利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、
短期的にはプラスに働いたが、長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がり
の衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、十年近く経って
気づくことになる。しかし創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、
二、三棟目のホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? 
それにしても、何だろう、この男? ドンキ?