読書日記 ~哲学の女神との空想上の対談 ―3

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                  『哲学の慰め』ポエティウス著
   ★ さらに「哲学の女神」の言葉を…
  ~ 真の幸福は、外でなく内なる心の状態である ~

≪ ◉ 人間は愚かにもウツロイやすいものに幸福を求めてしまう。
 だが、真の幸福は内にある。自らコントロールできるし、不運だといって
壊れない。ストア派と同じ考え。今日、起こった不運を達観することによって、
自らどうにもならないものに影響されないことだ。 
 幸福とは世界ではなく、心の状態である。エピクロスはこれを悟ったのである。
女神は、もう一度、自分の方に、ポエティウスを自分の方に向けたかったのだ。 
富や権力や名誉は来ても去っていくので価値はない。そのようなものに幸福の寄り
どこらにしてはならない。幸福とはもっと堅固で、奪われることのないものから、
生れなければならない。 ポエティウスは死後の生を信じているのだから、現世
のつまらないことに幸福を求めることは間違っていると。
いずれ、死により全てを失うから。
◉ それでは、ポエティウスは、どこに真の幸福を求めるべきか。
 天使の女神の答えは、「神あるいは善」ということになる。
女神のいう神とは、プラトンが提唱する善のイディアだろう。
 女神はポエティウスが知っていたことを思いださせようとする。
これもプラトンの考え方である。プラトンは、学問とは、すでに持っている
考えを思い起こすことと努力することだと。ポエテゥウスがある程度知って
いるのは、自由や世間の称賛を失うのを怖れる必要が無いということ。
こうしたことは、ほとんどコントロールできない。大事なことは状況をどう
考えるかであり、それを選ぶことができるのだ。 
囚人は神を信じてきた多くの人を悩ませてきた、本質的問題に突き当たる。
神が全知全能なら、これまで起こってきたこと、そして、これから起こることを
知っているはず。それについて女神は…<私たちは前もって知っているものの、
人間が、どう行動するか、何を選択するかによって、あなた達を見極めている
ことを忘れてはいけない!> と。何も、自由意志なのだ。 
◉ 11世紀を生きたイタリアの修道士で、のちのカンタベリー大主教になった
 アムンセルムスが、私たちが神の概念を抱いているという事実が、論理的に
神の存在を証明しているという。 アムンセルムスの『存在論的証明』である。
彼は『プロスギオン』で、<神が「それより偉大なものを考えることができない」
存在であると主張する。言い換えれば、神は想像しうる最も偉大な存在ということだ。
力、善、知においても最も偉大であり、それよりも偉大なものは想像できない。
できるとすれば、それが神なのだろう。神は至上の存在だ。 ≫

 ―
▼ 死刑執行を前にして、心の底の善こそ、最も重要と目覚めることと学ぶ。
 私の実践判断の中で、『可能な限り、後味の悪いことは避ける!』があり、
判断、決断時のフィルターにしてきた。ふり返り、これで多くが救われていた。
それもこれも、「最後の最後は、おのれ独り」といいうことになる。
人生、学び足りなかったことが、あまりに多い! 甘い、いや甘かった!

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6323,閑話小題 ~今年も半期の終了 -5
2018年07月06日(金)
    * ~スイス 名門寄宿学校~ 2 ―『ボー・ソレイユ』
 人生を振返り非常に恵まれていたと思うが、特に学生時代が充実していた。
昭和40年代前半で、ベトナム戦争と、経済成長が急激の右上がりの真っ只中。
現在からみれば時代格差もいいところ。その中で、500坪ほどの早大・事務局長
の庭先に「くの字」の男子学生を中心にした寮生活。「くの字」の真中に炊事場と
洗濯場があり、両側が出入り口とトイレがあった。床は土間で、個室で鍵が付いて
いた。寮生には、秋田、福島、新潟、九州、石川など全国から様々な職業の子弟で、
早大が半数と、その他の大学に通っていた。一年もすると、数人の学生と旧知の
仲のように親しくなって、それぞれの部屋にフリーパスのように、出入りするのが
当然という雰囲気になっていた。そこで知らされたのが、読書の絶対量不足。

 2年生まではクラブと、この寮の学生が交流範囲。しかし、2年後半からは、
3ヶ月に一度の軽井沢の友愛山荘のアルバイトが、加わっていた。軽井沢の山荘で、
私以外の海外旅行の計画話を聞いて、「自分も」と、一大決心をして3年の夏休みに
1ヶ月間の欧州ツアーに参加し、別世界を垣間見た。さらぶ別次元の家柄の子弟とも
親しくなったことと、その因縁で、4年時に、『武澤ゼミ』に参加することになった。
その年次ごとに、アップスケールを着実にしていたことになる。
 それぞれの時期に知り合った友人とは現在も交遊が続いている。様々な世界に触れ、
様々な友人と知り合えたことは、何にも替えがたい経験となった。とりわけ、何人か
の教授との出逢いが大きく人生を左右した。それがあればこそ、11~18歳までの
多感の時節の寄宿舎の内容に、ひたすら、関心してみていた。

 オープンハウスと、シェアハウスを加えて二つに割ったような寮生活(自炊…)
と、クラブ、そしてゼミは、それぞれの共同体そのものが、共同意識として、
良い意味で自分を支配し、レベルアップさせる働きしていたようだ。
 学生時代に大きく培われるのが、『自主性』と、新しい世界への『挑戦』と、
『平等』と、『変化』への果敢な精神。新たな経験と知識を、夜を徹して酒を飲み
かわし、語り合う。そこで、自分と、この私の世界の小ささの認識をすることに。
そして、外に平がる膨大の世界への直感。スイスの山麓で、ベストの仲間たちと、
先生と、ベストな食事などの環境下での8年の寄宿生活。この効果は無菌なるが
故に絶大になるのだろう。

 進級する度に、一つずつ世界が広がっていった学生時代。『ボー・ソレイユ』
にも、世界各地の秘境ツアーが紹介されていた。この年齢で、世界各地の絶景が
もたらす精神の効果は絶大のはず。現在、アフリカ、中近東からの難民が地中海
の波間を彷徨っている。あまりにも世界は、格差が大きく開いていく。
王侯・貴族の世界を知っておくのも、悪くないという話の一節! それぞれの
背中のリュックには、多くの行蔵が入っている。あの静かなスイスの寄宿生活
には、はち切れんばかりのエネルギーが迸り出ていた。
    
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5591,私の人生で出あった大断層は
2016年07月06日(水)
   * 私の人生で出あった大断層とは
 日本の断層といえば、戦国時代、明治維新、太平洋戦争の敗戦、そして、
バブルとバブル崩壊による日米経済戦争の敗戦である。敗戦直後に生まれた
私にとっての最大の断層は、ソ連・東欧の崩壊と時を同じくしたバブル崩壊
 アメリカによる日本潰しだったバブル崩壊について、あまり語られないが、
太平洋戦争敗戦に比する経済敗戦。あれ以来、大規模な金融再編、大型スーパー
や百貨店の倒産、西武鉄道グループの銀行管理などが連鎖して起こった。
 その結果、資産デフレが、10年、20年かけて、じわじわと日本経済の体力を
奪っていた。2001年の9・11テロ、2008年のリーマンショック、2011年の3・11
大震災が、更に加わった。そうこう考えると、地方の一中小は、他動的な、
思いもよらない大波に飲まれたら一瞬に消え去るしかない。 私の事業も、
バブルとバブル崩壊の結果、デフレの大波に飲みこまれたことになる。
 バブル崩壊以前の大波といえば、
・大学卒業から2年半後の1971年8月に、ニクソン大統領の発表した、
ドルの金との交換 停止によってドルの価値が急落したドルショック。
・次にオイル・ショックで、1973年(第1次)と1979年(第2次)に 始まった
(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる
世界の経済混乱である。
・そして、極めつけは、アメリカの謀略の1985年のプラザ合意がある。
プラザ合意については、バブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、
バブル景気とその後の失われた20年(長期の経済低迷)の起点という
見解がある。
そうこう考えると、私の人生も、世界の政治経済の潮流に漂っていただけ。
もう一つ、1995年のウィンドウズ95の発売と、普及。そして、最近の
スマートフォンタブレットの普及である。ネット社会が、何時の間にか、
現実社会を覆ってしまった。その結果、頭と足が腐ってきた。

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5226,「エリック・ホッファー自伝」 ~④
2015年07月06日(月)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * 運命の出会いと別れ
 ホッファーの放浪者としてのベースは、『旧約聖書』との出あいである。
それを引き合せてくれた運命的邂逅の相手が、雇い主のユダヤ人であった。
ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である。>
のとおり、ホッファーも放浪労働者として、真理を追究していく道を選んだ。
 ~その辺りから~
≪・ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれたエリック・ホッファーは、
 7歳で母を亡くし同時に失明。15歳で突然視力が回復すると、また視力を失う
 怖さから本を貪り読むようになる。18歳で父を亡くし天涯孤独の身になると、
 さまざまな労働に従事するかたわら公立図書館を利用して読書に没頭する。
 家系はみな短命で、50歳以上生きた者が誰もいなかった。自分の命も40年
 だと疑う事なく信じていたホッファーが40歳までの"半生"を綴っている。
・ローズベルトが大統領になる前のアメリカは、自己憐憫とはまったく
 無縁だった。言葉を交わした人間の誰一人として、自分の不孝を他人の
 せいにする者はいなかった。
・雇い主のシャピーロとの会話は本の話題が中心で、彼は私が何を読んでいる
 のか知りたがった。彼は大学を卒業しており、死んだ叔父が倉庫を残さな
 かったら、学者の道に進んでいたらしい。つまり、大学教授になる代わりに、
 やり手のくず鉄屋になったのだ。私は贈罪日に倉庫を閉めたのを見て、
 初めてシャピーロがユダヤ人であることに気づいた。それからユダヤ人に
 関する本を読み始め、シャピーロが私に関心を示したのは、彼がユダヤ人で
 あるからだと確信するようになった。ユダヤ人は特別な民族である。
 彼らは神を見つけ出し、その数に比して歴史的に大きな役割を担ってきた。
 <ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である>
 そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。
 中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を
 招き寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。
 この考えにシャピーロは喜び、ぜひそのことを書いてみるべきだと言った。
・古代の始まりからユダヤ人は、人間の顔に表れる象形文字を判読する能力に
 秀でていた。人間が何をしようと何を考えようと、それは顔に刻み込まれる。
・新たな好奇心が私を旧約聖書へと導いていた。ちょうど筋肉がついてきたという
 意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように、
 精神が成熟してきたという意識が、私を未知の新たな仕事へと向かわせた。
・貧困者に対して非情になるなという訓戒が、争いごとにおいて
 貧者の肩をもつなという冷めた諫言と並存している。
・この世の現実に執着するあまり、古代ユダヤ人は来世のことを考えなかった。
 彼らにとって最高の報酬とは、自分の寿命を延ばしてもらうことである。
・真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを
 探るうえで必要不可欠な才能だ。≫
▼ 放浪労働者から解放される機会が多くあったが、敢えて、その道を
 選ばなかったのは、40歳までしか生きられないという思い込みがあった
ことと、旧約聖書の影響である。しかし、放浪労働者は違っていた。
ただ社会的不適応者でしかなかったが、彼らの群れには魅力が隠されていた。

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4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
 * 女の変容    「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。奥さんが
曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に「男から見る女性の、対男性
の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期の
オニババ化が始まる。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、
 男としては、うん、この女は優しくて、オレの世話を何くれとなく見てくれる、
 と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。
 それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと容赦しない。
 彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、
 亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわり
 のあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、すざまじい勢いで叱り
 つける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。
 この場合の指図される相手は、多くの場合い、亭主しかいないから、オニババ
 の夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。 ≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。
 予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。
オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が大量に定年を向かえ
家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミが
イガミアッテいる。私など平均4時間は外出。ちらほら愚痴が聞こえてきて
いるが、当人にとっては切実の問題。以前読んだ、あるエッセーにあったが、 
定年になった時に、「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」
妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を
始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。人間の記憶の大部分が
マイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナー
を身近の人に見ることになる。その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が
進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から
解放された挙句に、である。
・・・・・・
5956,洗って使える 泥名言 ~1
2017年07月06日(木) 
        <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * マンコ一回は数には入らん
 図書館の返却コーナーで見つけた、「サイバラ」の下ネタ、B級シリアス本。
この御堅いブログには相応しくない?が、第3章の『男と女の名言』が…何とも。
中村うさぎ」ちゃんも、無理がタタって、介護生活。その穴を、岩下志麻
と、二人が埋めている。 スナックで、酔い客と、ママやホステスと日ごとの
会話は、こんなもの? 聞いたこともない?下ネタが、息をつかないほど続く。
・「無理マン」=私らの頃の高知の田舎の女子の初体験は、和姦と強姦の間の
「無理マン」というのが普通でした。二人きりになって、もう抵抗しても無駄
 だし、殴られるのも嫌だし、まあしょうがないかな、みたいな…
・「マンコ一回は数には入らん」=ヤンキー文化の女子高だったので、みんな
 結構やっている回数が多いです。何回以上やると付き合ったことになるかと
 いう話題になった結果が、これ。
  ー内容紹介ー
≪実父はアルコール依存症。継父はギャンブル依存症で自殺。元夫もアルコール
 依存症。自身も地元高知の高校を退学となり、大検を経て武蔵野美術大学
進学するも、生活費稼ぎのために、在学中からミニスカパブでホステス、成人誌
で漫画を描く日を過ごした。そしていま“整形手術の帝王”高須克弥氏と熱愛中…
そんな波瀾万丈の半生のなかで、サイバラの人格を形作る土台となった身近な人
の「金言」集です。 その一部を紹介すると――。
・「前科とお金、どっちが大事?」…バイトしていた白夜書房の編集長の言葉。
 猥褻図画を載せて何度も警察に捕まった氏は、「前科なんていくら増えても
 いいじゃない。お金が儲かるんですよ」と繰り返した。
・「半分も払ったのに」 …雀士・小島武夫の言葉。麻雀の負け分をめったに
 払わない氏は、「半分も払えば返したも同じ」という考え方だった。でも、
 誰からも愛されたという。
・「病気は作んなきゃ」……高須氏の言葉。氏が「包茎は悪いこと」という
 認識を世に広めることに成功し、「包茎手術の第一人者」となった経験から。
歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものではありません。
どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったり
するような言葉ばっかり。でも、サイバラの人生の糧となった“言葉の劇薬”≫

▼ 御堅い明治生れの両親の元で生れ育ったため、親元から離れても、すり込み、
 呪縛から離れることが暫く出来なかった。女性中心の職場だったこともあり、
B級グルメ的魅力の女性が多くを占めていたが、地域の魅力を持った愛らしく
美しい人が、それぞれいた。ヤンキー上がりはゼロに近かったが、それでも
面白く、際どいのが4~5人に1人の割合だったような。驚いたのが、
平気で2人、3人目の相手の物色をする実態。違った相手に気持ちが移るのは
自然のならいか。西原は「えげつない、下ネタの漫画家」でもあるが、これがマタ、
面白い。ここまで明け透けになると、「いやらしい!」の気持ちが吹っ飛ぶ。
 ところで、「洗えば使える」は、あれのこと? 「洗って返してもらえば…」
両親に、生々しい具体的下ネタは控えるように教えられて育ったが、一般家庭
なら至極当然だが。下のことは、「暗黒の大陸」より、「暗黒の密林」ですか。

・・・・・・
4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29
2014年07月06日(日)
  * 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、
④転売可能で、⑤手堅いこと」を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分に
ダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の更地を売却をして、
新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。
まずは、千葉と長岡と同じく、孤独、孤立からの出発である。不安と緊張の中で、
漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。ところでホテル名は、
学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。
その上にツイン、ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円
の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!の確信が生まれていた。
これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要で
あるということ。すなわち、いつまでも古い形式にこだわってはならない、
というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、己を無に
して市場に聞きながら、踏出すのが基本。 事前調査で、ビジネスホテルは
月~木曜日が、ほぼ満室、金土が5~6割、日曜が3割、平均稼動8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 
平日はフロントに、土日はショップにシフトをし、回わせば、究極の合理化。
その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、大いに
利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、
短期的にはプラスに働いたが、長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がり
の衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、十年近く経って
気づくことになる。しかし創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、
二、三棟目のホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? 
それにしても、何だろう、この男? ドンキ?