つれづれに

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 改元の御祭り騒ぎも落ち着いてきて、次は米中の貿易摩擦と、それに
よる不景気問題。 これはリーマンショックより深刻になる可能性を孕む。
トランプも何とかスキャンダルを乗りきってきたが… 

 あと、衆参同時選挙の可能性も出てきた。改憲も含めて、重大な選択も
必要な時節であることも確か。




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3702, 自己を見つめる -21
2011年05月15日(日)
          「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 死について ー②
【 元気旺盛のただなかで、突如、不治の病を宣告された人は、初めは死を、不条理な運命として呪誼し、
憎悪し、拒否するが、次第にやがて、その苛酷な宿命を受容して、死を覚悟し、承認するようになると
いう心理学的研究も存在する。人間が死と立ち向かう心理的状況は、種々様々である。 死を迎え入れ、
その定めを覚悟し、その準備を整える用意は、憂き世の終末に向けて身辺を整理することを含む。 
そこには、種々雑多な俗世間的な事柄が絡みつくが、それらはみな、老境の責務だとも言える。ありうべき
介護や臨終、葬儀やさまざまな後始末、それらをすべて、何らかの仕方で見越しながら、誰もが、終末に
身構えざるをえないのが、死にまといつく憂き世のしがらみである。
 たいていの日本人なら、死んだら、草場の蔭から子孫を見守り、お盆には憂き世に帰り、生者と交わる
ことを望み、しかしやがて年月が経てぱ、往時茫々、すべては諸行無常のなかに消え去ってゆくのがこの世の
定めだとして、それを、詮方ないことと心得る諦念を、心中密かに保持しているであろう。 あるいは、
永遠の生命の流れとしての浄土に、自己が繋がり、久遠の仏性に救い上げられるという強い信仰をもつ人
もあるかもしれない。 さらにはまた、西洋からの宗教思想の影響のもとで、死に際して、神の恩寵と審判
が下され、裁きが行われるという終末観を抱き、神に救済されることを祈って、日夜、信仰と精進に励んで
生きる、敬謙な人々も存在するであろう。 死という終わりに直面する私たちが抱くさまざまな不安や、
懐疑や、憂悶や、希望や、希求や、欣求には、果てしがない。 
 それらの種々の想念と気遣いのすべては、いかに人間が、死の影のもとに、蜉蝣のような自己の身の上を、
儚いながらも、充実した有意義なものとして構築して生きようとするかという、胸痛む事実を、告知している。
人間は、徹頭徹尾、死の影のもとに生きる存在者なのである。 この憂悶にみちた現実が、人間の生存の¥
真実である。】
▼ 結局は、大部分の人にとって壮絶な死に際が待ち構えているが、敢えて知らないふりをし、
 日々の細事に気を紛らわせるしかない。それも、物心とも準備を怠ってきた人は、ただ動転し、目先を
辛うじて生きるしかない。その結果、事故や、争いに巻き込まれ、老醜を曝す結果となりがちでなる。
それは、家系とか、持っている体質にも関係してくる。やはり人の死は大方悲惨と覚悟をすべき。
問題は、当の本人が、それに独り直面し、ギリギリの極みの中で、苦痛の中で最期を向かえ、意識が
消えていくことである。
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3337, サイバーとは超格差社会
2010年05月15日(土)
ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著)  ー8
 * サイバーとは超格差社会
  ー まずは、その部分を抜粋してみる ー  P-236
 私は過去のコラムで「サイバーとは超格差社会」と書いたが、一方でこれは持たざる者、立場の弱い者に
大きな恩恵をもたらすものだとも考えている。 その格差といえば情報と知恵の差である。
仮に判らないことがあっても質問できる双方向性。 実はこれこそがサイバーの最大の特徴でもある。
そしてそこから自然にコミュニティが生まれ、互いのノウハウを交換しあうことによって更に自らを高める
ことができる。電子町内会の誕生である。 こうしたことも、かつてなかったスタイルの「恩恵」であろう。
サイバー社会の格差を埋めるのもまたサイバーなのである。 この事実に我々はもっと注目すべきだ。なのに
現状、インターネット上の最大の産業がポルノ、またはポルノまがいのコンテンツになっているのは情けない話。
「あらゆる技術は軍事目的で開発され、ポルノ目的で広まる」ともいうから(写真もビデオも、もちろん
インターネットもそう)、ある程度は仕方がないことなのかなとも思う。 しかしインターネットが我々の
身近なものに降りてきて10年あまり、そろそろ次の段階にステップアップすべきなのではないか。「次の段階」、
それは前述したように人々が学び、情報武装して賢明な市民となり、甘言を弄する政府の嘘を見抜き、健康で
文化的な生活を生涯に渡って維持することである。 そして、そのためにこそサイバーを有効活用することだ。
サイバー社会が人に恩恵をもたらすものである限り、私はそこを自らの事業ドメインとして関わり続けていこう
と考えている。
 ~~
 現在、サイバーに対してマイナーの視点で論じる傾向があるが、負け犬の遠吠えでしかない。弱い立場の者
に大きな恩恵をもたらすが問題は知恵である。 知恵と才覚があれば、その中で格差を埋めることが可能である。 
そのためには哲学の基礎も必要になる。 哲学をもってネットを使えるかどうかで、その差は大きく左右する。
考えないでネットにハマッタら、底なしのバカ?になる。HP・ブログに10年前に気持ちを集中してなかったら、
良し悪しは別にして現在の世界観とは全く違っていたはず。これからiPadと簡易ブログのツイッターが爆発的に
普及した時に、この蓄積は何ものにも変えがたくなる。 知らないうちにサイバーに移動していたことになる。
    ますます情報=通貨の度合いが強くなる。恐慌も含めて、こんな時代が見れるとは思ってみなかった!
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2962,若者たちは今 -2
2009年05月15日(金)
 -若者が危ない!ー
いつの時代にも「今時の若者は」と言われてきたが、少し前の経済週刊誌に
「現在の20歳代が危ない」という特集があった。その特徴として、
・上昇志向なし             ・10歳代で「失われた10年」を経験
・二年で3割離職            ・20歳代前半の43パーセントが非正規社員
・親との同居率6割           ・職場に不満は過半数
・海外志向のない若者が半数    ・あまりモノを買いたがらない 等々である。
 今さらだが、彼らには弱肉強食の意識が欠落、若いときに辛い体験をして、それをバネにして上を目指そう
という気持ちが欠落している。韓国、中国などの若者に比べて、全く人生に対する姿勢が劣っているようだ。 
例の「ゆとり教育の犠牲者」なのである。 こういうマイナスの回転に引きこまれた世代は、何処までも
マイナスがついて回るのだから、気の毒といえば気の毒。我われの世代が逆にプラスの回転だったから、
それが鮮明に見えるのである。前向きでないからか、消費や海外に対しても興味を示さず、ただ目先の安定を
求めてしまう。これからの長い人生をどう生きていくのだろうか? この世界恐慌の中で、プラスの気持ちも
持ちにくいのはわかるが・・・。アメリカが戦後日本を徹底的な隷属国家として、骨抜き戦略をしてきた
最たる象徴が、三十代前半から二十歳代の若者である。
  (以下、字数の関係でカット11年05月15日)
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2598, 中国の地震について
 2008年05月15日(木)
中国の地震は、死者行方不明は十万人以上の可能性も出てきた。産経新聞が行方不明9万人と報道していたが、
まだ真偽は解らない。中越中越沖地震がマグネチュードが6・8、今回の中国の地震が、7.8 。 
震度が一違うと32倍というから、いかに大きな地震だったか!が推測できる。
32年前の文革真っ只中に24万人の死者の地震があったというから、日本の最近の地震とは規模が違う。
この地震もも、マグネチュードが7・8だったという。最近は誰もがデジカメか携帯電話のカメラや、ビデを
撮ってしまうから情報管制は難しい。連日、生々しい写真が出始めいる。スマトラ沖地震と、ミャンマー
サイクロン、そして、この地震と大規模の災害が続いている。それも中国にとって華やかなオリンピックの
聖火リレーの最中に。そういうものである。 以下は、新聞の記事で、最も簡潔に知りたいことが書いてあった
記事である。
 =毎日新聞 ー余録:四川大地震
人類史上最悪の自然災害は、明時代の中国で起こった華県地震と呼ばれる震災という。1556年1月23日、
陝西省西安の東方約70キロの華県で発生したマグニチュード8の地震で、死者は83万人に及んだ
▲その有り様は「地陥没、裂開し、震裂の大なるは出水、出火してその怪形容すべからず」と伝えられている。
  (以下、字数の関係でカット09年05月15日)
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2007年05月15日(火)
2233, しお壷の匙  ー2        (´∀`σ)σ オハYO!
 この中の「銭金について」の上司の言葉と、本人の動揺が面白い! 「学生気分が抜けない頭でっかち」
を注意された時のカルチャーショック。誰もが一度通らなければならない精神的脱皮の時である。働くとは
何か?金を稼ぐことである。生きるためである。そして、その中に生甲斐を見出していくことである。一度、
徹底的に自分を破壊して、金を稼ぐプロとして再生しなければならない。これが三年目にくるか、十年目に
くるか、それぞれ違うだろうが。ーまずは、その部分を抜粋してみる。
 ーー
「・・ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、お世辞、お愛想の
言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、上司は自分の机の抽出しから一冊の本を取り
出し、いきない「これは何だッ。」と呶鳴った。見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊と
して上板された、プラトーン・田中美知太郎訳「ソークラテースの弁明」であった。私は己れを慰めるために
それを書店で求め、通勤の往き帰りに電車のなかで読んでいた。 上司はそれを私の机の中から取り出し、
咎めているのだった。「俺はお前が週刊誌を読んでいる姿、見たことねえぞ。これは何だ。こんなもの読み
やがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。人間の心は捨てろ。そうすれば、
どんなことだって平気で出来る。人におべんちゃらを言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。
俺たちは人に頭を下げることによって飯を喰ってんじゃねえぞ。金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。
いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん男じゃないか。金に頭を下げることのありがたさを知ったら、
どんなことだって出来る。屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が
喰えん男じゃねえか。その金は誰からもらうっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、パンツを
脱いでしゃがむんだ。人間の心を捨てろ。いいか。」・・・  私にあっては、この小事件は大きな意味
価値を持っていた。
  (以下、字数の関係でカット11年05月15日)
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2006年05月15日(月)
 1868, ブログは社会革命ー 2   おはよ?!(*^ワ^*)i
いま一つ劇的なポイントがあった。それはブログに書かれた記事は検索エンジンにとっても検索されやすい
ということ。わかりやすく言えば、ブログの記事や日記は一本一本が独立したHPのような形式になっている。
検索エンジンはこうした構造のHPを好むから、結果的に検索エンジンはブログに書かれた内容であっても、
企業のHPと同じように検索エンジンに取り扱われるようになったのだ。「ウェブ進化論」の第四章ブログと
総表現社会の中に解りやすく書いてある。ーひとつはブログの仕組みは、記事をコンテンツの単位として
設計されているということだ。つまり、ここの記事に固有のアドレス(URL)がつけられた。
   (以下、字数の関係でカット10年05月15日)                  
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2005年05月15日(日)
1503, 平等について ー1
ー不平等が人間の基本ー
フランス革命の旗印は「自由・平等・博愛」である。その自由に重心を置いたのが、自由主義であり、平等に
重心を置いたのが、社会主義である。博愛に重心を置いたのが宗教というところか。「自由」については
何回か書いたが、今度は「平等」について考えてみよう。 『日常生活に哲学は必要だ』
三浦朱門と鷲田小弥太の対談集ーの中の「平等について」の一節に明快に書いてあった。
 これから考察してみる。
ーまずは抜粋してみるが、「平等」に対して、これだけ解りやすく納得させてくれるのも珍しい。
   ー「不平等が人間の基本」ー
・三浦 社会主義の基盤は平等です。さっき、人間は共産主義者が好きなのではないという話がでましたが、
それは実は平等が好きだということなんです。実際、遠見に見ると、人間なんてどれもこれも同じなんです。
たとえば学校を見ると、卒業式とかなんかで、クラスの記念写真を撮りますね。これが制服など着たりしている
となおさら、みんなと同じである。だが、少し近づいてみると、男の子がいたり、女の子がいたりする。 
偏差値も違うし、歌の上手い子もいる。ハンサムな子、美人な子、逆にブスな子もいる。これだけの要素を順列
組み合わせしてみても、千差万別といってよいほど違う。まして人間の要素というのはこれだけではない。 
本当に一人ひとり違う。だから社会を構成上で大切なのは、平等の適用範囲なのでしょうね。平等の心地よさは
大事です。それは社会を安定させる重要な要素です。人間を遠距離で見るか、中距離で見るか、近距離で見るか。
市民的平等、遺伝子的平等、文化的平等などさまざまな局面を考えてみると、やはり平等は社会保障や法律の
局面に限るべきだと思います。その部分の平等が保障されていれば、その社会はまずはよしとしなくては
なりません。ところが平等とはなんでも同じでなければならないととらえられている。
・鷲田 まず人間は基本的に不平等であると心得なくてはなりません。その基本的に不平等である人間が社会
的生活を営む上で、なるべく円滑にいくように考えだされてのが平等という概念であることを知らなくては。
そのためには、法律に定められた平等以外に不平等であるのが人間の姿なのです。それを心得させるものは
哲学であるということなのです。「平等と権利の主張」
・三浦 平等は社会生活を営む上で便宜的な概念であって、人間の本質でないということことですね。
だが、その平等の概念がしばしば混乱するのは、ほかでもない、
権利意識と平等が混同されるからではないでしょうか。
・鷲田 権利を主張するのに平等を楯にする。しかしね、平等を楯にした権利の主張は利己主義に過ぎないよ。
その証拠に、こちらに何かを寄越せ!という権利の主張なら大いに平等を口にしますが、平等にするために
こちらの何かを削らなくてはならないような場面では、平等のビョの字も出なくなる。・鷲田 いまの政治家
や役人の二代目なんてのは世襲化しているが、これを如何考えるか。
・三浦 何代目であろうが、一応外交官試験を通ったり、選挙に当選しているのだから、やはり平等と
見なくてはなりません。
・鷲田 平等は聞こえがよいし、居心地がいいかもしれない。また、社会生活を円滑に回転させるための
円滑油としての効果もある。だが、それはあくまでも法律的な枠組みに限られたことだとわきまえなくては
ならない。良識などという言葉は私にはもっとも似合わないが、やはりそういう良識を持ち合わせてないと、
品位のない社会になってしまいますね。その良識を確立するためにも哲学を持たなくてはなりません。
ーーーーーーー
以上、書き写すのに時間がかかったが、私にとって、それをするだけの価値は充分あった。まずは「平等が基本」
という前提が突き崩された。よく考えてみれば、子供の時から社会を見ていても「不平等が基本」にあった。
裕福な家庭の友達と、貧困の家庭の友達は厳然とあった。 学歴の差も、美人とブスの差もあった。 
成績の良い子もいれば、劣等性もいた。 弱い子は虐めの対象になっていた。色いろな人がいるのが社会である。 
そして、弱肉強食が実態である。 平等は何処にも存在をしてないのが実社会である。しかし、心のどこかに
平等意識が働いているから、歪みが出てしまうのだ。同じ兄弟なのに! 同級生なのに! 市民なのに! 
国民なのに! 等々。しかし、そこに落とし穴がある。「人間の基本は不平等」と割り切っていれば、
人生の敗北者」の考え方にならないですむ。「敗北者」の甘さに、心のどこかに平等意識があるからだ。
「世間様」に棲む「子狐的人間」が、この不平等と平等意識の狭間の中で右往左往する。中国旅行の時の
現地添乗員が、日本に留学に来ていた時に日本の豊かさを観て「何で同じアジアに住む人間として、
ここまでの差がなくてはならないのか?戦勝国の中国の方が貧しいのか?非常に疑問を持ってしまった!」
と言っていた。国内だけの貧しさの平等なら解るだろうが、敗戦国なのに100倍近くの収入の差を見せ
つけられれば疑問を感じて当然だろう。「国家体制のシステムそのものに問題がある」 ことに鄧小平が
気がついたからよかったが。      ー  ーつづく
・・・・・・・・・
2004年05月15日(土)
1138, つれづれなるままにー駅の風景
(字数の関係でカット2,008年5月15日)
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2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!
(字数の関係でカット2,008年5月15日)
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2002年05月15日(水)
 407,ホームページを開いて一年
以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」と目標を立て、実行して一年半経つ。
やはり人生が根本的に変わろうとしている。 情報化を実感している。
たどたどしく、やってきたというのが実感だ。一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。 実施は夏以降か? 現在の自分の現状に似ている。
今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。ゼロベースからの見直しである。ホーム
ページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、世界と世界観が全く変わってしまったからだ。 
やはり情報は最も大事である。どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。 とくに「??会」と
いっている集まり。当分は「空」への過程だ。 そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。 
ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ前向き、楽しさ、興味」である。濡れ落ち葉にはなりたくない。
ここで他者のホームページが見えはじめてきた。素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。特にリンクの分類がポイントになってくる。
それとやはり絞込みが重要だ。そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。
現在、電脳というキーワードがある。その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。
ポイントはホームページだ。 自分のリンク集でもいい。
・・・・・・・
2001年05月15日(火)
 赤面ー自嘲ー入力ミス
日記の文章で、文面に2日に一度は入力ミスがある。1度見直せばこんなに多くないのはずなのだが。
2?3日前より一度パソコン内のメモ帳上に書いた上で、コピーして載せるように切りかえた。
ブラインドタッチの訓練をかねている為、余裕が無かったとことと、日記帳という気楽さという言い訳は
公開した以上成り立たない。書き直す方法は明後日にパソコンの先生の授業課題なので土日に直すつもり。
毎日は書かなかった日記を公開すると同時に欠かさず書き始めるのも自身が可笑しい。