閑話小題 ~男の弱さ

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ノムさん、サッチー亡くし外食の日々「男の弱さを痛感」

   * 没イチ
「配偶者を亡くし単身となった人たちが自らを“バツイチ”ならぬ
“没イチ”と呼ぶ動きが広がっている」という。、
『悲しみを抱えながらも、先に亡くなった配偶者の分も精一杯生きる』
という意思の入った言葉。 ところで、朝日新聞
妻・沙知代に先立たれた野村克也の、寂しさの「ぼやき」が載っていた。
 そこでネット検索すると、彼特有の「ぼやき節」が… 
≪・プロ野球の数々の球団で監督を務めた野村克也さん(83)は2017年12月、
 妻の沙知代さん(享年85)を亡くした。今でも「先に逝かれると思わなかった」
「男の弱さを痛感している」とぼやいています 配偶者を亡くした喪失感を、
 野村さんはどう乗り越えようとしているのでしょう。
 ――沙知代さんが亡くなった後、どんな心境でしたか。
 男は弱いと言うけれど、それを痛感してますよ。朝起きても話し相手がいない。
毎日何をして生きて行けばいいんだろう、そんな手探りばかり。マイナス思考の
典型ですね。少しはましになったけど、今でも感じます。
 人には言えないことも女房なら言える、ということがあるでしょう。愚痴とか。
世の男性も、話し相手がいないというのはどんな気分か、考えてみた方がいいね。
 やっぱりね、女性は強いですよ。僕は3歳のときに父親が戦死して母子家庭で
したけど、がんに2回かかっても生き延びた。すごく貧しかったけど、僕と兄を
育てたんだから。サッチー(沙知代さん)も口癖は「大丈夫よ」。何があっても
サッチーが先に逝ってしまって本当に寂しい。男は弱くて、一人では何も
できない。絶対に、奥さんより夫が先に死んだ方がいいよ」そうボヤく。

・沙知代さんといえば、その歯に衣着せない大胆さが魅力だった。ただ、その言動
が理由で、野村さんが2回も監督をクビになった騒動を覚えている人は多いだろう。
・最初は、野村さんが南海の監督をつとめていた77年のこと。沙知代さんが選手
起用や作戦にまで口を出すという噂が流れ、球団から監督解任を宣告される。
別れるように勧める周囲に対し、野村さんはこう言って沙知代さんを守った。
「世の中に仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は一人しかいない」
・2001年には沙知代さんが脱税容疑で逮捕され、当時66歳だった野村さんは、
阪神の監督を辞任せざるをえなくなった。思わず「大バカもの!」と怒鳴りたく
なったが、「沙知代の夫を務められるのは、私しかいない」 こう思い、世間の
バッシングから妻をかばい続けた。妻であり、仕事のマネージャーであり、野村
さんの生活全体に目を配る監督でもあった沙知代さんを亡くし、いま、野村さんは
大きな喪失感にさいなまれていると。≫

▼ 同級会で、最近、「連れ合いの喪失の寂しさ」の話を聞く機会が多くなった。
 生別れもキツイが、死に分かれもキツイと。一週間、二週間、一言も会話を
することがないとか。私の従姉の連合いが、後追い自殺をしたこともあった。
傷口の痛みに慣れるに2年というが… それでも、毎日、インタビューや、講演
などの仕事があるため、何とか精神を保っていられるのだろうが、大都会の
「連れロス」も大変だ。特に「男やもめ」は厳しい。愚痴の聞き手が無いほど…
配偶者を亡くした人は、65歳以上だけで860万人以上も存在する。
 
「毎日お風呂に入る。
 1日2食以上食べる。
  野菜をいっぱい食べる。
 毎日外出すること。」が基本とか。

還暦、いや古希を過ぎたら、「先に逝った者、勝ち」ですか。特に男は!

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4442, 閑話小題 ーリタイア後の幸せ度
2013年05月15日(水)
  * リタイア後の幸せ度
 退職後の幸せ度は、一番高いのは創業者、二番目は違う会社で勤めている人、
三番目が、そのまま再雇用している人、最後は、そのままリタイアした人、
という調査結果がある。一番高いのが創業者は自分が、そうだから分かる。
それも、私のように会社を倒産させた人がいうと、強がりにように聞こえる
だろうが、複雑な実感である。挫折感より遥かに達成感が強いことは確か。 
自己完結してキレイサッパリするから。意外なのは、完全リタイア組の幸福度
が一番低いこと。長年かけたライフワークを持ってないためだろう。
「自分が、まだ有用の存在でいたい」のか。後は、解釈になる。収入の関係も
あるのだろう。幸せの感じ方は様ざま。 鼻歌でスキップしていくしかない?
そのためには、少々のお金と、知恵と、意欲が必要である。一番の問題は、
やはりお金に行き当たるのか。
  * 節目を超えたようだ!
 昨日、もう一つのブログ《バードウォッチ》に。「一月ほど前か、現在の自分
と娑婆に対し、底知れぬ可笑しさを感じて、知らずに独り腹から笑っていた。
これで節目を乗り越えたようだ。こういうのをアップスケール(脱皮)という。
独り万歳! あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはり二年。節目としての4分割の最後のシリーズ。 
心の還暦になる」と書いた。50歳になった時が、これかと思ったが・・、
もう一破壊が必要だったようだ。そして少し楽しめ!ということになる。
まだまだ重いし、最近、何事にも面倒が先に立つ。ただ、バイアスが日ごと
取れて好奇心が強くなっている。遊びに対して、まだまだ修行が足りない。 
「節目を打て」というが、なるほどである。
(後記)ところで偶然だが、去年の以下の文章が、これに連動していた。
    面白いもの。決して傷は浅くないということか!

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5904,『しあわせ仮説』 -7 
2017年05月15日(月)
             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
    * 適応原理の機能とは
 考えられる最善も、最悪のことも、あまり変わらないという。人間は直ぐに
適応し通常状態に戻るためである。30歳半ばまで自己配転をしてきた中で、
常に「そのときは、そのとき、何とかなる」と不安と恐怖心に押しつぶされない
ように暗示をかけ、何とか乗越えてきた。適応原理が、その度に、働いたていた。
崖っぷちには知恵が湧き出て、底知れぬ力が働く。火事場の馬鹿力である。
《 適応原理の機能は、以下のように機能する。
 現在の自分の状態に関する判断は、自分が慣れている状態よりも良いか悪い
かに基ずく。適応は、部分的には、単なる神経細胞の性質である。それは
新しい刺激に対しては活発に反応するが、徐々に「馴化」し、馴れてしまった
刺激に対しては殆ど発火しなくなる。生命の関わる重要な情報を含んでいる
のは「変化」であり、安定状態ではない。しかしながら人間は、認知的は極限
に対し適応してしまう。私たちは、単に慣れるだけでなく、再調整をする。
私たちは、自分のために多くの標的を創り出し、その標的の一つに当たるたびに、
それを別の標的へと置き換えていく。一連の成功の後には、目標を高くするし、
首の骨を折るような大きな挫折の後は、目標を低くする。 …(略)
 適応の原理と、人の幸福の水準は遺伝子が高いという発見を結びつけると、
私たちは衝撃的な可能性にたどり着く。<長期的には、あなたに何が起こるかは
さして重要でない。幸福であれ不運であれ、あなたは、常に自分の幸福の基準点、
つまり幸福におけるあなたの脳の初期水準に戻ってくる。> それは、あなたの
遺伝子によって決定されることが大きい。遺伝子というものが知られるはるか昔、
1759年にアダム・スミスは同じ結論にたどりついている。
< 変化が予測されない永遠的な状況下においては、すべての人の心は、遅かれ
早かれ、生来の平穏な通常状態へと戻ってくる。繁栄において、ある一定の
時間が過ぎれば元の状態に戻り、逆境において、ある一定の時間が過ぎると、
その状態に戻っていく。>
 この考えが正しいとすれば、私たちは皆、「快楽のトレッドミル」と呼ばれて
きたものの上に留まっていることになる。人生においても、好きなだけ一生懸命
働き、欲しいだけ富をえ、果樹を植え、愛人を囲うことができるが、少しも先に
行くことはできない。なぜなら自分の「自然ないつもの平穏状態」を変えることが
できないので、蓄えた富は単に期待値を上げるだけで、以前の状態に比べてより、
幸せだということにならないからである。しかしながら、私たちはその努力が
無駄であることに気づくことなく、それが人生ゲームで勝つために役立っている
限り、努力を続ける。常に自分が持っている以上のものを欲し続けて、回し車の
上のハムスターのように、走って走って走り続けるのである。 》

▼ 6年前の節目から現在に至るまで、それ以前と比べて、格落ち感や、
 引け目が思いの外、少なかった。逆に、今まで意識することがなかった、
人たちを凝視する機会になった。その姿は、節目以前の自分の姿でもある。
人間は深い内面をそれぞれが持っていて、日々刻々、変化し、順応している。
それが分からないのが大方の人間であり、他者を元もと分かってない上に、
内的順応の変化など知りようがない。平穏な状態と、波乱の織りなす絵柄が、
その人の人生になる。そして、永遠の彼方にプッチと消え去っていく。 

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6271,閑話小題 ~情報の階層化について -2
2018年05月15日(火)
  * 「情報についての情報」
         ~選び取ってる「世界についての物語」
 カントだが、私たちは「私が知っていること」を優先したがる。そして、
同程度の連中で群れ階層化する傾向が強い。TVひとつとっても、4k(スマート・
TV)か、否かでラインが引かれる。ガラケイとスマートフォンの以上の格差がある。
その階層化も、今では、それぞれがバラバラになり、「原子化」状態である。

≪ 「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、
◎ 話を単純にしたがること、それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である
陰謀史観」に飛びつくこと。 ネット上には、世の中のすべての不幸は
「それによって受益している悪の張本人」のしわざという「インサイダー情報」
が溢れかえっている。「陰謀史観」は、この解釈を採用する人々に「私は他の人
たちが知らない世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という
全能感を与えてしまう。そして、ひとたびこの全能感になじんだ人々はもう以後
それ以外の解釈可能性を認めなくなる。彼らは朝から晩までディスプレイに
しがみついている自分を「例外的な情報通」だと信じているので、マスメディア
からの情報を、世論を操作するための「嘘」だと退ける。こうやって「情報難民」
が発生する。彼らの不幸は自分が「難民」だということを知らないという点に。

◎ 情報の二極化がいま進行している。この格差はそのまま権力・財貨・文化
資本の分配比率に反映するだろう。私は階層社会の出現を望まない もう一度
「情報平等社会」に航路を戻さなければならないと思っている。そして、
その責務は新聞が担う他ない本稿では「情報の階層化」について書いたが、
実際に起きているのは、「階層化」というよりはむしろ「原子化」である。
 人々は今では個人単位で情報を収集し、「自分が知っている情報の価値、自分
が知らない情報の価値」についての中立的なメタ認知能力を失いつつある。
「自分が知っている情報の価値、自分が知らない情報の価値についての中立的な
メタ認知能力」のことをここでとりあえず「情報リテラシー」を名付ける。
 情報リテラシーとは一言で言えば「情報についての情報」である。「自分が
知っていることについて、何を知っているか」というメタレベルの情報のこと。
例えば、「この情報をあるメディアは伝えているが、違うメディアは伝えて
いない」という情報の「分布」についての情報。「この情報には信頼性の高い
データによる裏付けが示されているか、いないか」という情報の「信頼性」に
ついての情報。 「この情報はこれまで何度も意匠を変えて登場してきたある種
デマゴギーと構造的に同一か、先例の見いだしがたい特異性を示しているか」
という情報の「回帰性」についての情報。などなど。
 以上、それは政治的なしかたで解決するしかない。  ~つづく ≫

▼ スマートフォン、スマートTVが普及するほど、人々は何が本当かフェイクか
 判断できない「情報難民」に陥る欠点が浮かびあがる。中国人を「流砂の民」
というが、大陸が故に、それぞれが原子化し、孤立化する。その結果、TVゲーム、
ネットサーフィンの仮想の世界に、目先、避難する。

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5174,人生相談という気晴らし! ~⑤
2015年05月15日(金)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道
   * 個人主義者の覚悟
 自分を、「アウトサイダー」「ソリスト」「個人主義者」と自認している。
老いるということは、孤独の重圧に押し潰されていく過程でもある。だから、
そのスタンスを取ってきたが、それでも、弱気になることがある。
今さら、「世間びと」になれないし、なる気は一切ないが、彼らの破壊兵器も
ただならぬものがある。だから、「自分とは何だろう」と考えるに丁度よい
エネルギーになる。どの道、永遠の彼方に消滅していく。老いは厳しいのです。
≪ Q: ~個人主義者にとっての老後を生きるヒントは?~
 現在、53歳既婚、フリーランスで仕事をしている男です。
私は元来、めんどうくさがり屋でわがままで、人付き合いも苦手です。
特に冠婚葬祭、歓迎会、忘年会など、あらゆる会合や行事に出席を拒否。
こんな利己的性格ですから当然、会社組織に馴染めるはずもなく、こうして
一人で事業をし、近隣との人間関係の希薄なマンション生活をしています。
しかし、現在、老後の問題など何となく将来に一抹の不安を感じています
(目の前にある離婚の危機による自信喪失でしょうか)。自分本位な生き方
をしてきたため、義理を欠くことも多く、自ら世間を狭くしているように
感じています。いずれしっぺ返しがくるように思います。
個人主義生活者に「老後を生きるヒント」を教えてください。
 A: ~「自分とは何か?」という問いを突き詰めて生きることです~
個人主義生活者」にと、その「老後を生きるヒント」とい言葉によって、
あなたが何を期待されているのかよくわかりません(そもそも「個人主義
とう言葉の意味がはっきりしない)。もし、長く世間に背いて自分本位を
貫いてきたが、老境に至り身体もガタが来ているし、このまま一人で生きて
いくのも寂しいし不安だから、どうにかしたい、というのなら、あなたの言う
ところの「個人主義」をきっぱり捨ててしまえぱいいのです。前後左右の
他人の思惑に常に媚び、自分勝手な考えはぐいと抑え込み、厭なことも率先
してなし、「和」を大切にし、これから必死になって「もちつもたれつ」の
人間関係を復元するのです。それはイヤだ、やはり「個人主義」を貫いた
まま安全な老後を迎えたい、と言いたいのなら、そんなムシのいい話はない
と答えましょう。「いずれしっぺ返しが来る」ことを予見もせずに、よくも
個人主義」などに乗ってきましたねえ。失礼ながら、おめでたいとしか
言いようがありません。わが国民が、「個人主義」を蛇蝎のように嫌っている
ことを知らなかったとは! 漢然と知っていたとしても、その大量破壊兵器
の威力に対する自覚がなかったとは!あきれ果てます。しかし、もはや手遅れ
ですから、残された老後は、先に言ったように、「個人主義」をできるだけ
「緩和」して、世間との和解策に奔走するか、あるいは潔く居直って、暗く
寂しい老後を迎えるか、のどちらかしかないように思います。そして、ここ
までがんばってきたのですから、できれば「転向」せずに「個人主義」を
貫くことをお勧めします。それには、自分ひとりでできる仕事を見出すことが
絶対に必要です。単なる趣味ではなく、あなたの実存の中核に届く仕事。
例えば、「自分はなんでこうまで人付き合いが苦手なのか、利己的なのか、
自分本位なのか」という問いを、つまり「自分とは何だろう?」という問いを
突き詰めることです。そのためには、絶えず思索しなければならず、これまで
の体験を微細に至るまで想い起こさねばならず、多方面にわたる読書も
しなければならない。つまり、孤独かもしれませんが、ずいぶん充実した
老後をエンジョイできるのではないでしょうか。≫
▼ ほぼ大部分の人の心には、相談者のような恐れを抱えている。老いて、
 弱って、病気になって、疎んじられ、永遠の絶対無に吸取られ消滅するのが
人生である。個人主義を我が国民は蛇蝎のように嫌っているのは、一連の中で、
多いに実感したが、それ自体も幻想でしかない。
・・・・・・
5539,閑話小題 ~消防士の収入
2016年05月15日(日)
   * 地に足が着いた人生 ー2
 先日の小テーマで、「地に足が着いた人生」を書いた。
そこで地方公務員資格試験は、如何なるものかと、「地方公務員資格試験」と、
「消防士」の二つで検索したところ、消防士の平均収入が700万以上とあった。
 危険な仕事としても? あまりに・・  ~その辺りから~
≪ 消防士は718万円が平均年収!(地方公務員給与実態調査結果の概要調べ)
 消防士に支払われる給料の平均は36万円が基本で諸手当が65万円で、
民間企業と比較すると非常に高くなっています。 民間企業平均の平均年収は
409万円となっており、消防士はその300万円以上高い年収を得ている事になる。
消防士に割り当てられる諸手当を調べたところ、特殊勤務手当てがあり、
(1) 危険作業手当(2) 不快作業手当(3) 重勤務作業手当
(4) 非常災害業務手当 (6) 消防業務手当などの手当てがつきます。
 現在全国の消防職の職員は15万8000名。
30代の平均年収は600万円、40代になると720万円といわれており、50代では
800万円以上と民間の平均よりも非常に高くなっています。民間の場合は50代
になると年収が減少する傾向が多いのですが、消防士は着実に上昇する。≫
とあった。成るほど、自信に満ちた彼の受け応えも、こういう背景があった。
   * 「道」という漢字は、「生首」に由来する
 ある本に、「道」という漢字は、「生首」に由来するとあった。
道は「導く」の意味もある。道は血生臭いのである。人生を道に例えると、
納得する。道には血と汗と涙が詰まっている。
≪ ・古代中国では、自分の領地をへいで取り囲み、そこから外へ抜ける道
 には敵の首を埋めて、攻め込まれないように「まじない」をしたとする説。
・敵から討ち取った生首をちょうちんのようにぶら下げ、「まじない」がわり
 にして外に通じる道を進んだとする説。
いずれの説も討ち取った敵方の生首を魔よけや、まじないがわりに使ったこと
が道の漢字の成り立ちに含まれています。
・「行が変化→辶(みち)」、と、「首(シユ/シウ→チウ疇=長く通っている
意味)」。 長く通じている「みち」→「道を行く」「みちびく」の意味。≫
▼ 人生の道を切り開くとは、戦い、血だらけで進み、途中で行倒れて・・
 と解っていても、進むしかない。急ぐのも、ゆっくり行くのも、人生。
 とすると、ゆっくり急ぐのがベストということか。 人によるが。