つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
今日のYoutube

 今朝は、ポタリング日和。 11月10日ともなれば、寒い。
学生時代の東京の同級会が、12月02日に開催されと電話あり。
毎年、上野の美術展の見学を兼ねて上京するのが恒例になっている。



・・・・・・
・・・・・・

4256, しまった!  ー5
2012年11月10日(土)                 
  * 後悔の歪み   ー しまった! 「失敗の心理」を科学する
                   ージョゼフ・T・ハリナン(著)
人生、振り返ると後悔することがあまりに多い。その後悔が次の行為の壁に
なり消極的人生を過ごしてしまう。反省はよいが、後悔は程々に、である。
トラブルも失敗も生きていればこそ。 ーその辺りを抜粋して考えてみるー
≪ 失敗を裏づける証拠が増える一方なのは、意思決定における「感情」、
 とりわ後悔の念が果たす微妙な大きな役割について。人は誰でも、引き
出した結果を悔やむ状況に立たされ続けている。結婚の失敗。故障しがちな車。
処分できなかった不動産。しかし同じ後悔でも、「後悔する優先順位」
というのがある。後悔の深さの差から、なぜ人は最初の直感にしつこく
こだわるのか、その理由が見えてくる。一般に人は「不作為」よりも
「行為」に対して大きな責任を感じるものである。誤りを犯しそうなときは、
むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ。というのも、
不作為は受け身のできごとと見られがちだからだ。自分は何もしなかった、
だからその結果に感じる責任も小さい、というわけだ。1600人以上の
大学生による模擬試験の観察から、観察者は、先行研究で発見されたのと
同じ誤りとを発見した。答えを変えた受験者は、たいがい点数を上げていた。
変更された全解答をカウントして分析したところ、誤答から正答への変更は、
正答から誤答への変更を二対一の比で上まわった。 だが、もっと重要な
ことは、実験後の学生との面談から明らかになった。「正答を誤解答と変える
予感は、誤答を正答に変え損ねる予感よりも大きな後悔をもたらしていた」
のだ。つまり、何もしないほうが、何かをするより後悔しないで済む、
ということだ。どのみち誤答してしまうとしても。≫
▼ 人は、しなかった後悔より、実際にしてしまい失敗した後悔により
 捉われる傾向にある。実際に、この実験のとおり、私の具体的経験を振り
返っても同じことがいえる。やらなかった後悔は、実際に失敗した後悔の
数倍の損失のことが多い。しかし実際ところ、止めて致命傷にならないで
済んだことも多くあった。事業結果がこうだとしても、後悔をしていない。
原因がハッキリしているためだが、全身全霊を注ぎ込んだこともある。
思った通り、生きてなかったら数倍、いや数百倍も後悔していたはず。 
海外旅行は、起こりえるトラブルが全て起こると覚悟をしておかなければ。
「良いこと2に、後悔すること1」の比率で、通常生活10倍が圧縮して
生じてくる。そう割り切ってしまえばよい。「正答を誤答へ変える予感に
従うと、正解する確率が二倍になる」のと同じ比だが・・少し意味が違うか。
人生も同じことがいえる。刷り込まれた思い込みを間違っていると直感しても、
その修正による失敗を恐れ、大事な人生を棒に振る。 修正した方が正しい
と分かっていても、である。だから計画をたて、準備を充分するのである。
結果は、それまでの経験の色分けを変色し、その歪を大きくする。
それにシタリガオ批判の歪が加わり自滅してしまう。

・・・・・・
3881, 閑話小題 ースロータイムの勧め
2011年11月10日(木)
  * のんびり、ぼんやりといこか~   ースロータイムも悪くない!
 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、
「ぼんやり、のんびり、のびのび、ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。
あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も緊張の連続の後、
これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、のんびりし、ぼんやり
することも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。
スケジュールに沿って生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。
一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。
最近、「アングリー・バード」という子供向けのPCゲームで、午後の一時間
は遊んでいるが、これも、のんびりの範疇。無意味=無価値の時間を遊ぶこと
も必要?「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを
聞いたことがある。地方で装置産業を事業としてきたので比較的時間があった。
しかし、のんびりしてきたか?と言えば、そうでもなかった。しかし節目が
変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびりする時間が多い人生
こそ最大の収穫と思えるようになってきた。ところで栗田昌裕の指回し体操で
「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」とブツブツ
言いながらする健康法があるが、これを「ぼんやり」とすると良い。
積極的幸せの追求は、さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節。
積極的幸せとは、自分の趣味を追及するとか、人に認められるような事、
人のためになる事を、追求すること。 消極的幸せとは、病気や事故に
ならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の生活を
確保して、それに満足する生き方、無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方。 
第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなって
きたが・・ 「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を
高め続けるのか、その人次第。それも、生活が安定した上の話になる。

・・・・・・




3516, インターネットは20万年来の革命か?





2010年11月10日(水)





 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万年前は、
言葉か絵画の出現では?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■ そして人間が道具を使うようになったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明ということになる。
200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。
そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が入ってくる。
さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に公開を始めたため、情報が爆発的に増えている。
ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、
20万年来の革命的ツールという説も、言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとはいえなくなってきた。
そのネットと最先端電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。今さらなのか? しかし現実を見ていると、
機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、政治、経済のあり方を根底から変化させている。
政治ひとつとっても、直接に政治に関りない国民の方が、渦中の政治家より、正しい判断が可能になっているとか、
思いもよらない情報が表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。 現在問題になっている尖閣列島の中国漁船ビデオの流出も、
それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が政治を大きく左右することが容易になっているのも、ネットのため。
これらによる社会変動は、まだ始ったばかりで、時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。
 再度いうが、TV、携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。
  まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。
私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
黒田清隆大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、9・11テロ、
そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に変っている。
三倍の200年の時代を経験してきたようだ。 特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。
世界でも第一次、第二次世界大戦世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。
 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、
中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。
64年間、十分に世界を見てきた満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた80歳後半の人は、
本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、
時間の長さ・短さを実感しているだろう。  これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 -3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  --その仮説から考えると--
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と世界恐慌・研究の米国人経済学者が
インタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。
 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、
早期回復など有得ない。 そうこう考えると、この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5~6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。
生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 それでも40年~50年前の生活に戻るだけである。 
それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 
企業には成長対策、競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。
更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震津波やサイクロンが発生するし、
異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。
 -----
 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
・・・・・・・・・
2007年11月10日(土)
2412, 暴対法について       ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~
また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。こうなったら「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべきである。
暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 
またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に
緊張感に包まれている。地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度はニアミスを起こしそうになる。
(字数制限のためカット 10年11月10日)
・・・・・・・・
2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり -3
      オッ(*^○^*)ハ~       ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。そして「きちっと考えれば悩まなくなる」
というが、そのとおり。自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
 ーーー
「あたりまえなことばかり」 
  ー 考えるとはどういうことか ー
 ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、
  如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
 つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテス無知の知という自覚は、哲学の原点です。
 考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。
 この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。
 考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
 もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。     
 考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。
 なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
 相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、
 また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり
 することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
 これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
 死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
 ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
 自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。 万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。
 そうすると再び、 今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
 我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることによって、その不思議さを自覚することによって、
 自由になることにあると思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、
 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、それから一つ一つ自由になっていく。
 また本来すべての我われが自由であったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。
 謎を自覚することは、自由である他になりません。 だからこそ人は、じっくり考える必要がある。考えて自覚すること、
 自分が自分であることの謎を 自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。
 ーー
 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。「人間の最上の快楽は考えることである」というのは少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。最果ての地で直感した開放感と自由感は、
その離れたところからの大きい視点を得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。
それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。哲学も、秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を
大きく切り開いてくれる。我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことができる。
自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いのプリズムを照らし合わせて
輝かしい人生にすることが、哲学をすることに求められるのではなかろうか。
 ・・・・・・・・・
 2005年11月10日(木)
  1682, 「ひとを嫌うということ」-1  
                    -読書日記
学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、
かなりきつい虐めにあった。学生時代の寮やクラブの先輩や、勤めているときに合わない先輩との確執も多々あった。
人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。
ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」憎しみではなく、普段どこでもあるような嫌いについてであるが。
ひとを好きになることについては多くの本があるが、その反対の「嫌う」という問題を、真正面に捉えている
非常に面白い本である。ひとを好きになれ、しかし嫌いになるなというのは、食べてもいいが決して排泄するな
といっていると同じで、無理である。著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、
ある日を境に、人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子から、ウィーンで大喧嘩をして・・・
そして徹底して嫌われるようになった。 冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。
ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。
その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。 そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。
いや、死んでからもなお嫌っている。 息子が、また私をはっきり嫌っている。 これは一体何なのだ!
私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」
本書で私がつかんだことは、それは「嫌い」という感情は自然であること、そして理不尽であること、
しかもこの理不尽こそが人生であり、それを誤魔化してはならないということです。
 -
この本の初めから終わりまで、このような文章が延々と続く。自分の心を代弁し、そして深く納得する。
だから面白くて面白くて一人不気味な笑いを浮かべながら、中島義道の世界に引き込まれてしまう自分をみてしまう。
嫌うということは、食欲や性欲のようなもの。 その自然の欲求を、社会に生きているということで割り切って
コントロールすればよいと切って捨てている。自他に対する嫌いをヒリヒリするほど感じることも時に必要であると。
私事になるが、私もこのことをジックリ考えたことが多々ある。それも20歳の頃から。そして割り切ってしまった。
「嫌われることも、嫌うことも避けて通れないなら気にしないことだ。 受けとめかたとして、好き嫌いを二の次にする。 
他人の思惑も大事だが、自分の受けとめ方のほうがもっと大事。人は何時も自分がどう思われているか気にしている、
(字数制限のためカット 10年11月10日)
・・・・・・・・・
2004年11月10日(水)
1317, ベスト・エッセイ集-1
’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。
何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。
この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。
何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
(字数制限のためカット 09年11月10日)
 ----------
2003年11月10日(月)
950、「泣いて笑ってハッケヨイ」
 昨日より大相撲が始まった。そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」
が良かった。今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。 中学を出たばかりの子供が、
わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。
気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。
大きな志と小さな自信をもって相撲に取り組んでいく姿がそこにあった。「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に
勝つことが出来ない」という兄弟子の言葉が印象的であった。 そして稽古で痛さを体に憶えさせて行く場面は、
人生の根底の要点であった。 まずは自分の恐怖心を乗り越えなくてはならない。
 勝つことによって、だんだん意欲が出てくる姿が初々しくてよい。
いま大相撲が面白くなくなってきたが、こうして一人一人が自分の人生を背負って闘っている姿をみると、
じっくりと見直してみる必要がある。今場所は、横綱武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。
実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるからどうなることか?
 -過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。
 ・・・・・・・  
 相撲を考える
 2003年9月22日
 ー字数の関係でカット(2007年11月10日)
 ・・・・・・・・
 2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲
 -字数の関係でカット
 ・・・・・・
 2002年09月22日(日)
527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸
 まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。
もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、
彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。
 (字数制限のためカット 09年11月10日)
 ・・・・・・・・・
 576, ある時間の断面ー10
 2002年11月10日(日)
  ー1968年 9月27日
7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。 
石川をチョット無視をする。 たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。 その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調。
石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。
  ー1968年 9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、
卒論のまとめをしていると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。 
石川と深井と川崎と松村の家に車で行くが、凄い家だ。山の手の家に入るのは初めてだ。 
(いや鳩山御殿に、ある会合で映画でいうその他のエキストラで行ったことがあった)その後松村の家を出て、
石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。それぞれの性格について話あう。 23時に帰寮後、
服を着たまま寝てしまう。夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。