つれづれに

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   今日のYoutube

 今朝は、曇天の中、辛うじてポタリングに出る。
北朝鮮、どうなるのだろう。追詰めらて暴発的に戦争に
なるしかないか? それにしても配役が悪すぎ。とすると、
最悪の事態もありうる。

 原油をストップするかどうか? 実行したら、
戦争までいくのか? 北朝鮮への原発基地の攻撃なら、当然、
日本の原発も攻撃を受ける。とすると、世界一の規模の
柏崎刈羽原発が狙われる。で、長岡は当然… 
考えても仕方ないが。逃げる算段も想定しておかないと。


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2012年08月31日(金 
4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている
   * 恐ろしい近未来
 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ
出したが、もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた記事と同じ内容。政府発表
となれば違ってくる。大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。
これは太平洋沿岸沿いには住めないということになる。その地区の住宅地や
商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 
当事者は、まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期
で大地震と大津波が起こっている痕跡があるという。活断層が不自然に捩れて、
何らか次の大地震が起きる可能性が大きい。決して非現実的予測ではない。
これに関東直下型地震の可能性がある。更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。
いや、すでに起きている? これでは、夢も希望も持てやしない。この数年来、
大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。
これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 
40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。金の卵で、会社は選び放題。
私の同期の男たちは、殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。
時代は大きく変わった。
  * 田中真紀子民主党党首に立候補 ?
 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様
民主党党首の候補の可能性が出たという。思わず失笑したが、それほど民主党
困っているということになる。あの外相時の相応しくない姿を忘れたのか。
あの人物から誠意の何も感じられない。一国を束ねる力量があるとは思えない。
何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。
あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。国が衰えると、こうなる。 
政治は、何でもありである。床屋レベルの政治談義からみると、この世界的危機
の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ交代による政治変動は非常に興味を
そそられる。なるほど2012年問題は危ない要素に満ちている。
安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。
面白いがどうだろう? それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東
直下型地震。それと世界恐慌の可能性がある。20世紀前半に世界恐慌を挟んで
二つの世界大戦があった。このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。
それより大きな変動が、始まってしまった。 
これから壮大なシネマのような世界が展開される。


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3810, 世の中の商売、すべからく代理・代行 
2011年08月31日(水)

 旅行代理店、保険代理店、会計事務所などのサービス業があるが、すべからく世の多くは
代理サービスの変形である。 家電商品も、その多くの製品は代理システム品である。洗濯機、
電気炊飯器、扇風機、暖房機も、人間の労働の代理品である。 20年前に、「一世代前の人が、
現在の生活をするには200人の従者を必要とする」と聞いたことがあった。現在では、数万人
でも無理だろう。 車は馬車の代行であり、カメラは専属カメラマンの代行。 夕食の宅配は、
主婦の仕事の一部代行である。 旅行代理店のパック・ツアー。その大ファンにとって、
その恩恵は大きい。アフリカのタンザニアや、ケニアのヌーの河渡りなど、素人では絶対に
無理だが、ツアーに参加すれば誰にでも気楽にいける。スナックや、居酒屋も家庭内で満た
されない料理や、お愛想、色気などの代行である。 この事業整理の一連も、弁護士事務所
が会社が300万プラス個人が50万、合計350万で、一括業務?委託。
一連の委託契約をすると、全ては弁護士の管理下に入り、良くいえば債権者から守られる。 
逆に、一切の社会的信用はゼロ、前科者に近い後ろ指、陰口の絶好の対象になる。また、
最近通いだしたスポーツジムも、各種のエアロビがあり、運動の指導をパッケージにしてある。
それに従っていれば体質改善が合理的に出来る。 その指導を多くの会員を集めることで、
パックにして、場の提供をしている。 これも各自で行っていた個別運動のパッケージ化になる。
 ところで、これまでの蔵書、ベストの100~200冊をデジタル化して、iPadに気楽に
入れられたら、よいだろうにと思っていたら、一万冊を入力してiPadに入れて持ち歩いている
という人の本があった。それは面倒と思っていたら、一冊100円で入力をしてくれるサービス
があった。とりあえず、100冊を?と考えているが・・。 また、アマゾンに注文した本を、
そのまま業者に本が直送し、スキャンしてくれるサービス業者もあるという。デジタル本が、
まだまだ普及してない中、これは良い代行システムになる。情報化とデジタル化の時代、
代理・代行システムは重要なキーワードになる。 それにしても、面白い時代になったもの。
各種代理システムをiPadを端末として、如何に使いこなせるかが、ポイントのようだ。
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2010年08月31日(火)
3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
   *初めての21歳の欧州旅行 ー1
 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、
それに当たるから。ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の
欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。当時は、やっとカラーテレビが普及し
始めたばかりで、欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。モナリザや、ミロの
ビーナス像、パリの凱旋門などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にして
なかった。それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が
巻き付いていた。生まれてこのかたヒレステーキなど、食べたことはなかった。そのためか、
その味の美味しいこと。
次に初めての海外に降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった
明るい空と緑の中に街がある御伽の国に思えた世界があった。人種が違うのである。
金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、違うのである。
考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。それが、いきなりデンマーク
空とグリーンと、北欧人を目の当たりにするのだから。一挙に御伽の国の真っ只中に
降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を正常に保つだけで精一杯であった。 
当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。
 だから、出発前から気持ちが高揚していた。
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3070, 衆院選挙の結果をみる
2009年08月31日(月)
 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。週刊誌では週間朝日の
最終予測の307が一票差で、完璧に近い予測。森元総理が落選するかどうかに注目をして
いたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選した。今回の特徴は元総理など
多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の要請である。色いろな意味
で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果のオウンゴール(自滅点)。
民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では殆ど自民党を支持する人
はいなかった。 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散のタイミングを何回も逸し、
自民党を粉々に崩壊させたことになる。もう二度と元の自民党に戻ることはない。 
海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。権力も失ってしまえば、
磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。アメリカの政治体制の変革に続いて
日本も大きく舵を切ることになった。当然といえば当然の流れである。自民党も振りかえる
と決してマイナスだけではない。
プラスの面も多かったが一度、旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という
天の声である。それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。これで経済
に続いて政治も動乱に入った。面白くなったと他人事のように言っていられないのが、
現在の日本の危機状態である。幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 
元もとは布教活動の宣伝活動だったのか? 我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、
これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。次は、新政権の
組閣の顔ぶれに興味が移る。法務大臣が誰になるか面白い。検察のゴミ掃除をどうするかだ。
 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待
できない自民よりは良い。
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2008年08月31日(日)
 2705, 酒の話
ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。しかし楽しい酒はこれまた格別よい。
致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、酒は日常の制約や退屈さから解放
をしてくれる。「酒はモラルの休暇」とは、よく言ったもの。世界の人たちは酒の少々の
失敗は認めてくれる。歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する
祭りや行事があり、その日のことは、大目にみられてきた。
ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思ってもいない浮気や、失態も起こる。
「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いはベラベラと話してしまう」ことが、
酒の一番の欠点だろう。そういう不節制にも教育的?価値もあるという。少し無理はあるが、
直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。あまりに真面目くさった人生も、これまた
面白くも可笑しくもない。 下戸の人は、酒を飲んで大騒ぎをしている高揚した楽しさ、
至福を知らないまま生涯を終えるのである。 普段の生活の中に自分を解放する夕時の
一時の時間として一般的には、どの世界もアルコールは日常の生活に入りこんでいる。
どの街にも飲み屋街が繁華街にあり、多くの人が頻繁に出入りする。スペインにはバールが
何処にいってもある。値段の安い西欧居酒屋である。そこには、誰もかしこも入り浸っている。
長い歴史の中で、出来上がった庶民の娯楽施設だが、そこで家族や友人同士が夜遅くまで話し
合っている。カフェテラスのように店の前にも席があって、多くの人が親しそうに話しを
しているのを見ると、奇異な感じがする。バイロンは「理性があるからこそ、人は酔わねば
ならない。人生で最高のものは、けだし酩酊なり」と、いっている。  
  酒に十の徳あり(酒には十種の長所がある)という。
百薬の長、 寿命を延ばす、 旅行に食あり、 寒気に衣あり、 推参に便あり、
憂いを払う玉ぼうき、 位なくして貴人に交わる、労を助く、万人和合す、独居の友となる。
酒は、つらい日々ほど、その時間だけは美味い酒で楽しい最高の気分になれる。 
辛い日々の酒こそ、美味い味わいが残る。一時的に天下を取ったような気分に慣れるのである。 
達成感など実際の喜びを感じるには長い年月と、汗と涙が必要となる。しかし、酒は酔いと
いう作用で、その喜びを与えてくれるのである。 だから、恐ろしいのである。
 まあ、よくぞ、これだけ、酒で失態をしたもの。しかし、その時々に本当に美味い酒を飲ん
できた。これが、もしかしたら、人生で一番の価値あることだったかもしれない。たまには
大騒ぎをするのも良いじゃないですか、ということだが、「御前の場合は、それさえなければ、
な~」と何度言われたことか。 そして自戒しとことか! でも、私から、それを取ったら
毒の無い河豚みたいなもの。  棘の無いバラ、それともノンアルコールのビール?
(以下、字数の関係でカット11年8月31日)
                 
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2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」-中島 義道 (著)       -読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
成る程と合点がいったが・・・ 常に考える時、「私」は何々・・・と一日、数百回も自問
自答しているのに、その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それをキチッと知っていると、
いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた
主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようでもう一つ理解でき
ないモヤモヤが残っていた。過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦に
ある「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、
その「私」を噛み砕いて解りやすく説明をしている。
  -p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。だが、そうであろうか? 
いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」身体なのだ
ろうか?そこに独特の感じがするから?だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? 
こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の
独特の作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。
「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものではないか?いや、胃がきりきり
痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。そもそも「私」とは作用の対象ではなく、
作用の絶対的主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」
とか「超越論的統覚」とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のような
ものであるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。ここで、別の視点
から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。
「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を
見比べて判定するのではなく、現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定
するのである。「私」は、過去と現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく
探しても見いだせないのは当然である。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて「私」
は身を現わすのである。ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても「私」
の同一性は保たれるということだ。
 夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。
「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。
まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を
見ていたことになるのである。夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。「私」は
仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、ぼんやりもの思いに耽っている
時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は~していた」と語れる限り、その時
「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。ふと気がつくとあたりが薄暗く、
電気をつけてみるともう三時間も経っている。私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。
一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
ーーー
夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。じゃあ、
夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを考えただけで
何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない純粋何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した
「私」として過去からの流れの何かを考えていた! ということになる、ただそれだけだ。 
そういえば、また夜半にリアルな夢をみた  グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ
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2006年08月31日(木)
1976, 充実した人生
  おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・  時差ぼけだ~
先日の新聞広告の「男の品格」という紹介文で「自分の一生が幸福だったかどうかは、男にとっては
大した問題ではない。だが充実していたかどうかは大きな問題だ」という内容があった。ところで
私の場合はどうか、考えてしまった。幸福度は70~80点? 充実度は、どうだろう? どうしても
知人との比較対象になってしまう。その充実度は外的なものになってしまう。 
それでも、やはり80点か? 幸福度は気持ちの問題だから、その本人次第だが充実度は? 
やはり過去の人生の密度に関係してくる・・・ 密度は濃かった?、それとも淡白だった?のだろうか
・・・ところで「充実したか」と、「幸福」を置き換えて、「人生は充実していたかどうかは大した
問題ではない、だが、幸福と思えるかどうかは大きな問題だ」という理屈も、成り立つのでは?
充実をした人生を送ってない人も多いから、その見方も大事じゃないかと??   ( ̄ω ̄;)!!
全て解釈ー受け止め方、そう言葉・言葉でしかない。 どう考えても充実した人生を送ってない人が、
自分は充実した人生を送ったと勝手に思い込んでいる人もいるし、充実した人生を送ってきた人が、
自分は充実した人生を送ってこなかったと思い込んでいる人もいる。だからよいのだろう!人生は。  
充実した人生か~ やはり大事なのだろう! ところで充実した人生とは?
・感動・感激・感謝の詰まった人生
・自分の夢を追い求め、そのプロセスで自分の力を出し切った人生
・自分の好きなことをやり遂げた人生
・燃焼しきった人生
・よく遊び、よく学び、よく働いた人生  というところか!!    ( ̄▽ ̄)■]~~
 美味い酒を飲んで、美味い飯食べて、上さんで満足して、ニコニコしていて、充実した人生のこと
など我関せずで人生を終えるのも良いのだが・・・ ところで充実している時って充実感など意識
してないものである。食べている時満腹感がないのと同じこと。 
感動・感激、そして達成感などが、溜まった状態をいうからだ。不幸のときは充実感はない!
しかし充電をしているのだから、空の状態。下手に充実感など持たないほうがよほどよいのでは?
とも考えられる。まあ、いいか! この旅行の直後のためかイヤニ充実感がある! 気功をすれば、 
早朝の散歩も、気の充実はできる。 それで充分といえば、それまでだが・・・           
               ホンジャ(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年08月31日(水)
 1611, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-2
著者の斉藤孝は、日本人の持っているエネルギーは「自己肯定力」と看破している。
  (以下、字数の関係でカット09年8月31日)
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2004年08月31日(火)
1246, オーストリア旅行記 -1
 8月22日~29日までオーストリアのツアーに参加してきた。最近、文化圏の国に行ってきたのは久しぶり。
オーストリア一周というから、自然系の旅行かと思って行ったが、チロル・アルプスの景観を見る機会は
殆ど無かった。チロルといっても、ザルツブルクグラーツやインスルブルクなどの都市の教会やお城を
見る内容であった。それよりも、ヨーロッパ文化の底知れぬ深さに驚いてしまった。何ごともそうだが、
実際何ごとも経験したことしか、自分の世界が広がらないことを毎回実感する。知識も然りである。
生きるということは、自分の世界を少しでも広げることでもある。学生時代の欧州一周旅行でウィーン
に来たことを思い出したが、ほぼ記憶に残っていないのには驚いた。
  オーストリアの概略を書いてみる
オーストリアの面積は、北海道とほぼ同じ。
・人口は800万人、そのうち170万人がウィーンに住んでいる。
・国土の65%が山岳地区。
・欧州の中央にあり、北の異民族の防波堤的役割があった。
ハプスブルク家が何といっても有名である。
日本の人口の15分の1しかないのに、これだけの存在感がある。やはり文化の深さと広さが、
それを成しているのだろう。
                   ーつづく
 ・・・・・・・・・
 2003年08月31日(日)
879, 敗戦の時 ー有事の時代に突入
『会社と個人の資産防衛セミナー』
2003年8月27日 池袋・かんぽ会館12時30分~17時   講師清水洋 -中央会ー主催
東京で先日『会社と個人の資産防衛セミナー』に参加してきた。 以前この随想日記に、この講師の
本の感想文を書いたことがあるが、実際のところどうなっているか聞いてみる時期にきていた。
講師の清水洋の本を二冊読んでいたが、実際参加してみて日本の現状の酷さに驚かされた。
彼は税理士をしていると同時に、会社の再建・再生・債務対策などの指導に奔走している。
その生々しい一言一言がドラマで面白くさえあった。40人ぐらいの参加者全員が食い入るように
聞き入っていた。そのためか、講師も熱が入っていた。
ー要点を印象順に書くとー
・近い将来、間違いなく国債の暴落・金利上昇・ハイパーインフレになる。それに備えてヘッジを
しておくべきである。 動産ー金ーなどに換えておくべきだ。 銀行は預金封鎖もあり得る。
 戦前の預金閉鎖の法律が残っており、閣議決定だけで可能である。
・年間1万9千社が倒産といっているが、実際は転廃業を含めると22万社が消滅している。
 これは関東大震災が目に見えないカタチで毎年おきている以上のことだ。
・今年140兆、来年が150兆、再来年が170兆円の国債発行の予定。
 -という事は、一家の借金にすると毎年500万円の借金が増えていることになる。
破綻をはるかに超えている状態。
(以下、字数の関係でカット11年8月31日)