つれづれに

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 過去の自分の文章を、毎日、同月同日分、12年分を目を通すと、そこに自分をみることになる。
それは限界でもあり、自嘲の目線にもなる。 書き出し、記録しておけば、それはそれで面白いもの。
犬が散歩の最中にマーキングをしておくようなもの? 

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1976, 充実した人生
2006年08月31日(木)
 先日の新聞広告の「男の品格」という紹介文で「自分の一生が幸福だったかどうかは、
男にとっては大した問題ではない。だが充実していたかどうかは大きな問題だ」という内容があった。
 ところで私の場合はどうか、考えてしまった。 幸福度は70~80点?
充実度は、どうだろう? どうしても知人との比較対象になってしまう。
その充実度は外的なものになってしまう。 それでも、やはり80点か?
幸福度は気持ちの問題だから、その本人次第だが充実度は? やはり過去の人生の密度に関係してくる・・・
密度は濃かった?、それとも淡白だった?のだろうか・・・
 ところで「充実したか」と、「幸福」を置き換えて、「人生は充実していたかどうかは大して問題ではない、
だが、幸福と思えるかどうかは大きな問題だ」という理屈も、成り立つのでは?
充実をした人生を送ってない人も多いから、その見方も大事じゃないかと??    ( ̄ω ̄;)!!
全て解釈ー受け止め方、そう言葉・言葉でしかない。どう考えても充実した人生を送ってない人が、
自分は充実した人生を送ったと勝手に思い込んでいる人もいるし、充実した人生を送ってきた人が、
自分は充実した人生を送ってこなかったと思い込んでいる人もいる。だからよいのだろう!人生は。
 充実した人生か~  やはり大事なのだろう!
ところで充実した人生とは?
・感動・感激・感謝の詰まった人生
・自分の夢を追い求め、そのプロセスで自分の力を出し切った人生
・自分の好きなことをやり遂げた人生
・燃焼しきった人生
・よく遊び、よく学び、よく働いた人生 というところか!!
美味い酒を飲んで、美味い飯食べて、上さんで満足して、ニコニコしていて、充実した人生のことなど
我関せずで人生を終えるのも良いのだが・・・
ところで充実している時って充実感など意識してないものである。べている時満腹感がないのと同じこと。
感動・感激、そして達成感などが、溜まった状態をいうからだ。不幸のときに充実感はない!
しかし充電をしているのだから、空の状態。下手に充実感など持たないほうがよほどよいのでは?とも考えられる。
まあ、いいか!  この旅行の直後のためかイヤニ充実感がある!
 気功をすれば、早朝の散歩も、気の充実はできる。 それで充分といえば、それまでだが・・・
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2005年08月31日(水)
1611, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-2
 著者の斉藤孝は、日本人の持っているエネルギーは「自己肯定力」と看破している。
日本人が忘れかけている独自的な自己肯定力を、次の6つの特質としてあげている。
前回も書いたが、
その6つを少し詳しく繰り返しみてみる、
1、日本人とは「上機嫌文化」をもっており、毎日の労働の中でも
 楽しむことを忘れず、仕事の辛さを軽減する智慧があった。
2、日本人は本当に子供を可愛がる民族であり、子供っぽさを慈しんできた。
 その子供っぽさが、新しい文明を取り込む積極性のもとになっていた。
3、日本は湿度の高い国であるから、「とにかく水に流す」ことが好き、
 変わり身が早く、ストレスを溜め込めない民族であった。
4、かって日本人は「身体から入る」ことの重要性をわかっていた。
 経験から勉強する伝統があった。だから向学心が高いレベルで維持できた。
5、私たちの意識は「気づかいを育てる日本語」に大きく影響されており、
 言葉に出さなくともお互いに気を使うことを求められてきた。
6、桜に対する愛情でもわかるように、日本人は「はかなさを愛でる」民族であり、
 その感受性は繊細な心で支えられている。
 そうした細かさを持つ日本人は、心の容量が大きく強い心を持っていた。
上機嫌化プロジェクトといえば、自分がそうだ。「毎日欠かさず、面白可笑しく生きる」ことを、自分に課している。
土・日は、特に「お笑いの日」にして、お笑い番組を4~5本は観ている。毎朝の散歩では、肯定語を繰り返し口の
中で呟くようにしている。トイレには「絶対肯定・積極一貫」の中村天風の本が置いてある。
同級会で同じ歳の連中を見ると、ほぼ全員が不機嫌そうな顔をしている。
如何してそんな顔をするか、そして胡散臭そうな顔をするのか、不思議である。
「楽観は意志、悲観は感情」というが、上機嫌も意志でつくり上げることが可能である。
私の知人に、万年躁の人がいる。何か不自然な感じがするが、それはそれでよいのかもしれない。
「そう」演じているのかもしれないが。しかし、かなりの遊び人。やはり性格なのだろう。
歌でいえば「チャンチキオケサ」のような人だ。この歌、上機嫌の最たる歌である。

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2004年08月31日(火)
1246, オーストリア旅行記 -1
 8月22日~29日までオーストリアのツアーに参加してきた。最近、文化圏の国に行ってきたのは久しぶりである。
オーストリア一周というから、自然系の旅行かと思って行ったが、チロル・アルプスの景観を見る機会は殆ど無かった。
チロルといっても、ザルツブルクグラーツやインスルブルクなどの都市の教会やお城を見る内容であった。
それよりも、ヨーロッパ文化の底知れぬ深さに驚いてしまった。
何ごともそうだが、実際何ごとも経験したことしか、自分の世界が広がらないことを毎回実感する。
知識も然りである。生きるということは、自分の世界を少しでも広げることでもある。
学生時代の欧州一周旅行でウィーンに来たことを思い出したが、ほぼ記憶に残っていないのには驚いた。
オーストリアの概略を書いてみる
オーストリアの面積は、北海道とほぼ同じ。
・人口は800万人、そのうち170万人がウィーンに住んでいる。
・国土の65%が山岳地区。
・欧州の中央にあり、北の異民族の防波堤的役割があった。
ハプスブルク家が何といっても有名である。
日本の人口の15分の1しかないのに、これだけの存在感がある。
やはり文化の深さと広さが、それを成しているのだろう。     ーつづく
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2003年08月31日(日)
879, 敗戦の時 ー有事の時代に突入
『会社と個人の資産防衛セミナー』
2003年8月27日 池袋・かんぽ会館    12時30分~17時
      講師清水洋  -中央会ー主催
東京で先日『会社と個人の資産防衛セミナー』に参加してきた。以前この随想日記に、
この講師の本の感想文を書いたことがあるが、実際のところどうなっているか聞いてみる時期にきていた。
 講師の清水洋の本を二冊読んでいたが、実際参加してみて、日本の現状の酷さに驚かされた。
彼は税理士をしていると同時に、会社の再建・再生・債務対策などの指導に奔走している。
その生々しい一言一言がドラマで面白くさえあった。40人ぐらいの参加者全員が食い入るように聞き入っていた。
そのためか、講師も熱が入っていた。
ー要点を印象順に書くと
・近い将来、間違いなく国債の暴落・金利上昇・ハイパーインフレになる。
 それに備えてヘッジをしておくべきである。 動産ー金ーなどに換えておくべきだ。
 銀行は預金封鎖もあり得る。 戦前の預金閉鎖の法律が残っており、閣議決定だけで可能である。
・年間1万9千社が倒産といっているが、実際は転廃業を含めると22万社が消滅している。
 これは関東大震災が目に見えないカタチで毎年おきている以上のことだ。
・今年140兆、来年が150兆、再来年が170兆円の国債発行の予定。 -という事は、
 一家の借金にすると毎年500万円の借金が増えていることになる。破綻をはるかに超えている状態である。
・それをカバーするのは国債しかない。 そろそろ銀行が、その買取に難色をはじめてきた。
 次の手段として小口にして国民に売り始めた。 歴史的にみて、そうせざるを得なくなった時は
 国家財政の破綻の時期。 第二次世界大戦の敗戦直前に、戦時国債が多発された。
 それを信じ買い取った国民は財産を失った。 金やドルに換えていた人もいたという。
 ういう人が大資産家にとってかわった。いま無知蒙昧な国民がこぞって買い始めている。
・現在は大清算時代の有事の時だ、今までの考え方では自己防衛は不可能だ。今までの常識を全て捨てることだ。
・不動産はまだまだ値下がりが続く。 良質の不動産と、それ以外の不動産の価値の差がますますつく。
・借り入れは可能な限り返し少なくすること。
・政治家の旧守派と官僚と財界の利権のトライアングルが国家を破綻に導いている。
 国民がその自民党を支持している。 この程度の政党の嘘に騙されている国民そのものが悪いのだ。
・日本政府は世界最大の金融機関である。郵貯に、年金、多すぎる税金をかき集め、政治家と官僚が好き放題使っている。
 道路に橋に第三者機関によるホテルや体育館などなど。 すべて採算割れ。       ーつづく
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2002年08月31日
(土) 505, 独り言
 最近、自宅近くで自転車に乗ったり、歩きながら独り言をいっている人にたて続き4人にすれ違った。
別に精神に異常をきたしているとは思えなかった。60歳位の男の人は怒りながら歩いていた。
家内は何回もそれを目撃しているという。時代がそれだけ世知辛くしているという事か。
今まで見てきた独り言をいっている人は、明らかに精神の異常な人であった。独り言は聞いていると
当に内容が重いことが多い。考えてみれば、この随想日記を公開しているのも独り言といってよい。
25年前になるが、岐阜に向かう丁度通勤列車に乗った。突如何処かで男が独り言を大声で話し出した。
初めは何気なく聞いていたが、過去に北海道に旅行した具体的内容であった。
それが結構面白く内容なあるものだったことを今でも憶えている。列車に全員が咳払い一つしないで聞いていた。
知らないうちに頭で思っていることが溢れ出ている状態をいうんだろう。聞いている方は非常に不気味だ。
50年近く前に長岡駅の周辺に頭のおかしな「たるまのゆき」という女の浮浪者がいた。
独りでぶつぶつ笑いながら歩いていた。なかなかのインテリで学校の先生をしていたという?
以前に都会である中年の女性が通り向かって怒鳴っていた事もあった。