つれづれに

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 今日の午後からは、70歳時の運転免許書換えの5ヶ月前の、
 教習会。 三時間というから・・・  
 そろそろ痴呆症とか、運転に支障が出てくるため、事前点検。 
 これも、必要だろう。



・・・・・・
3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
2010年08月31日(火)
  
   *初めての21歳の欧州旅行 ー1
 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。
半分、いや三分の二以上が、それに当たるからである。
ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。
見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。当時は、やっとカラーテレビが普及し
始めたばかりで、欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。
モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは中学か高校の教科書の
小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。それが突然、目の前に本物が
次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、
牛肉に細い糸が巻き付いていた。生まれてこのかたヒレステーキなど、
食べたことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。
次に初めての海外に降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことが
なかった明るい空と緑の中に街がある御伽の国に思えた世界があった。
人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、
林や森のグリーンが違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ
見てなかったのである。それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、
北欧人を目の当たりにするのだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った
時の驚きは新鮮であった。自分の精神を正常に保つだけで精一杯であった。 
当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。
現在の100分の一である。だから、出発前から気持ちが高揚していた。

 ・・・・・・・・
3070, 衆院選挙の結果をみる
 2009年08月31日(月)
 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。
週刊誌では週間朝日の最終予測の307が一票差で、完璧に近い予測。
森元総理が落選するかどうかに注目をしていたが、残念ながら?当選、
その反面、太田公明党首が落選した。今回の特徴は元総理など多くの
実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の要請である。
色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した
結果のオウンゴール民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 
私の周辺では殆ど自民党を支持する人はいなかった。あと講釈で言えば、
自民の三代の首相が解散のタイミングを何回も逸し、自民党を粉々に
崩壊させたことになる。もう二度と元の自民党に戻ることはない?
 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 
権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。
アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく舵を切ることになった。
当然といえば当然の流れである。自民党も振りかえると決してマイナス
だけではない。 プラスの面も多かったが一度、旧態依然の官僚支配の
体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。
それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 
これで経済に続いて政治も動乱に入った。 面白くなったと他人事の
ように言っていられないのが、現在の日本の危機状態である。
幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 元もとは
布教活動の宣伝活動だったのか? 我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、
これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。
次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。
検察のゴミ掃除をどうするかだ。これで日本も良きにつけ悪きにつけ
大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。
 ・・・・・・・・・
2008年08月31日(日)
 2705, 酒の話
ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。 
しかし楽しい酒はこれまた格別。致命的な大失敗をしても仕方が無いと
割り切れるほど、酒は日常の制約や退屈さから解放をしてくれる。
「酒はモラルの休暇」とは、よく言ったものだ。 世界の人たちは酒の
少々の失敗は認めてくれる。歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌え
の大騒ぎを許容する祭りや行事があり、その日のことは、大目にみられてきた。
ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思ってもいない浮気や、失態も起こる。
「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いはベラベラと話してしまう」
ことが、酒の一番の欠点だろう。そういう不節制にも教育的?価値もあるという。 
少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。
あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 
下戸の人は、酒を飲んで大騒ぎをしている高揚した楽しさ、至福を知らないまま
生涯を終えるのである。普段の生活の中に自分を解放する夕時の一時の時間として
一般的には、どの世界もアルコールは日常の生活に入りこんでいる。
どの街にも飲み屋街が繁華街にあり、多くの人が頻繁に出入りする。
スペインにはバールが、何処にいってもある。 値段の安い西欧居酒屋である。 
そこには、誰もかしこも入り浸っている。長い歴史の中で、出来上がった庶民の
娯楽施設だが、そこで家族や友人同士が夜遅くまで話し合っている。
カフェテラスのように店の前にも席があって、多くの人が親しそうに話しを
しているのを見ると、奇異な感じがする。バイロンは「理性があるからこそ、
人は酔わねばならない。人生で最高のものは、けだし酩酊なり」と、いっている。  
  酒に十の徳あり(酒には十種の長所がある)という。
 百薬の長、寿命を延ばす、旅行に食あり、寒気に衣あり、推参に便あり、
 憂いを払う玉ぼうき、 位なくして貴人に交わる、 労を助く、万人和合す、 
独居の友となる。酒は、つらい日々ほど、その時間だけは美味い酒で楽しい
最高の気分になれる。 辛い日々の酒こそ、美味い味わいが残る。
一時的に天下を取ったような気分に慣れるのである。 達成感など実際の
喜びを感じるには長い年月と、汗と涙が必要となる。
しかし、酒は酔いという作用で、その喜びを与えてくれるのである。 
だから、恐ろしいのである。まあ、よくぞ、これだけ、酒で失態をしたものだ。 
しかし、その時々に本当に美味い酒を飲んできた。これが、もしかしたら、
人生で一番の価値あることだったかもしれない。 たまには大騒ぎをするのも
良いじゃないですか、ということだが、「御前の場合は、それさえなければ、な~」
と何度言われたことか。 そして自戒しとことか! でも、私から、それを
取ったら毒の無い河豚みたいなもの。 棘の無いバラ、それともノンアルコール
のビール? それにしても、酒を飲んだ楽しい思い出の多いこと。
先日、亡くなった赤塚不二夫の本を読んだ。 今度書くが、明らかにアルコール依存症
新宿を中心に飲んで騒いだ具体的内容が書いてあるが、想像を絶した酒騒ぎである。
酒を飲んで漫画の世界に入り込んでしまうのである。カリブ海のホテルの一つや
二つ分は飲んだと言うから、数十億円は飲んだのだろう。なら、アル中になるわけだ。 
でも、面白かっただろうな、う、ら、や、し、い ! 
 そうでもないか? いや、やはり、うらやましい??
                 
 ・・・・・・・・・・
2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」-中島 義道 (著)       -読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
成る程と合点がいったが・・・ 常に考える時、「私」は何々・・・と一日、
数百回も自問自答しているのに、その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。
それをキチッと知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、
さっきの橋を歩いていた主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。
成る程と思いつつ、解ったようでもう一つ理解できないモヤモヤが残っていた。
過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある
「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、
この本の中で、その「私」を噛み砕いて解りやすく説明をしている。
  -p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。
だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がって
いるが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか?そこに独特の感じがするから?だが、
なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、
この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の
作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など
見いだせない。「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものでは
ないか?いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。
そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか?
多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」
とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のようなもので
あるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。
ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間に
おける同一なものと了解されている。「私」とは過去のあの時も同一の
「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて
判定するのではなく、現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」
者と判定するのである。「私」は、過去と現在との関係において登場してくる
のだから、現在の世界を隈なく探しても見いだせないのは当然である。
過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っているのだ。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することに
よってはじめて「私」は身を現わすのである。ここにきわめて重要なことは、
過去のあの時に私が不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。
夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。
「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。
まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時
「私が」夢を見ていたことになるのである。夢ばかりではない。この構造は
広く普遍化できる。「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追い
かけている時や、ぼんやりもの思いに耽っている時など、いわば消えている。
しかし、あとから「私は~していた」と語れる限り、その時「私」は存在して
いたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。
ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。
私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。
一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
ーーー
夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。
じゃあ、夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で
過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない
純粋何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの
流れの何かを考えていた!ということになる、ただそれだけだ。 
そういえば、また夜半にリアルな夢をみた  
・・・・・・・・・
2006年08月31日(木)
1976, 充実した人生
  おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・  時差ぼけだ~
先日の新聞広告の「男の品格」という紹介文で「自分の一生が幸福だったか
どうかは、男にとっては大した問題ではない。だが充実していたかどうかは
大きな問題だ」という内容があった。ところで私の場合はどうか考えてしまった。
幸福度は70~80点? 充実度は、どうだろう? どうしても知人との比較対象
になってしまう。その充実度は外的なものになってしまう。 それでも、
やはり80点か? 幸福度は気持ちの問題だから、その本人次第だが充実度は? 
やはり過去の人生の密度に関係してくる・・・
密度は濃かった?、それとも淡白だった?のだろうか・・・
ところで「充実したか」と、「幸福」を置き換えて、「人生は充実していたか
どうかは大して問題ではない、だが、幸福と思えるかどうかは大きな問題だ」
という理屈も、成り立つのでは?充実をした人生を送ってない人も多いから、
その見方も大事じゃないかと??     ( ̄ω ̄;)!!
全て解釈ー受け止め方、そう言葉・言葉でしかない。 どう考えても充実した
人生を送ってない人が、自分は充実した人生を送ったと勝手に思い込んで
いる人もいるし、充実した人生を送ってきた人が、自分は充実した人生を
送ってこなかったと思い込んでいる人もいる。だからよいのだろう!人生は。  
充実した人生か~ やはり大事なのだろう! ところで充実した人生とは?
・感動・感激・感謝の詰まった人生
・自分の夢を追い求め、そのプロセスで自分の力を出し切った人生
・自分の好きなことをやり遂げた人生
・燃焼しきった人生
・よく遊び、よく学び、よく働いた人生  というところか!!    
 美味い酒を飲んで、美味い飯食べて、上さんで満足して、ニコニコしていて、
充実した人生のことなど我関せずで人生を終えるのも良いのだが・・・
ところで充実している時って充実感など意識してないものである。
食べている時満腹感がないのと同じこと。 感動・感激、そして達成感などが、
溜まった状態をいうからだ。不幸のときに充実感はない!
しかし充電をしているのだから、空の状態。下手に充実感など持たない
ほうがよほどよいのでは?とも考えられる。まあ、いいか! この旅行の
直後のためかイヤニ充実感がある! 気功をすれば、 早朝の散歩も、 
気の充実はできる。 それで充分といえば、それまでだが・・・           
               ホンジャ(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年08月31日(水)
1611, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-2
 
著者の斉藤孝は、日本人の持っているエネルギーは「自己肯定力」と看破している。
日本人が忘れかけている独自的な自己肯定力を、次の6つの特質としてあげている。
前回も書いたが、その6つを少し詳しく繰り返しみてみる、
1、日本人とは「上機嫌文化」をもっており、毎日の労働の中でも楽しむ
 ことを忘れず、仕事の辛さを軽減する智慧があった。
  (以下、字数の関係でカット09年8月31日)
・・・・・・・・・
2004年08月31日(火)
 1246, オーストリア旅行記 -1
 8月22日~29日までオーストリアのツアーに参加してきた。
最近、文化圏の国に行ってきたのは久しぶりである。オーストリア一周というから、
自然系の旅行かと思って行ったが、チロル・アルプスの景観を見る機会は殆ど無かった。
チロルといっても、ザルツブルクグラーツやインスルブルクなどの都市の教会や
お城を見る内容であった。それよりも、ヨーロッパ文化の底知れぬ深さに驚いてしまった。
何ごともそうだが、実際何ごとも経験したことしか、自分の世界が広がらないことを
毎回実感する。知識も然りである。生きるということは、自分の世界を少しでも広げる
ことでもある。学生時代の欧州一周旅行でウィーンに来たことを思い出したが、
ほぼ記憶に残っていないのには驚いた。 オーストリアの概略を書いてみる
オーストリアの面積は、北海道とほぼ同じ。
・人口は800万人、そのうち170万人がウィーンに住んでいる。
・国土の65%が山岳地区。
・欧州の中央にあり、北の異民族の防波堤的役割があった。
ハプスブルク家が何といっても有名である。
日本の人口の15分の1しかないのに、これだけの存在感がある。
やはり文化の深さと広さが、それを成しているのだろう。
                   ーつづく
 ・・・・・・・・・
 2003年08月31日(日)
879, 敗戦の時 ー有事の時代に突入
『会社と個人の資産防衛セミナー』
2003年8月27日 池袋・かんぽ会館12時30分~17時
              講師清水洋  -中央会ー主催
東京で先日『会社と個人の資産防衛セミナー』に参加してきた。以前この随想日記に、
この講師の本の感想文を書いたことがあるが、実際のところどうなっているか聞いて
みる時期にきていた。講師の清水洋の本を二冊読んでいたが、実際参加してみて
日本の現状の酷さに驚かされた。彼は税理士をしていると同時に、会社の再建・再生・
債務対策などの指導に奔走している。その生々しい一言一言がドラマで面白くさえあった。
40人ぐらいの参加者全員が食い入るように聞き入っていた。
そのためか、講師も熱が入っていた。
ー要点を印象順に書くとー
・近い将来、間違いなく国債の暴落・金利上昇・ハイパーインフレになる。
それに備えてヘッジをしておくべきである。 動産ー金ーなどに換えておくべきだ。 
銀行は預金封鎖もあり得る。戦前の預金閉鎖の法律が残っており、閣議決定だけで可能。
・年間1万9千社が倒産といっているが、実際は転廃業を含めると22万社が消滅。
 これは関東大震災が目に見えないカタチで毎年おきている以上のことだ。
・今年140兆、来年が150兆、再来年が170兆円の国債発行の予定。
 -という事は、一家の借金にすると毎年500万円の借金が増えていることになる。
  破綻をはるかに超えている状態。
・それをカバーするのは国債しかない。そろそろ銀行が、その買取に難色をはじめてきた。
 次の手段として小口にして国民に売り始めた。歴史的にみて、そうせざるを得なくなった
 時は国家財政の破綻の時期。第二次世界大戦の敗戦直前に、戦時国債が多発された。 
 それを信じ買い取った国民は財産を失った。金やドルに換えていた人もいたという。
 そういう人が大資産家にとってかわった。無知蒙昧な国民がこぞって買い始めている。
・現在は大清算時代の有事の時だ、今までの考え方では自己防衛は不可能だ。
 今までの常識を全て捨てることだ。
・不動産はまだまだ値下がりが続く。良質の不動産と、
 それ以外の不動産の価値の差がますますつく。
・借り入れは可能な限り返し少なくすること。
・政治家の旧守派と官僚と財界の利権のトライアングルが国家を破綻に導いている。
 国民がその自民党を支持している。この程度の政党の嘘に騙されている国民
 そのものが悪いのだ。
・日本政府は世界最大の金融機関である。郵貯に、年金、多すぎる税金を
 かき集め、政治家と官僚が好き放題使っている。
 道路に橋に第三者機関によるホテルや体育館などなど。すべて採算割れ。 
                     ーつづく