つれづれに

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 今朝方は、曇天の中、早朝のポタリング(ミニ・チャリ)に出発。
何とか雨に降られず、帰宅できた。やはり、早朝に、これをしておくと、
おかないとでは大違い。 老いるということは、黙っていても、毒素が
溜まっていくもの。 帰って、軽い朝食後、朝風呂で更に毒素を抜く。
 そして一息抜いて、読書か、ネットサーフィンに入る。

 





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2010年09月30日(木
3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2
 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。
彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を
作り上げてきたこれまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレ
を警告してきたのではない。多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。
それでもハイパーについては大っぴらには書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 
以下は、藤巻健史の前回の続きである!
  * 市場主義に背を向けてきた日本
  * 自分の財産は自分で守る
 ( 字数の関係でカット12年09月30日 )
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2009年09月30日(水)
3100,強請りの類
 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。
小さなのを入れれば毎年である。
  ( 字数の関係でカット11年09月30日 ) 
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2008年09月30日(火)
2735, 学校 
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。
それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は
『冒険の旅に出る』との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客に
ハラハラさせられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。 
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
≪ ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。
 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことに
なった大介は、別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。
『 大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても
/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなんか目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/
この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露/流れる雲/小鳥の小さな
つぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/ 日向国浪人 大庭登』。
母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」
と、号泣する。別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。屋久島に
行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。その少年は
島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。 険しい山道を真知子に励まされ
ながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に
勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いていることを
伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、真知子は「一人前になるというのは、
ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。≫
 --
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。少年期には、誰も大きな
傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。自閉症の青年の詩の一節、
「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。何度も観たが、その都度、
考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。
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2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪
新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい!
切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。
  (字数の関係でカット08年09月30日)
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006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは
   おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、
酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。
そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない             ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)       ・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・  ・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない     ・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ        ・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない      ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない             ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、
イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 
緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
ーー
書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。
そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ! この程度の者かお前は!
しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・
 ・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2   -酒飲みの作法ー
(字数制限のためカット 2010年9月30日)
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2005年09月30日(金)
1641, 37年前の自分へ返信ー2
卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。
貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。
インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。
ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。
 ー1968年の私から、2005年の私への返信ー
手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。夢と解っていても敢えて、
返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いている
ような気持ち。貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。現在の私は、
とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄というのが、
日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。
卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。
おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。
本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。
精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。それにしても、今という時は
すごい瞬間ということも理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳
近くの貴方を窺い知ることはできませんが、興味があります。しかし、知らない方が良いのかも知れません。
多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトをしてきているのですから、色いろあったのだと思います。
ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。
ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして
成功させて、その事業に価値をつけた状態で売り抜けるプロセスでキャリアをつけていく事業家としての人生を
おくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。 ー つづく
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2004年09月30日(木)
1276, 「元気の出る言葉」-1
 検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。
ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。何か「元気の出る言葉」がないかと
「プラスの言葉」で検索・サーフィンをしていたら、面白いHPに行き当たった。切り口が単純で解りやすい。
一言一言が、心に染みるものばかりである。感想文も所々に入れた。「たった一言の言葉」で元気も出てくるし、
絶望もする。私など言葉の刃で、どれだけ人を傷付けてきたことだろう。最近は、散歩の時「ありがとう」を
500~1000回、その他に「プラスの言葉」を10~20を、それぞれ数十回も唱えているが、それでも頭の中は
何時の間にマイナスの言葉を繰り返している。まあ、普通は90?はマイナス用語の繰り返しというから、
その半分は、いや90?は消えているという実感がする。
 ーー
「キッカケをくれた言葉」集より
一歩踏み出そうと思う言葉-1
■どんなに青臭いと言われても、夢を捨てたら、手段に殺される。(by 藤原和博
 感想ー「夢を捨てたら、手段に殺される!」考えてみたら凄い言葉だ。
 夢に挫折をした時、それまで準備してきたことが全て無意味と思った時の
 辛さや、仲間割れや、云々が頭によぎる。
 死ぬまで夢追い人でなくてはいけないのだろうか?
■時代はオセロのようなもの。
 隅っこの一人が、全部をひっくり返す。(by 中谷彰宏
■遅過ぎない。
 早すぎない。
 ちょうどいい。(by 中谷彰宏
■アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。(by 相田みつを
■たやすくなる前は、何もかも難しいものだ。
 感想ー全くそのとおりだ! (by ゲーテ
■夢は逃げない。
 逃げるのはいつも自分。
 感想ー逃げる場合もあるが、見えなくなる場合もある。(by 高橋歩
(字数の関係でカット09年09月30日)
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2003年09月30日(火)
909, 巨人軍の原監督の更迭について
「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、
 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。
(字数の関係でカット08年09月30日)
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535,同級会
- 2002年09月30日(月)
 この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。
同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。
・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。
・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。今年から復活する?
・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が亡くなられて今は出席していない。
大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。これが素晴らしい。我を忘れて数十年前の
ことを思い出すのもよいもの。 中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて「毎年同級会を開くなんて
変態だ!」と驚いていた。 知人は最近同級会を始めたが、それまでは殆んど開いてなかったという。
先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。
世の中上には上があるもので、それも13人だという。 面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも
知識情報にも、上に行くほど明確に世界が広くなっている。「学校をでたら、10~20年は学校の友人
とは付き合わない方がよい」と本で読んだ事がある。人間として脱皮できなくなるという。大学を出て
10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人のグループに出くわして驚いてしまった。
当時と何も変わってないのだ。 すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・。
それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。地方には長男長女が多い。それ以下は外に
出るケースが多い。
   (字数の関係でカット11年12月30日)
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[166] 映画  2001/09/30
昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画?
   (字数の関係でカット11年09月30日)