つれづれに

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稀勢の里が、今場所、はや二敗になり、またの横綱のチャンスを
潰してしまった。イザとなると勝てない。世の中には、こういう人が多い。
初日に負けた時に、『畜生、畜生』と、不運を頭の中で、何度も繰り返したのだろう。
 運が悪いというより、気が小さいのである。大関になれないで、関脇で終わる人
に多かったが。 女子柔道の吉田選手の4連覇が未完に終わったのは、運が悪かった
だけでなく、選手団長を受けたこともある。で、自滅をしてしまった。

 
 

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・・・・・・
3824, 閑話小題
2011年09月14日(水)
   * スポーツジムに通って半年、その効果は?
 月に一~二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。
スポーツジムの休日の金曜日と日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、
変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に良くなった。足腰が、
この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。 健康ジムの
「イージーライン」というプログラムに参加しているのが良い。12人一チーム
で、若い女性のインストラクターの掛け声で、全員が互いを意識しながらやる
ため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。
ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝の
ミニ・サイクリングの途中の土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま
一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。二年前に、酷い腰痛
になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕
と低反発クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に
収まった。そこに更に、健康ジム通い、体には良いはずである。また健康ジム
そのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな
重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項。 
歳を重ねると足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。
前かがみの老人は不健康に見える。「老化すると、人は老人になる」というが、
老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。そこで、まずは
足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・
 成るほど、老いるとは、辛いことだ。
  * 老老介護
 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された
小座敷の隣に80歳過ぎの老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に
気にはとめてなかった。しかし私たちが入店した時には食事が終わっていたのに、
私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている
雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスの
コーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に
「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」と話しかけたので、
家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどう」と、
少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、
明らかに痴呆症が半分入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷い
ときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも
分かる・・ 長生きは有難いが、精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。 
老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という
思いで、一日一日を生きる時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて
欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。 
この矛盾が老いの問題になってくる。

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3459, 今日の民主党党首選は?
2010年09月14日(火)
昨日のヤフーの私のブログに
《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。
選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。真っ当でないのが、衆院選
当選している可能性があるから、外れるかも・・ そこまで程度が低くない?
政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか
我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。 
小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。短命でも良いから、
政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。
 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、負けた方が良い。
その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。だから党首選に立候補
して、接戦をすること自体が目的。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。
そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があった
ことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。 
何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。
アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が
小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 
(字数の関係上、カット11年09月14日)

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3084,挫折を考えてみようか
2009年09月14日(月)

 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える
機会とみる。人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きている
ことにはならない。なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めること
が生きる出発点になる。ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。 
人は最期は死ぬのである。それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の
挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然
と待っているのは、身近な死が我われに教えてくれる。しかし死を含めた多くの苦悩
を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える「超越」
への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめる
ことが出来ない。本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越
することが要求される。その超越が促すのが「暗号解読」である。それは一種の象徴で、
有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。芸術、思想、自然、
歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という指示として
受け取るのが暗号解読である。 》と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、
自己に目覚めるきっかけとする。 人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。
そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることで
あると指摘する。人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。限界状況をひとり
で背負う、本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を
他者に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、
更に自分に近づくことになる。実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」
と呼んでいる。 人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。その時に、新約聖書や、
大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われていたのである。40,50歳代
の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が
「暗号解読」の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。 
「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠される。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ
超越状態である。
 
・・・・・・・・
2719, 嘘について
2008年09月14日(日)

社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。
その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。
「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が
鮮明に出やすい。後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。
過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。その共通点が嘘が多い人。
開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。 純朴を表面に見せて、次から
次へと嘘を重ねる。ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 
三歩ほど歩いたら全てを忘れる、嘘など更々言っていない」のが真実。
「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。
話を都合のよいように変えるのも、嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれい
ごとを並び立てているうちに嘘の構築のプロセスを踏んでいることになる。
考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。他人のウソは見えても自分のウソは気づかい
ないだけだ。所詮、世の中は全てが幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?
と嘯くこともできる。嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように気遣う場面も必要である。
鮮明に憶えていることがある。父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され一年間実家で
同居をしたとき、そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服をつくりに行ったことがあった。 
嘘も必要悪と己に言い聞かせ。「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、
全ての言動をしなければならなかったのも辛い。この時に、綺麗ごとだけでは生きれない
ことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要ということ?
私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り回って帰ってくる。
動機が純粋かどうかを、最終の判断基準にしている。 ただ、人間の窮したときの露骨な嘘
こそ忌み嫌う。自分の利益行為のために、綺麗ごとを当然のごとく並び立て、結果として尻尾
を出している男かいる。営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。
全てを営業成績を上げるため、生きるため、の手段にしなければならないのがプロと思わないと、
やれない。嘘をつかないで、相手をグサリと刺しまわっている「私」も大問題である。
嘘を言う前に、まず真実を知らなければ! 真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。
そうこう考えてみると、親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、ウソが多い人、という
ことになる。 まあ、娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・・
 後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。   

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2007年09月14日(金)
2355, ギリシャエーゲ海の旅 -1

この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、
秘境・異境派は一組もいなかった。23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、6名が女性づれ、
1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって丁度良いバランスの連れ合いで
あった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、食事時の会話が大変であった。
(その辺は家内の得意とする分野!私は寡黙の人に変身した日々。)内容的には、クルーズ
ではトルコのクシャダズと、また乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古
博物館のオマケつき。盛りだくさんのスケジュールが組まれていて10日間としては、内容が
豊富であった。点数でいうと、100点満点といってよい。まずは今回のツアーの
「スケジュールと主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表
をコピーしてみた。   ーーー
 (字数の関係でカット09年9月14日)
 ■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に    宿泊:(機中泊)
10日目 成田着 12:55
 ーーー
 以上である。次回は、その感想を書きます。
 たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。
 面白い偶然である。
                      つづく
・・・・・・・・・
2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
       おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・

9・11同時テロから先日で丸5年が経った。 その日を境に世界が一変してしまった。
その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。ユダヤ対アラブ戦争が発生、
これが今後延々と続く図式ができてしまった。アメリカはアフガンとイラクアメリカが
侵攻、政権を覆してしまった。あの事件以来、国家としても個人としても弱肉強食が
ハッキリしてきた。丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、世界がさらに
グローバル化した。まだまだ、アメリカの時代は続くのだろう。石油と、世界通貨として
のドルと、圧倒的な軍事力と、英語が世界共通語が歴然としてあるのだから・・
たまたま未遂に終わったが、イギリスで大規模なテロ計画が直前で摘発された。
もし実行されたら、9・11に匹敵する大惨事になっていた。最近のアメリカのタイム誌
の調査では、73%の人が一年以内に米国でテロが起きる可能性があると考えているという。
このテロをきっかけに、アメリカの大手の航空会社が二社倒産した。他人事ではない、
ホテルの稼働率が9.11のテロを境に右下がりに転じ、それが現在でも続いている。
この事件を契機に何かが大きく変わったことは事実である。イスラムユダヤ・キリスト
教の戦いが始まったのだ。これは数十年、いや100年以上続くだろう。それに中国が絡む
から、複雑な展開になってくる。その認識が一番ないのが、島国の日本人だろう。
グローバル化国際社会で、島国という閉鎖性は許されない。
  おっもしろそうだから、イスラムでも入信してみよようか?         
・・・・・・・・・
2005年09月14日(水)
1625, 戦略的思考について-2

アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を
考えるのに一時間だけ与えられるとしたら、最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」
と述べている。それだけ最適な質問には、莫大なエネルギーと力が秘められている。 
その事態に対する『隠された質問』を探しだしさえすれば、問題の殆どを解決したことになる。
それは思考についても同じことがいえる。問答による思考発展として2500年前のギリシャで、
ソクラテスの対話による教育手法が生まれた。現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育
方法になっている。18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを
破壊してしまった。これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場では
ギリシャ以前に立ち戻ってしまった。その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと
考えてしまうようになったが、教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す
’という意味がある。古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す方法
で、ソクラテスによって名が知れるようになったテクニックである。先生が鋭い質問を生徒に
投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、説明するように仕掛けることである。
これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。
私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれであった。
多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式
ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。 その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、論理を引き出し問題を明確にしていく
プロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習  である。
内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。 その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。
わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!戦略思考など偉そうなことは書けない
立場のはずだが! 冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。

・・・・・・・・・
2004年09月14日(火)
1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!

人生は10歳での環境によって、ほぼ既に決まっている。中学校は選抜される前の
最後の場である。その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。
以前にも書いたことがあるが、私の中学の同級では、一番が慶応大学の教授、 
二番が日本レコード協会の専務理事、 三番が自衛隊の幹部である。反対に、成績が
悪い方を見ると、具体的に??書かないほうが良い。それをより突き詰めてみると、
10歳の成績と環境まで遡ることができる。好奇心と向上心が潜在意識の中に如何
育まれていたかである。子供のころは「退屈をする時間」が有り余っていた。
その時間の中ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、子供同士の世界の中で多くの
試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。
また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。ここで親が、その自由な
時間を奪い取ったり、口出しをしたら、無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。
もう一つのチャンスは、大学時代である。 嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、
有り余った時間の中で、自分の人生の「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。
多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、その知識を得る為である。
クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。
その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。
「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。
好奇心と、自主性と、やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。しかし,
それだけでないのが人生だからこそ面白い。反面教師として、それをのりこえる
場合も往々にしてあるから。 いや無いか!

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2003年09月14日(日)
893, 「バカの壁」ー読書日記-1

 以前から気になっていた本だが、ついに買った。この人の本を多く読んでいたので
立ち読み程度でよいと思っていた。しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度
が全く違う。人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」に囲まれている存在。
教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。
といってその壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。
 この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、わかっていると
思いこんでしまうことの恐ろしさ」を指摘している。「わかっている」という思い込みの
怖さである。「人間は全てそんなものだが」と書いた後、そこで「人間を解っている
つもりの自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。小さい世界から一歩も外に出たこと
のない住人は、この壁が頑強に取り囲んでいる世界が全てである。その壁に囲まれている
自覚すらないから更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。
「知識と常識」「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」
等々は、違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。「ものごとには良い面
と悪い面があるということを認識しよう。それには実際に経験するのがいい」というのが
テーマでもある。 一般に良いこととされる言葉--
 たとえば「個性重視」,「効率化」,「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。
「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、我がままの人間とどこで線を引くのか
「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか
「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのか
ー景気回復が本当に良いのか
人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である
「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」と、「一元論」を否定し,
「二元論」を示唆している。 話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が
「一元論」の考え方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。
以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)
                         -続く
・・・・・
2002/09/14
眠れない夜に

 眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と気持ちを
 その都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても何処かに力みが
入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目
のあたりで睡眠に入る。それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」に
3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。
 それでも眠れないのが不眠症。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
 でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
 これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。 何かの本に
面白い内容があった。「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷をイメージする。自分はインデアン
のイメージで、騎兵隊の待ち受けている。彼らは狭い渓谷に入ってきた。 その一人一人を
狙い撃ちをする。一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも何処に潜んで
いるのか、幾らでもいるのだ。それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。 寝付きのよいほうだが、
不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。

・・・・・・・・・
2001/09/14
宗教戦争-3

 [姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。
  今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ]
初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った
瞬間妙な音で目が覚めた。丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流される。
何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。
レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。
バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く「この国に来たら、キリスト文明の
感覚を全部すてて下さい。ここはイスラムの世界ですから。腹を立てるだけ無駄な事、車に
轢かれたら、轢かれたほうが悪いというのがこの国の常識。私もこの国に来た初日にひき逃げを
見て動転した。土産物屋やほぼ釣りは誤魔化す、文句をいって取り返さない方が悪いという国
ですから。はやく慣れてください。」なるほどとそこで身構えた。
しかし何回もそれをやられていると、怒りを抑えられなくなるほど露骨であった。
その中で逆に、いつの間にアメリカ文明にドップリ漬かっていることにきずいた。
ラマダンー断食ーの時期とはいえ街中、ある時間になるとあちこちで全員が頭をひれ伏している
のは、日本人には全く考えられない姿であった。都合のいい事、悪い事総て‘アラーの神の
思し召し’それで済むのだ。全員でアラーといっていればそれは気分はいいだろう。
メッカでの数十万のイスラム教徒が一同に集まり祈る姿は、TVで見ても感激する。
それを信じて、共同意識で祈ったら恍惚になるだろう。このイスラムの神ラージXとユダヤ
キリスト教のラージXが同じだから始末が悪い。イスラエル人のラージXをマタイがローマ人や
女性に解放してキリスト教をつくり、マホメットがアラブ人に解放してイスラム教をつくった。
ユダヤ教対アラブの戦いが旧約聖書(かなり大雑把だが)新約聖書コーランの闘いになった。
西欧社会の正義とアラブ社会の正義は全く違うのだ。
今まではイスラエルアラブ諸国の図式が欧米対イスラムの闘いにに換ってくる
(字数の関係上、カット08年09月14日)