* 喜びの根源とは  ー魂の響き!      『コトの本質』 松井孝典
〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの快感はたとえようもない 〉
という著者の切り口が新鮮である。それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じるアップスケール
(脱皮)の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、芸術の強振の感激も同じである。
「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、まさに新しい内部モデルである。    
秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻みつけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの秘境ツアー。
 そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。 ーその辺りからー
≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるものが外界と考えていいでしょう。
 意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。 内部モデル的に整理されたものが、バーチャルです。
それは、リアルとは違います。それはモデルですから。 リアルというものをどう整理するか、というのは、
内部モデルの在り方に関わります。すっきり整理された内部モデルでは、背後にあるものがすべて見えます。
「ことが見える」という表現の中に、内部モデルのすっきり感があるわけです。外界を投影した内部モデルの
中で、めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置づけられるということです。
 生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは大脳皮質の中に内部モデルとして
つくられるのですが、それは、外界と関わることによってつくられることになります。外界と関わることで、
内部モデルがつくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられません。
我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。 人間の生においては「我とはなんぞや」
というところの我の概念が生まれてこなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、
我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。これはペアになっている概念です。
 三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、と考えられています。
他を認識したその瞬間に、それを認識している自分というものができます。そういう段階から、絶えず外界を
認識する作業を経て、その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルなのです。
我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを構築していく作業が、生きるという
ことになります。その瞬間、その瞬間は、それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を
照合させ、修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。 そうやって内部モデルができ、変容して
いく過程すべてが、生きるということです。私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているような
ものですから、学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。自分という対象を、
外から見て分析すると、これまでに構築された内部モデル、それが私の人生だと考えています。私というものを
いいかえると、私の内部モデルがそれであり、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫
▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、分かりやすい!
 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルにかえていることになる。 過去の文章を振り返ると、
実感として納得する。リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。
だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。そのバーチャルは、書換え可能と
きているから複雑になる。
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4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1
2013年09月14日(土)
  * 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性   『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著)
‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。それは知識だ’が納得出来る。
≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す工夫からもうかがい知ることができる。
たとえば、どこかできいたことがあるかもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。
円周率は、小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も暗記しているのが、
原口謹さんだ。 かつて私は、この原口さんと、五四歳のときに円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの
記憶能力について調べたことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほどちがいはなく、
特殊な才能は何一つみられないことがわかった。しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、
「語呂合わせ」を使う技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。語呂合わせは、
端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけすることだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは
言えない年齢であるにもかかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の秘訣を使っている
からにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した
努力を忘れてはならないのだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろうか。それは知識だ。
知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもっていると、まったく理解できないような事柄であっても、
自分の知っていることとの類似点をみつけるなどして、意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を読むときに、
作者の生育環境や交友関係などを知っているとよく理解できることがあるが、これが知識による意味づけの一例だ・・
 ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしてもその意味づけが可能となり、記憶に残る。
ひいては、新たな知識として頭の中に加わるということだ。つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより
多面的にできるようになり、知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけだ。逆に知識が乏しければ、新しい
事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱なままという悪循環に陥ってしまう。一六世紀から一七世紀にかけて
活躍したベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶にとって、知識は力なり」なのだ。
 原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、もっと新しいことを知って、
知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち続けているということだった。つまるところ、彼らの
記憶力の秘訣である多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あってのものだということなのだろう。 》
▼ 12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていることに疑問を持たないことはない。
 反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち続けている利点がある。さらに記憶媒体になる上に、公開する
ことで、情報と知識のギブ・エンド・ギブにもなる。印象に残った読書内容を感想と共に「起承転結」でパックに
することで、自分の知識として残すことが出来る。 知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、
その意味づけが深くなり、記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。
続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。
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4189, 呪いの時代 ー7
2012年09月14日(金)
               「呪いの時代」内田樹
  * 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種  ー第5章「婚活」と他者との共生ー
 ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」と断言する。
家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで殆んど全部というから驚きである。
知人などから、こっそりと、『失敗だった』という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、
全部が、そういうことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・  ーその辺からー 
≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すというビジネスモデるにおいては就活と同じ。
 就活における「適職イヂオロギー」にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。世界の
どこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に出会わなければならない。出会いさえすれば
永遠の幸福が約束される… この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子どもたちに
植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。そのイデオロギーに悼さすかたちで
結婚情報産業が呼びかけます。
≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだその人に出会っていません。何故でしょう? 
 それは『出会い』が足りないからです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・・ ≫
「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という後悔を当事者たちにもたらします。必ず。
 だから、ご心配には及びません。 僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。
 そして、後になって「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう……」と空を仰ぐことになる。・・・ 
 そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけのための人だ」というような夢想に酔うが、
 普通はあまり継続しない。「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、新居の家具を
 買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人でいいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。 
「赤い糸イデオロギー」は平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロと
 剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっているうちに新婚旅行に行き、そこで
 いびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、
 婦りの飛行機の中では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」じゃなくて、
 ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんですから、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫
▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、やはり夫婦というシステムは、
 一部動物と人類が作りあげてきたもの。やはり、結婚と、その後の我慢はしておくべき。 
 身も蓋も無い話だが、そういうこと。
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3824, 閑話小題
2011年09月14日(水)
   * スポーツジムに通って半年、その効果は?
 月に一〜二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。スポーツジムの休日の金曜日と
日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に
良くなった。足腰が、この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。健康ジムの「イージーライン」
というプログラムに参加しているのが良い。12人一チームで、若い女性のインストラクターの掛け声で、
全員が互いを意識しながらやるため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。
ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝のミニ・サイクリングの途中の
土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。
 二年前に、酷い腰痛になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕と低反発
クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に収まっていた。そこに更に、健康ジム通い、
体には良いはずである。また健康ジムそのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな
重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項になる。 歳を重ねると
足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。前かがみの老人は不健康に見える。
「老化すると、人は老人になる」というが、老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。
そこで、まずは足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・・  成るほど、老いるとは、辛いことだ。
  * 老老介護
 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された小座敷の隣に80歳過ぎの
老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に気にはとめてなかった。 しかし私たちが入店した時には
食事が終わっていたのに、私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている
雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスのコーヒーを取りに行ったところ、
帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」
と話しかけてきたので、家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどうですか」と、
少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、明らかに痴呆症が半分
入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷いときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)
誰彼なく言いたいのも分かる・・・ 長生きは有難いが、そこに精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。 
老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という思いで、一日一日を生きる
時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。 
この矛盾が老いの問題になってくる。
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3459, 今日の民主党党首選は?
2010年09月14日(火)
昨日のヤフーの私のブログに
《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。 
真っ当でないのが、衆院選で当選している可能性があるから、外れるかもしれないが・・ そこまで程度が低くない?
政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか我われの身を守ってくれない。
だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。 
短命でも良いから、政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。
 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、むしろ負けた方が良い。
その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。 だから党首選に立候補して、接戦をすること自体が目的。
その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に
勝負があったことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、
その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。
ネットでは8割が小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 
(字数の関係上、カット11年09月14日)
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3084,挫折を考えてみようか
 2009年09月14日(月)
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。
人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。
なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。ところが、それを
真正直に守ると最後には挫折が待っている。人は最期は死ぬ。 それを考えると生きている根拠がなくなり、
行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、
身近な死が我われに教えてくれる。 しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、
そこから苦悩を乗り越える「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と
受けとめることが出来ない。 本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を
指し示すのである。芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という
指示として受け取るのが暗号解読である。》と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、
自己に目覚めるきっかけとする。人間が生まれ存在しているから挫折をする。そして最後の挫折としての死を受け
入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。
 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者に
開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると、挫折から多くの
ことを得た。その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われていたのである。
40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」
の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、そして、
その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 
そこで出会う感激・感動こそ超越状態である。
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2719, 嘘について
 2008年09月14日(日)
社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。その場その場で、ころころ変化する人物は
直ぐに見抜かれて信用を失う。「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が鮮明に出やすい。
後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 
その共通点が嘘が多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。
ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 三歩ほど歩いたら全てを忘れる、嘘など更々言っていない」
のが真実。「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。 話を都合のよいように変えるのも、
嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築のプロセスを踏んでいることになる。考えてみたら、
誰もが大同小異ではないか。他人のウソは見えても自分のウソは気づかいないだけだ。所詮、世の中は全てが幻想、ウソも真実も大して
変わらないではないか?と嘯くこともできる。嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように気遣う場面も必要。鮮明に憶えていることがある。
父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され一年間実家で同居をしたとき、そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服をつくりに
行ったことがあった。 嘘も必要悪と己に言い聞かせ。「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、全ての言動を
しなければならなかったのも辛い。この時に綺麗ごとだけでは生きれないことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要?
私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り回って帰ってくる。 動機が純粋かどうかを、
最終の判断基準にしている。 ただ、人間の窮したときの露骨な嘘こそ忌み嫌う。 自分の利益行為のために、綺麗ごとを当然のごとく
並び立て、結果として尻尾を出している男かいる。営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。
全てを営業成績を上げるため、生きるため、の手段にしなければならないのがプロと思わないと、やれない。嘘をつかないで、
相手をグサリと刺しまわっている「私」も大問題である。嘘を言う前に、まず真実を知らなければ! 
真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。そうこう考えてみると、親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、
ウソが多い人、ということになる。まあ娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・
 後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。   
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2007年09月14日(金)
 2355, ギリシャエーゲ海の旅 −1
この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、秘境・異境派は一組もいなかった。
23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、6名が女性づれ、1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって
丁度良いバランスの連れ合いであった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、食事時の会話が大変であった。
(その辺は家内の得意とする分野!私は寡黙の人に変身した日々。)内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、
また乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。盛りだくさんのスケジュールが
組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。点数でいうと、100点満点といってよい。まずは今回のツアーの
「スケジュールと主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーしてみた。
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 (字数の関係でカット09年9月14日)
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2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
(字数制限のためカット2010年9月14日)         
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2005年09月14日(水)
 1625, 戦略的思考について−2
(字数制限のためカット2013年9月14日)  
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2004年09月14日(火)
 1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!
人生は10歳での環境によって、ほぼ既に決まっている。中学校は選抜される前の最後の場である。
(字数の関係上、カット13年09月14日)
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2003年09月14日(日)
 893, 「バカの壁」ー読書日記−1
 ー以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)            
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2002/09/14
眠れない夜に
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2001/09/14
宗教戦争−3
(字数の関係上、カット08年09月14日)