■
『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
ネット上の解りやすい概略を検索すると、アマゾンの投稿に、最適なのが
あった。エゴを、「人間の感性の発露以外の何ものでもない」「己の好きなこと
を通じてエゴを磨くこと」と著者はいう。それらから考えると、私の秘・異郷を
中心とした旅行で磨いた感性は、確かに人生を変えた。回数を重ねるほど、
『エゴの力』が増したことになる。好きなことを継続するほど『エゴ』が強く
なる。それが個性である。
=アマゾンの投稿=
≪ 本書で、「人間の強さとは何かといえば、その人間の備えた個性の力」
(100p)というテーマを中心に、エゴについて語っている。石原さんほど
老成しているわけではないが、私も50歳を過ぎ、このテーマには賛同する。
石原さんは冒頭、「エゴとは人生を左右する力、人間の個性。個性とはその
人間の感性の発露以外の何ものでもない」(4p)と定義し、織田信長、東郷
平八郎、出光佐三などの行動を引き合いに出し、成功の裏にはエゴの発露がある
ことを紹介する。そして、松下幸之助の言葉「経営には勘が必要だが、勘だけ
ではだめだ。またデータ、コンピューターだけではだめだ。資料をいくら重ね、
データをいくら分析しても限界がある。経営に成功するための原則がある。
その原則のなかで絶対必要条件ともいえるのは経営の哲学、経営理念や志だ」
(46p)を引用する。
・第2章では、恋愛とエゴについて語る。『八百屋お七』『娘道成寺』を引合いに、
「男のエゴの虚弱さというものを、またある意味で人間の備えた弱さを示す象徴
かもしれません」(81ページ)と解説する。 また、明治維新の功労者や太平洋
戦争の英霊達にもエゴを見いだすという。古今東西の小説や歴史上の人物に典拠
を求めるあたりは、いかにも石原さんらしい展開である。
・第3章では、趣味であるヨットを通じて、好きなことを通じてエゴを磨くことが
できると語る。
・第4章では教育や就職について語り、「他者との関わりが自分のエゴ、自我を
切りつけ、損なうことの端的な事例は間違った教育、あるいは間違った躾による
ものが実に多い。特に躾・教育は幼年から始まって成人になるまでの、まだ自我
が確立される前の未成年の段階で一方的に行われる作業ですから、その影響は
極めて容易だし、また大きなものがあります」(148ページ)と指摘する。
・第5章では田中角栄による金権政治を振り返り、「お金というものは決して
ただのお金ではなしに、人生を左右しかねぬ、その使いようによって極めて
貴重で微妙な人生のための小道具」(213ページ)と語る。
・最後に、「世界がアメリカンスタンダードで統一されることはありえない
のと同じように、人間全体に統一規格があてはまることは絶対にありえない。
それと同じように、それぞれの強いエゴを備えている人間たちに人間の
スタンダードがありうるはずはありません」(217ページ)と結んでいる。≫
▼ 遺伝子の研究から、「生命の本質は利己主義の発露にあり>、と言われる。
生命は、単独では生延びることが出来ないため、仲間を利するしかない。
だから、尤もらしい理屈をつけて、他のため、生きると社会正義と論じる。
成るほど! 自分に力がなければ、他を助けることが出来ない。「興産あって、
恒心あり」。特に人間は、「利己は生命の本質と認め、他利を加える必要性」
がある。男女間のエゴの発露は、人類最大の永遠のテーマになる。
・・・・・・
5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー?
2015年09月14日(月)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
* 『自分を超える 5つの法』とは
自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進
していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義=
チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。
それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。
〜その5つの法則とは
法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす
安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう
法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか)
法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で
決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか)
法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる
「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか)
法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、
最重要の項目である
コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか)
――
* まずは、法則1:の「成功の心理学」より
「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。
〜そのニーズ(欲求)とは
1、安定感のニーズ
:多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。
2、不安定感のニーズ
:人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に
正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。
3、重要感のニーズ
:真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。
4、愛とつながりのニーズ
:すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。
5、成長のニーズ
:すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。
大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。
6、貢献のニーズ
:「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
正比例して与えられる。
〜法則1 のまとめ〜
◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する
◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える
◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人
◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」
◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠
◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
正比例して与えられるー
▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。
ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい
ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。
自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。
人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、
不安定が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰の
ヘドロ人間は大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。
「したい時が、やれる時!」。その時にしておかないと、ゾンビになる。
しかし、変わりゆく世界の中にあって変わらないもの、それを つかんだ人間
が、世界の、人間の、本当の意味をつかむことが出来る。それは逆に変化
の中にこそ、現れ出てくる。 何か仏教めいてきたか!
・・・・・・
4931,コトの本質 −1
2014年09月14日(日)
* 喜びの根源とは ー魂の響き! 〜『コトの本質』 松井孝典著
〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの
快感はたとえようもない 〉という著者の切り口が新鮮である。
それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じるアップスケール(脱皮)
の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、芸術の強振
の感激も同じである。「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、
まさに新しい内部モデルである。秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻み
つけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの秘境ツアー。
そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。
ーその辺りからー
≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるもの
が外界と考えていいでしょう。意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。
内部モデル的に整理されものが、バーチャルです。それは、リアルとは違います。
それはモデルですから。リアルというものをどう整理するか、というのは、
内部モデルの在り方に関わります。すっきり整理された内部モデルでは、
背後にあるものがすべて見えます。「ことが見える」という表現の中に、内部
モデルのすっきり感があるわけです。外界を投影した内部モデルの中で、
めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置づけられるということです。
生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは
大脳皮質の中に内部モデルとしてつくられるのですが、それは、外界と関わる
ことによってつくられることになります。外界と関わることで、内部モデルが
つくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられ
ません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。
人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれて
こなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、
我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。
これはペアになっている概念です。
三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、
と考えられています。他を認識したその瞬間に、それを認識している自分と
いうものができます。そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、
その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルです。
我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを
構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、その瞬間は、
それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、
修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。そうやって内部
モデルができ、変容していく過程すべてが、生きるということです。
私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているようなものですから、
学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。
自分という対象を、外から見て分析すると、これまで構築された内部モデル、
それが私の人生と考えています。私をいいかえると、私の内部モデルが
それで、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫
▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、
分かりやすい! 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルに
かえていることになる。過去の文章を振り返ると、実感として納得する。
リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。
だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。
そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。
ー偶然だが、以下の文章に続くー
・・・・・・
4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1
2013年09月14日(土)
『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著)
* 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性
‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。
それは知識だ’が納得出来る。
≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す
工夫からもうかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがある
かもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、
小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も
暗記しているのが、原口謹さんだ。かつて私は、この原口さんと、五四歳のとき
に円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの記憶能力について調べた
ことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほど
ちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。
しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う
技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。
語呂合わせは、端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけ
することだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは言えない年齢であるにも
かかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の
秘訣を使っているからにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂
合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した努力を忘れてはならない
のだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。
それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもって
いると、まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていること
との類似点をみつけるなどして、意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を
読むときに、作者の生育環境や交友関係などを知っているとよく理解できること
があるが、これが知識による意味づけの一例だ・・
ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしても
その意味づけが可能となり、記憶に残る。ひいては、新たな知識として頭の中に
加わるということだ。つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより
多面的にできるようになり、知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけ。
逆に知識が乏しければ、新しい事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱な
ままという悪循環に陥ってしまう。一六世紀から一七世紀にかけて活躍した
ベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶にとって、知識は力なり」
なのだ。原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、
もっと新しいことを知って、知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち
続けているということだった。つまるところ、彼らの記憶力の秘訣である
多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あってのものだということなのだろう。》
▼12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていること
に疑問を持たないことはない。反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち
続けている利点がある。さらに記憶媒体になる上に、公開することで、情報と
知識のギブ・エンド・ギブにもなる。印象に残った読書内容を感想と共に
「起承転結」でパックにすることで、自分の知識として残すことが出来る。
知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、その意味づけが深くなり、
記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。
続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。
・・・・・
4189, 呪いの時代 ー7
2012年09月14日(金)
「呪いの時代」内田樹著
* 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種
ー第5章「婚活」と他者との共生ー
ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」
と断言する。家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで
殆んど全部というから驚きである。知人などから、こっそりと、『失敗だった』
という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、全部が、そういう
ことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・ ーその辺からー
≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すという
ビジネスモデるにおいては就活と同じ。就活における「適職イヂオロギー」
にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。
世界のどこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に
出会わなければならない。出会いさえすれば永遠の幸福が約束される…
この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子ども
たちに植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。
そのイデオロギーに悼さすかたちで結婚情報産業が呼びかけます。
≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだ
その人に出会っていません。何故でしょう? それは『出会い』が足りない
からです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・ ≫
「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という
後悔を当事者たちにもたらします。必ず。 だから、ご心配には及びません。
僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。そして、後になって
「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう…」と空を仰ぐことになる。
・・ そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけ
のための人だ」というような夢想に酔うが、普通はあまり継続しない。
「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、
新居の家具を買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人で
いいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。「赤い糸イデオロギー」は
平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロ
と剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっている
うちに新婚旅行に行き、そこでいびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび
「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、婦りの飛行機の中
では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」
じゃなくて、ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんです
から、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫
▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、
やはり夫婦というシステムは、一部動物と人類が作りあげてきた。やはり、
結婚と、その後の我慢はしておくべき。身も蓋も無い話だが、そういうこと。
・・・・・・
3824, 閑話小題
2011年09月14日(水)
* スポーツジムに通って半年、その効果は?
月に一〜二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。
スポーツジムの休日の金曜日と日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、
変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に良くなった。足腰が、
この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。 健康ジムの
「イージーライン」というプログラムに参加しているのが良い。12人一チーム
で、若い女性のインストラクターの掛け声で、全員が互いを意識しながらやる
ため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。
ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝の
ミニ・サイクリングの途中の土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま
一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。二年前に、酷い腰痛
になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕
と低反発クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に
収まった。そこに更に、健康ジム通い、体には良いはずである。また健康ジム
そのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな
重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項。
歳を重ねると足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。
前かがみの老人は不健康に見える。「老化すると、人は老人になる」というが、
老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。そこで、まずは
足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・
成るほど、老いるとは、辛いことだ。
* 老老介護
先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された
小座敷の隣に80歳過ぎの老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に
気にはとめてなかった。しかし私たちが入店した時には食事が終わっていたのに、
私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている
雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスの
コーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に
「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」と話しかけたので、
家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどう」と、
少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、
明らかに痴呆症が半分入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷い
ときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも
分かる・・ 長生きは有難いが、精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。
老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という
思いで、一日一日を生きる時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて
欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。
この矛盾が老いの問題になってくる。
・・・・・・
3459, 今日の民主党党首選は?
2010年09月14日(火)
昨日のヤフーの私のブログに
《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。
選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。真っ当でないのが、衆院選で
当選している可能性があるから、外れるかも・・ そこまで程度が低くない?
政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか
我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。
小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。短命でも良いから、
政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。
今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、負けた方が良い。
その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。だから党首選に立候補
して、接戦をすること自体が目的。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。
そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があった
ことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。
何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。
アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が
小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。
(字数の関係上、カット11年09月14日)