つれづれなるままに
他のブログ
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http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
長岡祭り、お盆、オリンピック、高校野球のあった
非日常の感が強い8月も過ぎて、日常の感が強い初秋の
9月に入った。 来週の日曜からは大相撲秋場所である。
これまで、思い出すことの無かった、過去がいやに、
フラッシュバックしてくる。特に、20歳代が中心である。
一年一年が、小説のように大きく変化をしていった時節。
恵まれて時代であった。 しかし、ソ連が絶頂期で、日本は
その中にあって、決して安定してはなかった。
ただ、右上がりは、何もかもを解決をしてくれた。
良い時代に生きていた。
・・・・・・
・・・・・・
3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」
2009年09月04日(金)
週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が
面白そうなので買って読んでみた。特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」
に興味があった。副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党
119議席の結果について書いている。 ーその概要といえばー
「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい
政治文化の国になったのか。ぶっ壊されつつあるのは自民党だけでない。
日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。小選挙区制度にしたことと、
派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では
ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ
政治家のスケールが小さくなってしまう。小選挙区制度になってから出てくる
国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、国政を
安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。これまでの中選挙区制度
では、派閥があり、そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。
そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家としての日常のふるまい方を
学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多い自慢できた。
それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。
自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく
総理大臣になったのに、その職責を充分に果たせずに任期途中で政権を放り
出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。
こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。
両党とも、これをどうするか、一回も真剣な議論が聞こえてこない。
小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な
システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。
選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、あとはTVを通じてプロパガンス
を並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙
が示した。今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、
自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、「日本のぶっこわれ過程」
がはじまってしまったのではないか、ということだ。民主党を含む日本の野党は、
口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担った
ことはない。その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いで
いかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。
--
以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば「何で、こんな党に政権を
預けていた愚かさ」に国民は心底から気づくことになった。そうこう考えると、
政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。
民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、
借金が増えるのではなかろうか!
(字数制限のためカット 2013年9月4日)
・・・・・・
2709, アメリカのコーヒー戦争
2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。
アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。
数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、
最近は格段と美味しくなった。スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、
マクドナルドが1ドルと4倍も違う。そのため不景気とガソリンの高騰で、
コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。
二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、現在ではスターバックスは、
その半値、Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。皮肉なことに、売価が逆の
倍率になってしまった。4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れる
のは当然のこと。そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。
日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスとドトールも売り上げが前年割れを
しており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。 通勤途中の長岡駅周辺に
スターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、最近、Mcとドトールには
客が多く、コーヒーの値段が400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。
また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。
この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前に
コーヒー専門店が二年前にできた。それ以来、週に1~2度はランチを食べに行くが、
基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。
その維持がなかなか難しい。この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約を
するもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。自動のコーヒー販売機のコーヒーが
プロ並みに美味しいのに行き当たった。コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?
ので、時間が4分ほどかかる。月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下の
イオン内にある、カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。月に一度は行って
パンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。
Sサイズで150円、Lサイズで200円だが、充分満足できる
昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。
何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
・・・・・・・・
2007年09月04日
「エーゲ 永遠回帰の海」 -1
-読書日記
* 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅は
ギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。(次男が「ギリシャに行って良かった」と
言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、写真も文章が違って
みえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、
また違って見えてくるが、それもまた楽しみである。
世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な
感覚になる。数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。
生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と
驚きの連続であった。遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わる。
生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没したイタリアのポンペイの遺跡。
火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がその
まま残っていた。また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を
入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。そこに立っていると、
タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。
この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、
トルコ取材をもとに出来た本である。(出版までに20年以上を要した理由に
ついては本書にその経緯が記載されている。)
写真家の須田氏の美しい写真と、立花氏の紀行文がなかなかよい。
ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの
復活神話や「一粒の麦もし死なば」という教えとの相似性。アジアの地母神信仰が
ギリシアのアルテミス信仰に変容し、それがさらにキリスト教のマリア信仰に姿を
変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべての
ものは、これによってできた。」というくだりが、新プラトン主義哲学のロゴス論
を下敷きに書かれたことなど・・。 ギリシアの神々は、一神教であるキリスト教
の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、
この本を読むとよく分かる。
・・・・・
2006年09月04日(月)
1980, ある首斬り役人の日記 -2 \(^▽^*)おはよう
-読書日記
HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきた
には驚いた。さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。
ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。
この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代
まで恨んで、祟ってやると罵った。 首切り役人は、「そう思うのなら切り落と
された首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」
と言った。刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッと
くわえた。 その形相の凄まじいこと、この世のものとも思えなかったという。
周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。
事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って、
「そんなことがあるわけがない」と全く気にしなかった。あまりの自信に何故怖く
ないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに
使い切った。だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」
日本では「首切り浅右衛門」が有名である。 事実は、小説より奇なり!である。
ーー
298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。
38、1579年8月6日
ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。ゲオルク・ガーブラー、
ー シェーンフェルト出身。
ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。
三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。哀れなのは辺境伯の妻。
哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。
彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、
そのような一味であったのを知らなかったのだ。
ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かぶ。
大悪人の処刑を見ようとしたら、まさか自分の夫とは!
立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。
82、1584年7月7日 バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、
別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の
父親や息子といかがわしい行為に耽った。そのほか同じように妻ある男や若い
職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。
その件で立ったまま打ち首の刑に処した。その夫はムチ打ちの刑を受けた。
彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。
相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にも
そうしてやれ。あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われない
よう訴えてやる。私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。さらば、お休み。
ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何か
ドラマ仕立てである。女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。
それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。
87、11月17日
フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼
女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する刀鍛冶職人との間に子供を
生んだ。この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、この子を
投げ込み、溺死させた。その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首
の刑に処された。 ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。 つづく
(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・
2005年09月04日(日)
1615, アメリカインディアンの教え -3
「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた方」ー著者・加藤諦三
加藤諦三とは懐かしい名前である。 20歳代の頃、よく彼の本を読んだ。
心が休まる内容だったことを憶えている。現在は「心の癒し」系の本は多いが、
当時は殆ど見当たらなかった。癒し系の日本の先がけだった。心理学系の先生で、
理づめであったためか、解りやすく納得のいく内容であった。彼の本を手に取る
のは三十数年ぶりだが、履歴をみるとその後も多くの著書を出しつづけていた。
彼はこれまでも、「インディアンの教え」のシリーズも何冊か書いている。
(このHPでも、過去に二回インディアンの教えについて書いている。)
この本の構成は、アメリカインディアンにとっての
・生きるということ、 ・死ぬということ、 ・自然という存在
の3章になっていて、それぞれアメリカインディアンの根底に流れる哲学に
関して記述されている。 冒頭に「死ぬことが人生の終わりでない
インディアンの生きかた7か条の教え」が書かれていたが、心に沁みてくる。
ーword 1
変化は必要
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長岡祭り、お盆、オリンピック、高校野球のあった
非日常の感が強い8月も過ぎて、日常の感が強い初秋の
9月に入った。 来週の日曜からは大相撲秋場所である。
これまで、思い出すことの無かった、過去がいやに、
フラッシュバックしてくる。特に、20歳代が中心である。
一年一年が、小説のように大きく変化をしていった時節。
恵まれて時代であった。 しかし、ソ連が絶頂期で、日本は
その中にあって、決して安定してはなかった。
ただ、右上がりは、何もかもを解決をしてくれた。
良い時代に生きていた。
・・・・・・
・・・・・・
3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」
2009年09月04日(金)
週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が
面白そうなので買って読んでみた。特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」
に興味があった。副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党
119議席の結果について書いている。 ーその概要といえばー
「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい
政治文化の国になったのか。ぶっ壊されつつあるのは自民党だけでない。
日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。小選挙区制度にしたことと、
派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では
ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ
政治家のスケールが小さくなってしまう。小選挙区制度になってから出てくる
国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、国政を
安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。これまでの中選挙区制度
では、派閥があり、そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。
そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家としての日常のふるまい方を
学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多い自慢できた。
それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。
自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく
総理大臣になったのに、その職責を充分に果たせずに任期途中で政権を放り
出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。
こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。
両党とも、これをどうするか、一回も真剣な議論が聞こえてこない。
小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な
システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。
選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、あとはTVを通じてプロパガンス
を並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙
が示した。今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、
自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、「日本のぶっこわれ過程」
がはじまってしまったのではないか、ということだ。民主党を含む日本の野党は、
口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担った
ことはない。その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いで
いかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。
--
以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば「何で、こんな党に政権を
預けていた愚かさ」に国民は心底から気づくことになった。そうこう考えると、
政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。
民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、
借金が増えるのではなかろうか!
(字数制限のためカット 2013年9月4日)
・・・・・・
2709, アメリカのコーヒー戦争
2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。
アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。
数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、
最近は格段と美味しくなった。スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、
マクドナルドが1ドルと4倍も違う。そのため不景気とガソリンの高騰で、
コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。
二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、現在ではスターバックスは、
その半値、Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。皮肉なことに、売価が逆の
倍率になってしまった。4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れる
のは当然のこと。そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。
日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスとドトールも売り上げが前年割れを
しており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。 通勤途中の長岡駅周辺に
スターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、最近、Mcとドトールには
客が多く、コーヒーの値段が400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。
また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。
この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前に
コーヒー専門店が二年前にできた。それ以来、週に1~2度はランチを食べに行くが、
基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。
その維持がなかなか難しい。この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約を
するもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。自動のコーヒー販売機のコーヒーが
プロ並みに美味しいのに行き当たった。コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?
ので、時間が4分ほどかかる。月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下の
イオン内にある、カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。月に一度は行って
パンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。
Sサイズで150円、Lサイズで200円だが、充分満足できる
昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。
何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
・・・・・・・・
2007年09月04日
「エーゲ 永遠回帰の海」 -1
-読書日記
* 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅は
ギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。(次男が「ギリシャに行って良かった」と
言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、写真も文章が違って
みえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、
また違って見えてくるが、それもまた楽しみである。
世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な
感覚になる。数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。
生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と
驚きの連続であった。遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わる。
生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没したイタリアのポンペイの遺跡。
火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がその
まま残っていた。また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を
入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。そこに立っていると、
タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。
この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、
トルコ取材をもとに出来た本である。(出版までに20年以上を要した理由に
ついては本書にその経緯が記載されている。)
写真家の須田氏の美しい写真と、立花氏の紀行文がなかなかよい。
ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの
復活神話や「一粒の麦もし死なば」という教えとの相似性。アジアの地母神信仰が
ギリシアのアルテミス信仰に変容し、それがさらにキリスト教のマリア信仰に姿を
変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべての
ものは、これによってできた。」というくだりが、新プラトン主義哲学のロゴス論
を下敷きに書かれたことなど・・。 ギリシアの神々は、一神教であるキリスト教
の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、
この本を読むとよく分かる。
・・・・・
2006年09月04日(月)
1980, ある首斬り役人の日記 -2 \(^▽^*)おはよう
-読書日記
HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきた
には驚いた。さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。
ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。
この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代
まで恨んで、祟ってやると罵った。 首切り役人は、「そう思うのなら切り落と
された首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」
と言った。刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッと
くわえた。 その形相の凄まじいこと、この世のものとも思えなかったという。
周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。
事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って、
「そんなことがあるわけがない」と全く気にしなかった。あまりの自信に何故怖く
ないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに
使い切った。だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」
日本では「首切り浅右衛門」が有名である。 事実は、小説より奇なり!である。
ーー
298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。
38、1579年8月6日
ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。ゲオルク・ガーブラー、
ー シェーンフェルト出身。
ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。
三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。哀れなのは辺境伯の妻。
哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。
彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、
そのような一味であったのを知らなかったのだ。
ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かぶ。
大悪人の処刑を見ようとしたら、まさか自分の夫とは!
立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。
82、1584年7月7日 バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、
別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の
父親や息子といかがわしい行為に耽った。そのほか同じように妻ある男や若い
職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。
その件で立ったまま打ち首の刑に処した。その夫はムチ打ちの刑を受けた。
彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。
相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にも
そうしてやれ。あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われない
よう訴えてやる。私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。さらば、お休み。
ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何か
ドラマ仕立てである。女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。
それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。
87、11月17日
フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼
女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する刀鍛冶職人との間に子供を
生んだ。この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、この子を
投げ込み、溺死させた。その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首
の刑に処された。 ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。 つづく
(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・・・
2005年09月04日(日)
1615, アメリカインディアンの教え -3
「死ぬことが人生の終わりでないインディアンの生きかた方」ー著者・加藤諦三
加藤諦三とは懐かしい名前である。 20歳代の頃、よく彼の本を読んだ。
心が休まる内容だったことを憶えている。現在は「心の癒し」系の本は多いが、
当時は殆ど見当たらなかった。癒し系の日本の先がけだった。心理学系の先生で、
理づめであったためか、解りやすく納得のいく内容であった。彼の本を手に取る
のは三十数年ぶりだが、履歴をみるとその後も多くの著書を出しつづけていた。
彼はこれまでも、「インディアンの教え」のシリーズも何冊か書いている。
(このHPでも、過去に二回インディアンの教えについて書いている。)
この本の構成は、アメリカインディアンにとっての
・生きるということ、 ・死ぬということ、 ・自然という存在
の3章になっていて、それぞれアメリカインディアンの根底に流れる哲学に
関して記述されている。 冒頭に「死ぬことが人生の終わりでない
インディアンの生きかた7か条の教え」が書かれていたが、心に沁みてくる。
ーword 1
変化は必要