つれづれに

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そろそろドカ雪が、きてよさそうだが? これでは冬物衣料と、
除雪業者は冷えあがってしまう。そうこういっているうちに降るのが雪国。 

 大相撲も、遠藤、照ノ城など話題の力士の休場で、面白味が
半減をした。これが終わると、プロ野球の話題に移っていくのだろうが、
今年はオリンピックがある。

 さて、今週は、世界的株式市場が、どうなるか? これで、一度、調整に
入って、三月末辺りに次のウエーブが到来か? 

・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 -1
2009年01月18日(日)
     「金融大崩壊」 - 水野和夫著
昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面に
あることを認識。それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 
現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、そして去年の9月の
大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、
 16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、
 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」終焉が、この金融恐慌
 と看破。 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。
 深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、
 資本が破壊した。近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が
 中産階級になることが出来た。それが2008年9月15日に終わってしまった
 可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
サブプライムローン新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を
 断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と
 国民に対して優位に立った。そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。
 グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府
 が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、今後、果たして
 財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、
 期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、
 これは無極化への流れになる。そして日本の輸出型経済モデルは新興国
 中産階級を相手に据えるべきだとする。中小企業はこれまでの下請け
 だけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・  次回に続く!
 
・・・・・
2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 -1
            (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 -社会心理史への試み』
                         ー読書日記
 専門が社会学のため、そして長年、その系統の本を読み続けてきたため、
「世間」とか、「世間体」という言葉の虚偽と、日本社会(特に地方の後進性)
の中に潜む泥沼の悪臭を感じ取り、その泥沼には近づかないようにしてきた。
私の場合、職住が新潟と長岡と分かれていたため、最小の接点で済んだのが幸運。
こういう人種は巧妙に近づいてくる。しかし直に臭い嗅ぎ取り、距離を取るように?
してきた。 そこで、「世間体」を辞書でひいてみたがところ・・・
1. 社会的な視点からの自己のみなされ方。
2. 社会的地位や名誉、学歴、家柄による判断基準。分かり易い肩書きが
最優先され人間性は含まれてない。
3. ワイドショーに準ずるモラルやマナー とある。 
社会的地位も内面的な教養の区別すらも知識にない人達。
    これが殆どだから、仕方がないが・・・ 少なくとも、
それを鳥瞰する目と時間は持たないと。 
ーその紹介文をアマゾン書店から、コピーしてみたー
 =内容=
世間に対して体面・体裁をつくろい、はずかしくない行動をとろう
とする規範意識 ―それが世間体である。 唯一絶対神をもたない日本人は、
それを価値規準とし、世間なみを保つことに心を砕いてきた。 
世間の原義と変遷、また日本人特有の羞恥、微笑が生まれる構造を分析し、
世間体を重んじる意味を再考する。世間論の出色の日本文化論。
  ー目次
序章 「世間体」の発見
第1章 「世間」の意味    第2章 「世間」観の変遷
第3章 「世間」の構造    第4章 「はじ」の社会心
ーー
 ー「世間体」に関する、ことわざに関して、
要約している部分を抜粋してみるとー
 P-50
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、
「下手の横好き」ともいうように、もともと両義的な意味あいがこめられて
いるものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、ことわざの
常であろう。「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。
本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、状況によってたくみにつかい
わけるところにこそ、ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。
にもかかわらず「世間」にかぎれば「世間」をめぐる慣用句がことごとく
「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか注目したいのである。
そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえない
からである。思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、
人生のモットーとしてきたのではなかったか。それが積極的にはたらいた場合
には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと
恥ずかしい、ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」
に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化のひとつの精神的な
原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。その反面、
異端のもつ大胆なエネルギーが発揮されることは、きわめてまれであった。
ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、「世間」
の手前、極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな
羅針盤であった。「うだつが上がらない」という言葉も、それに近い。
島国では、お互いの顔色を覗って生きるのも、大きな知恵になるのだ。
”世間体”の”体”は「体面」「体裁」の”体”といい、それから逸脱した
場合、 「”恥”-”羞恥”-”罪”」になり、社会的制裁を受けるが故に
「面目」「面子」「外聞」「見栄」「虚栄」と言うコトバを背景に持った
行動が、世間に対してつくろう方策として個人の行動を規定するから、
  内的規範になってしまうのである。それに対して、教養とは、
それらから自由になるための知識・経験ときているから、世間様は
馬鹿の代名詞になる。 痴呆名士がその典型!   
                       ーつづく
・・・・・・・
2007年01月18日(木)
2116, 品格について -1  <(_ _)> おはようございます!

国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を
巷でよく聞くようになった。何をもって品性・品格というか解らないが、
私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
どうも自信がない。そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、
あるHPの中の説明がよい。これを読んで少しホッとした。品性のない人
を嫌うには、チャンと裏づけがあった。人品なのだから、これだけはどう
しようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。
「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!

ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的
価値として見る場合の呼称である。一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、
品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、地域に対しても当て
はめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)は侍社会
の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中
を歩き、曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。
またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される或いは笑い者になれば、
死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。 
品格があるというのを具体的に示すのは難しいが、品格のなさはどのような
場合に生ずるかというと、
 ?権力に媚びる、
 ?大きいもの(組織・企業)を崇拝しそれに依存する、
 ?自分の権利だけを主張し適わないと嫉妬する、
 ?自立性がなく自尊心がない、
 ?ごまかしがあり本物の心と価値が分からない、
 ?金銭を崇拝する等である。
これらは程度の差はあるとしても人間誰でも心の奥底に持っている。
しかしそれが表に出ないように修養し、努力しているのである。 】
{上品だ、下品だと?そんなもの!       
  ーー
 以上だが、この「6つを擬人化したような人」が実際にいるから面白い。
『子狐』を嫌う理由が「品格がない」ということだった!のだ。 
誰もが持っている要素なので、あまり言求できないが・・・でも居るでしょう、
あの人!(エッ私のこと?、いや違います、あの人です)
社会的ニーズもあるので仕方がないが、やはり本人の性質(たち)が大きい。
目くそ鼻くそを笑う?でしかないが・・あの党の代議士様たちも、
そうじゃないかい! 自分をチェックすると、殆どクリアーをしている?
つもりだが・・。「酒癖が悪いので、その全てを破壊しているではないか!」
という声が、心の底から湧きあがってくるから、困ったものである。 
品格など気にすることはない、まともな生き方をしていれば自ずと身につくもの。
しかし、そのまともな生き方がね~、できないから困ったものである。               
                             ーつづく    
 今日は品良く、ごきげんよう さようなら  
                      m(__)m
・・・・・・・
2006年01月18日(水)
1751, あ~あ60歳-2
             (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
一昨夜も還暦の会を開いてもらった。二次会で久々に新潟の古町のカントリー
エスタンの「テネシー」に行ったが、不景気で息するのもやっと?という風。
還暦の赤いチャンチャコは着たいような、反面着たくないような気持ちであった。
ところが、その店のマスターが半年前に贈られた赤いウエスタンのチョッキと赤い
ハットをかぶり記念写真を撮った。これで両方の気持ちをカバーしてくれた。 
還暦の行事の赤いチャンチャコと帽子をかぶったことになった。
しかしマスターの弱気には驚いてしまった。対象のお客が定年とか不景気の為か、
急激に顔を見せなくなったという。かなり有名な店であったが、マスターの話は
年金と老後の話である。50歳までは中年の最長老のような気持ちであったが、
一晩で初老の一年生という気持ちになってしまった。
(60歳から65歳が老年の移行期というが)誰もが人生で、それぞれの年代の峠を
乗り越えていくのだろ。何かの本によると、人間は歳を重ねても決して枯れる
のではなくますます生臭くなるという。その人物によるが。
周りを見て見るとあの真面目だった人が??

・・・・・・・・
2005年01月18日(火)
1386, 若者と携帯電話

携帯電話の進化と普及はめざましいものがある。特に若者にとって、
「何が無くても携帯電話」というほど、必須用具になってしまった。
我われの年代から見ると羨ましい限りである。若いときに携帯電話があったら、
どんなに楽しかったことだろう。特にTV携帯電話があったら数倍のコミニケ
がとれ、多くの友人が作れたのではないか。反面、孤独感からくる学びが
数分の一になってしまう。が、しかしそれなりに違った孤独感がでてくるという。
「携帯電話不安症」という違った孤独感が出てくると、新聞で読んだことある。
定期的な電話が来なくなると、絶望感に陥ってしまうという。

『他人との依存が強くなり、自分が自分であるという実感が乏しくなり、
自分の中の空虚な穴に陥ってしまう』 考えただけでも背筋が寒くなる孤独。
若いときは、孤独に向き合い、悩み、傷つき、一人七転八倒する時期でもある。
それが、寂しければ携帯の電話番号を押して呼び出して慰めあえるのだ。
ところが、その手軽さが真の心の通じ合いを疎外してしまう。
ただ友情をつなげる道具が、反対に真の友情を妨害している。

一人になり自分の中で自問自答した言葉を投げ合うプロセスからこそ、
真の友情が生まれる。また本を読んでいても、孤独の中から生まれた著者の
真実の声に共感する。身近に携帯電話馬鹿?があまりにも多い。こういう浅い
人間関係しか経験しかしてないから、柔な傷つきやすい人間になるのだ。
それも人生と割り切っているのだろうが、それを乗り越えた先が良い。
道具の進化は人間を誘導する。 昔、年寄りが同じようなことを言っていた。

・・・・・・
2004年01月18日(日)
1019、「会社にお金が残らない本当の理由」-2

二年前に節税が何かないかと考え抜いた。そこで思いついたのが、
個人の事業用資産を会社に売却をする「個人の損だし」による方法。
バブル期に買った個人名義の事業資産を時価で会社に売却をした。
そして個人の会社からの借入金と相殺した。その結果個人は??の損失が出た。
そして過去2年分の税金の数千万が戻ってきた。といって会社借入と相殺したので、
手元には一銭も残ってない。今年も数百万は戻ってくることになっている。
長岡税務署では前例がないという。といって合法的であるから文句はつけることが
できない。税理士が目を白黒していた。そのような前例が過去に全くなかったからだ。
来年か再来年は、今度は会社の損だしの予定である。個人が逆に会社の含み損のある
物件を買い取ることで会社の含み損をだしてしまう。これで向こう7年は税金を払う
必要はなくなる。この三年を含めると10年間は殆ど税金を払わないで済む?
このような知恵は誰も考えてくれない、自分で考えぬくしかない。
実際含み損を出しただけだが。もっとも会社が利益出せればの話だが。

「資本主義の本質は『ボッタクリ』」について考えてみる。
今のアメリカをみればよく解ることだ。基軸の金融制度をつくって、ドルという
紙切れで他国の資源を持ってくる。そして、そのドルの価値を下げればよい。
所詮は紙切れは紙切れである。さらに勝手に格付け機関を作って、狙い定めた
国の会社のランクを根こそぎ下げておいて買い叩く。また国債を日本などに
半強制的に買わせる。これも所詮紙切れである。そしてドル安に持っていく。
これがボッタクリでなくて、何だというのだ。税金もそうだ、会社から国が
ボッタクッテいるのだ。取られている方は、全くそのことに気が付いていない。
ところでこの著者は新潟県上越市の税理士と先日新聞に載っていた。
地方発というのが面白い。 一億か! それも個人預金が

・・・・・・
2003年01月18日(土)
650, 債務返済年数

 最近この言葉が新聞や本などでよく見かけるようになった。会社の利益などや
償却での現金収支の額が返済に充てると仮定して債務完済まで何年かかるかをいう。
ー総借り入れをキャッシュフローの金額で割った数字をいう。当社は今のところ
12年である。装置産業の当社として、無借金と同じ状態が8~10年であるから、
あと2~3年でその状態になる。といって大きい事件がおきて、日本の総生産が
2~3割ダウン、利益がマイナスになれば、一挙に20~30年になる可能性がある。 
地銀などの「審査能力の崩壊をきたしているところが、ただ審査基準を当てはめている」
のが今の日本の状態である。当方も危ない会社にされかけたが、貸しはがしの陰湿な
口実だったかもしれない。今朝の日経新聞に「過剰債務、中小が深刻」と書いてあった。
大手で平均12年に対して、29年という。深刻なすうじである。他人事でないのが
経営である。新幹線にテロなどがあったら、売り上げが激減する。
小説といっていられない北朝鮮が控えている。あと2~3年でかなりの減量感
が出るが、今の日本も似た状態だ。本格的な倒産の嵐を耐えねばならない。

・・・・・・・・・
2002年01月18日(金)
304、パソコンの機能と実感-1

パソコンの機能と実感。これには無限に近い機能?が入っている。ワープロ、電卓、
辞書、写真現像機能、名簿、TV、CD、世界中の情報を検索できる図書館、
情報発信機能ーホームペイジ機能、印刷機、手帳、ポストイット、ゲームなど
あげれば数かぎりない。万能機械といってよいほど機能が入っている。10年前の
数億相当のコンピューターが10万そこそこで買えるのだ。これを使うかどうかが、
仕事だけでなく人生にかかってくるといってよい。やっとその数百分の一を
知っただけだ。これを使って何をすればよいか、徹底的に考えられるかどうかが、
これからの鍵になる。この一年でやっと人並みに近づいた。この一年で全く違う
世界に一歩足を踏み入れた。ブラインドタッチを少し出来掛けてきた。やっと門
に入り、その通路を歩き出した感覚だ。メールも抵抗なくできるようになった。
飛躍的に自分が変化しているのが解る。デジタルカメラの写真もあまり抵抗なく、
やっとホームページに貼れるようになった。それでも圧縮を抵抗なくする為に
時間がかかる。本も抵抗なくWeb上で買えるようになったのも最近だ。

・・・・・・・・
1月18日 1969年

 9時半目覚める。二日酔いもよいところだ。やっと起き、横浜さんの
ところを出る。直接学校へ行く。田島と学食でばったり出会う。昨日はゼミに
出てこなかった。彼は卒論を出せなかったということで、ゼミを辞めたと言う。
二日酔いもあってか、怒りが出る。 卑怯だと彼を責めたてる。
また反省をしてしまったが、私がいう問題ではなく彼自身の問題である。
でも寂しいのは事実である。今まで一緒にやってきたのに!
あと一歩のところで何をしているのかと思うのは当然だろう。
一番人間として信じていたのに。時々ハッとする言葉を投げかけていたのに。
最後は挫折なのか。そういう姿も羨ましいところもある。見習うべきなのかも
しれない、満足のいかない中途半端な卒論を出すよりズット良いかもしれない。
 その後、産関論の欠席届を出して、川崎と待ちあわせで来るのを待っている
とクラブの高杉と出会う。高杉とも、如何いうわけか気が合う。留年などして
苦労しているからだろう。30分ほど今後の進路のことなど話をする。
その後、川崎と喫茶店に行き話をする。彼は彼のペースで相変わらずいる。
彼は自分の思ったとおりに生きているのが特徴である。
本当にこの学校に入って良かったと思う。人間性が豊かの人が多いのだ。
寮に帰り、またTVで東大の安田講堂の立て篭もりの攻防を放映していた。
彼等の行動は現実には全く理解できるものではない、といって、あそこまで
駆り立てる何かがあるはずである。 彼らが見ている社会矛盾をもっと見る
べきであるが。その矛盾の中にこれから入っていくのだ。