『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜あるがまま
5年前の節目時以来、少し気持ちは沈んではいたが、比較的冷静であった。
学生時代からの早朝の2〜3時間の読書習慣や、ネットサーフィン、スポーツ
ジムなどの日程を組み、只管、その積み重ねてきたが、それが内面的世界=
「心のシェルター」の役割にになっていた。このブログが、その形跡になるが、
逆に、逆照射してみえてくる上っ面の世界の好い加減な面白さを味わうことが
できた。 というより、自分の上っ面の好い加減を合せ鏡で見えてきた。
  〜以下の内容は、現在の気持ちそのままに代弁のようである。
 で、これはこれで得がたい貴重な体験と思えるようになっている。
≪ 心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることも
 なければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような
経験もつかの間のものに過ぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分
に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つ
ための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたり
しても、「激突」して破滅する危険はない。その人の幸福は確固たる土台に
根ざしているため、心がぐらつかず抑うつの底に沈み込むこともない。
 オランダの若き女性、エッヒ・ヒレスムは、アウシュビッツ収容所で
命を落とす1年前に次のような注目すべき心境を書き残している。
「内面的な生活を体得したなら、収容所の塀の外側にいようが内側にいようが、
一向にへこたれない。私は、既に数千の強制収容所で数千回の死を心の中で
経験している。私の心はすべてを知っている。どのような新しい情報も、
もはや私を苦しめることはない。とにかく、私はこの世のあらゆることを
知っている。それでも、この人生は美しいと感じられるし、あらゆる瞬間が
意義深いものと思える。あらゆる瞬間がそうである」。
 香港で開かれた公開セミナーに出席した折、聴衆の中から一人の若者が私を
名指してこう質問した。「人が生き続けなければならない理由を一つあげて
ください」。この本は、その若者の質問に対するささやかな回答と言って差し
支えない。 というのは、幸福とは、命を慈しむことに他ならないからである。
生きる理由を見失うということは、底知れぬ苦しみのどん底に突き落とされる
ことである。外的な条件が幸福を左右するのと同じくらい大きな影響力を、
苦しみが心の状態に与えるのである。このことを正しく理解することは、
生きる価値のある人生を謳歌するための前提条件である。
 では、どのような心の状態が生きる喜びを奪い、逆に、どのような
状態が喜びを膨らませてくれるのだろうか。
 世界観を変えるということは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、
逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることでもない。
不満や欲求不満の奴隷になってしまうと、心はとりとめなく混乱してしまう。
それは、廃嘘の壁を塗りたくるように愚かな行為であり、ただ、「幸せだ、
幸せだ」と繰り返し自分に言い聞かせるような無駄な試みに過ぎない。
幸福を探求することは、ばら色の眼鏡を通して人生を見ることでも、世の中に
はびこる痛みや不完全なものに目を閉ざすことでもない。幸福はまた、
あらゆる犠牲を払って狂喜を長続きさせようとする試みとも異なる。
憎しみや執着などの、心をゆがめる毒素を浄化することであると同時に、
実体のない上辺の姿とあるがままの真実の姿の間のギャップをなくす作業
であり、物事を大きな視野で展望する方法を学ぶことである。
そのためには、心がどのように機能するかをよりよく理解し、物事の本質を
正確に洞察する力を体得することが必要となる。なぜなら、苦しみは、
その最も深い部分で、現実についての本当の性質を誤って把握してしまう
ことと密接につながっているからである。≫
▼ 人生は、生きてきたとおり、老いて、死んでいくものと、実感する。
 〜幸福とは、命を慈しむことに他ならない〜 人生を、命を慈しむこと
である。そのためには、物事の本質を把握しなくてはならない。
学び続けなければならないのである。世界は広くて深い。
・・・・・・
5057,閑話小題 〜「字のない葉書」
2015年01月18日(日)
   * 「字のない葉書」
  向田邦子のエッセイ、「字のない葉書」がよい。 〜途中からだが・・
≪ ・・終戦の年の四月、小学校一年の末妹が甲府学童疎開をすることに
 なった。すでに前年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は疎開をしていたが、
下の妹はあまりに幼く不憫だというので、両親が手放さなかったが、三月十日
東京大空襲で、家こそ焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家
全滅するよりは、と心を決めたらしい。妹の出発が決まると、暗幕を垂らした
暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を
付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。
「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ポストに入れなさい」と言ってきかせた。
 妹は、まだ字が書けなかった。あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束を
リュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くように
はしゃいで出かけていった。 一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。
紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って
行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださった
とかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。
 ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の
小マルは、ついにバツに変わった。 そのころ、少し離れた所に疎開していた
上の妹が、下の妹に会いに行った。下の妹は、校舎の壁に寄り掛かって梅干し
のたねをしゃぶっていたが、姉の姿を見ると、たねをぺっと吐き出して泣いた
そうな。まもなくバツのはがきも来なくなった。三月目に母が迎えに行った
とき、百日ぜきをわずらっていた妹は、しらみだらけの頭で三畳の布団部屋に
寝かされていたという。(略)・・
 夜遅く、出窓で見張っていた弟が、「帰ってきたよ!」と叫んだ。
茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、
やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて
泣くのを初めて見た。あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に
近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのか
それともなくなったのか、私は一度も見ていない。≫
▼ 字のない○×だけの葉書でも、書かれてない空白に情報が詰まっている。
 ○×だけで、多くの感情を表現できるもの。自分は分からないが、14年間の、
このブログにも、エネルギーだけは十分に詰め込んだため、多くの情報が
詰まっていたのだろう?成るほど、後で読み返すと、経験の痕跡は言葉で
残すことが可能と実感する。ダイアリーに心の天気図を◎○△×を付けて
おくのもよい。で、昨日は○のち×!気象も、記録が可能で、△×。夕飯?
シネマ評、TV観戦の大相撲もドラマ評も、可能。 問題はするかしないか。
・・・・・・
4692, 中年期の8つの危機
2014年01月18日(土)
         『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、
晩年の老年の危機になる。以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、
老醜として現れ出ることになる。 ーまずは、その8つの危機から
� 時間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める)
� 自分の役割意識の危機(多くは中年期までに社会的に一つの役割をはたす)
� 対人関係における危機(協調や柔軟性が失われ対人関係が巧くいかなくなる)
� 価値観の危機(若い頃の価値観が揺らぎ始める)
� 思いわずらう危機(健康や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える)
� 平凡な人生の危機(仕事も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち)
� 死に直面する危機(段々と死に向かっていることを意識させられる)
� 真面目になりすぎる危機
 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、
  この問いかけの内容と言ってよい。 還暦後の問題は、まさに、この問題。
「�先が少ない �粗大ゴミ化 �他人が煩わしいが、寂しい 
�人生への否定的鳥瞰(後悔)�将来への不安 �平凡な日々 �死の恐怖(無知)
�真面目になりすぎ 」とすると、私のこと?かと、心の中を見透かされた
 ような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い
 解決方法は読書習慣。長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えて
 きた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する
 だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて
 向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」8割以上の既婚カップルが、
「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。
 しかし配偶者の75%が、「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、
 より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が必要という。
 そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間
 を共有性を説いている。 そういえば、�の真面目になりすぎる危機、
 禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。
 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に
 求めると、�〜�をクリアーするしかない。それも自分との格闘の中で。 
 そうすると、�になってしまう、ということ。それも、これも森林から、
 サバンナへの移行時の危機。�の平凡な日々でも、読書生活の質もある。
 そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。
・・・・・
4325, 財政恐慌 −3
2013年01月18日(金)
    ー次の質問群であるー    『財政恐慌』浜矩子著 
 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
   我々はどうすればわかるのか、
 ● 我々は地図を持っているのか
▽まずは「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか」より
* さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、
 行くべきところに近づいている。現象的には、すでにもう随分遠くまできている。
 日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。経常収支の
 黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 
 日本の資本が海外で稼ぎ出した利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしら
 になっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。
 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。
 最近の流行り言葉が「絆」であることは、決して偶然ではないだろう。
 日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。
 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。
▽「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
 我々はどうすればわかるのか」
* これはなかなか難問。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。
 自分にとって最適な場所に着いているのに、それに気づかない。これは怖い
 ことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。
 そう願う思いのあまり、対応のしようによっては、せっかく行きたかった
 はずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。
 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。  
▽ 「我々は地図を持っているのか」
 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。
 それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、「ハングリー精神」の復活を
 夢見る思いである。
▼「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。
 そして既に下り坂に入っている。したがって、経済成長という言葉は方向を
 間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になった
 のは、憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業。 
 あくまで憲法改正の最後の機会のため。著者の立場からみれば、成長を再びと
 願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。ただ、最終目的は、
 憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く
 動乱には適してない」のが、私の見方。
・・・・・・
3950, 未婚時代の婚活 ー2
2012年01月18日(水)
  * 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?
って何時も話題になります」という。それに対して男女共いえるが、自分を
ワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上
を求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を
逸してしまう。 若い時から周囲の男からチヤホヤされているうちに一番の
女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。
逆に内面は熟し素敵である。そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵
な女性が売れ残ってしまう。その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、
その焦りを見せられない。そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも
相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。
「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。結婚した今でも、
王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 
誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。人間は、そんなものかもしれない。
1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、
誰ひとりも、そのことを疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、
以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない
厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、焦りで満ちているが、
誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、
どうしても婚活は二の次になる。逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を
良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのならフリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 
とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。まずは、
自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 
妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら
後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          
□「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  
□「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。
たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、ほんの
少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。そのヒントを「仕事」「お金」
「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 
 人生の区切りの時とジックリと考えた。そして「とりあえず、還暦までに残り
の人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、
達成できなかったが、43回までは達成した。更に50歳半ばで個人のHPをつくり
思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえた
とき、心の中で独り万歳をした。その直後は、何をしてよいか分からなくなった。
そこで出てきた言葉が「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で
中途半端の状態になってしまった。 で、後半。「来年は無い。今年中にやる
べきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の
峠の到達地点とした。ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが
書いてあったので驚いてしまった。ここまできたら人生の喜劇化もよいだろう。
いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
 ・・・・・・・・
3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題
になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。投資金額が格安
で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 
加盟料金40万、指導料20万、その他・・(店舗内装、取得は別)
《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、
開業資金が500万」というから、内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、
ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率
10パーセント以下だから、当たると、これほど面白い商売はない。
パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋うどん屋が、それ。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザ
そのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に売るものもある。 
たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの
生地、中味は餡の、これまでは無かった鯛焼きチェーンもある。
これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で
資金回収が可能。これは世界にも通用する可能性がある。誰もが手軽に出来る
ということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に
行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。誰も知らない地で、ゼロから
再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 (字数制限のためカット 2012年01月18日)
・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
     「金融大崩壊」 − 水野和夫著
昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面に
あることを認識。それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 
現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、そして去年の9月の
大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、
 16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、
 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」終焉が、この金融恐慌
 と看破。 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。
 深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、
 資本が破壊した。近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が
 中産階級になることが出来た。それが2008年9月15日に終わってしまった
 可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
サブプライムローン新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を
 断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と
 国民に対して優位に立った。そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。
 グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府
 が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、今後、果たして
 財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、
 期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、
 これは無極化への流れになる。そして日本の輸出型経済モデルは新興国
 中産階級を相手に据えるべきだとする。中小企業はこれまでの下請け
 だけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・  次回に続く!
 ・・・・・・
2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1      (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』ー読書日記
専 (字数制限のためカット 2012年01月18日)