『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜現実と洞察
 現実と同察の間には、必ず差異がある。その差異で間違いを起こして、
それを埋めていく過程が人生だが、その差異が、ますます大きくなった結果、
不幸が現れ出る。恋愛など無明同士の儚い感情の結果は、ご覧のとおり。

≪ 現実とは何か。仏教では、現実とは、物事のあるがままの姿のことを言う。
 人間の心は、いろいろな層が重なりあい、絡まりあって構成されているが、
そうした心の構成に修正されないあるがままの状態を指している。
表面に見えているものと、あるがままの本当の姿との間にギャップがあれば、
人間はこの世と永遠に対立し続けることになる。タゴール〔インドの思想家〕
は、「自分たちが世界を誤って見ておいて、世界が自分たちを裏切る、と嘆く」
と書いているが、人間はとかく、つかの間の儚いものを永久不変と勘違いして、
苦しみの原因である富、権力、名誉、快楽へのあくなき欲望を、幸福の目的と
受け取ってしまう。知識というと、大量の情報を手にすることとか、学問に
秀でることと考えがちだが、真実は、物事のあるがままの姿を理解すること
なのである。私たちは、表に現れている仮の姿を、そのものに本来備わった
性質をもった、何ものにも依存せずに独立して存在するもの、と勘違いする
悪習からなかなか抜け出ることができない。何が「善」で何が「悪」かを
日常の経験から判断するし、その善悪を区別する「私」についても同じように
具体的な実体ある存在と考えてしまう。 仏教では、この誤解を「無知
(または無明)」と呼ぶ。無知は、苦しみを導く根源である執着と嫌悪を
強力に反映している。エテイ・ヒレスムは、簡潔な表現でこう述べている。
「そのような大障害は、常に仮の姿に過ぎず、現実の姿ではない」。
無知と苦しみの世界は、サンスクリット語サンサーラ(輪廻転生)、
すなわち、存在の本来の姿ではないものを真実の姿と妄想する、
人間の誤った見方から起こる心の世界のことである。
 目に見える外面的世界は無常に変化する無限の原因と条件が絡まり
あって構成されている。例えば、太陽が雨のカーテンを横切って輝くときに
虹が出るのを考えてみよう。その虹を作りだす要因の一つでも消滅すれば虹は
見えなくなる。いかなる現象も原理はそれと同じで、独立した固有のものは
何一つなく、相亙依存の関係で存在している。この世のあらゆるものは因果の
力の影響を受けている。この基本的な考え方が正しく把握できたとき、この世
に対する見当違いの見方が修正され、物事のあるがままの姿を正しく見られる
ようになる。これこそが真の洞察である。洞察は、単なる哲学的な論理の
組み立てとは違う。精神的な盲目とか苦しみの最大の原因である、心を乱す
感情を一掃するための根本的なアプローチなのである。
どの一粒のゴマからも油が抽出できるのと同じで、生物はすべて完成に至る
潜在性を秘めている。このように物事を捉えるなら、無知とは、単に完成の
可能性に気づかない状態だ、ということがわかるだろう。ちょうど、自分の
小屋の床下に埋められた宝の存在を知らずに、どん底の生活をする乞食と同じ
である。自分本来のあるがままの姿を実現することは、隠された宝を手に
入れるのと同じことで、本当に意義深い人生を送ることを可能にしてくれる。
それは、心の平和を得る最も確実な方法であり、純粋な利他心を引き出す方法。
 ジョージ.ベルナノス〔20世紀前半の仏国のカトリック作家〕はこう述べる。
「まるで、嵐の真っ只沖にあっても、静まり返っている巨大な湖の底のように、
何ものもそれを変えることができない」。安らかで心地よいこうした状態に
ある幸福感をサンスクリット語で「スカ(安楽)」という。安楽とは、聡明さに
欠けた状態と苦痛の感情から自らを解き放つときに自然に現れる、精神の健全
さが永続する状態をいう。私たちが、ベールを通さず、偏見もなしに世界を
あるがままに見るための叡智ともいえる。そしてまた、心の自由と利他の
心に向かって、歩を進める喜びなのである。 ≫
▼ ご隠居生活に入って、準備を含めた45年間の肩の荷がおりたためか、
 毎日をより新鮮に味わうことが出来るようになった。しかし、45年も
決して否定してはいない。面白く、充実していたためもあり、
「ご覧のとおり、そのまま結構!」と諦念の心境になっている。
せっかく「地球旅行」に参加できたのだから、可能な限り、知り、味わい
尽くさなければ、生きてきた甲斐がないじゃないか。 色即是空、空即是色!
 で、去年の同月同日の文章につづく!
・・・・・・
5058,閑話小題 〜中の人・外の人
2015年01月19日(月)
        ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜
   * 着ぐるみの「中と、外」
 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。
異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような
不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。
ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が
何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。
常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 
 〜その辺りから〜
≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。
 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ
と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。
僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。
 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。
真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を
かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー
で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も
いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。
 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部
にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる
こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」
と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの
真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は
「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。
 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい
しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて
いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた
一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。
 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。
内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域
を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、
お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間
領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら
目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と
「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる
ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の
循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。
「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。
そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫
▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の
 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、
『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人
=よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。
そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。
 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、
これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重
・・・・・・
4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 
2014年01月19日(日)
  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。
その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、
その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが
見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。
亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も
その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。
 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』
なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。
がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想
日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、
何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど
土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 
 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、
その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。
それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い!
といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。
100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって
膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 
死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ?
   * パソコン売り場にて
 iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。
しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ
パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、
iMacにWindowsVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに
iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、
この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり
入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 
春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか?
あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型
でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。
次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから
iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。
やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの
可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。
消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。
これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! 
・・・・・・
4326, つれづれに ー歯医者
2013年01月19日(土)
  * 歯医者
 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。
通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。
現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、
やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉
をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。
それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが
無くなってきた。
  * 血圧計
 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな
ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は
100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、
えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン
というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130
の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。
運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、
晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 
  * 大相撲ーつれづれに
 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 
そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも
あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に
わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに
逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。
横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。
10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。
ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、
どんどん落とせば、これまた面白いか? 
・・・・・・
3951, 閑話小題
2012年01月19日(木)
  * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴
 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、
細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、
本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間
以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産
ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に
伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の
シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。
バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 
殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・
 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、
老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人
が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる
「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り
込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では
銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で
客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 
全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減
すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。
おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、
公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・
  * 日本に再び大地震があるか?
 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について
仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する
内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震
あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」
と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 
それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、
その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる
ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで
起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に
東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス
の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に
巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
・・・・・・
3586,  閑話小題 
2011年01月19日(水)
  * 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他の
メーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。何故ここで薄い
板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?
を考えてみた。まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと
重ねて何処にでも気楽に持っていける。そして書籍もネットを通して購入でき、
かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、
ソーシャルネットがセットでブレイクする。それにツイッターである。
それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まった
ということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
  * 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?
で私のところに来ているようだ。30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んで
いるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が
起こると、神妙な顔をして相談に来る。ノートを開いて二時間ほど私と対話
をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
 ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスを
しようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」の一言で、助けられた
ことがあった。年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは
今度書く。その時に「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と
話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で
判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。「なるほど!」と、
合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても
行動面で一歩下がってしまう。そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、
丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。炬燵の中でTVも良いが。
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3221, フリー
2010年01月19日(火)
 「フリー<「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら
読んでおくべきである。 読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界
では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが世界を方向づける
カタチとしての流れを止められないという。フリーとは無料のこと。 
無料=利他を理解できた者がネット社会では利する世界になる。フリーで
やれるのはネットという膨大な世界があるから。無料といえば、民放のラジオ
やTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。気がつかない
うちに多くのフリーに恩恵を受けている。この随想日記も考えてみたらフリー。
私の全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開。 
ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」
という表層的なことだけでなく「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」
というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセット
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略
のみならず、そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された
 文明で、自己実現を満たす行為としてあった。この「贈与経済」は貨幣でなく、
「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。 ネット以前の時代
では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量
可能であるため、貨幣との交換が可能である。 したがってこの計量可能な
非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の
新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。
取るに足らない値段を請求することで圧倒的多数の消費者の手を止める。
チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》  ー つづく
 ・・・・・・・・
2846, 金融大崩壊 −2
2009年01月19日(月)           −読書日記
 この著書の結論は「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動が起きている。
キッカケはサプライムローン問題、今後20〜30年と激動の時代が続く」である。
16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、
キッカケはリーマンブラザーの倒産である。更にいえば、松井孝典がいう
「地球システムが、拡大続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」
とみると、解りやすい! 第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊
よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を破壊
しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、
アメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
 それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て
破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」帝国は、「すべての
お金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、
100兆ドルの金融資産を増やした。元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、
投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にした。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義
帝国化に一番に対応したのが、日本である。いや、させられたのである。
金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせ
ようとした、米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成した。 
この二つは、コインの裏表一体。したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊
は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を
大量に抱え込んでしまったから、アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 
中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債
大量に持たされている。世界中がすべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、
やはり16世紀以来の地殻変動である。CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、
これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 
とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。世界の大手企業が社債
不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDS不良債権化が表立つ。 
銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、とマイナス循環が果てなく続く
ことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のこと
である。クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ
顔をしていた。中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている
重大局面を深く知ったため?