つれづれに

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   今日のYoutube

 外は大風が吹き荒れている。ただし、積雪はない。
家内が新潟にいくため、長岡駅まで送り届けてきた。

 小学校5~6年の担任の西澤正元先生から
送られてきた自分史、『出会いの軌跡ー米寿回想』を
読み始めたが、教育者としての人生に感動した。
 厳しい先生だったが、時どき、瞑想をさせるなど、
ユニークなところがあった。
 
 父親が、職業軍人で、あの峻厳とした空気は、その環境から
きている。担任時に結婚し、新婚旅行に行って、一週間ばかり
休まれ、登校してきたとき、皆で気勢を上げて迎えたときに、
真っ赤な顔をしておられたのを憶えている。 
 
 この本によると、一年もしないうち子供が生まれているから、
ネムーンベビー? かもしれない。 その子が、自宅近くの
川崎小学校の校長というから、私も年をとってしまったことになる。
 
 先生は、5歳年上の姉の担任で、その後、他の学校に転任した後、
坂之上小学校に戻ってこられた直後に私のクラスの担任になられた。
 読むうちに、私の一生の、曖昧さ、好い加減な姿勢に赤面する思いに
なっていまった。そこそこ、全身全霊で生きてきたと思い上がっている
自分を合わせ鏡で、見せつけられた思いである。

 
・・・・・・・・
3221, フリー
2010年01月19日(火)
 「フリー<「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら
読んでおくべきである。 読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界
では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが世界を方向づける
カタチとしての流れを止められないという。フリーとは無料のこと。 
無料=利他を理解できた者がネット社会では利する世界になる。フリーで
やれるのはネットという膨大な世界があるから。無料といえば、民放のラジオ
やTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。気がつかない
うちに多くのフリーに恩恵を受けている。この随想日記も考えてみたらフリー。
私の全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開。 
ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」
という表層的なことだけでなく「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」
というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセット
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略
のみならず、そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された
 文明で、自己実現を満たす行為としてあった。この「贈与経済」は貨幣でなく、
「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。 ネット以前の時代
では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量
可能であるため、貨幣との交換が可能である。 したがってこの計量可能な
非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の
新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。
取るに足らない値段を請求することで圧倒的多数の消費者の手を止める。
チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》  ー つづく

 ・・・・・・・・
2846, 金融大崩壊 -2
2009年01月19日(月)           -読書日記
 この著書の結論は「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動が起きている。
キッカケはサプライムローン問題、今後20~30年と激動の時代が続く」である。
16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、
キッカケはリーマンブラザーの倒産である。更にいえば、松井孝典がいう
「地球システムが、拡大続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」
とみると、解りやすい! 第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊
よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を破壊
しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、
アメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
 それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て
破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」帝国は、「すべての
お金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、
100兆ドルの金融資産を増やした。元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、
投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にした。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義
帝国化に一番に対応したのが、日本である。いや、させられたのである。
金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせ
ようとした、米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成した。 
この二つは、コインの裏表一体。したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊
は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を
大量に抱え込んでしまったから、アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 
中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債
大量に持たされている。世界中がすべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、
やはり16世紀以来の地殻変動である。CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、
これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 
とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。世界の大手企業が社債
不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDS不良債権化が表立つ。 
銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、とマイナス循環が果てなく続く
ことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のこと
である。クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ
顔をしていた。中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている
重大局面を深く知ったため?

・・・・・・
2481, 9・11事件について
2008年01月19日(土)

          ー ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
   2001年の9・11事件が、大きく時代の流れを変えてしまったが、
  その意味について、日本人の視点で解りやすく、納得した言説に初めて出くわした。
  なるほど、知らないうちにアメリカよりの立場で、テロを糾弾する内容の記事や
  解説ばかり聞いていたことに、これを読んで気づかされた。
  アメリカの日本に対する露骨な植民地的な対応に、そろそろ一歩も二歩も
  離れなければならない時節に来たのである。敗戦から60年以上経ったのである。
  サブプライム問題で世界にアメリカの正体が露呈してしまった、この機会こそ
  距離を置くチャンスにもなる。
   -以下は、説得力のある論である。
   ーーー
  「存在の大地」ー高史明+芹沢俊介上田紀行著 
P-12 
 *上田紀行
ハワイもアメリカの領土とはい、本土からは遠く離れている。
それでも、アメリカ人はハワイを日本が攻めたということを今でも忘れない位に
ショックを受けたわけですが、とにかくアメリカの本土が攻められ中核が
射抜かれることはこれまでなかったわけです。
私はそのアメリカが、それもニューヨークのど真ん中に攻撃を受けたことに関して、
これは文明的な意味があるな、と思ったわけです。
というのは、アメリカ自体は自分が攻められた痛みを知らないということが、ありますし、
何よりもアメリカの現在の資本主義体制に関わる問題を突きつけていると思ったからです。

アメリカの資本義体制というのは、世界をどこでも等価にしていくという性格があります。
つまり、資本主義の成り立ちを見てみれば、かつての産業資本主義の時代、
実際にモノが動いていた時代の資本主義というのは、例えば中近東で石油が採れ、
その石油を運ぶのに何カ月かかかるといった、大地とのつながりがまだしもあるわけ。 
もちろん農産物も大地から生まれてくる。しかし、いまのアメリカの好景気を支えている
ITに関していえば、情報がお金を生み出すわけですね。株などを見てもコンピユーターの
画面上でワンクリックすればロンドンに置いておいたお金が瞬時にニューヨークに移り、
ニューヨークが駄目となれば東京に移り、第三世界が有利だということになれば、
どこかの第三世界の市場に投資できるというような性格がある。

つまり、アメリカを中心とする資本主義が、まさに大地というか私たちの故郷性と
いったものから切り離されている。 私たちはどこから来てどこへ行くのか、
どこに出自があり、死んだあとはどこに行くかというようなことから全く
切り離されているわけです。世界中はどこでも等価であり、儲かる所であれば
どこにでも行くというように、大地とは切り離された形でお金が回っている。
そこでいくら儲ければ勝ちだ、儲かった者が勝利者だというような価値観が
主導してきた資本主義がニューヨークを中心に築き上げられ、繁栄を謳歌して
きたわけです。 私はテロリストを擁護するわけではありませんが、そうした
ニューヨークに突っ込んだ飛行機というのは、我々には我々の土地があり、
民族があり宗教があり、アイデンティティがあるのだという主張でしょう。

世界は等価ではなく、国なり民族なり宗教なり共同体なりといった
土地の論理に対して、等価の論理が侵犯してくることは許せないのだという主張が、
テロという形で打ち込まれたと私は考えたわけです。
それからのアメリカの対応は、そうした土地の論理を一切無視するという形で、
自分たちより百倍もこ百倍も貧しい国に対して、ひたすら空爆を続けてきました。
しかも自分たちを正当化しテロは「絶対悪なのだ」と決めつけ、なぜ悪が生起したのか
「悪は滅ぼされなければいけない」という論理のもとで攻撃が行われたのです。
そうしたアメリカを我々が非難することは簡単ですが、考えてみれば、
アメリカ的な生き方やその背後にある現代の資本主義のあり方は、
アメリカのみならず、私たち日本人にとっても他人ごとではありません。
あるいは世界を覆っているすべての人についても、そちらの方向を目指している
意味においては他人ごとではない。
ーーー

   世界を等価しようという考え方は、アメリカの支配そのものになる。
   事実、その一歩手前?まで、一時期すすんだが、それも終焉しつつある。
   それが今年から本格化してくるのである。
                        バイバイ *´・ω・)ノ
・・・・・・・・
2007年01月19日(金)
2117, 新潟駅周辺が動き出す!
             オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!

昨日の地元紙に「新潟駅構内に1万5千?の商業ビルの建設計画」が発表された。
現在の駅構内のセゾン専門店街に隣接して造られるため完成すると、
一大ショッピングセンターになる。 駐車場も800台の収容というから、
新潟駅再開発に向けて大きく動き出したことになる。
    概要は
   ・現在の新幹線駅の出口にある専門店街の「セゾン」に隣接した場所に
   ・8F建て 商業施設延べ建設(1F~3F) 延べ1万5千?。
         駐車場(4~8F) 800台収容 敷地面積 7千坪。
   ・今年2007年9月着工、来年の12月完成。
   ・工事費は65億円。
  駐車場が1台あたり7坪として800台で5600坪になり、商業施設を加えると
  1万坪になる。65億というから、坪当たり65万の建物になる。
  
駅広場を挟んだ反対側に総工費100億の30F・複合ビルも秋口に着工するから
駅周辺の商業集積が一挙に進むことになる。(2007年7月着工、2010年1月完成)
立体工事に伴い駅構内に専門店街を増設するので、7~8年後には駅周辺の様相は一変、
1.5~2万坪クラスの大ショッピングセンターが出来ることになる。

    駅前周辺に5箇所の物件を持っているので、やっと時節到来になる。
    この工事関係者の宿泊が見込めるので、良いことずくめのはずだが・・・    
    団塊の世代の停年後用のマンション計画や、飲食ビルも集積するだろうから、
    不動産も上昇に転じる。 ・・・ということを願っている。
それより、現業を発展させる方が最重要事項!装置産業はね、小回りがきかないから。
新潟駅再開発計画の進行は当方の運命を左右する。

今年4月の「政令都市への移行」が、やはり大きな転換期になる。
これと「新幹線の新潟空港への延長工事」が加われば、大きな起爆になるはず。
誰も本気になる人がいないのが、新潟県の限界ということ。

   県知事様よ、サミットなど十年後~二十年後の新潟県の行く末に関係ないでしょ!
   少しは、シャンとしてよ、シャンと!まったく!
   貴方しかいないのだから!それができるのは!
   県知事はね~、10年、20年、30年先を読んだ行政をするものなの!
   それを過去の?質の県知事らがやってこなかったから、このザマでしょうが・・
   同じレベルなのですか? ハイ!という返事が返ってきそう!
     いまやっていることは、その程度でしょう。
   話は逸れたが・・ こちらの方がかなり低レベルだが・・
                    (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪~
・・・・・・・
2006年01月19日(木)
1752, 『桃井かおり』という女優
        
      ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~ オチャドーゾォー♪
彼女が若いときから 山田洋二監督『男はつらいよ』などの
マドンナ役をみて、不思議な魅力を持った女優と思っていた。
      地の顔なのか演技なのか、味のある演技をする。
      どんな役を演じていても彼女以外には考えられないのだ。
      こういうのを一流というのだろう。                    
                   _(。-_-。)いい演技してますな~
特に何処にもいるような普通の女性を演じさせたら逸品である。
性格俳優の女性版だろうが、歳を重ねるに従いますます円熟味を増している。
ある本の対談に彼女の芸の秘密を語っている部分があった。
 
ー桃井ー
 最初の頃は、衣装や役の名前が変わるぐらいで、あとは同じ、
 全部桃井かおりでやってました。 いつもおかっぱ頭で。 
                ♪ニャーニャー o(^‥^=o)~ o(=^‥^=)o
 意識して地を出すというより、役をイメージしながら台本を読んでいても、
 この役より、私が考えた桃井かおりの方が面白いだろうと思ったりして、
 桃井かおりでやってしまったていたという感じです。
         よく考えてみたら、桃井かおり しかやってなかったので、
         自分でもあきてしまった。 だから4年間も休んだ。
         どの脚本も桃井かおりのイメージでかかれるようになって。
         『型』にはまらない型にはまってしまったの。
最近、気がついたのは、女優というのは職業の名前だったんだということ。
女や人間はやめられないけど、職業は変えたっていいわけだし、
そんなに思いつめなくなったみたい。
別にお金持ちならなくてもよいし、養わなくてはならない親兄弟はいないし。
 ーー
         (  ̄ー)L ネム  ヨコガオモモイ         
          ーー
         以上の彼女の言葉には深い人生の示唆がある。
         なるほど一流の役者は違うものだ。
         「役よりも自分の思っている自分のイメージを演じている」
         というところが特に彼女の魅力の秘密だろう。
         自分を演技の中でつくっていくということだ。
         我われの仕事も事業も、ライフワークでもいい得ることである。
この人の話で面白いのは『お葬式ノート』がある。
葬式の希望と、そのための情報をノートに書き出している。
(仕事の関係者とか、個人的な人間関係とか、チグハグにならないよう書き足している)
既にスクラップ帳に二冊分になっているという。               
                          バイバイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・・
2005年01月19日(水)
1387, 23歳の日記-9
 ー10月1日 1969年

店の大改装で、関西地区で初めての靴売り場の責任者になる。
開店で死ぬほどの忙しさである。新しい部門ということで全員が注目を浴びている。
岡田卓也社長も、この売り場まで見に来てくれて一言声をかけてくれた。
予算の800?というのが、自分でも驚きである。
何品かの売れ筋を見つけて、それをお客さんに積極的に勧めるコツをつかんだ。
面白いように売れる。予算の立て方を店長が低くしてくれたこともある。

新しい店長が、私に目をかけていてくれているのが嬉しい。この改装時にテナントに
入っている星電社の男子社員と、店の男子社員が集団乱闘寸前にになった。
そこに私が身を挺して中に入ってなだめてから、全員が私を受け入れてくれる
ようになった。学生時代に合気道の経験が役に立ったようだ。
店舗の改装で、本が読めないのが悩みである。
本を読んでこそ自分があるのに、流されないようにしなくてはならない。

 ーー
ー10月13日
今日と昨日は、集合教育の為地区本部に行ってきた。また壁に当たっている。
本を読めないのだ。一人になり、かつ考えなくてはならないのに。あれもこれもと、
やりすぎである。ドライに割り切って、優先順位をつけてこなして行かなくてはならない。
ところで、上司の別所さんの「送別会」を私がやらなくてはならない。
明日まで、会場を決めなくてはならない。 いつも行く寿司屋か、会社の社員食堂か。
準備は、日下部さんか、岩崎さんに頼もう。売り場は、先ず単品管理を徹底的にしよう。
そして、靴の商品知識は、本部バイヤーの送ってきた本を読もう。
年内に大方、この売り場を把握しなくてはならない。

・・・・・・・・
2004年01月19日(月)
1020, 人生とは

 いまさら人生論ではないが、あまり思い浮かぶことがないので
思い浮かぶまま,生きてきて思うことを書いてみる。
まず思う事は、「人生には無駄なことがない」ことだ。
マイナスに思える中にプラスがあり、プラスの中にマイナスがある。
むしろマイナスと思える中にこそ、真のプラスが隠されているようだ。

 それはマイナスの方が対象をしっかり吸収する為である。
失恋旅行の方が、対象と一体化をすることをみてもそうだ。
小説も音楽も、絶望の中で聴いたほうが心に沁みとおる。
無駄が無駄にならないのが、人生の意味深く、味わい深いところである。
特に若い時の無駄が深い意味を与えるものだ。
浪人とか長期療養や大学中退などは、その人にとってプラスになることが多い。
じっくり本を読んだり、将来のことや見失っていた周囲のことが見えてくる。
また我慢強さが出来てくる。

 マイナスをプラスにする力が年齢を重ねると段々ついてくる。
この力こそ一番重要な要素である。
この力には前向き、積極性、陽気さ、そして集中力が付いてくる。
「知識を多く知っていることが大事でない。美しいということを美しいと
思えることが大事な事」という意味がよく解る年齢になってきた。
また「生きているということは凄いことだ」と思う。
目的をもって、崖っぷちにたっている時こそ「生きている」経験をする。

「人生を商家の一代目、二代目、三代目と考えると面白い」とか。
30歳辺りまでが一代目ー商売の基礎作り、50歳辺りが二代目ー必死に維持拡大。
その後が、全てを遊びに昇華して、過去の蓄積を楽しみ尽くす・・・

 なるほど上手いことを考えるものだ。馬鹿三代目にも、それなりの役割があるんだ。
人生50~60歳以降は馬鹿三代目として楽しむこと。「人生晩期は三代目論」か!いいね!

 ホームページの検索を調べたら、あったあった。
 底が浅いのか、本心の深いことなのか?解らない。

ーーーーーーーー
2001/12/21
[51] 無駄な事なし

人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。

老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖
「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」
という言葉を残していたと、姉より死後聞いてが立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?
という気持ちになってしまうのだろう。   2001/06/13

・・・・・・・・
 2003年01月19日(日)
651, 自分の一本の木

「自分の一本の木を見つなさい!」を考える。これは二つの事が考えられる。
何処かの山や近く川端などの具体的な木を見つけておく。心の中の目標やゆめである。

まず具体的な木を考えてみる。これを見つける為に近くの福島江の桜の木や
長岡の悠久山の木を探したが、まだ見つけてはいない。自宅の松ノ木あたりなのだろうか。
こういう木があって、これが自分の一本の木と真に思えれば、その木と対話ができる。
それが独り言だとしても、その木を通して違った会話になるはずだ。
生命体として反応するとみてよい。

その木がアンテナとして、宇宙の霊に通じている可能性もある。
祈る時に両手を合わせるのは宗教の共通した事だが、これはアンテナになるからである。
一本に木を買ってきて、庭に植えるのもよい。それを自分の木にする事も可能だ。
いずれにしても早く見つけなくては。

「心が疲れたら、鉢の花を買ってきて語りかけなさい。 心が休まる」というが、
鉢物の木を買ってきて手軽にしてしまう方法もある。 全くしないよりずっとよい。
心の中の木を考えてみる。 目標・夢である。ツリー図で実際書いてみると面白い。
大目標・中目標・小目標を幹・大枝・小枝と書き加えればよい。
そうすると根の存在が面白くなる。

「枝葉を切って根を養え!」という時期もあるが。
それと土壌と環境の問題を合わせ考えると幾らでもヒントが出てくる。
難しく考えないで取りあえず幹と枝を感えてみるといい。
  実物の木を3月を期限に最終決定する!!

・・・・・・・・
2002年01月19日(土)
305、ホームページ文章作法

毎日テーマ日記を書いていて心がけている事として
・まずはテーマを奇抜に興味をもってもらえるように、
・数人の知人友人に直接語りかけるつもりで、気楽に
・従って本音で、面白く、自分の言葉で、平易に
・添削をなるべく重ねる
・書きだめを幾つか溜めておく
・いちばんリラックスしている時に書くー晩酌をしながら下書きを書く

ある人が糸井重里に「貴方の年賀葉書が毎日もらえたら嬉しいのにね」と言われた。
本人は「なに金と手間があれば、毎日だせるさ」と思った。
それがメールにはまり込むキッカケだったという。多人数に軽く文章を送れるからだ。
そしてホームページを思い立った時、その転用として頭にうかんだという。
私の随想日記も似ている。
10日に一回位書いていた随想日記を「これを機会に毎日書くことを自身に強制する事で、
頭の中を汲み出してしまおう」と試している。1~2年は尽きることはない自信があった。

カミサンとは毎日飽きずに何か話している。2~3日家をあけようものなら、
かなりのネタが幾らでも出てくる。30年近く経っても尽きないのだから、
随想日記のネタが尽きる訳がない。
ということで、内面を気楽に、しかし本音で、面白おかしく、ブツブツ書いている。

・・・・
1月19日  1969年

11時起床。12時半に、聖心女子大に向けて出発する。明美とトツに会う。
明美から招待券二枚が送ってきて寮の佐藤と出かけた。晴海もチッラと見る。
「アンドロマック」という演劇であった。
その中でエルミオレを演じた人が素晴らしい演技であった。
演劇の素晴らしさを知ったようだ。 明美が演出したという。

よくあれだけの人を纏め、仕上げたものと感激をする。
おっとりした彼女の中に、あれだけの知性と能力が隠されているのは驚きだった。
終了後、気を使わせない為、会わずに帰ってきた。そのほうが良かったのだろう。
聖心女子大に入ることも初めてで終わりだろう。
昨年の暮れ、女らとの合コンを深井とのトラブルで欠席したが、
これで気持の上で納得ができた。いい思い出になった。

17時に帰寮する。
招待状を送ってきた時の彼女(明美)の手紙である引用だが、印象的な言葉があった。
「青年は確実な証券を買ってはならない」ふとこの日記を書いていて思ったことは
「純粋性は手段ではなく、目的にすべきである」
今は毎回のイベントが最後の別れになる。 よい人たちであった。