『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
  * 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する
 ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は
「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、
この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて
毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、
内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜
≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の
 うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。
アリストテレスいわく、
「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択
するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」
それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、
幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、
最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福
「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。
 それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。
苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を
立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。
こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。
 無知は、向上心を歪める。
 チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。
「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、
ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の
固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。
 仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と
苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。
例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、
自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる
ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが
まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の
満足感をもたらしてくれると期待している。
 悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。
にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人
は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、
ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと
して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。
 こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。
唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。
この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと
自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する
ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的
健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様
と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革
への燃えるような願望を抱くことが望ましい。
 瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間
保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を
静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ
味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。
あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない
人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成
の瞑想はどれも未完成に終る。≫
▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない
 気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない
のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、
分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い!
この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの!
・・・・・・
5059,花嫁への3つの母の教え 〜①
2015年01月20日(火)
  【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】
                      ひろさちや(著)
 これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
< 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。
 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、
笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。
わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。
ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を
楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと
「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは
ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」
につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。
極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。
それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に
もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)>
  * 花嫁への3つの母の教え  
 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。
 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・
≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。
 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。
 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。
 三つ、絶えず鏡を見なさい。
これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。
こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、
結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。
 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、
美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後
の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫
▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は
 テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。
ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。
許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。
・・・・・・
4694, 知恵と、教養と、知性の違い
2014年01月20日(月)
ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 知恵と、教養と、知性の違い
 この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 
  教育とは「今日行くところがある」
【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄
 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」
 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア
 は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 
 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、
       人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」
 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、
  なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと
   努めている、という。
  ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、
   神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
  ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的
   活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・
   芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて
   積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な
   音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
  ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。
   「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた
   素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。
   これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは
   年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな
   ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。
   ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、
   自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、
 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、
 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエー紀伊国屋ソフマップに、第三の長期
         滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした
         部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで
         再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って
         しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想
         の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活
         救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。
         騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち
         を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。
         積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、
         駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 
         今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の
         長岡駅文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。
         合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 
         私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。
         山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」
        (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
         その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、
 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の
時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を
死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。
2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 
今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
  9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル
にする様子が窺われる。記録は記憶!である。
 ・・・・・・
3952, 閑話小題
2012年01月20日(金)
    * ロボジー ーシネマ感想
 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 
軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め近未来の私たち世代の姿として、
考えさせられた。科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に
入れてロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンス
で日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・ 
独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手の
ミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。無機化したロボットと
孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺に
なってしまう瀬戸際で、最後は何とか落ちがついている。評価は80〜85点。 
年末年始の映画は私の見たいのは少なかったが、また面白そうなのが目白押し。 千
円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 
【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを
 題材に描くオリジナルのコメディドラマ。弱小家電メーカー・木村電器で働く
小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」
を開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、
一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に入ってもらうことにする。
しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中
から注目を浴びてしまう。ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、
ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。ロボット開発を担当する
3人組に濱田岳川合正悟チャンカワイ)、川島潤哉。】評価 ★★★★☆
   * 大相撲初場所
 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで
大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。その中で、幕下、十両に日本人
の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関横綱が出て
くるはず。これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け
知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで関取になる初めての
力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも
何人か相撲力の強いのがいる。しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並み
の力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで
面白くなる。それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 
ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が勝てるわけがない。
今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 
とはいえ日本人になり手がいない。 
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3587, 東京ウォーク
2011年01月20日(木)
 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。
家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。二日間は妹と、
三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月
にできた御煎餅屋の無料カフェ。家内曰く「去年に行った時もタダだったが、
今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、
有料化のためか、少なくなっていた。」最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ
無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 
現に家内は、まず、そこでコーヒーと煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 
昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 
その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に会いにいくとか、歌舞伎、美術館
廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、
一歩外に出る方が疲れがとれるはず。帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、
非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館
などを廻り、夕方は浅草あたりの居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰って
くるのも面白そうである。新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、
地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける結果になっている。
これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。
全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
 ・・・・・・・
3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著  
著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、
大変なことになる。一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して
変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 
デジタルのため圧縮をすれば幾らでも付け加えることが可能になり、カメラ機能は
限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラ
の値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し
進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が出現したと見ると分かりやすい。 
その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速し
だしたというのである。それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を
推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。
私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。アマゾンのネットを通して売り主
から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の
手数料が利益になる。アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に
売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は
時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。ネット新聞を
見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで
80枚1万円で通販で販売されている。ほぼ無料である。それらは図書館に
行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンで
みれるコーナーもある。面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 
アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく
 ・・・・・・・・
2847, 不況景色 −8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、
 バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。先週末にはシティが
 解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本
 注入、そして1000億ドルの与信枠を政府から与えられた、という。
 投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前と
 いうから、ことは重大である。更にビッグスリーを救済するというから、
 アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが・日本19位
 から9位・英国 10位から18位 ・アイスランド3位から19位に下がった
 だけ。といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。ちなみに、一位は
 ルクセンブルグ、二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、
 僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・
 インターナショナル会長)は、バブル崩壊について、「いくつものバブルが
 相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
 クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。
 外国為替デリバティブと破綻リスクを保証するクレジット・デフォルト・
 スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上。
 10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。更に欧州のユーロは
 どうかというと、「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融
 機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。とりわけ中東欧諸国の
 債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が
 積みあがっている」「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念。
 中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。1950年代の大躍進後に、
 60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
 (字数制限のためカット 2012年1月20日)
・・・・・・・・・
2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。
目の前の相手に、そして信頼している人に、判断を委ねるしかない人は人形
でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくない
からである。責任を負うということは判断をするため考えなくてはならない。
それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセン
「人形の家」で、主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 
(この言葉が婦人解放運動の原点になる)
 ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。
でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。私は実家で父の人形っ子
だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちの
お相手をして遊んでやりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの
相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。これがあたし
たちの結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、
この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、「ちっとも幸福では
ありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」
と言う。ー誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。
だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先
だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、
判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを繰返すことに、
二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。
これが人間の真の姿といってよい。そして人生の終わりになって初めて己の
その無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という
流行歌があった。なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀
を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、
責任から逃げ回っている人間の。