つれづれに

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 少しは積雪があるかと思いきや、ほとんどない。
今週は、少しは積もるだろうが・・・ 降るべきときには降らないと!


・・・・・・
2847, 不況景色 -8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、
 バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。先週末にはシティが
 解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本
 注入、そして1000億ドルの与信枠を政府から与えられた、という。
 投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前と
 いうから、ことは重大である。更にビッグスリーを救済するというから、
 アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが・日本19位
 から9位・英国 10位から18位 ・アイスランド3位から19位に下がった
 だけ。といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。ちなみに、一位は
 ルクセンブルグ、二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、
 僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・
 インターナショナル会長)は、バブル崩壊について、「いくつものバブルが
 相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
 クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。
 外国為替デリバティブと破綻リスクを保証するクレジット・デフォルト・
 スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上。
 10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。更に欧州のユーロは
 どうかというと、「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融
 機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。とりわけ中東欧諸国の
 債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が
 積みあがっている」「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念。
 中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。1950年代の大躍進後に、
 60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
 (字数制限のためカット 2012年1月20日)
・・・・・・・・・
2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。
目の前の相手に、そして信頼している人に、判断を委ねるしかない人は人形
でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくない
からである。責任を負うということは判断をするため考えなくてはならない。
それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセン
「人形の家」で、主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 
(この言葉が婦人解放運動の原点になる)
 ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。
でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。私は実家で父の人形っ子
だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちの
お相手をして遊んでやりますと、みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの
相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。これがあたし
たちの結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、
この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、「ちっとも幸福では
ありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」
と言う。ー誰も自分の頭で考えることは責任を伴うことを知っている。
だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先
だけを生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、
判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを繰返すことに、
二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。
これが人間の真の姿といってよい。そして人生の終わりになって初めて己の
その無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という
流行歌があった。なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀
を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、
責任から逃げ回っている人間の。

・・・・・・
2118, 品格について -2
2007年01月20日(土)
          才八∋ウ_〆(∀`●)
   
   福田一男著「成熟への名作案内」
   の一節で取りあげている次の文がよい。
 --
英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は
日の名残り」の中でで、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと、言わせている。
ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、
以下のように考える場面がある。
   【品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、
   それに耐える能力だと言えるのではありますまいか。
   並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、
   個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって執事であることは
   パントマイムを演じているのと変わりません。
   
   ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、
   中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、
   みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれる
   ことでしょう。外部の出来事にはーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、
   腹立たしくともー動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るように
   執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、
   たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。
   それを脱ぐのは、自ら脱ごうと思ったとき以外にはなく、
   それは自分が完全に一人のときに限られます。
   まさに『品格』の問題なのです。】
    ーーー

これは品格と同時に、プロフェッショナルの問題でもある。
一流のプロは品格を伴うのは、行きつくところが同じということである。
一流は、役割を知りつくしているから、役割から一歩も出るはずがない。
どんなプロ選手でもプレーヤーとして洗練されて初めて品格が出来てくる。
成績が一流になればこそ、品格と実績からくる自信が相まって風格ができる。

   仮面もそれが一流にものであれば、仮面を被りつつけた本人も一流になる。
   いや仮面が仮面でなくなり、本当の顔になってしまう。
   能の世界に入りこむと、演じ手の自分と役と解らなくなることがあるという。
   そこに人間としての円熟味が加わった時、上品になる。

その時に個人のブランドが出来るのである。
名優は、何を演じても個人の個性が現れる。
その個性が、その役を演じているのではなく、風格が役を演じているという感覚になる。
その役より本人そのものの味ー品格が勝り、そこに不自然さが残らないのである。
これを上品(じょうほん)という。

          b(^o^)ノ バイ!
          
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 2006年01月20日(金)
1753, 愛のアフォリズム -1         
                   (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ
                                              
アフォリズムとは、
気の利いた名言・格言をまとめたもの-箴言集-という意味。
格言や、哲学者や作家の著作などから、恋愛に関する言葉を集めてある。
どれをみても捻った言葉で満ちている。
一言一言が深く身に沁みるというと誤解されるから、
心に響くといったほうがよい。
                        お茶いれました !
                         (゚∀゚ )つc( ̄)ク        
        普通、箴言集は読んでいて飽きてしまうが、これは読むほど深い?
        世界に引き込まれてしまう。
        お笑いの視点でみると、これほどコミックなことがないが。
        
今回は幾つかランダムに選んでみたが、
次回は面白い章を選んで吹きだしてしまうような
お笑いアフォリズムを抜粋してみる。
「お笑い一升瓶?」を次回は選び出してみる。
 Ψ(☆w☆)Ψ ケケケッ 
   --------

愛情に束縛を感じはじめたとたん、人はさとる。
                もうじき終わるにちがいないと。                
                    ーフランスの格言 
                         自由ヽ( ´ー`)ノ 万歳♪
嫉妬が死に絶えるのは、愛情が死に絶えてからずっとあとのことである。
                    -H・G・ウエルズ               
                   c(>_<。)ノ☆コノコノォ♪嫉妬
                     (">ω<)っ))
キスとは、思う存分くちびるを使うことで二人とも黙ろうとする試みです。              
                    ーゼンタ・ベルガー
                           (・´з)(ε`・)
恋も麝香のかおりも、隠しおおせるものではない。                    
                    ーペルシャの格言
                    |・ω・`)コッショリ|д・) ソォーッ… |x・`)チラッ

結婚するのは一種の責務だが、愛人をつくるのは一種の贅沢である。               
                    ーシモーヌ・ド・ボーヴォワール
                          (i∀`●)y うほほ♪
快楽は、生殖・出産の苦労に対する自然界からの報奨金である。                  
                    ージークムント・フロイト
                       (~O~;)アン(;~O~)
結婚生活なんて、二個の砥石がせいぜいやさしく撫であうようなもの。
                    ージョン・オズボーン
                      プニプニ((=´ω`)σ"(・(・
恋愛とは、アマチュアの方がプロより上手い、
              この世で唯一のわざである。・・・                  
                    ーカールハインツ・デシュナー
                [HOTEL]女゚∀゚)----C< 男Д`)!!
                         チョット、ヤバイヨ !
「どんな男でも、二つのことしか頭のなかにはないわね。
                    もうひとつがお金」
                          スケベ!¬_¬)Y
                    ージャン・モロー
ーーー
アラビアの格言に
「花嫁を選ぶ前に、まず母親のことを問い合わせろ。」
というのがある。

二十数年後の姿と品性と教養が露出しているはずだ。
それが許容できると思ったとしても、
結果には責任は負えないが。

それと「家庭不和」かどうかも大事だが!
そんなことを言っていたら結婚はできないか?
それを麻痺させるために恋愛感情が必要なのだろう。
麻痺が醒めてから、一生男は後悔するのだが!                
                  (--、)ヾ(^^ )
 。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。            
              ☆ミ(o*・ω・)ノ~ バイ!!
・・・・・・
2005年01月20日(木)
1388, 23歳の日記-10

11月2日 1969年
今日ひらめいたが、一年早く会社を辞めて大学に入リ直すのはどうだろう。
初めの予定は、二年後に実行の予定であったが。
来年の二月で辞めて、どこかの大学に再編入するのはどうかということだ。
今度また、三連休をして、家に帰って親父に頼んでみよう。
このまま、あと一年は自分の気持がどうなっているか。

ーーー
ー後記(2004年1月15日)
ここで、23歳の日記は終了をしている。
この4ヵ月後に会社を辞めて、産能大編入したが、ボロボロであった。
そのボロボロが良かったようだ。
その一年が、現在の基本になっている。
日記を読んでいると、全く好きなことを考えていた。
父親が絶対的に応援をしていてくれている前提があったからだ。
全て、父親の手のひらの上で好きなことを考えていたに過ぎない。

父は、若いうちは好きなことを、思ったことを、やりたいことを、
全てやらせたい、という見守る愛情があったようだ。
父親なりの経験からくる教育だったようだ。

それを知った上で、これだけ自分本位な考え方をしていたのだ。
それでも自分で考えて、即座に実行する行動は、
この時についたものだ。
手のひらの上でしか出来ないこともある。

この後、辞表を出したと同時に三重の四日市に戻され、
間接的なリンチにあってボロボロになって帰ってきた。
これだけのリンチも初めてで終わりである。
当然の報いといえば報いである。

他人の血で、自分の傷口を洗うな」という言葉がある。
誰もが気をつけなくてはならない。
それぞれの多くの道を歩いてきた。
読み返すと、全く違う他人の日記を読んでいるようでもある。
細胞も、脳も殆どが入れ替わっている。
しかし、原型がそこにある。

 ーーー
ーところで、また信じられないことがあった。
24歳の日記帳が、本棚にあった。

てっきり本と思ってしまう厚いカバーがあった為、30年近くも
気がつかなかったのだ。
恐らく、学生時代の日記と23歳の時の日記の三冊セットで、
自宅の倉庫の本の間に隠してたのだろう。

やはり20日分が飛び飛び書いてあった後、途絶えていた。
その後は、日記帳をカード日記に切り替えた為である。
カードに日記を書いて、分類していた。
しかし一年後に全てを捨ててしまった、過去の膿に思えたからだ。
 
カードごとにテーマも書いていたというは、現在の随想日記の原型を
24歳の時に実施していたのだ。そして引き出し代わりに茶封筒に入れていた。
24歳の日記には、何と今でいうミッション・ステートメントが書いてあった。
そして、その後の人生のパターンを振り返ると、その通りに生きてきている。
(正直にいうと、それ以来見ていないのでブレがあったが)
その宣言を常に持っていたら人生変わっていただろう。


その後、日記帳は一切書いたおぼえがない。
また書き写すつもりだが、「もう見たくない、書きたくない」のが、
本音である。しかし、その時々の記憶の思い出す糸口になっている。

・・・・・・・
2004年01月20日(火)
1021, 22歳の日記


半年近くつづいた22歳の日記もあと一ヶ月足らずで終わろうとしている。
丁度、昨日と一昨日の辺りの日記が内容としてピークのようだ。
この日記を読むと頭が痛くなるので、当日分を書くとき以外読まないことに
している。写しながら赤面も良いところだ。
こんは華やかな?日々を、過ごしていたことが不思議でたまらない。
高度成長期真っ只中という時代背景もある。
最後の青春を謳歌してようだ。

昨日の聖心女子大明美は卒業をしたあと、確か手紙のやり取りを
一回したことがあった。
また、私が結婚をした一年後(5年後)、深井と千葉の私の新婚家庭の
近くまで車で訪ねてきたという。
途中で彼女が気が引けて、U-ターンをして帰ってしまったと後で聞いた。
その時は、彼女はお医者さんと結婚、亭主がニューヨークに行っていたとか。
何ともおっとりした感じのよいお嬢様であった。
好き嫌いというより、彼女たちからは温かさが、そのまま伝わってくるのが良かった。

一度皆と会おうかという話もあったが、仲に入っていた深井が10年前に
脳梗塞で亡くなってしまった。
世界の違う人たちというのが分っていたので、恋愛感情は全くゼロであった。
全員が、洗練されたかなりの美人であった。
その中で、特に「アユ」は光り輝いていた。
私以外の二人は、その人に結婚を申し込んで振られたと、
深井が死ぬ数ヶ月前に言い残していった。
全く知らなかった。その意味では、私だけは無傷であった。

こういう女性を見ていたためか、女性の職場を転々として、
同僚の女性を結婚相手という気持を持つことはなかった??
どこか冷静な眼ができていたのだろう。
この時期の自分が大きく揺れていたのが日記帳から窺い知れる。
濁りのない純粋の目も感じることができる。
内面はもっともっと揺れていた。
別に人に見せる文でもないのに、自分に対しても気取りがあることが
ハッキリ解る。若いということだろう。
それと精一杯一日一日を過ごしていた日々が懐かしい。
  書き残すということは、非常に意味があるとつくづく思う。

・・・・・・・・ 
2003年01月20日(月)
656, 四行日記

新聞広告を見て買おうか迷ったが、先日また同じ広告が
出ていたのでやはり買うことに決めwebの紀伊国屋で注文した。
一昨日とどいて要点読みをして要点を把握した。
 届くまで自分が4項目にするならどうするか考えてみた。
 以下のとおりである。
・新知識ーこんな事知らなかった   -知
・感情ー喜怒哀楽、感謝感激     -情
・こんな事してみたい        -意
・ 他・・・・
     以上を考えた。

実際の本の内容は
。事実   -その日の出来事で、心のアンテナに反応した事を一つ選ぶ
。気づき  -「あっ、そうか!」と気でいたことを書く
。教訓   -その気づきから学んだ事
。宣言   ー「ありたい姿」を力強く断言

毎日これを続けて書いていけば、膨大の知識と経験が蓄積されるし、
感覚が鋭くなっていくだろう。
小説家は何らかの形でこれを毎日続けている、データーベースの為だ。
日記は
・その日に起きた事実を書き
・その感想ー意見をまとめる
・時系列であるのが特徴だ。

私が続けている随想日記を上級?ならば初心者向きだが、
明快で毎日続けるにはよい。
プロセスは全く同じだ。
「明日は何か書くことが無いか??」が常に頭から離れない。
好きでやっているのだから苦痛はそうでもない。

いざ始めようと思ったら、この四行日記がいい。
一日何らかの出来事はあるはずだ。
それを提起して、感想を書き、その中の学んだ事を書いて、
最後はより広い高い視点を書き込めばよい。

カミさんと喧嘩をした時
・まずその内容ー事実を書き
・そういえば、最近あまり会話が足りなかった事に気づき
・話すのが面倒でも、聞き役にはなれるはずだ
・明日から朝晩に5分はその時間をつくることにする 
 定期入れにその誓いの文を暗号でもよいから書いておく。
これで日記に十分なる。   
                -続く
・・・・・・・・・ 
 2002年01月20日(日)
306、時代の変遷

時代の変遷に驚いている。
今日、新聞をみて目を疑った。
あのアメリカのKーマートが倒産直前という。
10年位前まで、k-マートといえば全米でウォルマートと小売りの1~2を競っていた。

加入している流通のコンサルタント会社の視察旅行でアメリカに二回行き、
その合理的システムに驚いたものだ。
米デスカウントストアの草分け的存在で、丁度ピークの時だった。
景気後退とウォルマートとの安売りの競争が、収益悪化に拍車をかけたという。

あの天下のシアーズも数年前経営悪化を報じられたが、ここまで競争社会の
激しさを目の当たりにしようとは。アメリカの流通は大別して「シアーズから、
Kマート、そしてウォルマート」と変遷してきたといってよい。

日本でも西武流通グループも解体され、堤清二が追放。
ダイエーも実質倒産?解体で、中内功が追放。
スーパー四位のニチイーマイカル、長崎屋、ヤオハン、九州の最大手の
寿屋も倒産。チェーン店でまっとうなのがジャスコとイトーヨーカ堂
専門大店と地方のナンバーワン・スパー位になってきた。

これからIT の時代、ナンバーワンしか生き残れない時代が顕著になってきた。
本の半分以上は、ネット書店で買うようになってきた。ネットも紀伊国屋から、
アマゾンで買うように変わってきた。

・・・・・・・
1月20日 1969年
12時起床
午後本を読んでいると、市川さんが会社を途中で引けてくる。
お茶を飲みながら話をする。
何か俗人もよいとこだ。仕方がないのだろう。

その後風呂に行き、食事をする。
突然、ある女性のところに手紙を書きたくなる。
まあ何も意図はないが。面白い文になった。
昨日もそうだが、実際は一人一人お別れをしていることになる。

大学もあと一ヶ月でお終いだ!
もう誰とも会うことはないだろう。
出生前の兵隊みたいな気持とはこういうものだろう。
何か今ひとつ読書の幅という点で、物足りなさが残った。