つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
   今日のYoutube

以下の文章は、リーマンショックの大よそ100日後の文章である。
まさか、この2年3ヵ月後に、その直撃で、売り上げが半分に、
10年トータルで三分の一に落ち込み、倒産とは思いもしなかった。
で、はや7年になる。

世界的恐慌には、陥ってないが、温暖化による水不足や、不景気による
貧富の格差が、IS問題や、シリアなどからの欧州への避難民の殺到の
原因になっている。

当時、株価が半減、アメリカや日本は、通貨量を2~3倍に増やし、
対処したが、ハイパーインフレになっておらず、何とか凌いでいる。
しかし、これも、何処から発火をすれば、一瞬で燃え広がってしまう。
で、どさくさに紛れて、国民総背番号化をした。これは、恐慌による
国家破綻を前提にした、国民管理の元締めである。

目先は、東京オリンピックで、注意をそらし、管理体制を強める!
来年は、いろいろな意味で、面白い年になりそうである。


・・・・・・
2823, 年初来、世界の株価は半減!
2008年12月27日(土)

年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。
これに国債や住宅ローンやサブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、
その損失は計り知れない。 まずは、その記事である。 
 --
 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)
 の下落になっている。9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、
 世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。
 年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場
 からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、
 95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナスとなるのも初めて。  
 なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに71.30%、
 インドが67.98%、中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。
 高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が
 資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・
 ドイツは5~60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、
 アイルランドが69.86%)、ベルギー(同68.78%)で、
 調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から
 株価が低迷していた分、新興国と比べると下落率が小さいようだが、
 数年スパンでは同じと見ることもできる。 来年も不安定な相場が続くだろう」
 とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
 ---
 これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて
 下落していたし、米国は一年前から下落していた。その上に、輸出立国の
 モデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。
 これから5年間は倒産の嵐になるのは必然である。まずは、失業率が数年後
 に10~20%になる。これは数軒に一軒の家庭に失業者が出ることになる。
 目先はカンフル剤的な資金投入で平穏を保つが、一時的なこと。
 かなり厳しい管理体制になるだろう。
 ?アメリカから離れ、中国と組んでアジアのブロック圏をつくるか、
 ?これまで通りアメリカの隷属国家として、太平洋経済圏で生きるか、、
 ?アメリカも中国からも等しい距離をとり、真の独立国家を目指すか。
  この場合、憲法を変えて、原爆保持を宣言する。
 現在の日本は、?の選択しか能力は無いだろうが・・・

・・・・・・・・・・
2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団
             ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。
(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。
それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐め。

学生時代に国士舘の応援団の虐めを山手線で目撃した友人の話が
聞いたことがある。蝉と先輩らしき男がいうと、下級生が手すりに掴まり
ミーンミーンと鳴いたとか、荷物置き場に上がり鶯の真似をさせられたとか、
公衆の面前で暴力団まがいだったといいう。先年に亡くなった新潟の
『夕陽コンサート』を立ち上げた男も応援団だったが・・・
応援団といえば、いつも校庭で屯していて別世界に閉じこもっている
グループという印象が残っている。また、その男はそうだった。
地元の長岡高校に入ったとき、数ヶ月間、新入生は放課後、校歌の練習で
しごかれる。大声と丸めた新聞紙で殴りつけ恫喝をしながら、校歌を幾か
憶えさせられたが、今でも恐怖と嫌悪感が残っている。プライドと伝統を
植えつけるのに必要か?と、半分肯定、半分否定ではあるが・・・

大学では体育会系で一番ガラが悪く、暴力団紛いというのが応援団の
印象であり、今回の問題は起こるべくして起きた問題。
下半身に熱湯をかけるなどがビデオに残されていたというから、
解散は当然である。それでも大相撲部屋から見れば甘いだろうが・・
彼方此方のスポーツなど行事に一番前で見る機会が多いから上級生に
なれば、良いだろうが、馬鹿製造集団でもある。馬鹿になることも
必要だが、小馬鹿はこまる。

ーマイナーな話なので、可愛い話を一つ加えよう。近くの土手を散歩をして
いたところ、小学校の運動会をしていた。例年になく元気の良い紅白の
応援団の声が聞える。よくみたら、先輩と思しき中学生の応援団が数名ずつ、
紅白に分かれ、指揮をとっていた。さすがに低学年は別グループだったが、
気合を中学生に入れられた小学生の姿が何とも初々しい。
                      ((´_`○)ノ ノヾィ♪         
・・・・・・・・
2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い -3
      (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
 ----
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。
ここでは何度も取りあげてきたが、「タクシーの運転手の悲鳴」である。
飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、
「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、ほぼ同じ返事が返ってくる。
<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで8万位稼いで、子供1~2人で
何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入って
くるからね~」である。ホテルの前にタクシーが並んでいるので、
その時々の景気状況や彼らの身近の話が入ってくる。

全国的に「固定給のベースが廃止され、完全歩合給制」が全国的に普及
始めてきたという。新潟市も来年四月から完全歩合制になるという。
4年前に規制緩和を受けて、タクシー業界に多くの新規参入があった。
そのため業者間競争が激しくなり、各社一斉に増車をして収益確保に入り、
各社には成果主義が導入された。その一環が完全歩合給である。
平均年収が300万弱と、全産業のそれより150万円も低い現状にある上に、
今度は最低賃金も保証されないのだという。運転手もお客という獲物を
他の車より先に捉えるセンスが要求される。
そのセンスのあるとなしでは、収入が全く違ってくる。
 ーーーーーーーーーーーー
(字数の関係でカット、08年12月27日)

              ーつづく        ホンジャ(*^ワ^*)i
・・・・・・・・
2005年12月27日(火)
1729, 流通再編成
               (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップ
で報じていた。これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループ
でも5番目の規模になるという。これで国内でイオンと二大流通グループ
を構成することになる。アメリカのセブンイレブン本社も買収している
から、世界の流通として質からみても遜色ない流通グループになる。
                       ~~旦_(-ω-`。)
 イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、 
SMのマックスバリューや、デベロッパーのイオンモールなど郊外型の
小売業業態を多く持っており、セブン&アイにない一般消費者に向けて
低価格を目指している。反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、
その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならないハンデがある。
 果して、この統合がプラスかマイナスかは評価は違ってくる。
私の評価は、イオン有利と判断するが、西武百貨店の購入金額が
2000億は安い買物?ではある。百貨店では、まともな商品戦略を
持っているのは「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが
 入れば勝ち組に入る可能性もある。見ている分には面白いが、
当事者は血みどろだろう。 (。・ω・)ノ ジャ! 
・・・・・・・
2004年12月27日(月)
1364, M資金

学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院
で手術をした時、隣のベッドの人の話もM資金に似た話を父にしていた。
終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。以前、潰れかかった
ミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、興味があるか?」と、
聞かれたことがあった。 のっけから相手にしてなかったので、相手は直ぐ
諦めたが。「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が
次々と出てきた。往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていた
ことを初めて知った。「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を
行ったGHQ(連合国軍総司令部)の経済科学局長だったマッカートの
秘密資金と言われ、その頭文字からM資金といわれている。戦後の巨額
詐欺事件で何度も登場している戦後50年以上に渡って現在も進行中の
古典的詐欺である。「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に
金利で融資したい。しかしその資金を運用する為には様々な事前工作の
必要があるので、その工作資金を支払っていただけないか?」といった類
の詐欺話である。50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?
それは「ホントにM資金ってのがあるらしい・・・」という噂がまだ
蔓延しているからだ。「なぜこんなことにだまされたのか」と思うが、
資金に困り、融資がのどから手が出るほど欲しい人にとっては、絶望の
中に光明を見た思いだろう。それだけに悪質だ。関東圏だけでも、数万人
がこれで生活しているという話を聞いたことがある。
ーその具体的詐欺の内容は{字数の関係上省略してありますが、
2004年12月26年に全文書いてあります。

・・・・・・・
2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」-2

 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。あからさまな自分を、
突き放して見つめることは辛いことである。宇宙から地球を見つめ、
地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、そして自分を見つめ、
その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦
でもある。 ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子
として生まれる。父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?
されて育った。実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。
一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。しかし無事に
人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より
創業の準備を始めていたと彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立
したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を五年
近く従事する。実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で
初めて客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。そのプロセスでリース
バックを思いつくが、バブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた
矢先であった。酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに
暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって翌日死んでいるのを発見される。
誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に
肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。本人の目標の1000に、
あと三日であった。 享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。

・・・・・・・・・
2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋

図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に
「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」そのお願いの文章が、
前書きになっているところがまた面白い。よくこれだけの有名人が真面目に、
あるいはふざけて書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして
死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。どちらにしても真剣に
書いてあることは文面よりわかる。生前の業績に対しては意外と自己正当化
しているのが可笑しい。 -私も書き始めたが侘しくなってきた。
死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
   
・・・・・・・・ 
「私の死亡記事 」出版社: 文芸春秋
ーレビュー
新聞の社会面に載る「死亡記事」。それが、本人自らの筆によって
書かれたとしたら…。そんな発想から書かれた本書には、細川護煕
岸田秀田辺聖子渡辺えり子ら著名人102名の空想上の死亡記事が
著者本人によって記されている。味気ない客観的業績の記録や経歴
だけでなく、著者自身の視点から見た、これまでの強烈な生き様や
輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、希望あふれる
業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、見開き
1ページで著してある。何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が
多く盛り込まれた各々の文章が共通しておもしろい。
著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」
というくだりがドラマチックだったり、失笑を買うものであったりと
創造性豊かな死に様が描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、
風葬にする…」など自分なりの墓標を立てたいという希望が多く、
その主義主張が興味深い。しかし、「死」を読んでいるはずが、
読むうちに執筆者の「生」を感じ取れるのはなぜだろう?
自身の「死」を想定することによって書かれた各人の死亡記事の根底
には、これから続くであろう「生」への希望、今まで生きてきた
「生」への悔悟、自身の「生」に深くかかわった人々への思いが流れて
いることに読者は気づくに違いない。本書は創作された「死」の物語
として楽しみ、「生」を省みる機会を読者に与えてくれる。(青山浩子)

・・・・・・・・
2002年12月27日(金)
623, 新しいパソコンについて

会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく
画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。画面は二年前に買った
自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。会社のパソコンの入れ替えを
利用して2年に一度変えている。年々パソコンが飛躍的に良くなっている
のが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。
当たりであった。画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。
まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。今のパソコンは
2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという
感じがする。あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いが
ないだろう。恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。不況でも
この分野の世界の進歩はとどまる事が無い。パソコンを使えないという
ことは時代に見放されてしまったといってよい。話は変わるが、ニュース
で携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!

・・・・・・・・・・
2001年12月27日(木)
282、同姓同名

東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。
必ずいるはずだと。山田太郎とか、小林恵子とか言う名前の人は何回も
そのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。
ー商工会議所の名簿に出ていた。それを知った時妙な気分であった。
周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。初めて見つけたことと、同姓
という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、それはおかしいと思い止めた。 
その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索
に入れてくれ」とのこと。それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で
行われた、マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくり
していた。堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。第二新館の鉄骨
工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。鉄骨検査でその工場
に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。

・・・・・・・・
ある時間の断片
12月27日  1968年

12時に起床する。午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、
目的の本がない。帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を
飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。飲んでいる
うちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。自分の思っている範囲が
手に取るようにわかる。彼らに理想などあるものだろうか。この溝は
もう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。
国会議員なら、もっと程度が??
・・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日  1968年

 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新
という月刊誌が贈ってくる。その文面によると、2月21日から出社のようだ。
これを見て焦りがでる。気持の整理がまだできてないせいだろう。
あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。少し自分の気持を
整理をしてみよう。学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。
行くべき方向も見つけた。自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。
これからはジャスコという会社に入り、先ずはその中で組織にチャレンジを
することになる。そこで自分に対する課題を一つずつ処理をしていかなくては
ならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。 両親を見てみるがよい。
戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつ
ときが来たのだ。自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足
で一歩一歩。その為には逆に自分の中に生きなくてはならない。
武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。石川、外山、川村にしても、
それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にもそれに
負けないものがあるはずである。 最近、「何故何故」という問いかけが、
自分の中に生じてきた。これは哲学的になってきたということだろう。
何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。